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第四章「行こう、今すぐ」3

 初練習の大失敗のあと、おれは家で自主練習をしまくった。しかし努力もむなしく、効果は全く出なかった。


 一人でいるときは途切れずに喋れるのに、学校で皆の前に出ると、セリフを噛んでしまうんだ。

 本番は暗がりだから、人の視線なんて感じない、大丈夫だ。そう自分に言い聞かせても、やっぱり緊張感をおれから引き剥がすのは難しいらしい。

 むしろ緊張感がおれの本体なのか、と苦悩していたときだった。


「流森くん、考えすぎちゃってるんじゃないかなあ?」

 佐山が頬に手を当て首を傾げ、うーんと一回唸ってからこう言ったんだ。


「セリフは多分、完璧に覚えてると思うんだよ。だから上の空ーってくらい頭を空っぽにしてたら、かえって間違わないんじゃないかなあ」


 なんだって。そんな無茶な。

 上の空って、客に対して不真面目すぎやしないか。そんなんでいいのか。

 始めは佐山の意見に腰が引けていたおれだったが、実践してみたところ、これが意外にも効果ありだった。

 何も考えないってのは、やろうとしても難しい。けどよく考えたら、人前で緊張して頭が真っ白になっている状態こそ、頭が空っぽってことじゃないかと気づいた。


 要するに、テンパったならテンパったまま喋り出すってことだ。

 最初は上手くいかなかったが、何度も練習を繰り返すうちに止まらずに話せるようになってきた。

 最初の一言さえ口から出れば、あとは無意識下の自分が勝手に喋ってくれるみたいだ。無茶苦茶だが何とかなるもんだ。


 おれはやった! 珍しく逃げずに、目の前の壁を乗り越えたぞ!

 ……と、素直に喜んだのが半分。もう半分は、少し複雑な気分だった。

 考えると駄目になるってなんだよ。普段意識してるおれは無意識のおれにボロ負けで、役立たずだってことなのかよ。意識下のおれ可哀想すぎるだろ。と自分の脳に対して愚痴っぽくなったりしていた。


 まあ五分後には、そんな考えは投げ捨てたけど。

 せっかく上手くいってるんだから、余計な事考えるのはよそう。ごちゃごちゃ考えてると、また緊張感がおれの頭に帰宅しちまう。


「佐山、本当に助かった」

 おれは的確なアドバイスをくれた佐山に、感謝の意を伝えて頭を下げた。

 すると彼女は両手を顔の前に出し、ぶんぶんと音がしそうなほど振った。手だけじゃなくて首も振ってた。人間扇風機みたいだ。そばにいるとちょっと涼しい。


「そんな、大したことしてないよ。頑張ったのは流森くんだもん」

 おれも自分の意見を示そうと、首を振ってみた。扇風機にはなれそうもないけど。


「いや、おれだけだったら、どうすればいいかわからなくて、まだ落ち込んでたと思う。気持ちがボコボコにへこむところが、ポコくらいで済んだ……と思う」

「ボコボコがポコ! ポコかあ。ふふふ」

 佐山は口を押えて笑いながら、何度もボコとポコを繰り返して言った。「言葉の響きが気に入っちゃった」のだそうだ。


「ごめん、話がずれちゃった。えっとね、お互いさまなんだから、流森くんはそこまで気にしなくていいんだよ」

「お互いさま」


 言葉の意味が掴めなくて、おれも佐山の言ったことを繰り返してしまった。どういうことなんだ?

「私もね、緊張しやすいんだ。だから、助けてもらっちゃうこと、あるかもしれないもん」

 絶対嘘だ。

 佐山のどこに緊張という要素があるんだ。もしあったとしても、そいつらは今頃おれのところに集団移住してきてるところだぞ。


「あっ、今、信じられないって顔しましたね?」

 思ったことを何一つ口に出していないのにもかかわらず、考えを見抜かれてしまったらしい。

 首を左右に動かしつつおれの顔を見ていた佐山は、何を見つけたのか、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。

 筋肉をほとんど動かせないおれの顔に、驚きの感情を見つけたっていうのか。そんな大河で砂金を見つけるみたいなことできるのかよ、いつもながら佐山ってすげえ。


「いや、佐山っていつも、誰の前でもハキハキ喋ってるから……」

「いやいやあ、本番はどうなっちゃうかわかりませんよー? 昔、すごーく緊張したことがあってね……」


 困ったように眉を下げた佐山は、小学生のとき、学芸会で緊張したことを話してくれた。何でも劇に出たらしい。主役ではないけど、お姫様の役をやったとか。

 正直、佐山の昔話を聞いてもしっくりこなかった。やっぱり緊張とは無縁に思える。

 おれのことを励まそうとして嘘をついてるんじゃないかとさえ思った。


 しかし後日、佐山の話が真実だってことが、あっさりわかったんだ。


 数日経って、放課後。掃除当番を終えて教室に戻ると、メイドがおれを待ち構えていた。

 裾の長い黒ワンピースに、あまり飾りのない白エプロンという、シックなメイド服の女子が二人。

 一瞬、間違った場所に入っちまったんじゃないかと焦ってしまった。


 落ち着いて見ると、メイドの正体は案内係仲間の佐山と吉田だった。

 そういや、受付役はそんな格好で客を出迎えるって言ってたっけ。もう衣装出来たのか? 早いな。


 さて、おれはメイド達に対して、どういうリアクションをするべきなんだ?

 衣装が似合ってるとかなんとか、褒めればいいのか? でも、おれなんかに褒められても、気持ち悪がられるだけなんじゃないか? そもそも言うのが恥ずかしいしな……


「流森くん、今、ものすごく驚いてるでしょ? これが逸香と元原くんが言ってた、フリーズ状態ってやつかあ」

 頭の中でぐるぐる考えていると、吉田が話しかけてきた。

 スカートの裾を持ち上げ、挨拶らしき素振りをしている。おれと言えば、はい大混乱中です、なんて返事をする余裕もなく、何度か瞬きをすることしかできない。


 そういえば、佐山は? 教室に入った時には確かに見たのに。

「ほらほら逸香、流森くんにメイド服、よく見せてあげなよ」

 吉田が後ろに振り返って言った。って佐山、吉田のぴったり真後ろにいたのか。全然見えなかったぞ。


「う、うん。でも……」

 様子がおかしい。佐山のこんな歯切れの悪い返事、聞いたことない。しかも自分の足元を見つめたまま、ぴくりとも動かないんだ。

 えっ、ちょっと待て。あの佐山がおれみたいにフリーズしてるってのかよ。そんな馬鹿な。


「佐山、大丈夫、か……?」

 心配になって、恐る恐る訊ねてみる。

「ちょ、ちょっと駄目かも……」

「えっ」


 佐山らしからぬ細い声に、おれは完全に焦ってしまった。

 どうしたんだ具合でも悪いのか。

 自分に何ができるわけでもないのに、両手が意味もなく宙を舞う。びっくりしすぎて、こっちの銅像状態が先に解けちまったみたいだ。


「や、やっぱり、こういう格好って緊張しちゃうよ。女の人みたいだもん」

「……えっ?」

 緊張? 佐山、緊張してるのか? 確かに緊張しやすいって言ってたけど、まさかこんなに早く、嘘じゃないことが証明されてしまうとは。


 普段とは全くの別人だ。顔を真っ赤にしてうつむいてさ。言ってることだっておかしい。

「女の人みたい」も何も、おれの認識が間違ってなければ、佐山は元から女子だと思うんだけど。


「もう何言ってるの、逸香だって女の子でしょー」

 今、おれが考えていたことそのまま、吉田が口にした。彼女は固まったままの佐山を励ますように、背中を撫でてやっている。


「うん、そうだった。そうだけど……」

「制服のスカートだって女の人の格好じゃない」

「あ、え、そっか。制服は毎日着るからあんまり意識してなかった」

「下に短パン履いてるもんねえ、逸香は。遊びに行く時もパンツばっかりだし」

 あれ、何だろう、女子の会話を立ち聞きしちゃって気まずい、みたいなこの感情は。おれ、この場にいてもいいのか?


