第二章「やっぱり師匠だ」2
昼休み。弁当を手にぶら下げた一樹が、おれのクラスにやってきた。
相変わらず一人メシだったおれは、適当に歓迎してやることにする。
一樹が食べる場所は、佐山が快く貸してくれた。佐山はおれたちに「ごゆっくりー」と声をかけると、窓際の友達グループの机へ向かっていった。
佐山の姿を何となく見送った後、おれたちは揃って弁当を広げる。おれはパンだけど、一樹は母親の手作り豪華弁当で、ちょっとうらやましい。
両手を合わせて「いただきます」のポーズをしたあと、一樹は口を開いた。
「またおばさんに頼まれたんだよ。お前の様子見てきてくれって」
えっ、またなのか。そんなに心配なら、どうして本人に直接言わないんだ、かーちゃん。
「お前もお前で、頼まれたら素直に来るんだな」
「俺、お前のかーちゃんのファンだから」
「……なんで?」
「だって萌えキャラなんだもん」
ますます意味がわからん。全く想像もしてなかったことを言われて、おれは動きが止まってしまった。
萌えって何だ。うちの母親、ごくごく普通の人だぞ。変わってるって言ったら、無口なところくらいなもんだけどな。
「それで、どうよ? 佐山とつるむようになって、少しは性格改善できたかね?」
一樹はいつもの軽そうな笑顔を浮かべ、質問をしてきた。
けどおれはしばらく返事をしない。まだ口の中にたっぷりパンが残っていたからだ。満足いくまでしっかりと噛み、全部飲み込み、さらにコーヒーを飲み終えてから、口を開いた。
「ああ」
一度うなずいてから、再び話す。
「少しは、変わったと思う」
「いやいやいや、全然変わってないだろ!」
一樹のあまりに素早い否定っぷりに、おれは唖然とした。何だって。そんな馬鹿な。
ちゃんと変わってるだろ。返事するときにうなずいたじゃないか。そう反論すると、一樹は大きな溜息をついた。
「うなずくタイミングがちょっとイマイチだよなあ。そりゃ、くちゃくちゃしながら返事しろとは言わないけどさ、せめて俺が話しかけてるときに反応してくれよ。周りから見たら、俺が独りで喋ってるみたいで寂しいじゃんか」
食べながらリアクションするなんて、こいつ、何てハイレベルなことを要求するんだ。音楽を聴きながら勉強することさえできないってのに、そんなことできるわけないだろ。
「食べながら会話するのは、おれには難しすぎるんだよ」
「仕方ねえなー。こりゃ、佐山大先生に伝授してもらうしかないかな」
え? 伝授ってなんだ?
「ねえ佐山さーん、今日の放課後、俺らとラーメン食べに行かない?」
おれが質問するよりも早く、一樹は佐山に声をかけた。
ちょうど佐山は弁当箱を置きに、おれ達のそばに歩いてくるところだった。彼女は突然声をかけられたため、しばらく目と口を丸くして立ち止まっていたけど、すぐに大きくうなずいた。
「うん、いいよー」
何と、即答。
二人のやりとりに、おれだけ全くついていけない。何が伝授で、どうしてラーメンなんだ。
それに、放課後にラーメン屋ってどうなんだ。中学生女子のイメージにそぐわない気もするが。佐山的には有りなのか?
