ララーシュタインの憂鬱
「ご主人さま! ただいま帰りました!」
ジュリアンは、明るい声で挨拶した。ご機嫌な様子で、さっそく調理を始める。
そんな姿を、ララーシュタインは何とも言えない表情で眺めていた。さらに、そんなふたりをそっと見つめているのはロバーツであった。
やがて、食事の支度が終わった。テーブルには、料理の乗った皿が置かれている。
ララーシュタインは食卓に着くと、そっと口を開いた。
「今日、学校にあのロミナとかいう娘が来たらしいな」
「えっ? 何で知ってるんですか?」
「俺の耳にも、いろいろと情報が入ってくるのでな。どうも浮かれていると思ったら、そういうわけか」
「ななな何がそういうわけなんですか!? べべベベ別に浮かれてなんかいないですよう!」
わかりやすく動揺するジュリアンを見て、ララーシュタインは呆れた表情でかぶりを振る。
「浮かれているではないか。本当に困った奴だな」
ブツブツ言いながら、ララーシュタインは食べ始めた。
夜になり、ジュリアンは自室で眠ってしまった。一方、ララーシュタインは研究室にいて、物思いにふけっている。
「あの娘、学校に来ることになるのか。それにしても、俺のことを覚えていないとはな」
ひとり呟いた。
そう、ララーシュタインはかつて、ロミナらしき人間と出会っていたのだ。
・・・
あれは、二年ほど前の出来事だ。ララーシュタインが、まだガバナス帝国の魔術師団に所属していた時のことである。
当時、ララーシュタインは魔術師団の一員として堅苦しい生活をしていた。服装からして、今とはまるで違う。髪や髭を短く切り揃えており、服も丈の長いローブを着ていた。ローブの背中には、魔術師団の紋章が縫い付けられている。
さらに、魔術師団の一員の証である杖まで持たされていた。ニワトコの木で出来ており、杖には団員の名前が刻まれていた。この杖は、外出の際に必ず持ち歩かねばならない決まりである。
そんな格好で、王侯貴族や街の有力者たちに挨拶する。さらに、帝国のあちこちを回り魔術師団の宣伝をさせられていた。
これが、入団したての若い魔術師たちの役目なのだという。当然ながら、魔術の研究などする暇がない。しかも、魔術師団の研究室には簡単に出入りできない決まりである。研究室には、魔術に使う触媒や秘薬などが保管されており、入る時と出る時には厳重な身体検査をされる決まりになっているのだ。
それだけではない。時には、金持ちな大商人や貴族たちのパーティーに参加し、余興として魔術を披露することもあった。
まるで、手品師か道化師のような扱いである。だが、これも新入団員の仕事であった。商人たちから回される金もまた、魔術師団の資金となる。
若い団員は、資金稼ぎのためにあちこち回らされていたのだ。ララーシュタインは、金集めのための仕事に嫌気がさしていた。
そんな生活のストレスを解消すべく、ララーシュタインはちょくちょく貧民たちの住む街に足を踏み入れていた。変装した姿で街を徘徊し酒を飲み、因縁をつけてきたり金をせびりにきたバカ共をぶちのめしていたのである。
もともと彼は、貧民街の出だった。したがって、こういう場所の方がむしろ居心地の良さを感じられた。
その日も、ララーシュタインは貧民街をうろついていた。が、そこで妙なものを見つける。
掘っ立て小屋の並ぶ場所で、女が立っていた。ゆったりとした白いローブを着ており、頭には白い頭巾を被っていた。服装から見るに、帝国にて広まっているリーブラ教の巫女であろう。
巫女の隣には、幼い少女がいた。髪の毛は赤く、肌は白い。街灯に照らされた顔は愛らしく、首からはペンダントをぶら下げている。
男だの方は、背が高くマントを羽織っている。フードをすっぽりと被っているため、顔は見えない。だが、ララーシュタインは知っている。貧民街には、時おり金持ち連中がお忍びで訪れることがあった。
ララーシュタインは、すぐさま動いた。掘っ立て小屋のひとつに身を隠し、三人の様子を窺う。声はかすかに聞こえてくるが、どうやらモメているらしい。時おり、荒い言葉も放たれていた。少女の方は、困った表情でふたりの顔を交互に見ている。
何をやっているのだ、とララーシュタインは舌打ちする。その時、別なものを見つけた。
数人の男たちが、ゆっくりと歩いている。暗がりで見ても、ろくでもない連中であることはわかった。目当ては、街灯の下で話している三人のようだ。
またしても舌打ちし、三人を睨む。だが、自分たちに接近する怪しげな者たちに気づいていない。
考えるより先に、体が勝手に動いていた。掘っ立て小屋から出ると、わざと足音を立て三人に近づいていく。
近づいて来る大男に、最初に気づいたのは少女だった。怯えた表情で、巫女の服の裾を引いた。しかし、ふたりの大人は気づかない。声を荒げて、何やら言い合っているのだ。
呆れた奴らだ……そんなことを思いつつ、ララーシュタインは立ち止まった。
「お前ら、何をしている」
そう言ったことで、ようやくふたりは大男に気づいた。
次の瞬間、男は腰の剣を抜く。どうやら、追い剥ぎか何かと勘違いされたらしい。
「な、何だお前は!」
ララーシュタインの巨体に怯みながらも、巫女と少女を守ろうと前に出てきた。
その姿を見て、ララーシュタインは溜息を吐いた。
「そのふたりを連れ、さっさと帰れ」
そう言うと、後ろから近づいている者たちを顎で指す。
男は、そちらを見た。途端に、自分たちの置かれた状況とララーシュタインの意図に気づいた。
「す、すまん!」
すぐさま頭を下げた。直後、巫女と少女の手を引き、その場を離れる。
一方、ララーシュタインはゆっくりと振り向いた。数人のチンピラが、彼を睨んでいる。せっかくの獲物を逃がしたことに対し、腹を立てているのだろう。
「おいコラ、でかいの。何してくれてんだよ」
ひとりの男が凄む。
ララーシュタインは、にやりと笑った。肩を軽く回しながら、ゆっくりと相手の男たちを見回す。
「だから何だ? 」
直後、ララーシュタインは飛びかかっていった──
闘いは、呆気なく終わった。そもそも、闘いと呼べるものでもなかった。男たちは一瞬にして蹴散らされ、呻き声をあげ地面に這いつくばっている。
「つまらん。まあ、いい気分転換にはなったがな」
そんなことを言いながら、ララーシュタインほ先ほどの三人に思いをはせる。
ララーシュタインは、男の顔を見てしまったのだ。あの頭を上げた瞬間、フードがずれて顔が見えてしまった。
あれは確か、エドワード・フロンタル公爵だ。ガバナス帝国国王の親戚筋に当たる貴族である。以前、ララーシュタインは魔術師団の団員として、フロンタル家主催のパーティーに参加したことがあった。その時、妻と娘の姿を見ている。娘は、今さっき見た少女よりずっと大きかった。
ひょっとしたら、先ほどの巫女は愛人なのだろうか。そして、赤い髪の少女は公爵の隠し子なのかもしれない。
となると……これは、スキャンダルになりかねない。愛人のひとりやふたり、いたところで大した痛手にはなるまいが、相手がリーブラ教の巫女となると話は別だ。ましてや、子供がいるとなると……相続問題も出てくる。
「どうでもいい。俺には関係ない話だ」
ひとり呟くと、その場を去っていった。これ以上、ここに留まっていては面倒なことになる。
それから間もなく、ララーシュタインは魔術師団の長とモメた。挙げ句、必殺魔法のサンダーボールをぶちかまして団を辞める。
城塞都市バーレンに来て、ゾッド地区に住み着いたのは、団を辞めた翌日のことである。それからは、ジュリアンやロバーツと共に街にて生活し、魔法の研究に没頭する日々だ。正直、エドワード公爵のことも、その愛人らしき巫女と娘のことも、すっかり忘れていた。まさか、今になって目の前に現れるとは思わなかった。
しかも、本人はララーシュタインのことなど全く覚えていないらしい。まあ、二年前に一度会った人物のことなど、忘れても不思議ではないだろう。
だが、彼女の場合それだけではないような気がする。いったい、どういうことなのだろうか。