表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/23

第二章「やっぱり師匠だ」3

 胃袋をラーメンで満たしたおれ達は、運動がてらその辺をぶらぶらして行こう、ということになった。


 左に曲がると児童公園、右に曲がるとゲームセンターがある。

 どっちに行ってもいいんだけど、どうしようかなー、とゆるーく相談しているとき、おれは店での会話を思い出した。

 確か、佐山は本を返すって言ってなかったっけ……


「佐山、図書館寄ってくんじゃなかった?」

 疑問をそのままぶつけてみると、佐山は口を「あ」の形に開け、ぐるんとこちらに振り向いた。

「そうだ、忘れてた! ありがと流森くん、思い出させてくれて!」


 佐山はおれに向かって両手を合わせ、ものすごい勢いで拝み始めた。いつもながら、何というオーバーリアクション。

 拝み終わって顔を上げた佐山は、おれと目が合うとすぐにうつむき、口元にちょっとだけ笑顔を浮かべた。そして彼女らしくない細い声で、

「やっぱり流森くん、話、聞いててくれた」

 ぽつりと言うと、前を向いて歩き出してしまった。


 あんまり小さな声だったから、おれは佐山の反応の意味がわからず、しばらく考え込んでいた。

 言葉の意味からいっても、別に怒ってる訳じゃないよな。歩き方だって軽やかで、今にもスキップを始めそうだし。

 もしかして、おれが話を覚えていたことが嬉しかったのかな、佐山。


『話、聞いててくれた』

 頭の中で佐山の言葉を繰り返す。たったそれだけのことで、喜んでくれるもんなのか? ほんの些細なことなのに。

 些細なことと思いつつ、こっちまで口元がゆるんでくるから変だ。

 人と会話するって、やっぱり変で、面白い。

 言葉だけじゃなくて、相手の反応で、自分の気持ちが変化する、なんてことがあるんだもんな。


 くせのある髪を揺らしながら歩く佐山を見ていると、更に不思議な気分になってきた。

 そうか、いつもなら、遊びに行くのは一樹と二人だけど、今日は三人なんだ。

 しかも、もっと妙なのは、あれだ。

 普段あんまり意識しないけど、佐山が女子ってことだ。放課後に女子と遊びに行くなんて、ひと月前の自分からは考えられない。


 自分とは無関係な世界に生きてるもんだとばっかり思ってたぞ、女子って。一体全体どうなってるんだ。自分でもわけがわからない。

 まあ男か女かは置いとくとして。複数の人間と行動するのって、正直しんどいよなあ。

 顔の筋肉は倍疲れるし、しゃべり慣れないせいであごもだるいし。


 けど、のびちまったラーメンが結構おいしいと感じたのと同じように、こういうしんどさも悪くないかも、って気持ちがある。

 とりあえず、人付き合いでもラーメンでも、目の前に出てきたものは全部味わってみるべきなのかもな。なんて、ちらっと思った。


 図書館に入った途端、佐山は「そうだ」と短く呟くと、片手を口にぴったりと当て、静かになった。

 咳を我慢しているわけではないらしい。

 この間図書館に来たとき騒いでしまい、注意されてしまったことを思い出したのだそうだ。

「今日はおとなしくしてなくちゃね」佐山の手の下から、もごもごと声がする。


 確かに佐山は普段から賑やかだけど、場所もわきまえず騒がしくするタイプには見えないんだけどなあ。

 おれと一樹が疑問のまなざしを向けているのに気づいたのか、佐山は「騒いだ」理由を語ってくれた。もちろん小声で。


「この間、良さそうな料理の本を見つけてね。借りようかどうか、ぱらぱら見てたんだけど、なんかすごく面白くて、思わず大笑いしちゃったんだよー。周りの人達には心配そうな顔で見られちゃうし、図書館の人には注意されちゃうし、本当、恥ずかしかったなあ」


 床に靴の先で文字らしきものを書きつつ、佐山はうなだれた。

 ふうん、大変だったんだな。佐山の笑い声は教室でもよく通るから、静かな図書館内ではさぞかし響いたことだろう。


 ところで、その本に興味がわいてきたんだけど。思わず爆笑するほど面白い料理の本って、どういうものなんだ?

