初めての学校
ロミナの目の前には、異様な人物が立っている。髪は白く、肌は黒い。背は高く、すらりとした体型である。灰色の瞳は、ロミナをまっすぐ見下ろしていた。
ゾッド地区の青空教室にて教師をしている、ダークエルフのザビーネだ。少女の後ろに控えているバロンは、警戒心をあらわにした表情になっている。
だが、ロミナの方は違っていた。にこにこしながら、怪しげなダークエルフに対している。
ロミナとバロンは、学校なる場所に来ていた。肉屋のアンジェラから話を聞き、ここにやってきたのである。
親子そろっての学校見学といったところだが、バロンの方は緊張していた。いざ来てみれば、教師は不気味なダークエルフである。さすがに警戒していた。
しかし、ロミナは臆していない。まっすぐな目で、ダークエルフを見つめている。
ダークエルフの方は、冷たい表情で口を開いた。
「君の話は聞いている。ロミナというのだな。私はザビーネだ。ここで教師をしている」
「うむ! ロミナなのだ! よろしくなのだ!」
たいへん元気のいい挨拶だ。ザビーネは、くすりと笑った。
「そうか。では、とりあえずバラカス兄弟の隣に行け。あのふたりだ。あとは、ジュリアンの指示に従ってくれ」
ザビーネの言葉に、ロミナは元気よく頷いた。
「うん! わかったのだ!」
直後、バラカス兄弟の席にとことこ歩いて行く。巨体の双子を前にしても、怯む様子がない。それどころか、ビシッと右手を挙げる。
「ロミナなのだ! よろしくなのだ!」
勢いよく挨拶され、むしろ兄弟の方が戸惑っていた。
「お、おう。俺は、バラカス兄だ」
「俺は、バラカス弟だ」
答える双子に、ロミナは瞳を輝かせる。
「おおお! ふたりはそっくりなのだ!」
「そうだ。双子だからな」
「双子だからな」
兄弟が揃って答えると、ロミナは首を傾げる。
「フタゴ? フタゴとは何なのだ?」
尋ねるロミナに、横からジュリアンが答える。
「お母さんのお腹から、ふたり同時に生まれて来た子を双子というんだよ。バラカス兄弟は、ふたり同時に生まれて来たんだ」
「そうだ」
「そうだ」
兄弟もまた、揃って答える。
「おおお! そうなのか! 凄いのだ!」
言った直後、ロミナは兄弟の肉体をまじまじと見つめる。
バラカス兄弟は、いつもと同じく袖なしのシャツを着ている。したがって、太い二の腕や筋肉に覆われた肩が丸見えであった。
その二の腕が、ロミナの中の何かを刺激したらしい。
「腕、とっても太いのだ。触っていいのか?」
聞いてきたロミナに、兄弟は嬉しそうに頷く。
「いいよ」
「いいよ」
答えると、ふたりは腕を曲げ筋肉を盛り上げて見せる。二の腕に、瘤のような筋肉が盛り上がった。
ロミナは、その腕を交互に触る。
「どっちも、凄い筋肉なのだ。強そうなのだ」
「おう」
「おう」
満足げに答える兄弟。筋肉を褒められて喜んているらしい。
さすがに黙っていられなくなったのか、バロンが前に出てきた。
「こらロミナ。いつまでバカやってんだ」
言った後、ジュリアンの方を向いた。
「ジュリアンよう、こいつら何なんだ? 大丈夫なんだろうな?』
「大丈夫ですよ。この兄弟、とてもいい人です」
ジュリアンが答える。すると、それを聞いた兄弟が顔を見合わせる。
「いい人……」
「いい人……」
数秒間、無言で見つめ合った。直後、ふたり同時に体をクネクネさせ始める。
「いい人だなんて、照れるなあ」
「照れるなあ」
どちらも、頬を赤らめ体をくねらせている。単に照れているだけのようだが、バロンからみれば不気味なダンスを始めた筋肉兄弟でしかない。顔を引きつらせて見ていると、ジュリアンが兄弟の机に羊皮紙を置いた。
「では、昨日の作文の続きを書いてください」
言われた兄弟は、クネクネをやめて羽根ペンを手に取る。不器用な手つきで先端をインクの入った小瓶に付け、羊皮紙に何やら書き始めた。
ロミナは、そんな兄弟を興味深く見ている。
「おおお……凄いのだ。兄弟が、字を書いているのだ」
言われた途端に、兄弟は顔を見合わせる。
「俺たち、凄いってよ」
「凄いってよ」
言い合ったと思ったら、作文の手が止まった。またしても、頬を赤らめ体をくねらせている。
見ているバロンは、兄弟の奇行に顔をしかめていた。が、そこで疑問が浮かぶ。
「おいジュリアン、てめえは何なんだ? 生徒じゃねえのかよ?」
「は、はい。僕は一応、兄弟の勉強を見てます」
「な、何じゃそりゃ?」
混乱するバロンに、兄弟も横から口を挟む。
「そうだ。ジュリアンは、俺たちの先生なんだぞ」
「先生なんだぞ」
そう言って、兄弟は偉そうに胸を張った。なぜか、ジュリアンのことを誇らしく思っているらしい。
と、ロミナが叫ぶ。
「おおお! すると、ジュリアンは頭いいのだな! 賢いのだな!」
「そうだ。ジュリアン頭いい」
「ジュリアン頭いい」
兄弟は、ウンウンと頷いている。自分たちが褒められているかのような態度である。
「なんだか、めちゃくちゃな学校だな……」
呆れたように言ったバロンだったが、次の瞬間とんでもないことに気づいた。そっとジュリアンに近づき、耳元で尋ねる。
