学校に行きたいロミナ
ロミナは、目を開けた。
街にいた時は、空にまだ太陽が出ていた。しかし今は、日は沈んでおり空には星が出ている。いつの間にか、荷車の上で眠ってしまったらしい。そういえば、前に来た時もそうだった。
山道で荷車を引いているのは、母のライムだ。これまた、前回と同じである。
「あれ、お母さんなのだ」
目をこすりながら言ったロミナに、ライムは笑顔で振り向いた。
「起きたのね」
「うん。お母さんは、いつ起きたのだ?」
「ついさっきだよ。お父さんは仕事に行くから、お母さんと交代したの」
「病気なのに、荷車を引くのは大変なのだ」
「大丈夫。お母さんの病気は、朝起きられないこととご飯が食べられないだけだから。それ以外のことは、ちゃんと出来るんだよ」
「そうなのか」
少々無理のある設定だが、ロミナは疑うことなく受け入れている。
「それに、前も言ったでしょ。お母さん、強いんだから」
「うん。お母さんは、本当に強いのだ。かっこいいのだ。ロミナも、大きくなったらお母さんみたいに強くカッコよくなりたいのだ」
「なれるよ。ロミナなら、お母さんよりもカッコよくなれるから」
明るい声で言った。しかし、ロミナの表情は暗くなっている。
「でも、ロミナは弱虫なのだ。怖い夢を見たら、ひとりで寝られないのだ……」
そう、ロミナは時おり悪夢にうなされる。ガバッと起きては、ライムに一緒に寝てくれるよう頼むこともある。先日も、そんなことがあった。
今までは、漠然とした怖い夢……のようだった。ところが、先日は緑色のお化けと言っていた。こんなことは初めてだ。
もしかしたら、失われた記憶が蘇ろうとしているのかもしれない。ライムは不安を感じつつも、努めて明るい声で応じた。
「大丈夫。ロミナは、まだこれから大きくなる。そしたら、もっと強くなれるよ」
そんなことを言いながら、ライムは荷車を引いていく。
遠くの方から、かすかに狼の遠吠えらしき声が聞こえてきた。
家に到着すると、さっそく夕飯の支度をする。
ロミナは夕飯を食べながら、今日の出来事について語っていた。ライムは、笑みを浮かべつつ話を聞いている。
だが、次の言葉にはさすがに口を挟まざるを得なかった。
「ロミナも、学校に行きたいのだ。学校で、もっといろんなことを教わりたいのだ」
確かに、ロミナは学校に通わねばならないだろう。しかし、毎日は無理がある。
かと言って、頭ごなしに否定するわけにもいかない。
「うーん、でも、毎日通うのは大変だよね。お父さんも反対するだろうし」
そう言ってみたところ、ロミナの口からとんでもない言葉が飛び出た。
「だけど、ジュリアンが送り迎えしてくれると言っていたのだ」
「えっ、ジュリアンが?」
驚いて聞き返すと、ロミナは真面目な顔で答える。
「そうなのだ。ジュリアンは、街にはバシャというものがあると言ったのだ。それに乗れば、早く移動できるそうなのだ。お父さんにもお母さんにも迷惑かけないと言っていたのだ。寝る時間までには、帰れるだろうとも言ったのだ」
そう、先ほど街にいた時、ジュリアンはそんなことを言っていた。馬車に乗れば、アルラト山から城塞都市バーレーンまで歩かなくても行ける、と。
何より、そんなものがあるなら乗ってみたい。
「馬車? ジュリアンって、金持ちの子なの?」
「わからないのだ。ララーシュタインは、ジュリアンは俺のメシツカイだと言っていたのだ」
「召使いか……」
ライムは、そのジュリアンとは何者なのだろうかと考えた。召使いといっても、身分の高い貴族に仕えているような者なら、馬車くらい使用できるのかもしれない。
もっとも、馬車ではアルラト山の山道を進むことは難しい。ふたりだけだと、途中でゴブリンや獣に襲われる可能性もある。やはり、ロミナを毎日通わせるのは無理だ。
と、そこで新たな疑問が湧いた。
「ところで、そのララーシュタインってのは何なの?」
「アクのテンサイマジュツシだと言っていたのだ。どういうお仕事なのだ?」
聞いた瞬間、ライムは頭を抱えそうになった。