「ほうほう。で、その問題の本はどこにあるの?」

 一樹もおれと同じ考えだったようだ。きらりと輝かせた目を、料理の本がある辺りに向けている。

「ま、まさか見に行く気? 駄目だよ、素人がうかつに開いていい本じゃないよ。本当に本当に、すごいんだよ」


 佐山は両手を大きく振り、おれと一樹を本のある場所に行かせないようにしていた。

 しかし逆効果。それほどすごい本なのかと、ますます見てみたくなっちまうって寸法だ。人には、無茶をしたくなる時期があるってことだろう。多分。


 佐山も、最初は本気でおれ達を止めにかかっていたけど、本の面白さを皆で分かち合いたい、って気持ちには抗えなかったらしい。おずおずと、棚から当の本を抜き出した。


 本を手にしたおれたちは、静かに閲覧室の隅へと移動した。三方を書棚と壁に囲まれた、薄暗い場所だ。

 万が一誰かが笑ってしまっても、人がいないこの場所なら、被害を最小限に抑えられそうだからだ。

 三人固まり頭を突き合わせ、まずは表紙をじっくり眺める。

 表紙を見る分には、ごく普通の料理の本だ。

 しかしおれ達が、腹筋を震わせるほどの地獄を味わったのは、ページを開いてからだった。


 その本は、料理の作り方を可愛いキャラクターが説明していく、という構成なんだけど、キャラの見た目がすでに変だった。

 人間なのか動物なのか、果ては地球外の生物なのかも判別できないんだ。

 更に語り口調で、そいつの変さは確たるものになった。

 語尾が「ぷるぷる」ってなんだよ。キャラがいちいち「ぷるぷる」言ってるせいで、作り方なんか全く頭に入らないぞ。


 結論。これは料理の本ではない。図書館利用者の腹筋を痛めつけるため、誰かが仕込んだ非道な罠だ。

 まともな表紙に油断していた分、おれと一樹の苦しさは半端なかった。

 免疫があるはずの佐山さえ、おかしさがよみがえってきたのか、肩を震わせ、必死に口を押さえている。

 二度も注意されては、佐山が図書館に来づらいだろうと、おれ達は必死で我慢した。限界まで耐えた。吹き出すのを我慢することがこんなに辛いなんて、十五年生きてきて初めて知ったよ。


 こうなってはもう、本を借りるどころではない。

 何とか本を元の場所に返し、息も絶え絶えといった様子で外に出たとき、おれ達はフルマラソンを走り終えたかのように疲れていた。


「本当、すごかったよな……何だろうな、ぷるぷるって」

 思わず呟くと、一樹と佐山が一斉に吹き出した。

「やめろよ慎! あの変な生き物、思い出しちゃっただろ!」

「駄目だあ、頭の中からぷるぷるが消えないよー」


 しまった、二次災害を引き起こしてしまった。二人は「ぷるぷる」に文句をつける合間に爆笑している。器用だな。

 おれももちろん、二人と同じように笑ってる……つもりだった。けど一樹が言うには、おかしがってる風には全然見えないらしい。良くて、少しニヤリとしてる程度だそうだ。


 ああうん、わかってたよ。佐山先生に師事したところで、すぐ表情豊かになれるわけないよな。わかってたんだけど、また一人だけ大縄跳びに入り損ねたみたいで、ちょっと寂しい。

 まだまだ修行が足りないな。腹筋より、頬の筋肉を鍛えたいところだ。


 しかし意外なことに、そんなおれを、佐山は大いにうらやましがっていた。

「授業中に話しててさ、何かがツボに入っちゃって、笑っちゃうときってあるじゃない? そういうとき、流森くんみたいにクールにやり過ごせたら、先生に見つからなくていいよねえ」


