最強の絆
「お、お母さん……これは、どういうことなのだ?」
震える声で言いながら、母に近づいていった。しかし、ライムは怒鳴りつける。
「来るんじゃない!」
普段とは、まるで違う声だ。ロミナは、ビクリとなり立ち止まった。
すると、ライムは自身の隣を指差す。そこには、バロンがいた。今まで、ずっと身を隠していたのだ。
「ここに狼がいるだろ」
「い、いるのだ……おっきいのだ」
「これが、お父さんなんだよ。夜になると、狼に変身するんだ。バロンは人間じゃない。人狼という怪物なんだよ」
その言葉に、バロンは下を向く。心なしか、悲しそうな表情を浮かべているようにも見えた。
微かに、クゥーンと鼻を鳴らす音が聞こえた。
「そして、あたしは吸血鬼さ。日の光を浴びると、肌が焼けちまう。だから、太陽の出ている間は地下室に潜って眠っていたのさ」
言いながら、ライムは己の口元を指さした。途端に、犬歯が伸びる。鋭く尖っており、まるで猛獣の牙だ。
さらに、瞳も紅く光り始めた。人間には有り得ない光であり、怪物の証である。娘には見せたことのない吸血鬼の顔を、今はっきりと見せつけていたのだ……。
母のそんな姿を見て、ロミナの体がわなわな震え出した。それでも、どうにか声を絞り出す。
「そ、そんな……意味がわからないのだ」
「あんたは、本当にバカだね。だったら、あんたにもわかるように説明してやるよ。あたしとバロンは、あんたの本当の両親じゃないんだ。人間ですらないんだよ。森の中で、偶然ゴブリンの群れに襲われ気絶していたあんたを助けた。そしたら、あんたは勝手にあたしらを両親だと思い込んだ。仕方ないから、今まで生活してやってたんだよ」
ライムの口調は素っ気ない。ロミナを見る目は、冷たいものだった。
想像もしていなかった話に、ロミナは愕然となっている。口を半開きにし、今まで母と思っていた者を凝視していた。
それでも、ライムは話を続ける。
「で、そこのお嬢さんはあんたの本当の家族……姉さんなんだってさ。お姉さんに付いていけば、本当の父親にも会えるだろうさ」
言った直後、ライムは少女に背を向ける。
「あんたは、普通の人間だ。あたしたちとは違う。あんたは、人間と暮らす方が幸せなんだよ。さあ、そこのお嬢さんと一緒に行きな。行って、公爵の家で暮らすんだ。金持ちだから、何でも買ってもらえるよ」
「い、嫌なのだ!」
ロミナの声が、闇夜に響き渡る。ライムの体が、ビクリと震えた。
それでも、彼女はかぶりを振る。
「わがまま言うんじゃないよ! あたしは吸血鬼なんだ! あんたとは違うんだよ! 血を吸って生きてる怪物なんだよ! さっさと行っちまえ!」
背中を向けたまま怒鳴ったが、ロミナは怯まなかった。
「絶対に嫌なのだ! お母さんもお父さんもいなくなったら嫌なのだ!」
怒鳴った直後、ロミナは地面をどんと踏みつけた。凄まじい形相で、なおも叫ぶ。
「ロミナは、お父さんとお母さんと……ずっとずっと一緒にいるのだ!」
「いい加減にしな! あんた、怪物とずっと一緒に暮らすつもりかい!?」
「そんなの関係ないのだ! 暮らすのだ! ごれがらも……ずっどずっどいっじょにいるのだ……」
泣きながら、ロミナは母のもとに歩いていく。
その時、ライムは振り返った。彼女の犬歯は、いつの間にか引っ込んでいた。瞳の紅い光も消え、代わりに涙が溢れている。
「ロミナのおどうざんおがあざんは……おどうざんおがあざんだげなのだ」
泣きじゃくりながら、母に抱きついていくロミナ。文字だけを見れば、意味不明な言葉だろう。だが、その場にいた者はみな意味がわかっている。少女にとって……父と母は、目の前にいるふたりだけなのだ。
ライムもまた、少女をしっかり受け止めている。その目から、涙が溢れた──
「あんたって子は、本当に世話がやけるね」
言った時だった。さらに、別の泣き声が響き渡る。
声の主はバラカス兄弟だった。義理の親子のやり取りを、今までは黙って見ていた。しかし、こらえきれなくなったらしい。ふたりして、その場で泣き出したのだ。筋肉の塊のごとき体を震わせ、大きな声でわーわー泣いている。
見ようによっては滑稽な姿だが、笑っている者はいない。それどころか、鼻をすするような音も加わっていたのだ。
そう、泣いているのは兄弟だけではなかった。フロンタル家の兵士たちの中にも、この光景に心を打たれた者がいた。それも、ひとりやふたりではない。半数近くの者が、溢れる涙を拭っている。
その時、ララーシュタインが動く。ミネルバの方を向き、口を開いた。
「あんたは、ロミナをどうする気だ?」
「ロミナは、腹違いとはいえ、あたくしの妹です。あたくしが引き取り、公爵家に相応しいレディにします」
ミネルバは、怯む様子もなく言い放つ。まだ十代とは思えない貫禄である。
しかし、ララーシュタインの方も引く気はなかった。
「ロミナは、それを望んでいない。第一、あんたら貴族連中の汚い世界に、あの純粋な娘をかかわらせたくないな」
「汚い世界ですって……」
「そうだ。俺は、かつてガバナス帝国の魔術師団に所属していた。そこで、貴族どもの汚い部分を嫌というほど見てきた。それにだ、公爵家が今までしてきたことも、グランドレイガーやギルガメスから聞かせてもらった。あんた方は、ずいぶんとひどいことをしてきたのだな」
