少年の秘密
その日、ジュリアンは珍しく学校を休んだ。とある場所に行き、必要なものを揃える。
早めに屋敷に戻ると、さっそく準備を始めた。
やがて、テーブルに皿が並べられていく。上には、パンやスープや唐揚げが乗せられていた。
「今夜は、グリフォンの唐揚げですよ」
にこにこしながら、ジュリアンは言った。
グリフォンの肉は、特別な珍味として知られていた。鶏肉と獣肉、その両方の味がする珍味として知られている。ゾッド地区で、手に入るような代物ではない。となると、上級市民たちの住むアーセナル地区で仕入れてきたのたろう。
わざわざ、そこまでするとは……何かある。ララーシュタインの表情が険しくなった。
「今回は、何が狙いだ?」
「は、はい?」
うろたえるジュリアンを、ララーシュタインは鋭い目で睨みつける。
「前回、馬車を買ってくれと頼んだ時は、牛のステーキだった。やれ健康に気をつけろ、やれ野菜を多く摂れと口うるさく言ってくるお前が、ニンジンを出さず肉料理を多く出す。しかも、今回は最高級品のグリフォンだ。何か目当てがあるのだろう?」
「そ、そんなこと──」
「俺の目ををごまかせるとでも思ったか。さっさと言ってみろ」
ララーシュタインに言われ、ジュリアンは下を向いた。
もじもじとためらう仕草の後、意を決した表情で顔を上げる。
「ぼ、僕は……怪我をしたいんです!」
「はあ?」
唖然となるララーシュタインに、ジュリアンは必死の形相で訴える。
「前から、ずっと思っていたことなんです。普通の人間は、みんな怪我をします。でも、僕は怪我をしません。みんなと同じように、怪我をしてみたいんです」
その途端、ララーシュタインの表情が険しくなった。
「何をバカなことを言っているんだ! お前は完璧な新造人間だ! 人類を超越した存在なのだぞ! 凡人と同じになる必要はない!」
そうなのだ。
ジュリアンは普通の人間ではない。悪の天才魔術師であるララーシュタインが、超魔法で作り上げた人造生物なのだ。ジュリアンの皮膚は柔らかいが丈夫であり、刃物で刺されても傷ひとつつかない。しかも、人間と同じように成長もする。いずれ、彼も大人になるのだ。
そんな超生物ではあるが、今はまだ幼い少年である。自身の肉体に、不満があるようだ。
「で、でも、僕は……その、怪我をしたいんです」
口ごもり下を向いたジュリアンを、ララーシュタインはさらに怒鳴り付ける。
「お前は、私が全身全霊を込めて作り上げたのだ! 新しい人間の第一号であり、最強の生物兵器でもある。お前の秘めた力は、ひとつの国をも制圧できるものだ。いずれは、人類の救世主ともいうべき存在になれるのだぞ。怪我などする必要が、どこにある?」
その時、ジュリアンは顔を上げる。
「ぼ、僕はそんなものになりたくありません!」
「何だと?」
「僕は、普通の人間になりたいんだ! 最強の生物兵器だの、人類の救世主だなんてものにはなりたくない!」
突如として叫びだしたジュリアンの目からは、涙が流れている。
これには、さすがのララーシュタインも怯んでいた。ここまで、あからさまな反抗をされたのは初めてだ。
しかし、彼とて悪の天才魔術師を自称する傑物である。召使い風情に、そんなことを言われて黙っているわけにはいかない。
「貴様、召使いの分際で……誰に向かって、そんな口を利いているかわかっているのか!」
「ううう……ご主人さまの、ばかー!」
怒鳴った直後、ジュリアンは自室へと走っていく。ドアをばたりと閉めた。
ララーシュタインは、音も立てず部屋に近づいた。そっとドアに耳を当ててみる。と、啜り泣く声が聞こえてきた。
思わず顔をしかめた時、誰かの視線を感じる。見ると、ロバーツが足元にいた。責めるような目で、じっと見上げている。
「うっ、そんな目で見るな」
呟きながら、静かにその場を離れていった。
数時間後。
ララーシュタインは研究室にいた。書物を読んでいると、ドアをノックする音がする。
「先ほどは、召使いの分際で失礼なことを言ってしまい本当にすみませんでした。今から入浴します」
ジュリアンの声だ。
「ああ」
短く答えただけだった。ララーシュタインは、ふたたび書物に目を落とす。
