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第二章「やっぱり師匠だ」1

 六月も二週目に入り、全国的に梅雨入り時期になったらしいが、まだまだカラリとした晴天が続いてる。

「あったかい」から「痛い」へと急激に変化していく太陽の日射しを妨げる雲は、当分やってはこないだろう。


 つい最近までのおれは、実際の空とは正反対、梅雨まっただ中のごとくじめっとした気分だった。

 今はちょっと違う。佐山がおれの腹の危機を救ってくれたあの時から、ほんの少しだけ変わったような……気がする。


 面倒くさがらずに人と接してみよう、そんな風に、ちょっと前向きに考えられるようになったんだ。性格のじめじめ成分、多少はカットだ。


 けど意識を変えたところで、突然押し出しの強い性格になれるわけじゃなく、噛みもせず流れるようなトークができるわけでもなく、適切なリアクションが完璧にできるようになったわけでもない。

 せいぜい、隣近所の奴らに小声で挨拶するのが精一杯。

 しかもそれが相手には聞こえてなかったりして、一人芝居をしてた自分が無性に恥ずかしくなって、そのまま全速力で家に帰って布団を被りたいところをぐっとこらえていたりしている。


 つまりおれは、目の前に高くそびえ立つ「人とのふれあい・コミュニケーション」という山の一合目を、決死の思いで登り始めたところなんだ。

 ……前置きが長すぎたな。結局は、まだまだおれはクラスで浮いた存在だってことだ。一文で済んでしまうと、何かもの悲しい。


 ところで今現在、おれは大変な危機に見舞われている。

 ある意味、腹痛のときよりも大ピンチだ。あれはトイレへ行けば治ったけど、今の状況はどうすればいいのか、解決法が全くわからない。


「それで流森くんは、どっちがいいと思う?」

「どっちって、俺のほうに決まってんだろ」

 両端から携帯画面をこっちに向け、にじり寄って来るクラスメイトの男子二名。

 おれは一体、どう対処すればいいんだ。そして何を言えばいいんだ。誰か教えてくれ。



 事は、前述の男子二名が、おれの近くの席で言い争いをしていたところから始まる。

 二人は教室持ち込み禁止のはずの携帯電話を見せあい、激しく自己主張しあっていた。

 良く見てみるとこの二人、席替えする前、食堂のメニューについて戦ってた奴らじゃないかと気づく。どんぶり派と麺類派の。また近くの席になってしまったらしい。本当に騒がしい。


 完璧に他人事だと思い、騒ぎを小耳に挟みつつも「よくそれだけ言い争いのネタがあるよなあ」なんて、呑気に感心していた。

 しかしこの直後、おれは争いの渦にぐるぐると巻き込まれる羽目になる。

 言い争うネタも尽き、一対一ではらちが明かないと悟ったのか、二人は周りの奴に意見を求めた。


「なあ、お前はどっちだと思う?」

 なぜか、二人は同時にこっちに振り向いた。えっ、もしかして、おれに聞いてるのか?

 しかしそうではないようだ。彼らはおれを見ると、「しまった」って感じの気まずそうな表情になったからだ。どうやら、人違いをされたらしい。


 まあ、そうだよな。人違いでもなきゃ、わざわざおれに訊ねるはずがない。顔の筋肉を、まだ自在に動かすことができないこのおれに。鋭意努力中なんだけど、どうにも頬がつりそうになるんだよ。

 人違いと気づけば、何事もなかったように背中を向けられるんだろうな、まあ仕方ないよなあと、情けなさ半分、安心半分で思ってたんだけど、おれの予想は大きく外れた。


「あ、あのさ。流森くんは、どっちの写真が可愛いと思う?」

 何と、おかまいなしに話を続けてきたんだ。「この際、もうこいつでいいや」と妥協されたのかもしれない。


 驚きのあまり、二人の顔をじっと見てしまう。確か名前は、江見と棚橋、だっけか。

 今まで話したことはないけど、いつも対決ばっかりしてるから、先生によくうるさいって注意されてるんだよな。

 二人の妙に真剣な様子に逆らえず、携帯を見てみることにする。可愛いって、何だ? 我先にと差し出される携帯画面には、どっちも動物の写真らしきものが表示されていた。


 何だこれ。何だこの生き物たちは。

 一目見た途端、おれの目は画面に釘付けになった。小ちゃい、とにかく小さい。

 片方は犬で、もう片方は猫だ。動物の年齢については詳しくないが、どっちも生まれて三カ月は経ってないって感じに見えた。手足が短くてころころしてて、腹なんかまん丸で。きっとミルクを一杯飲んでるんだろうな。


