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第四章「行こう、今すぐ」2

 今こそ立ち上がれ。おれの気合いと平常心。普段寝てばっかりなんだから、ちょっとくらい働け。


 必死で自分に言い聞かせつつ、おれは案内係の連中の前に立った。緊張をごまかそうと、周りに目を向けてみる。


 現在、五時間目のロングホームルームだ。

 文化祭に向け、本格的な準備が始まっている。本番までにはかなり時間があるにもかかわらず、皆はすでに気合い十分だ。

 一枚の図面に頭を寄せ合い相談中の奴らや、おどかし演技を披露しあっている奴ら。二クラスが集まっている分、二倍騒がしい。


 文化祭実行委員長の藤本が、やれ衣装だ、やれ設計図だと各班の間を飛び回っているうちに、クラスの人間もやる気になってきたようだ。

 奴の「女子の叫び声が聞きたい」っていう不純な動機から始まったホラーハウスが、まさか準備段階からこんなに盛り上がるとは。

 こういうのって、火元が一人でも、だんだん周りに飛び火していくんだなあ。


「文化祭を成功させたい」という熱は、今やクラス中に広がっていた。


 その熱は、普段クラスの中心からはずれ、教室の隅っこにいるおれにも届いていた。おそらく。たぶんきっと。


 おれ達案内役は、入り口の客への対応を練習することになっていた。

 役割の名前通り、ホラーハウスがどういうところか、何をするのか、中に入る前にわかりやすく客に説明する。ついでに場の雰囲気を感じ取らせることができるとベスト、らしい。


 と言うわけで、おれともう一人の案内役の市村が、これから練習の成果を発表することになっている。客の振りをした案内役の仲間に取り囲まれつつ、ホラーハウスの説明をするってことだ。


「流森くん、落ち着いていこうー」


 佐山が、手をふにゃふにゃと振りつつ励ましてくれた。

 その不思議な仕草は、これくらいリラックスしていろ、というメッセージだろうか。

 気持ちはありがたく受け取るが、緊張のため全身が固まっちまって、佐山みたいに軟体生物のような動きはできない。むしろ堅い殻に覆われてる蟹かなんかになった気分だ。


 しかし、やらなければ。この練習を乗り越えれば、緊張感だって乗り越えられるはず。

 おれは何とかうなずいて見せ、手にしていたメモを机に置いた。メモには、これから述べる口上が書き込まれている。何度も見て暗記していたせいか、すでに紙はボロボロだ。


 メモがこんなになるほど練習したんだ。多少あがってたって大丈夫なはず。自信を持て。

 おれは、今にも逃げ出しそうな気合いと平常心を何とかつなぎ止め、勢いよく席を立った。

 ところが、想像していたのと違う光景が広がっていたため、そのまま動きが止まってしまった。


 観客が増えてる。

 さっきまで、おれを見守ってたのは案内役の三人だけだったのに、藤本、一樹、それに江見と棚橋までいる。

 しかも「忙しい中、わざわざ見に来てやった」なんて大層なことを言いつつ、にやけてる。あれはおれが噛んだり言い間違えたりしたら、一斉に指さして笑うつもりだ。

 人の決死の努力を娯楽に活用するなと言いたい。


 観客が四人も増えたことで、もともと無きに等しかった平常心がぐらついた。

 動悸息切れっぽい症状まで出てきたぞ。大丈夫なのか、おれ。『七人の視線を浴びたから』などというささやかな理由で、命を落としたくはないんだ。


 せっかく覚えた説明の台詞も、きれいさっぱり忘れちまった。さっきまでは「やってやる!」だった気持ちも、一気にしぼむ。


 平常心やら気合いやら記憶力やら、前向きになれそうな要素はまとめて着席しちまった。

 ついでに、おれの本体も。さっきまで座っていた椅子によろめきつつ戻り、腰を落とした。


「何も言わずに戻っちゃうのかよ!」

 うなだれるおれの後頭部に、楽しそうなツッコミがさくっと刺さった。多分一樹の声だろう。

「大丈夫? 深呼吸、深呼吸だよ流森くん!」

 続いて、佐山がそう言いつつ、駆け寄ってきた。おれのすぐ横にしゃがみ、自ら大きく深呼吸してみせる。見本通りに何度か息を吸って吐くと、ちょっと落ち着いてきた。


 佐山の反応を見て、周りはやっと、おれが緊張していたことに気づいたみたいだった。一樹は最初からわかってただろうけど、あいつはどっちにしろ、人を指さして笑ってるだけだな。


「流森、そんなに緊張するタイプなのかー。ふうん、対決ネタに使えるかなあ」

「あ、俺もそれ思ってた。話し始める前に何回着席するか賭けるのはどう?」

 江見と棚橋も、人をだしにして楽しそうにしていやがる。おいそこの対決コンビ、人の弱点を対決に利用するのはやめろ。やめてください。


 気がつけば、限りある練習時間をおれ一人で大分消費してしまっていた。

 おれは慌てて皆に頭を下げ、真っ白になった頭にもう一度台詞を叩き込もうと、メモを両手に、再暗記を始める。

 皆は「気にしなくていいよ」と口々に言って笑ってくれたけど、うーん、練習初日からこれじゃ、先が思いやられるよなあ。


「でも、困ったなあ。どうすれば緊張ってほぐれるんだろ」

 腕組みをして、左右に揺れながら佐山が悩んでいる。おれも当事者として、なにか対策を考えなければ。しかし口をついて出てきたのは、


「そうだなあ……おれが喋ってる間、皆、後ろ向いててくれると助かるんだけどな」

 などという、全く解決にならない呟きだった。それが何故か受けたらしく、みんな一斉に吹き出した。

「人に後ろ向けって、お前の発言が一番後ろ向きだよ!」

「暗がりの中、人が列をなして後ろ向きに歩いてくるのか……客のほうがホラーだな! まあ、ある意味面白そうだけどね」

 笑い声の合間に、一樹や藤本から意見を頂戴した。ごもっとも。


「あっ」

 そのとき、佐山が何かに気づいたように声を上げた。

「でもさ、本番の会場は暗いはずだよね。お客さんに見られてるかどうかなんて、あんまりわからないんじゃないかなあ?」


 ……そうか、盲点だった。

 本番では、こんな明るい場所でやるわけじゃないんだ。そりゃそうか。

 こんな日の光が射し込む場所じゃ、ホラーな雰囲気なんて出ないよな。なるほど、周りが暗ければ、これほど人の視線が突き刺さることもないだろう。ナイス暗闇。ナイスホラーハウス。


 そしてナイス佐山。おかげで気持ちが楽になった。もう大丈夫だ。おれは案内の練習を再開するとみんなに告げ、立ち上がった。


 最初の一言も、今なら思い出せる。早く言って、早く楽になるんだ。おれは息を吸い込み、第一声を発した。

「皆様、ようこそお越しくださいましゃ……」

 ……噛んだ。


 ようやく言えたと思ったら、今度は噛んだ! 再び口を開いたものの、滑舌悪すぎ、どうしても語尾を噛んじまう。おれの初練習はぐだぐだ、心は折れきってる。

 難関は大体クリアしたと思ってたのに、まだ対処すべき事があったのかよ。

 誰か今すぐ、おれに布団セットを持ってきてくれ。もう何も考えずにくるまっていたい。



 練習の成果を全く発揮できなかったおれは、意気消沈してうなだれて……はいなかった。

「みんなで、アイス食べにいかない?」

 という食の追求者・佐山の提案により、案内係と野次馬たちは放課後、学校近くのアイス屋にやって来たんだ。佐山、一樹と三人で食べ歩いてたときに比べると、ずいぶん大所帯になった。総勢八名。


 うなだれてはなくても、やっぱり練習のダメージが残っていたらしい。

 みんなが思い思いのアイスを手にして雑談を始めても、おれはまだ何を買うか決めかねて、メニューの前でぼんやりしていた。


 つい、さっきの失敗に考えが戻っちまう。

 注意力散漫なときに食べ物を持つのは、おれにとっては危険な行動だった。

 何せ、一度に二つ以上の行動ができないんだから。溶けたアイスで手や腕がべとべとになっているのが容易に想像できる。


 周りの連中を見ると、ヘコんでいるおれとは違って、皆、通常運転だ。

 江見と棚橋は、ストロベリー味とチョコ味のアイスはどっちが強いか、などとおれの理解を超えることを議論している。

 マイペースな市村は、いち早くアイスを手にしてひたすらかじってる。図体がでかいので、アイスがすごく小さく見えた。

 藤本と一樹は店内の首振り扇風機の前に陣取り、「暑い」を繰り返し呟く機械になっていた。


 佐山は暑さにめげず、品定めをするのに真剣勝負だった。

 購入候補をやっと三種まで絞り込んだところで、隣にいる吉田からの「これ前に食べておいしかったよ。あっ、これもこれも」というおすすめ攻撃を受け、候補の再選考を強いられている。負けるな師匠。


 しかし、悠長にアイス食べてていいんだろうか。

 他のみんなは上手くやってるのに、おれだけ失敗ばかりだ。


 でもまあ、当然の結果なのかもしれない。

 おれが文化祭やら発表会から逃げ回っていたとき、みんなは正面からそれに取り組んでたんだ。

 緊張でガチガチになることがあっても、逃げずに立ち向かってたんだよな。そりