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第四章「行こう、今すぐ」4

 空の青色が一段と濃くなったように見える。

 膨れ上がった雲は水平線辺りからにょきにょきと生えていた。

 上を向けば強い日差し。下を向けばアスファルトの照り返し。どこを向いても暑い。

 只今、夏真っ盛り。夏休みの到来である。


 去年までの、「寝てたら夕方になってた」夏休みとは全然違う。

 ホラーハウスの案内練習のため、朝から学校に来ていた。


「佐山、頑張れ。この後かき氷だぞ」

「逸香ー、たこ焼きもつけるから負けるなー」

 妙な掛け声が飛び交ってるけど、間違いなくこれが練習風景なのである。


 弱点を露呈してしまったあの日から、佐山は頑張っていた。

 まずは格好に慣れようということで、今もスカートを穿いている。

 この前のメイド服ではなく、生地の薄そうな素材のスカートだ。本番に着る服を汚してはまずいので、練習用にと吉田から借りたらしい。


「翠ちゃん、これ、制服のスカートより軽くてひらひらして落ち着かないよ……」

 最初は吉田に弱音を吐いたり、事情を知らない藤本に、「いいねそのスカート、夏らしいね」と褒められて自分の格好を思い出し、へなへなと座り込んだりしていた佐山だった。


 けど、前述のように励ましの言葉に食べ物の名前を添えてやると効果てきめん、立ち直った。

 佐山の発案した「練習を楽しいことと結び付けちゃおう作戦」、一番効き目があるのは自分自身のようだ。


 励ましていた周りの奴らは味を占め、我先にと食べ物の名前を言い始めた。

 それ珍しいメニューを言ってみたかっただけだろ、と突っ込みたくなるものもあったけど、佐山はそれら全てに反応して、勇ましく練習を再開していた。

 佐山に声を掛けつつ、練習や作業はスムーズに進んだ。おれも何とかミスなしで案内をこなせるようになってきて、一安心だ。


 まあ、油断はできないけどさ……ってそうか、おれの場合、油断しまくりのほうがいいんだった。考えたら余計失敗するもんな。

 文化祭なんてちょろいぜ、という舐め切った態度でこれからの日々を過ごすよう、努めたい。


 今日の案内係は、密度の濃い練習時間を過ごすことが出来たんじゃないだろうか。

 自分達を称えるため、そして佐山に約束通り食べ物を与えるため、いつものメンツでアイス屋へと繰り出した。


 佐山がかき氷を口に運ぶところを、じっと見守っていた。

 マンゴーシロップがたっぷりかかった氷を、スプーン山盛りにすくって頬張る。目と口をぎゅっと閉じて冷たさをやり過ごしたあと、何とも幸福そうな表情がふわっと浮かんできた。


「本当に、頑張ってよかった……おいしい……」

 さらにしみじみと呟いていた。これで今日一日の佐山の経験は、つらいことではなく楽しいことに生まれ変わったんだ。おれは安堵の息を吐いた。


 隣にいた吉田は、佐山の感動の一口目を見届けてからやっと、自分のクレープを食べ始めた。すごく心配してたんだろうな。

 女子二人の友情をほのぼのとした気持ちで見ていたとき、無粋な邪魔が入った。


「なあなあ流森、どっちの口の中が赤い?」

 江見と棚橋がいつものように対決をしていて、いつものように審判をせがんできた。舌の色が濃い方が勝ちというルールらしい。


 こないだの「キーン度」よりは判定しやすいかもしれないけど、どうしてこいつらの口の中をじっくり見てやらなきゃいけないんだ。むかつく。一応見てやるけどむかつく。審判じゃなくて罰ゲームだろこれ。

 野次馬の藤本や一樹だけじゃなく、今日は市村まで対決の余波をくらっていた。


 マイペースな市村のことだ、きっと食うのを邪魔されてイラついてるに違いない。審判としては一般人への迷惑行為を見過ごすわけにいかないと、思い切って話しかけてみた。


「江見と棚橋なら放っといても平気だから、無理に相手しなくてもいいぞ」

「そうなのか。いや、無理でもないけどな。何か楽しそうだなとは思う」

 おおらかな話しぶりだった。怒ってるわけじゃないらしい。江見と棚橋はいつもああいう対決をしてるのかと聞かれ、答えているうちに、市村自身の話もちょっと聞くことができた。