 江見の画像が子犬だ。犬に詳しくないおれでも、柴犬だとわかる。

 頼りない前足で、かろうじてお座りしてます、って体勢だ。くりっとした目はまっすぐにこっちを向き、一緒に遊びませんか? と誘ってるみたいに小首をかしげている。


 棚橋の持ってるのが子猫。こっちは種類がわからないが、白っぽい長い毛が窓からそそぐ日差しに照らされて、ふわふわのもこもこ。とてもさわり心地が良さそうだ。

 メシのあとなのか、とても満足げな様子で、クッションの上にバンザイをして転がっている。


 おれは瞬きも忘れて、本気でしばらく見入ってしまっていた。どっちも何というクオリティ。文句なしに可愛い。


 やっと現実に帰って顔を上げると、江見と棚橋が期待の眼差しでおれを見ていた。

 うお、こっちは可愛くねえ! 一度に夢から覚めちまったじゃないか。あ、そうか、どっちがいいか、訊かれてるんだったな。

 ちょっと待てよ。選べるわけないだろう、そんなのは拷問だろう。どっちもそれぞれに違った可愛らしさがあるんだからな。


 こんなときどう反応すればいいんだろう。しばらく考えてみるものの、全く思いつかない。

 適当にどちらかを選んでも、角が立ちそうじゃないか? いやいやまず、画像を見た感想とかをコメントとかしたほうがいいのか? 「可愛いと思いました」だけだと、あまりにも普通すぎないか?


「あー……」

 とりあえず、咳払いをごまかすような声を出してみる。江見と棚橋はさらににじり寄ってきた。可愛くないものには、あんまり近づいてほしくないんだけどなあ。

 二人がおれの返事を待っている。けど言うべきセリフも思いつかない。写メは柴わんこも白にゃんこも満点。ああもう、どうすればいいんだよ!


 そんなわけで、おれは過去最大級のピンチ真っ最中なのである。

 本当にどうしよう、この状況。


 頭は真っ白。適当に何かを言うどころか、声帯までフリーズしてる。危機を乗り越える良策なんて、たった一つも思いつかない。

 まさに万事休す。そんなおれのもとへ、一人の救世主が降臨した。


「いつも楽しそうに対決してるねえ、江見くんと棚橋くん。今日は流森くんも一緒なの?」

 救世主というお役目の割には、あまりにもさらりとした登場の仕方だった。だがこの、違和感なく話に入ってこられる手腕こそ、救世主が救世主たるゆえんなのである。

 救世主の名を、佐山逸香という。


 救世主・佐山逸香は、弾むように自分の席に腰掛けた。手にしていた荷物を机の中に片づけながら、おれたちのやりとりをにこにこと見守っている。

 自分の用事をしつつも、いつでも会話に参加できますよ、といった態勢だ。


「あ、じゃあ佐山にも訊いてみようぜ」

 救いの神が現れて安心したのは、おれだけじゃなかったらしい。

 棚橋と江見は、まるで買ってもらったおもちゃを見せびらかす幼児のように、携帯を佐山に向けた。そして、おれにしたのと同じ質問を投げかける。いや、正確には、投げかけようとした。


「うわあ、可愛い! なになにどうなってんの? このちっちゃさは! ふわっふわで可愛いい! この子たち、江見くんと棚橋くん家の子?」

 江見たちが質問するよりも、佐山の反応のほうが早かったんだ。


 佐山は二人の携帯を同時に手に取ると、辛抱たまらんと言った様子で体を震わせた。

 続いて携帯の中に入り込もうとでもしているかのように、いやむしろ、そのまま頑張ってれば入れるんじゃないかってくらいの熱い眼差しで、画面をじっと見つめている。

 写メの感想は、佐山もおれと似たようなものだった。うん、本当に可愛いかったよなあ、あの毛玉たち。


 しかし当然ながら、佐山とおれのリアクションは正反対だった。

 今も「ふわふわだあ、撫でたいなあ」と夢見心地につぶやいている佐山と、さっきうなり声みたいな音しか出せなかったおれとでは、表現力が段違い。

 技術点、芸術点ともに、おれの完全敗北だ。どの辺りで技術と芸術を判断するのかは、自分でもさっぱりわからないけど。


 ただわかるのは、可愛いとはしゃぐ佐山を見て、ほのぼのした気分にならない奴は、そうはいないだろう、ってことだ。


 意外なことに、佐山の「可愛い」という反応に、江見と棚橋は満足そうな様子を見せた。ありきたりな感想じゃつまらないんじゃないかと思ったけど、言われた側は結構嬉しいみたいだ。

