明かされた秘密
異様な光景であった。
普段なら、授業が行われているはずの空き地。だが今は、地面に大きな円が描かれている。円の中には、不思議な形の文字が多数書かれている。
その円は、魔術師が特殊な魔法を使う時に用いる魔法陣に似ていた。だが、根本的に異なる点もある。円に描かれているのは、ダークエルフの用いる特殊な文字だ。ダークエルフ以外には、読むことも書くことも出来ないものである。
その円の中心で、あぐらをかいた体勢で座っているのはザビーネである。目をつぶったまま、ピクリとも動かない。完全に静止した状態である。
ララーシュタインとバロンとジュリアンは、円から離れた場所に立っていた。固唾を飲んで、ザビーネの様子を見守っている。
しかも、バラカス兄弟まで来ていた。神妙な顔つきで、彼らの後ろに控えているのだ。この兄弟は基本的にバカだが、今は珍しく空気を読みおとなしくしていた。
やがて、ザビーネの目が開いた。静かな口調で語り出す。
「今、情報が入ってきた。風の精霊と鳥たちから得た情報によれば、奴らはロミナを連れ、アルラト山の古城に入っていったらしい。ロクスリー伯爵の城であろう。おそらく、そこに立てこもる気だろうな」
「間違いないのか?」
バロンが、勢いこんで尋ねた。
「ザビーネは、風の精霊と交信できる。その能力は、この世界でもトップクラスだ。間違いはない」
代わりに答えたのは、ララーシュタインであった。
その答えを聞いたバロンは、ハァーと息を吐きかぶりを振る。無論、バカにしているわけではない。
「そんな凄い奴が、ロミナの通う学校の教師だったとはな。恐れ入ったよ」
「感心している場合ではないぞ。そのロクスリー伯爵の城に、ロミナは囚われているのだな?」
ララーシュタインの問いに、ザビーネは頷く。
「ああ、間違いない」
すると、今度はバロンが尋ねる。
「相手方の人数は、どのくらいだ?」
「百人を超えているのは確かだ。あれは、単なる身代金目的の誘拐とは思えん。もっと大がかりなものだろう」
聞いたバロンは、ザビーネに深々と頭を下げる。
「そうか。本当にありがとう。この礼は、いつか必ず……」
「で、これからどうするのだ?」
ザビーネの問いに、ララーシュタインが答える。
「決まっているだろう。城に乗り込み、ロミナを救い出す。ザビーネ、あんたには本当に世話になった。いつか、俺の方からも礼はさせてもらう」
「ちょっと待たぬか。城に乗り込んでいくのならば、私も連れて行ってもらおう」
返ってきた言葉に、ララーシュタインはぎょっとなった。
「おい、ちょっと待て。お前はダークエルフだ。人間同士の揉め事に、自分からかかわりに行く必要はあるまい」
「ふざけるな。ロミナは、私の学校の生徒だ。生徒がさらわられて、引っ込んでいるわけにもいかん。それに、生徒であり教師でもあったジュリアンが怪我をさせられたのだ。これは、もはや私に対する宣戦布告とみなす。行かないわけにもいくまい」
ザビーネが答えた時、バロンが思いつめた表情で口を開く。
「こうなった以上、あんたら全員に聞いてもらいたいことがある。今まで、誰にも話していなかったし話す気もなかった。だがな、こうなったら仕方ない。隠しきれないしな」
「何をだ?」
聞き返したララーシュタインに、バロンは険しい表情で答える。
「俺たち家族の事情だよ」
そう言うと、バロンは居並ぶ者たちの顔をひとりひとり見回していった。
少しの間を置き、口を開いた。
「まず、俺は狼憑きなんだよ」
聞いた瞬間、ララーシュタインとジュリアンは驚愕の表情を浮かべた。狼憑きという現象自体は知っている。だが、実物にはなかなかお目にかかれるものではない。
バラカス兄弟はというと、キョトンとしていた。狼憑きと言われても、なんのことかわからないらしい。
「狼憑きか……だから、夜になる前に帰っていたのだな」
ややあって、ようやくララーシュタインが言葉を返した。
「そうだ。こんな状態じゃあ、人里にはいられない。俺は、人目を避け森の中で暮らしていたんだよ。ところがだ、とんでもないことが起きた」