やがて、彼はすっと立ち上がった。風呂場に行き、ドアを開ける。
目の前には、体を洗っているジュリアンがいる。当たり前だが全裸だ。突然の魔術師の乱入に、驚いた顔をしている。
「ご、ご主人さま、どうしました?」
ララーシュタインは無言のまま、ジュリアンの腕を掴む。
そのまま、力任せに引っ張っていく──
「ちょ、ちょっと! 何をするんですか!」
思わず叫ぶジュリアンだったが、ララーシュタインは恐ろしい顔つきて一喝した。
「黙って言う通りにしろ! 召使いの分際て逆らう気か!」
その途端、ジュリアンは悲しそうな顔で口を閉じた。黙ったまま、ララーシュタインに手を引かれ歩いていく。
ララーシュタインは、研究室へと入って行った。ジュリアンを抱き上げ、室内の中心にある台の上に乗せた。ミスリル製で、不思議な光を放つ台である。人ひとりが横になれるくらいの大きさだ。
ララーシュタインは、そこに少年を横たえた。仰向けのジュリアンに向かい口を開く。
「今から、お前に怪我機能をつける」
「ケガキノウ?」
訳がわからず首を傾げるジュリアンだったが、次の言葉に表情が一変した。
「怪我をする機能だ。これで、お前も普通の人間のように怪我をするようになる」
その途端、ジュリアンは上体を起こした。ララーシュタインの手を握りしめる。
「ありがとうございます! 僕、すごく嬉しいです!」
「わかったから、おとなしくしていろ。これから、お前は俺の魔法により眠りにつく。その間に、全てを終わらせるからな」
翌日。
ララーシュタインが目を覚ますと、既に昼過ぎになっていた。ジュリアンの姿は見えない。学校に行ったのだろう。
あくびをし、立ち上がる。腹が減った。何か食べよう……とリビングに歩いていこうとした時、タンスの角に足の小指を思い切り打ち付けた。
途端に、痛みのあまりその場に倒れ悶絶する。悪の天才魔術師でも、足の小指は痛むのだ。
ややあって、ララーシュタインは立ち上がった。リビングにて、グリフォンの唐揚げの残りを平らげる。足元にいるロバーツにも、分けてあげた。
ふと、己の足を見てみる。
「こんなもの、知る必要がないだろうが……」
未だ痛む足の小指を見ながら、呟くララーシュタイン。怪我をする必要などない、そう思っていた。だから、ジュリアンには強靭な体を与えたのだ。刃物でも傷つかない強い皮膚と、痛みを感じない神経を。
しかし、ジュリアンの望みは違っていた。
「痛みは生きている証、か」
かつて聞いた言葉が蘇る。そう、ジュリアンは生きているのだ。魔法で人工的に作られた生命体とはいえ、彼も人間である。人間である以上、痛みを知るのも必要かもしれない。
「俺は、間違っていたのかも知れんな」
呟くと、その通りとでも言わんばかりにロバーツが吠えた。ワウ、と鳴く声に、ララーシュタインは苦笑する。
「この野郎、犬の分際で生意気な……」
やがて、ジュリアンが学校から帰って来る。だが、その姿を見た途端──
「お前、どうしたんだ!? 誰にやられた!?」
ララーシュタインは、慌てて叫んでいた。出迎えに来たロバーツも、びっくりした様子でワンワン吠える。
だが、それも当然だろう。ジュリアンは傷だらけになっていたのだ。頭には大きなこぶ、顔にはあざと鼻血、手にはやけど、膝には擦り傷……集団リンチに遭ったような姿である。
凄まじい形相で、傷ついた少年を睨むララーシュタイン。
「こんなことをしたのは、どこのアホウだ!? 正直に言え! 俺がひとり残らず地獄に叩き落としてやる! さあ言え! 今すぐ言え!」
すると、少年は慌ててかぶりを振った。
「ち、違います! これは自分でやったんです!」
「な、なんだとお? 自分でやったあ? どういうことだ!?」
唖然となるララーシュタインに、ジュリアンは照れ臭そうに告白した。
「あのう、痛いっていう感覚があまりにも新鮮だったので……その、学校の帰りに自分でぶつけたり火であぶったりしました」
「ぐぬぬぬ……貴様、このバカものが! ブタ! タコ! コブラ!」
罵詈雑言を浴びせつつも、ララーシュタインはジュリアンを担ぎ上げた。そのまま研究室に連れていき、傷の手当てを行う。
「いいか、今後は自分で自分を傷つけるな! これは命令だ!」
「ご、ごめんなさい」