 そうか、悩んだりしなくてもよかったのか。

 否定的な意見なら考えるところだろうけど、好意のこもった感想なら、素直に口に出したほうが喜ばれるのかもしれない。


 おれは「素直な気持ちを言う」と、心の学習ノートに書き留めた。

 また一つ、佐山に教えてもらった気がするな。よし、これから佐山のことを、師匠と呼ぶことにしよう。心の中でこっそりと。


 佐山の立場が救世主やら師匠やらに忙しく変動してる間、本物の佐山は、おれの身代わりに戦いの渦に巻き込まれていた。

「な、うちの柴犬、ちんまくてコロコロしてて、可愛いイコールこいつだろ絶対!」

「何言ってんだ、うちの子にかなう生き物なんて、この世に存在するはずないよ」


 しかも、左右からプレッシャーをかけられている。こいつはハードだ。おれならこの時点で布団を被りたくなってしまうだろう。

「ええー、難しいよ。どっちも可愛すぎるよー」

 さすがは師匠。困ってはいるようだけど、それでも二人の波状攻撃が全然効いてない。むしろ楽しそうだ。


「うーん、やっぱり選べないなあ」呟きつつ、何度も写メを見比べて考え込んでいた佐山は、突然何かに気づいたように、超いい笑顔で二人の顔を見渡した。

「ってことで、仕方がないからワンちゃんと猫ちゃん、両方の画像を私が貰うってことでどうだ! これで円満解決だよ!」


「その『ってことで』はどっから来るんだよ! 全然関係ねえだろ! そもそも解決してねえだろ!」

「意味がわからないよ! 円満なのは佐山だけだろー」

 佐山の意見に、江見と棚橋は揃ってツッコミを入れた。携帯を取り返し、「うちの子の写真はそんな軽々しくやらん」なんて怒ってるものの、二人とも口元が緩んでいる。佐山は本気で欲しかったのか、ちょっと残念そうだ。


 おれはと言えば、またしても佐山に感心していたところだった。端からはそう見えないかもしれないけど。

 例えば『今、感動中』とか、自分の気持ちをホワイトボードに書いて吊しておけるものならそうしたい、と思う今日この頃だ。


 選べない、って意見をそのまま言うってのも、ありなんだな。まあ、もっと真面目な議論なら、この手は使えないだろうとは思う。

 今の場合は、佐山が場を和ませることに成功したわけだから、やっぱすごい。

 いや、師の鮮やかなお手並み、しかと拝見した。


「流森くんも、犬猫両方好き派? どっちも熱心に見てたもんね」

 振り返った佐山が、さりげなくこっちに話を振ってきた。

 おれはすっかり傍観者モードに入っていたから、かなり慌ててしまった。正確には、銅像になった、というべきか。


「え、そうなのか? ひょっとして動物嫌いじゃないかって思ってたんだけど……」

 遠慮がちに、棚橋もこっちを見る。しまった、そんな風に思われてたのか。でも違うぞ。確かに動物にはあまり触れないけど、見るのは大好きだ。

 おれは心にメモしたことを今こそ活用すべきだ、とやる気を奮い立たせた。乾いた唇を湿らせ、口を開く。


「嫌いじゃない。どっちも、可愛いと思った」

「そっか、良かったー。無理やり見せてるみたいな気がしてたからさあ」

 二人は肩の力を抜いて、ホッとした様子を見せた。おれが慌てて首を振ってみせると、ちょっと笑った。言ったことが嘘じゃないって、わかってくれたみたいだ。


「じゃあ今回は引き分けか。二人とも、ご協力感謝する!」

 江見が高らかに、犬猫戦争の終結を宣言した。そのまま棚橋を引き連れ、話しながら去っていく。

「今日も勝負つかなかったな」

「仕方ないよ。今回もレベルの高い戦いだったもん」

「じゃあ明日は何で対決するんだ」

「そうだな……」


 半ば呆れつつ、二人を見送る。佐山は「頑張ってねー」なんて手を振ってた。

 あいつら、毎日戦っててよくネタが尽きないな。しかも、ほとんど引き分けなのか。それって、対決の意味ないんじゃ……

 でも、いい奴らだよな。成り行きとは言え、おれがこういう性格だって知ってて話しかけてくれたし。おれも、少しだけど話せた。


 そうだ、言えた。おれは自分の意見を言えたんだ! 改めて気づくと、何かテンション上がってきた。しかも、おれの言ったことに反応してもらえたんだ。

 一人はしゃいでるおれ。外から見れば、いつもと同じ顔をしてるはずだから、周りに気づかれることはないだろう。あれ、でも……


 視線を感じて、ふと隣を見てみる。佐山はおれと目が合うと、

「可愛い子たち見られて、得しちゃったねえ」

 笑顔の面積を一層広げた。

 さすがに、佐山がおれの喜びの理由に気付いたってことはないだろうけど、テンションの高さには気づいたのかもしれない。何せ、腹痛に気付くくらいだもんな。

 だからおれは、もっといい気分になった。


「うん、得した」

 考える前に、口からするっと言葉が出ていた。

 言ってから自分で驚く。心で予行演習する前に喋り出すなんて、滅多になかったからだ。生まれて初めてかもしれない。


 写真の犬猫を「こんなに可愛かった」と身振り手振りで表わす佐山にうなずいて答えながら、おれは自然に話せたことの喜びに浸っていた。


 佐山ってやっぱり、おれの師匠だ。

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