悪の天才魔術師……どういう仕事なのか、まったくわからない。ライムの方が聞きたいくらいだ。それ以前に、どう考えても善人とは思えない。
いや、そもそもマトモな人間ですらないような気がする。となると、そんな変人に仕えているジュリアンも、やはりマトモではないのではないか。
そんなことを思いつつも、口から出たのはこんな言葉だった。
「うーんとね、説明するのは難しいな……で、いい人なの?」
「そうなのだ。おっきくて、ヒゲもじゃもじゃなのだ。でも、優しいのだ。ロミナは、友だちになったのだ」
嬉しそうに語るロミナを見て、ライムは一抹の寂しさを感じた。この少女を取り巻く世界は、どんどん広がっている。つまりは、自分との別れが近づいているということなのだ。
そんな気持ちを押し隠し、ライムは微笑んだ。
「そっか……ロミナは、また友だちが出来たんだね」
「そうなのだ。ジュリアンが言っていたのだ。ロミナは、友だちヒャクニン出来るそうなのだ」
「そうだね。ロミナなら、友だち百人くらいすぐに出来そうだよね」
言った後、そっと目を逸らし呟く。
「友だち百人いたら、お父さんとお母さんがいなくても平気だね」
思わず出てしまった言葉だった。しかし、ロミナは思わぬ反応をした。みるみるうちに表情が曇っていく。
次の瞬間──
「平気じゃないのだ!」
ライムに向かい、大声で叫んだのだ。いきなりのことに、ライムは何も言えず唖然となっていた。
しかも、それだけには留まらなかった。
「お父さんとお母さんがいなくなったら、ロミナは悲しいのだ! とってもとっても悲しいのだ! もしお父さんとお母さんがいなくなったら、ロミナは悲しすぎて頭が吹き飛んでしまうのだ!」
今にも泣きそうな顔で、ロミナは訴えかけてくる。ライムは、そっと少女の頭を撫でた。
「冗談だよ。お父さんもお母さんも、いなくならないから。ずっとロミナのそばにいるから。変なこと言って、ごめんね」
「ほ、本当か?」
「うん、本当だよ」
笑顔で答えたものの、胸が潰れそうな思いを感じていた。嘘をつくことが、こんなにつらいとは知らなかった。
ずっと、ロミナのそばにいることは出来ないのだ。いつかは、この少女の前から去らなくてはならない。
ロミナが、人間として生きていくために──
ロミナが眠った後、ライムはいつものように外に出た。
ややあって、巨狼の姿になったバロンが姿を現す。その口には、山鳥をくわえていた。
「スマン。コンヤハ、ソンナモノシカ、トレナカッタ」
「何を言ってるの。獲ってきてもらえるだけでもありがたいよ」
そう答えると、ライムは鋭く伸びた犬歯を山鳥の突き刺した。
やがて血を吸い終わると、ライムは顔を上げ尋ねる。
「ララーシュタインってのは、大丈夫なの?」
「アイツハ、バカダ。シカシ、ワルイヤツデハナイトオモウ」
バロンは答えたが、ライムはまだ不安だった。
「でもさ、自分のこと悪の天才魔術師とか言ってるんでしょ? 頭おかしいんじゃないの?」
「タシカニ、アタマハオカシイ。ダガ、ロミナノガイニハ、ナラナイトオモウ」
「そっか……」
ライムは、そこで言葉を止めた。少しの間を置き、再び語り出す。
「ジュリアンが言ってたんだって。ロミナは、友だち百人くらい出来るって。その時は、あたしたちの役目も終わりだね」
しんみりとした口調だった。
ロミナは、頭は良くないのかもしれない。だが、明るく朗らかで皆に愛されるだろう。現に、たった二回バーレンに行っただけで、もう知り合いが出来てしまったのだ。
ロミナの住む世界は、どんどん人間社会に近づいている。だが、そこにライムもバロンも入ることは出来ない。
「ソウダナ」
「あの子、さっき言ってたんたよ。お父さんとお母さんがいなくなったら、とってもとっても悲しいって」
『タシカニ、イットキハ、カナシムダロウ。ダガ、イツカハワスレル。オレタチノコトモ、カナラズワスレル」
「そうだよね。いつかは、あたしたちのことも忘れて、街で幸せに暮らすんだよね」
ライムは、そっと呟いた。