そう前置きした後、バロンは語り出した。ロミナとの出会いや、これまでどんな生活をしてきたかについて……。
彼が話していた間、ララーシュタインとジュリアンとザビーネはいっさい口を挟まず、静かな表情で耳を傾けていた。バラカス兄弟もまた、神妙な顔つきで話を聞いていた。もっとも、このふたりに話の内容が完璧に理解できていたのかは不明である。
バロンの話が終わると、おもむろに口を開いたのはララーシュタインだ。
「つまり、お前は狼憑き。母親代わりのライムは、追放された吸血鬼。そんなふたりが、人間のロミナを育てていたというわけか」
「そうだよ」
「こんなことがあるとはな。俺も、魔術師として古今東西の様々な学問を修めてきたつもりだったが……初めて聞いたよ」
「私も同じだ。長年生きてきたが……こんな話は、聞いたことがない」
ザビーネも頷く。彼女はダークエルフであり、寿命は人間よりも遥かに長い。これまで、様々な現象を見てきたはずだった。
そんなザビーネですら、こんな話は聞いたことがなかった。ただただ、驚くばかりであった。
驚き戸惑う者たちを前に、バロンは再び口を開く。
「とにかく、まずはウチに来てくれ。城からも近いし、拠点にするには適している。それに、ライムにも何があったか話さなきゃならないんだ。あと少しすれば、起きてくるはずだからな」
「ならば、俺の魔法で行くとしよう……」
言いながら、皆を見回した時だった。バラカス兄弟の顔を見た途端、唖然とした表情になる。今まで、この双子の存在に気づいていなかったらしい。
「お、お前ら、いつから居たんだ?」
「ずっと前から居たよ。てっきり、気づいていると思っていた」
バロンが答えた。次いで、彼は兄弟の方を向いた。
「このふたりも来てくれれば、心強い。あんたらも手伝ってくれんのか?」
「うん、手伝わせてくれ」
「手伝わせてくれ」
「わかった。しかし……」
ララーシュタインの目は、ジュリアンに向けられた。
その口から、非情な言葉が出る──
「お前は、連れていけない」
「な、なぜですか!? 僕にも手伝わせてください!」
必死で叫ぶジュリアンだったが、ララーシュタインはかぶりを振った。
「駄目だ。お前は、おとなしく待っていろ」
「そ、そんな!」
「いいか、ここから先は戦場だ。ロミナをさらった極悪人と戦わねばならない」
ララーシュタインの声音は静かなものだった。教え諭すような口調で、なおも話を続けていく。
「お前は、普通に生きると決めたのだろう? ならば、普通の人間を戦場に連れて行くわけにはいかん」
ララーシュタインが言った時だった。バロンも、ジュリアンの前に出てきたのだ。少年に向かい、深々と頭を下げる。
「ロミナのせいで、迷惑かけちまったな。すまなかった。だがな、こっから先は俺たちの仕事だ。お前は、おとなしく帰れ」
「嫌です! 僕も連れて行ってください!」
叫ぶ少年に対し、バロンの目が吊り上がる。
「いい加減にしろ! ひ弱なガキに何が出来るんだよ!? 何も出来ねえだろうが! お前みてえな弱っちい奴は、さっさと家帰って寝てろ!」
怒鳴った後、プイッと横を向く。
すると、ジュリアンは膝から崩れ落ちた。その目からは、涙が溢れる。
「そ、そんな……」
「言い方はアレだが、俺も同じ意見だ。普通に生きたいのならば、おとなしくしていろ。普通の人間が戦場に行ったところで何も出来ん」
そう言ったのは、ララーシュタインであった。すすり泣くジュリアンに一瞥をくれると、他の者たちに向き直る。
「まずは、場所を変えよう」
そう言うと、ララーシュタインは歩き出した。バロンとザビーネも、後に続く。
最後に、バラカス兄弟がそっとジュリアンに駆け寄った。
「俺たちが助ける。だから元気出せ」
「だから元気出せ」
言いながら、兄弟はジュリアンの肩を叩く。直後、ララーシュタインらの後を追いかけて行った。
ジュリアンは涙を拭い、どうにか立ち上がる。がっくりと肩を落とした姿勢で、そのまま屋敷まで歩いて行った。