おれの視線に気づいたのか、佐山はこっちを見て、にっこりと笑った。
「私、ラーメン大好きなんだ。だから楽しみだなあ。おやつにちょうどいいよね」
夕メシではなく、おやつなのか……さすが師匠だ。なら、心配はいらないみたいだな。
そんなわけでおれと佐山と一樹の三人は、放課後、ラーメン屋に行くことになった。
五時間目の授業中、隣の席から小さな声が聞こえて来た。
声の正体は、佐山の歌声だ。「ラーメン楽しみだなー」「何味にしようかなー」なんて即興で作ったらしい歌をうたっている。
さらにはシャーペンをドラムのスティックのように持ち、リズムを取り始めた。本当にノリノリだ。
授業中に歌い出すなんて、一体どれだけ楽しみにしてるんだ。常人には計り知れないレベルだ。
半ば感心、半ば呆れ気味に見ていると、歌がひと段落した佐山と目が合った。
すると彼女は慌てた様子で唇を結び、縮こまってしまった。聞かれて恥ずかしかったらしい。
けど黙っているうちにおかしくなってきたのか、我慢できないといった風に唇をほどき、へらりとした笑顔をおれに向けた。
……佐山って、おもしろいなあ。
「あれっ?」
突然、佐山が不思議そうな声をあげた。何かおかしなものでも見つけたように、おれの顔を見て、ぽかんとしている。
どうしたんだろう、さっき食ったパンでもついてるのかな。口元を触ってみたけど、それらしいものは確認できなかった。
「逸香、先生こっち見てるよ」
止まっていた時間を動かしたのは、佐山の後ろに座っている女子だった。
佐山は急に姿勢をただし、教科書を両手に持って熱心に見始めた。わざとらしい仕草だったが、先生は特に注意してこなかった。歌がバレてないみたいで良かった。
ふと、視線を感じた。
さっき佐山に声をかけた女子が、おれを見ていた……が、すぐに目を逸らした。何というか、好意的とは言えない目だった。はっきり言うと、にらまれてた。怖っ。
友達である佐山が、おれみたいな暗そうな奴と話してるのが気に入らない、とか? いや、わかんないけど。
そういえば佐山も、一体何を驚いてたんだろう。
結局、二つの疑問を解くことができないまま、授業は終わった。
放課後、一樹に引き連れられて入ったラーメン屋は、学校のすぐ近く、入り組んだ路地の突き当たりにあった。
知る人ぞ知ると言った感じの、隠れた名店らしい。店内は入り口から向かって縦に細長く、席はカウンターのみのようだ。
ちなみに、一樹がラーメン屋を選択したのには、全く意味がないらしい。ただ単に食べたかっただけなんだって。何だよ、おれの性格改善の為にわざわざ選んだんじゃないのかよ。
それでも奴の画策は、大成功だったと言えるだろう。この店で、師匠のリアクションレベルの高さを再確認したからだ。
まず、「いらっしゃい」と迎えた店主に佐山は「こんにちは!」と元気に挨拶。メニューを選ぶときは真剣そのものだ。
「うわあ、どうしよ。肉入りにしようかな。卵も入れたほうがもっと味わい深くなるのかな。全バージョンを食べる! ってわけにはいかないし、うーん……よし決めた、これだっ!」
ビシっ、と音がしそうな勢いでメニュー表を指さす佐山。
あまりに気合の入りまくったオーダーに、愛想のない頑固店主が相好を崩すほどだった。一樹が言うには、店主が笑ったところを見たのは初めてなんだそうだ。
どんな人でも笑顔にできるなんて、すごいぞ佐山。すごいぞ師匠。
ほどなくして、湯気の立ったどんぶりが三つ、カウンターに置かれた。
佐山のテンションはまだまだ下がらない。感嘆の声を上げ、ラーメンを色んな角度から眺めまくっている。携帯で写真でも撮るのかと思えばそうではなく、視覚と嗅覚にしっかりと、ラーメンの姿を刻み込んでいるのだそうだ。
おれには行動の意味が分からないが、めちゃめちゃ楽しそうだってことは確かだ。
佐山の様子をしばらく見守ったあと、おれ達も食べ始める。そしてとうとう、「食事中に会話する」時間がやってきたわけだ。
普段の一樹は、だらしない感じだが、食うときは意外と行儀がいい。汁を周りにはね散らかすこともなく、マイペースに麺を数本ずつ口に運んでる。
佐山は一樹と対照的で、大胆な食べっぷりだった。
ほんのひとすすりで、大量の麺が彼女の口に吸い込まれていくんだ。口に何も入ってないときは、何かしら感嘆の声を上げている。続いて、ラーメンに対する賛美の言葉が飛び出してくる。
表情を見てるだけでも実にうまそうだ。「彼女をラーメン屋に連れてきてよかったなあ」としみじみ思うくらい。
不思議なのは、こうして食べてる最中にも、二人はしっかり話してるってことだ。
やっぱりおれは、話の流れに乗り損ねていた。
言いたいことをやっと考えついたと思ったら、その話題はすでに終わってしまってるんだ。
佐山が時々気を遣って、おれの意見を聞いてくれるんだけど、箸で挟んでいる麺が気になって、うなずくのが精一杯という状態。
まるで自分が、回っている大縄跳びにいつまでも入れず、まごまごしてる奴みたいに思えてきた。
みたいって言うか、そのものなんだけどさ。入りそこねて縄の回転を止めるのは忍びないので、今は話をすることは考えず、聞き役に徹したほうがいいんだろうか。