 おれがそわそわしてるのに気づいたのか、佐山はぱっと顔を上げた。佐山センサーは不調時にも作動してるみたいで驚く。

「ご、ごめんね流森くん。違うよ駄目じゃないよ。私、ちゃんと頑張るから。スカートに負けずに頑張るから」


 おお、すでに復調の兆しが見え始めてる。さすがだ……けど、負ける対象がスカートってどういうことなんだ。神の弱点ってのは人間に理解できないもんなのか。


 そんなやり取りをしているうちに、教室の中央で役者班が打合せを始めた。おれ達は邪魔をしないよう椅子を移動し、教室の隅に陣取った。

 吉田は購買で飲み物を買ってくると言って、席を立った。佐山を落ち着かせるためだろう。

 礼を言って吉田を見送った後、佐山は大きな溜め息をついてしみじみと語った。


「そうかあ、小学校のとき緊張したのは服装のせいだったんだ。何でだろうってずっと思ってたんだ」

 昔からドレスやら長いスカートやら、女性らしい服を着ると、どうにも違和感が大きく、恥ずかしてたまらなくなるらしい。

 女子は可愛らしい服を着ると喜ぶものだと思ってたけど、違う人もいるのか。

 フリーズ状態が解けた佐山は、膝に乗せた手を落ち着きなく動かしていた。エプロンを握りしめたり、スカートを撫でつけたり。


「佐山でも緊張するんだなあ」

 ぽつりと呟くと、佐山はゆるりとした動きで頷いた。いつものようなキレがない。

「うん。ね、本当だったでしょ?」

「……聞いたときは信用できなかったけど、見たら納得した」

「信用できないってひどいなあー」

 唇を尖らせ、不満そうな様子を見せる佐山。けど、すぐに口の端をほどいて、笑みをこぼした。


「自分でもね、変なことを気にしてるなって思うんだけどね」

 確かにそうかもしれないな。けど、自分のことを振り返ってみると、人のことなど言えたもんじゃない。誰かがこっち見てるだけで頭真っ白、だもんな。


「緊張感って、自分でどうこうできないもんな」

 何か、佐山の気持ちが楽になるようなことを言ってやりたかった。けどやっぱり一樹の時と同じように、上手い言葉なんか全然浮かばない。

 結局、佐山の気持ちに同意することしかできなかった。せめてその気持ちを最大限に示そうと、大きく何度も頷いてみる。


「そうそう! そうなんだよ! 勝手に手も足も震えちゃうし、頭も真っ白になっちゃうし、もうどうにもならないの」

「じゃあ、仲間ってことか」

 口に出してから、「仲間」って単語が恥ずかしいような気がして背中がむずむずした。三年生になってから、恥ずかしい言葉をいくつも見つけてる気がするぞ。


 佐山はゆっくりと、何度か瞬きをした。目を開く度に、瞳の輝きが増していくように見えた。

「うん、仲間だね! 私も流森くんみたいに頑張るよ!」

 ぐっと両手を握りしめる佐山。動きにキレが戻ってきたみたいだ。おれみたいな奴に仲間とか言われても、喜んでくれるんだろうか。そうだとしたら、素直に嬉しい。


「とりあえずは、慣れるしかないと思うんだよ」

 今や完全に復活した佐山は、力強くそう言った。なるほど。文化祭までの間、常にスカートで行動することに決めたらしい。

 どうしても無理そうなら、その時に対策を考えればいい……ということになった。


「じゃあ、とりあえず今、出来ることがあるな」

 話が一段落したところで、ふと思いついたことを言ってみる。

「えっ、なあに?」

「佐山が教えてくれたこと。練習と楽しいことを結び付けろって」

「ああ、おいしいもの!」

 佐山が納得したように手をポンと叩いたまさにその時、吉田がジュースを持って帰ってきた。

 何というタイミングの良さ。おれと佐山は顔を見合わせて、笑った。


 今回のメイド服騒動でわかったことが二つある。

 一つは、普段師匠だ神だと崇めてる佐山も、人間だったってことだ。

 まあ、当たり前なんだけどさ。おれが勝手に信仰してただけで、本人は落ち込みもするし悩みもする、普通の女子だもんな。最近めちゃめちゃ世話になってるから、つい失念してた。


 もう一つは、いつまでも佐山に頼りっぱなしじゃ駄目だってことだ。いつも佐山に助けられているように、佐山が困ってるときは、おれが助けてやりたい。


 けど、おれも自分の不安でいっぱいいっぱいだよなあ。とりあえず佐山へお供えをして、心を鎮めるとするか。

 こうなったら都合のいい時だけ神扱いである。明日、朝イチでよくばりハムサンドを買いに行くことにしよう。

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