 市村曰く、

「世の中の時間の流れが速すぎる……」

 だそうである。例えばバラエティ番組を見て、あるネタで受けても、それをじっくり味わう前に次の話題に移ってしまって、切ない気分になるらしい。


 人の会話に入り損ねることが日常茶飯事の自分にとってはよくわかる話だった。おれは深く頷いて同意した。

 本来は動作もゆっくり目だが、それでは周りについていけないので、意識して速度を二倍にしているらしい。食べるのが超早い奴だと思ってたけど、あれは動作を早送りしてたからなのか。知らなかった。


 マイペースに生きてるとばかり思ってた市村も、苦労しているみたいだ。

 やっぱり人にはそれぞれ違う一面があるものなんだなあ。藤本もそうだったし、今、吉田にかき氷の素晴らしさを説いている佐山だってそうだ。


 その佐山が言ってたな。「外側に見せてるものだけがその人の世界じゃない」って。

 佐山や一樹と三人で、さらには文化祭絡みでも食べ歩きするようになり、かき氷やたこ焼き、ラーメン、色んなものを食って腹を満たしてきた。


 一見、無駄な栄養分を摂取するだけの無駄な時間みたいだけど、おれにとっては全然無駄なんかじゃなかった。

 人が考えてることを色々知ることができるからな。こうして人数が増えると、知識も増えてく。

 糖分や脂分だけじゃなくて、おれのコミュ筋を成長させてくれるような何かも、吸収できてるといいんだけど。たこ焼きをみんなで分け合って食べながら、そう思った。



 我が校の文化祭は基本的に一般入場はできない。しかし、生徒から招待券を貰った人は入場できるというシステムになっている。

 登校日である今日、その招待券が配布された。クラスの皆は口々に、誰を誘うのか話している。


 おれは……そうだな。誘う人なんて親くらいしかいないけど、招待券を渡すのはやめておこう。

 案内やってるところは絶対に見られたくないもんな。一樹がうちの家族にばらさないように、しっかり口止めしとかないと。


 かーちゃんが文化祭のことを知ったら、仕事を休んでまで見に来かねない。しかも見た感想を、こんもりとデコレーションされた文面でたっぷりと送ってきそうで怖い。

 その気持ちは嬉しいけどさ、うん、気持ちだけでいいんだ。


 隣席の佐山を見ると、中空を見つめて笑みを浮かべていた。

 普段なら、「腹を空かせすぎたんだ。早く食物を与えなければ!」と焦る場面だが、今は事情が違うらしい。机に置いた招待券を大事そうに撫でつけているからだ。

 文化祭に誘う人がいるのかと訊ねると、佐山はうんうんとリズミカルに頷いた。


「出し物を見てもらうだけじゃなくて、一緒に屋台の食べ歩きとかできたらなあって思って。楽しみだなあ」

「屋台か」

 自分の周りがホラーハウス一色だったから、そういうものがあることをすっかり忘れてた。去年は一樹と出店を回って何かしら食べてたってのに、おれも変わったもんだなあ。


「あっ、でも、来てくれるかなあ」


 それまで弾んでいた佐山の声が、ほんの少し小さくなった。表情も考え込んでるみたいで、口がへの字になってる。

 前にもこういうことなかったっけ? 佐山が悩んでいるような素振りを見せるのは、スカートの一件以外ではほとんど……


「もしかして、寡黙な友達のことか?」

 思いついたことを言うと、佐山は驚いて顔を上げた。


「うん、そうだよ。どうしてわかったの?」

「何となく。時々その人の話、聞くから」

「そっか、流森くんには話してたもんね、友達のこと。その子に招待券受け取ってもらえるかなって、ちょっと心配なんだ。学校に来るの嫌かもって」


 なるほど。心配なのはわかったけど、学校に来るのが嫌ってどういうことなんだ? その友達も中学生じゃなかったっけか。他校には入りにくいって意味なのかな。だったらわからなくもないけど。