「こらジュリアン、もしもだぞ……ロミナがこの学校に入ったら、お前がロミナの先生になるのか?」
「ええ、そうなりますね」
「となると、お前がロミナに勉強を教えるのか」
「もちろんです。読み書きや簡単な計算なら、僕がきっちり教えます」
答えたジュリアンに、バロンはそっと顔を近づけた。
「もしかして、勉強以外のことも教えたりすんのか?」
「えっ? 勉強以外のこと?」
「そうだ。勉強以外のことも、お前が教えたりするのか?」
小声で尋ねたバロンに、ジュリアンは笑顔で答える。
「はい。ロミナちゃんが希望するのであれば」
「いざとなれば、ふたりっきりで手取り足取り教えちゃったりするわけか? 個人指導しちゃったりすんのか?」
「えっ? ええと……必要とあれば、そうしますね」
怪訝な表情になりながらも、ジュリアンは頷いた。
その時、バロンの目に怒りの炎が燃え上がる。
「ざけんなコラ。そんなことさせるか。俺は許さん。絶対に許さんぞ」
小声で凄むと、ジュリアンは首を傾げる。
「はい? 何を怒ってるんてすか、お父さん」
その言葉で、バロンの心にまで火がついてしまった──
「くぉらぁ! 誰がお父さんじゃ! お前にお父さんなどと呼ばれる筋合いはない!」
「あ、はい。すみません」
すぐに謝ったが。バロンの怒りは収まらない。
「ロミナ! 帰るぞ!」
今度は、ロミナに怒鳴った。
バラカス兄弟と語り合っていたロミナだったが、いきなりの言葉に不満そうな表情になる。
「ええっ、もう帰るのか? もっと、みんなとお話ししたいのだ」
「駄目だ! もう帰る!」
バロンに言われ、ロミナは仕方なくジュリアンたちに手を振った。
「ジュリアン、兄弟、また来るのだ」
「うん。また来てね」
ジュリアンが笑顔で返し、兄弟も筋肉を強調するかのごときポーズで挨拶に応える。
「おう、また来いよ」
「また来いよ」
帰る途中、いつものようにライムとバロンは交代した。ロミナを乗せた荷車を引いて、家へと帰っていく。
ロミナのテンションは、下がることがなかった。母に向かい、今日の出来事を嬉しそうに語る。
「今日は、とても楽しかったのだ! また、友だちが出来たのだ!」
「そうなんだ。どんな友だち?」
「バラカス兄弟なのだ! フタゴなのだ!」
「ああ、双子の兄弟なんだね」
「そうなのだ! 顔が一緒なのだ! で、すんごい筋肉なのだ! ロミナは、腕を触らせてもらったのだ!」
「ふふふ、そうなんだ。で、勉強はしたの?」
「しなかったのだ。兄弟と話していたら、急にお父さんが怒り出したのだ。それで、すぐに帰ることになってしまったのだ。ロミナは、もっともむっと学校で遊びたかったのだ」
「じゃあ、学校はとても楽しかったんだね」
「うん! とってもとっても楽しいところだったのだ! また行きたいのだ! 今度は、ジュリアンに勉強を教わりたいのだ!」
「えっ、ジュリアンも生徒なんじゃないの?」
「違うのだ。ジュリアンは先生をやってるのだ。兄弟に勉強を教えてたのだ。凄いのだ」
「ふうん、ジュリアンって先生なんだ。ロミナと同じくらいの歳なんだよね?」
「そうなのだ。同じくらいだと思うのだ。でも、賢いのだ。兄弟に、勉強を教えているのだ」
嬉しそうに語るロミナに、ライムは複雑なものを感じつつも相槌を打っていた。
やがて、ロミナは眠りについた。新鮮な体験の連続が、少女を心地よい疲労へと導いたらしい。いつもより早く眠ってしまった。
ロミナが熟睡したのを確認すると、ライムは静かに外へ出る。
草原に行くと、巨狼は既に到着していた。伏せの姿勢で、じっと夜空を見上げている。
その傍らには、巨大な猪が横たわっていた。ほとんど出血はしていない。ライムのため、首をへし折って殺したのだ。いつものことではあるが、見事な手並みである。
「いつもありがとうね」
そう言うと、ライムは鋭く伸びた犬歯を猪に突き立てた。
食事を終えると、ライムは巨狼の隣に腰掛ける。
「ねえ、何で怒ったの?」
「オコッタ? ナンノ、コトダ?」
「ロミナが言ってたよ。学校で楽しく遊んでたら、急にお父さんが怒りだしたって。だから、すぐに帰ることになったって……ロミナは、とっても残念がってたよ」
「シカタナイダロ。ジュリアンノヤツ、ロミナニ、コジンシドウヲ、スルカモシレナインダ」
「個人指導? しょうがないでしょ。ジュリアンは教師なんだから」
「フザケルナ。ナニガ、キョウシダ。アンナガキヲ、キョウシニスルナ」
「でも、ロミナは凄く楽しかったみたいだよ。また行きたいって言ってた」
「アア。タシカニ、タノシソウダッタ」
「だったらさ、通わせてあげなよ。あの子の喜ぶ顔と悲しむ顔、どっちが見たいの?」
「グルル……ワカッタヨ」
低く唸ったものの、巨狼は承諾したらしい。だが、ライムは念を押す。
「いいんだね? ロミナを、学校に通わせてあげるんだね?」
「シカタナイ。カヨワセル」
「それてこそ父親だよ」
言いながら、ライムは両腕を巨狼の首に回し抱きしめる。頬を擦り寄せると、巨狼はぷいっと横を向いた。照れくさいらしい。
「アンマリ、クッツクナ。オレハ、ペットデハナイノダゾ」