「あっ、帰りに図書館に寄って、本返さなきゃ」
ふと思い出したのか、佐山が急に顔を上げ、言った。一樹がその話に反応する。
「佐山、本好きなの? 最近何が面白かった?」
「本って言っても、最近借りてるのは食べ物関係の本ばっかりだよー。おいしそうな料理の本眺めるの好きなんだ。夜中に見てると、おなか減っちゃうから危険なんだけど」
食べ物の本って、料理を作るためじゃなくて、純粋に鑑賞用として借りるのか……? 斬新な活用法だな。佐山って、とにかく食べることが好きみたいだな。熱意が半端ない。
「慎、また止まってる。麺伸びるぞー」
一樹に言われて、自分のラーメンがほとんど手つかずであることに気づく。しまった、すっかり会話に聞き入ってた。その前は、二人の食べっぷりを観察するのに夢中だったからな。
同時に複数のことをするのは、やっぱりおれには難しい。
「流森くん、どうしたの? 何か悩み事?」
小さく溜息をついたのを見られていたのか、佐山はおれの顔を覗き込んできた。会話に参加してない時点でムッとしても仕方がないのに、そんな様子は微塵もなく、どこか心配そうな表情をしている。
本当に人がいいな、佐山。
「ああ、慎の奴、食いながら話すのが苦手だから、悩んでるところなんだよな」
一樹はにやにやしつつ、おれの代わりに答える。何だよ、勝手におれの心理を説明するなよ。
そりゃ全くその通りなんだけど、口に出して言われると恥ずかしいだろ。この二人から見れば、おれの悩みは「スキップの仕方がわかりません」レベルのような気がするんだよな。
「そんな、悩むなんて大げさだよー。難しく考えなくてもいいんじゃないかな? 楽しい時間を一緒に過ごす方法なんか、人それぞれなんだしさ」
そう言うと、佐山は手をひらひらと振って見せた。その何気ない仕草が、おれの悩んでる空気を散らしたような気がした。
「おお、いいこと言うなあ佐山」
一樹が佐山に同調する。人との過ごしかたにマニュアルはない、ってことか。その点については、おれも納得した。
そして、改めて思った。佐山って基本、人をヘコませたり怒らせたりしないよなあ。
誰かに反対意見をぶつけてるところも見たことないし。おおらかそうに見えて、実は人との和を乱さないように、細心の注意を払ってるのかもしれない。
っと、今は佐山のことじゃなく、自分の悩みを考えなくちゃな。話し下手を気にするなと言ってもらえるのは嬉しいけど、さすがにおれみたいなのはまずいだろう。下手にも限度があるんじゃないか。
とりあえず、その不安を口に出してみることにした。
「でも、話してる側は、相手が無反応だとムカつくんじゃないか?」
「そんなことないよー。流森くん、食べてるときも、ちゃんと話を聞いてくれてる感じするもん」
……本当かなあ。
「流森くん、考えすぎて緊張しちゃってるだけじゃないのかなあ。自然にしてたらいいと思うよー」
元気よく励まされているうちに、何となくそういう気分になってきたから不思議だ。おれは二、三回小さくうなずいて見せた。これは「わかった」って意味だ。
いや、違うな。
うなずくだけじゃなく、言葉で表現しなきゃいけないんだよな。口を挟まず見守ってくれている二人を交互に見ながら、おれはゆっくりと口を開いた。
「わかった。自然になれるように努める。……ただ、ちょっとわからないんだけど、おれの自然って、どういうのだろうな」
「まずそこからなのかよー」
一樹が呆れ気味に突っ込む。いや、だってさ、人と接した時間が少ないから、わからないんだよ。
「こうやって誰かといたら、どういう態度が自然か、わかるようになるよ」
佐山はそう言い、大きくうなずいた。
つまり、あれかな。色んな奴と話してみれば、経験値が貯まってレベルアップして、自分のことが理解できるようになるってことかな。
「わかった、頑張ってみる」
太鼓判を押すみたいに力強くうなずいてる佐山を見て、おれもつられてうなずく。
「おお、慎が前向きだ! 壁があったら乗り越えたりしないで、そっと回り道をするあの慎が」
一樹はおれに指を突きつけ、声を裏返して言った。
どうしてそんなに驚くんだよ。まあ確かに、これまで「頑張ろう」なんて思ったこと、数えるくらいしかないけどさ。
「何言ってんだ、一樹。おれ、回り道なんかしないぞ。壁があるところには、最初から近づかないもん」
ぼそりとおれが呟くと、二人は一瞬目を丸くしたあと、笑いだした。別に面白いことを言ったわけでもないのに、何でだろう。タイミングがよかったんだろうか。
笑われてるってのに、嫌な気分じゃない。
もしかして、今、一つ勉強したからかな。自分が何か言って、誰かの反応が帰ってくるのって、嬉しいものなんだってことを。
おれの考えごとに付き合わされたラーメンは、すっかりのびてしまっていた。一樹にさらに笑われながら食べたけど、名店のラーメンはのびてもやっぱり、うまかった。
うまく感じたのは、もしかすると別の理由があったからかもしれないけど。
どんぶりが空っぽになると同時に、もやもやした気持ちも、どっかに行ったような気がした。