第四章「行こう、今すぐ」5
メイド服に翻弄されていた佐山も、特訓のおかげですっかりその格好に慣れたらしい。しゃがみ込むこともなく落ち着いた態度で、衣装を着こなしていた。
昨日のことを思い出す。佐山はおれを見つけると、興奮した様子で話しかけてきた。
「もう衣装着てても平気だよ! 私、気付いちゃったんだ。これ、スカートって思うからいけなかったんだよ。仕事着って思えば良かったんだよ!」
うん、そうだな。
ものすごく納得して頷くおれを見て、佐山は何故か頬を赤らめ、困ったような表情になった。
「あ、そっか。メイド服ってもともと、仕事をする為に着る服なんだよね。そんな当たり前のことをめちゃくちゃ誇らしげに言っちゃったよ。うわあ恥ずかしいー」
頭を抱え、上半身をひねりながら愉快なうめき声を発する佐山を見て、おれは「決して真似はできないけど後世に伝えたいほど見事なリアクション」と判定し、心のノートに書き留めた。
最初は勉強のために佐山の所作動作を見てたけど、今では純粋に鑑賞して楽しんでいる気がする。
だってほら、師匠の技がすごすぎて、常人じゃ真似できないんだよ。
そんなことを思い出していて気付いた。今日はまだ、佐山と話してないな。
挨拶はしたものの、テンション高いリアクションをまだ拝見していない。ちょっと物足りないけど、まあ、このあといくらでも話す機会はあるだろう。
楽しげなBGMの合間に開場のアナウンスが流れる。とうとう文化祭の始まりだ。
薄暗い室内で待機してると、廊下を歩く人の靴音が聞こえてきた。
客、ホラーハウスにも来るかな。大人数に押し寄せられると焦ってヘマをやらかしそうでつらいが、誰も来ないのも、それはそれでつらい。程々に来てもらいたい。
案内役はおれと市村の二人だけど、初っ端はおれがやることになった。
待ち時間が少ない方が緊張する時間も減るだろうと、自分から志願した。数回客を案内したところで市村に交代してもらう予定だ。
客案内は結構疲れそうな仕事だからか、休憩時間を多めにもらえることになっていた。
「流森くん、お客さん入るよー」
佐山がおれにこっそりと伝えに来てくれた。頷いて待ち構える。
程なくして、数人が教室に入ってきた。
うわー、本当に人来ちゃったよヤバい……と胸中では震えまくっていたが、多分表面的には全く動じていない、いつも通りのおれだろう。自分の無表情さに救われることもあるんだなあ。
頭の中で「落ち着いていこう」と声がする。そうだ、体も心も柔らかくしてないとな。師匠から教わった技を駆使して、乗り切るんだ。
これまでやってきたことの集大成を、見せつけてやらないとな。
ほんのちょっと過去の、一人メシに少し不満だった自分に。
佐山みたいな明るい人間と仲良くするのは無理だと決めつけていた自分に。
客に後ろを向いててもらいたいと願ってた後ろ向きな自分に。
未来のおれはこんなにやれるんだぞってことを、見せつけてやる。
あのころから中身自体は変わっちゃいないんだけどな。今でもしょっちゅう布団に逃げ込みたくなるし会話には入れないし初対面の人にはビビられる。
ただちょっと、考え方が変わっただけなんだ。
佐山をはじめ、色んな奴と会って話して、ほんの少しだけ自分が駄目じゃないって思えるようになったんだ。
あれ、つい意気込んで色々考えて、頭を空っぽにするのをすっかり忘れてた。けど不思議と心臓は静かだ。やる気が緊張感を上回ったんだろうか。よし、いける。
客の前に立ち、お辞儀をする。動き方も、練習で体に染みついている。
おれは息を吸い込み、観客に挨拶をするため、口を開いた。
手渡してくれた水を飲み、一息つく。
何周か客を案内し終えたおれは、ホラーハウスの裏に設営された待機室で休憩をしていた。
大きな失敗はなかった。
多少喋りがぼそぼそしてたかな、と後から思ったけど、周りの奴らには「ホラーハウスなんだから、そんなもんだろ」と言われたので少し安心した。
客にも演出だと思ってもらえてたらいいんだけど。
説明中に野次が飛んでくるんじゃないかと心配だったが、そういう厄介な人種には、運よく遭遇しなかった。客は素直にホラーハウスの世界観に入り込んでいたみたいだ。良かった。
安心と気疲れで長い溜息を吐きだしていると、藤本と一樹から声を掛けられた。
「さすが流森くん。暗くておどろおどろしいホラーハウスのイメージぴったりだった!」
「銅像の割には、ちゃんと喋ってたよな。声聞きとれたし」
なんてことを、冗談めかして色々言ってくる。
どうせ暗くて銅像だよ、とぼやきたくなったが、これが失敗してたら生温かい励まし合戦になるところだと考えると、素直に褒められたと受け取ってもいいのかもしれない。
特別教室をフルに使ったことで『おどろおどろしい』雰囲気を醸し出すことに成功したらしく、ホラーハウスの反応は上々だ。
それが口コミで伝わったのか、客足が伸びてきているようだった。
これから客の相手をする市村は大変だな。おれだってまだ出番はあるから、人のこと言えないけど。
とりあえず交代するまで、折角の文化祭を堪能しないとな。
まずは早めの昼飯を調達するとしよう。一樹と江見、棚橋は屋台をうろつくって言ってたから、ばったり会うかもしれないな。
ホラーハウスの仲間に声を掛け、おれは待機室から出た。
ずっと暗いところに籠っていたせいか、日差しが眼球をザクザク刺してくる。しばらくの間目を開けられないほどだった。
けど、すぐに覆った手をおろし、太陽の光を受け止める。
眩しさにも慣れてきたかな。
本物の日差しだけじゃなくて、大勢で騒いだり、困ったことを乗り越えたりするたびに自分のなかから湧き出てくる、熱みたいなものの眩しさにも。
太陽は年中熱いと困るけど、自分の中の熱はできれば残っててくれ、と思った。
文化祭が終わっても、それまで練習してきたおれが消えてなくなるわけじゃないもんな。
この熱が、ずっとおれの中で燃えているといい。
まあ、文化祭の後を考えるのはまだ先だ。今は残りの出番をしっかり務めなきゃな。
屋台に行くのに近道をしようと、校舎と塀の間の細い道を通る。
ここは静かだ。校庭のスピーカーから流れる音楽も、遠くから聞こえる……なんてことを思っていると、早速人影を見つけた。
おれと同じように出し物の休憩中だろうか。生垣の根元を囲う低いブロック塀に腰かけている。
二、三歩近づくと、その人が見覚えのある服を着ていることに気づいた。
シックなメイド服。ホラーハウスの衣装だ。俯いていても元気にはねた髪の毛で、誰だかわかる。
生垣に隠れるようにひっそりと座っていたのは、佐山逸香だった。
佐山も休憩中なのか、昼飯はこれからかと声を掛けようとした。けど、普段の彼女とは様子が違っていたからか、その質問は口から出てくれなかった。
「佐山……?」
代わりに、様子を窺うように名前を呼ぶことしかできなかった。
佐山はぴくりと肩を震わせると、少しだけ顔を上げておれを見た。
その拍子に涙がこぼれ落ち、再び顔をおおって俯いてしまう。
ちょっと待て。泣いてる? 佐山が? 信じられないものを見たような気がした。
原因は何だ? やっぱりメイド服が慣れなくて、緊張してるのか?
しかしすぐに違うとわかった。あのときは声を掛ければすぐに反応があったし、笑顔を返してくれる余裕さえあった。
けど、今はおおった両手からも滴り落ちるくらい、次々と涙を落としている。
笑顔どころじゃない。そんな中でもおれに返事をしようとしてくれたらしいが、しゃくりあげる声にかき消されて、何を言っているのか聞きとれない。
心臓がひやりとした。おれにとっては、かなり衝撃的なことだった。
一体どうしたんだ、師匠。