 考えたことがなかった。おれの無表情に、利点なんてあったのか? 今まで授業中のひそひそ話には縁がなかったから、気づかなかったな。

「慎ってさ、ポーカーフェイスみたいだけど、結構態度には出てるよ。困ったことがあったら、よくフリーズしてるもんな」

 一樹がいつものにやにや顔で、水を差してきた。せっかくクールキャラになりかけてたのに、台無しだ。


「そっか、困ると固まるのかー。でも外からは、深いことを考えてるみたいに見えるよ。いいなあー、私なんか考え事してても、『お腹すいたの?』って聞かれちゃうもん」

 佐山は大げさにしょげて見せた。けどその五秒後には起き上がりこぼしのように顔を上げ、白い歯を見せた。

「まあ本当に、お腹がすいてることが多いんだけどね」

「じゃあ、当たってるんじゃん」

「なんだ」

 一樹とほぼ同時に声が出た。このおれも、とうとうツッコミというものができるようになったみたいだ。これは嬉しいぞ。


 おれがこっそりと感慨にふけっている間に、話はさっきの料理本のことに変わっていた。

「あの本のこと、秘密だよ? もし学校で話したりしたら、私また、笑いが止まらなくなっちゃうから。絶対、ぷるぷるとか言っちゃ、駄目だ……よ」


 佐山、もうその単語を言うのはやめておけ。腹筋の痛みが増すだけだ。

 おれたちも「ぷるぷる」の恐ろしさは十分に味わったので、反対する理由なんてない。本のことを他の人には言わないと誓った。

「わかった。秘密な」


 この、秘密、って言葉、実際言うとすごい威力だな。

 言った後しばらく、口のどこかにくすぐったい感触が残る。

 今まで「秘密」なんて言ったことあったっけ? 何気に初めてのような気がする。


 居心地の悪いような、逆に、何度でも繰り返したいような、妙な気分。これが友達同士の会話って奴なのかって思うと、なんか恥ずかしい。

 けど、ラーメン屋に行く前よりも、もっと結束が深まったように思えて、嬉しかった。

 おれの気のせいじゃないことを、祈るとしよう。


 図書館での興奮が冷めやらないまま、街中を歩いていたとき、突然、佐山が立ち止まった。すぐ後ろにいたおれも、彼女にぶつからないよう慌てて止まる。

 佐山の視線は、道路を挟んで向かい側の歩道に釘付けになっていた。

 そこにいるのは、数人で歩いている他校の生徒だ。確かあれは、私立の女子校じゃなかったっけ。見るからにお嬢様っぽい雰囲気の制服を着ている。

 佐山は彼女たちの中に、何かを探すような視線を送っていた。


「どうかした? 佐山」

 声をかけると、佐山は驚き、肩をぴくりと跳ねさせた。

「ううん、何でもないの。友達に似てるなーって思って」

「友達?」

「うん、ほら、この前言った、流森くんに雰囲気が似てる感じの……」

 ああ、言ってたな。寡黙な女子のこと。


「でも人違いだったみたい。じゃ、行こっか」

 さりげない風に、佐山は再び歩きだした。けど、どことなく、がっかりしてるように見える。テンションも下がり気味だ。さっきと比べて、明らかに歩幅が狭くなってる。

 寡黙な友達と、何かあったのかな。ふと考えたけど、佐山には訊ねなかった。個人の領域に立ち入る、なんてのは、おれにはまだまだ難しすぎる。


 普段は明るい佐山も、何かを抱えて思い悩むことがあるかもしれない。

 まあ普通に生きてりゃ、人には見せない部分だって、そりゃ、あるだろう。理屈ではわかってる。けど、これまでまともに人と向き合ってこなかったせいか、佐山の違った面を見たことは、おれには驚くべきことだった。

 とは言え、考えていたのは一瞬だ。新たな話題に移ると、さっきの佐山のことは頭の奥にしまい込まれてしまった。


 ちなみに新たな話題っていうのが、今日の五時間目、佐山がノリノリで演奏していた「ラーメン楽しみだな」の歌のことだ。授業中に、フルコーラス分の歌詞を作成していたらしい。

 歌詞を書き留めたメモ用紙を見せてもらったが、かなりの力作だ。

 力作すぎて、おれたちはまた笑いをこらえなければならず、すれ違う人にいぶかしがられながら帰る羽目になったんだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