冷静な口調で語るララーシュタインだったが、ミネルバも怯まない。
「あなたのような人間に、貴族の何がわかりますの? 貴族の世界は弱肉強食です。弱みを見せれば、すぐに潰される。貴族の家が潰されれば、路頭に迷う人間が大勢いるのですよ。家を守るためなら、私は何でもします」
毅然とした態度で言い放った。己らの悪事を暴かれても、全く意に介していない。ララーシュタインは、内心では舌を巻いていた。この娘は、なかなか大したものだ。
それでも、あの家族を引き裂かせるわけにはいかなかった。
「あんたら貴族の事情など、俺は知らない。知りたくもない。俺が知っていることは、ひとつだ」
そう言うと、ララーシュタインはロミナたちを指さす。
「ロミナは、あの両親と暮らすことを望んでいる。ライムとバロンも、思いは同じだ。それを、あんたらに邪魔する権利はない。もし、ロミナの幸せを踏みにじり、無理やり貴族の生活に戻そうというのなら……その時、俺は全身全霊をかけてフロンタル家に立ち向かうつもりだ」
「私もだ」
ザビーネが、静かな口調で言った。灰色の瞳は、ミネルバをまっすぐ見据えている。
それでも、ミネルバは引かなかった。大男の魔術師とダークエルフの女を前に、堂々とした態度で口を開く。
「あなた方は、ロミナの何なんですの?」
「何でもない。ただ、ウチの召使いはロミナのことが好きだ」
そう言って、今度はジュリアンの方を顎で指し示す。
少年は、静かな表情で眠っていた。先ほどの活躍が嘘のようである。
「あいつは、いざとなれば小国くらいなら壊滅させられるだけの力を秘めている。いかにフロンタル家といえども、俺たち全員を敵に回して勝つ自信があるのかな?」
言われたミネルバは、ひとりひとりを見回していった。
悪の天才魔術師を自称するララーシュタイン。ダークエルフのザビーネ。泣き続けているバラカス兄弟。眠っている人造人間・ジュリアン。
次いでミネルバは、義理の妹に視線を移す。
ロミナは、ライムに抱きつき泣きじゃくっている。相手が吸血鬼であることなど、全く意に介していない。
ライムは、少女を受け止め頭を撫でている。形のいい瞳からは、涙が溢れていた。恐ろしい怪物であるはずの吸血鬼が泣く姿など、彼女は見たことがなかった。おそらく、ここにいる者たち全員が初めて見る光景であろう。
そんなふたりの傍らにいるのは、巨大な銀狼だ。仔牛ほどもありそうな体を持ちながら、伏せた姿勢で少女と吸血鬼を見つめている。ふたりのそばから、動こうとしない。いにしえの女神に仕える守護獣のようである。
血の繋がりなどない……それどころか、種族すら異なる者たち。にもかかわらず、ここにいる者たちからは絆が感じられた。この世で、もっとも美しく貴いもの。固く強い家族の絆てある。
あの三人は、紛れもない家族である。いや、ララーシュタインたちにとっても、ロミナは家族のような存在なのだ。その絆を引き裂くことなど、何人とて出来ない──
「わたくしの負けですわ」
ボソッと呟いたミネルバは、ララーシュタインの方を向いた。
「あなたたちの言いたいことはわかりました。ですが、わたくしとて子供の使いではありません。ひとつ条件があります。その条件さえ飲んでくだされば、ロミナはあなたたちにお預けしましょう」
「条件とは、何だ?」
「わたくしが、好きな時にロミナに会いに行くこと……その条件さえ飲んでくれれば、あなたたちにお預けします」
意外な答えであった。さすがのララーシュタインも面食らう。
「それだけでいいのか? 本当に、その条件だけでいいのか?」
「しつこいですわね。わたくしとて、フロンタル家の人間です。わたくしに、二言はありません」
静かな表情で、彼女は答えた。だが、直後に顔つきが一変する。
「その代わり、命に換えてもロミナを守るのですよ。もし、妹の身に何かあれぼ……その時は、我がフロンタル家の持てる財産すべてを費やしてでも、相応の報いを受けていただきますわ。あなた方に、この世の地獄を見せてさしあげますから」
「わかった、約束しよう。ロミナの身の安全は、このララーシュタインが保証する」
「私も、この剣に賭けて保証しよう」
そう言うと、ザビーネは腰のレイピアを抜く。刃を、空に掲げて見せた。
ミネルバは、そっと頷く。
「わかりました。では、ロミナのことを頼みましたよ」
馬車に乗り、城を後にするミネルバ。その表情は険しい。
ややあって、執事がそっと声をかける。
「お嬢さま、これでよろしいのですか?」
「仕方ないですわ。あの三人には、本物の家族より強い絆があります。わたくしの入る隙間など、今のところなさそうですわ」
言ったかと思うと、彼女の表情が変わった。
「それにしても、本当に可愛い子。皆に可愛がられるのも当然。さすがは我が妹です。今度来た時には、頭を撫で撫でして、ほっぺをプニプニして、ムギューっと抱きしめたいものですわ。いつか、必ずあの家族の中に割って入ってやりますのよ」
そんなことを言いながら、顔を真っ赤にし手足をバタバタさせ悶えている。ロミナを可愛がるシーンを妄想しているらしい。先ほどまでの威厳に満ちた態度が嘘のようだ。
執事は、そっと溜息を吐いた。