 おれは佐山にかける言葉を、頭の中で必死に考えた。

 友達のことをもっと突っ込んで聞いた方がいいのか、いや、今はそれよりも励ます方が先か、なんてことを。


 佐山はおれが何か喋ろうとしているのに気づいたのか、軽く首を傾げて待ちの姿勢になった。

 急かしたりせず、ゆったりした空気を作ってくれた佐山に心で感謝しつつ、口を開く。


「来てくれるといいな、友達」

 取捨選択の結果、言えることがこれだけになってしまったが、とりあえず目を見てしっかりと伝える。

「うんっ」


 佐山は両頬を盛り上げ、大きな笑顔を見せた。どうやら、言葉の選択を間違ったわけじゃないらしい。

 少しだけ安心すると同時に、佐山のほっぺたには楽しそうなことがたくさん詰まってそうだなあ、なんてことを思った。

 招待券をしばらく見つめたあと、佐山はそれを大事そうにクリアファイルに挟んだ。


 折角クラス全員が集まっているんだからと、このあとはホラーハウスの準備時間になった。モンスター達の衣装が完成したらしく、お披露目会が開かれている。


 案内係の執事服もできた。自分の見てくれにこういった服が似合うと思えないので具体的な感想は省略。とりあえず着心地は悪くない。

 衣装を作ってくれたのは家庭科部で、藤本が熱心に頼み込んだらしい。きっとモテ男の力をフル活用したんだろうなと思う。

 羨ましいとか妬ましいを通り越して、ただただすごい。世渡り上手ってのはこういうことか。


 大道具もかなり完成に近づいてきた。ペンキの臭いをさせている背景のベニヤ板が所狭しと並ぶ。大道具係の一樹は、少し離れた位置から自分の担当した背景を眺め、満足そうに頷いていた。



 文化祭は、思ったより普通の足取りでやってきた。


 当日は布団から出られないんじゃないか、緊張のあまり腹でも下すんじゃないかと我ながら心配だったが、いざ当日になってみると普通に起きて普通にメシを食ってた。

 家にいる間は、文化祭に参加してることが両親にバレないように必死だったから、それが功を奏したのかもしれない。


 前日の夜、居間にいるときに一樹から電話がかかってきたのには焦った。

「明日って何のこと?」とかーちゃんが珍しく口に出して訊ねてくるもんだからさらに焦った。何とかごまかせたから良かったけどさ。


 くそ、一樹め。こうなることを狙って、わざと電話してきやがったな。おれに多大なストレスを与えた罰は、屋台のたこ焼きであがなってもらうぞ。



 何か準備し忘れていることがあっては困ると、いつもよりも早めに登校する。学校は、すっかり別世界になっていた。

 校舎はカラフルな装いになっておれを出迎えた。

 壁、天井、窓。あちこちに色紙で作った鎖状の飾りがぶら下がってる。他にも垂れ幕やらポスターやら立て看板やらが所狭しと並んでいた。


 おれだって昨日準備を手伝ったんだから、学校がこうなってるのは当然知っていた。それなのに、何だか新鮮に見える。飾りのひとつひとつはショボくても、まとめて飾られると壮観だ。


 とりあえずホラーハウスの様子を確認したところ、表も中も計画通りに設営されていて、おかしなところはなさそうだった。ちゃんと怖そうにできてる。

 おれと同じように様子を見に来た奴も結構いて、無意味に背景の板に触ってみたり、看板の位置を直したりしていた。

 落ち着かないから、とにかく何かしていたいってところだろうか。おれだって結局、そういうことなんだろうな。



 ホラーハウスの参加者が全員集まると、最終打合せを行った。

 モンスター役や小道具の係は必死に手順を頭に叩き込んでいたが、おれはと言えば、頭から覚えたことを追い出すのに必死だった。

 ふざけてるみたいだけど、真面目にやったら余計ミスするからな。無意識のおれ、後は頼んだ。

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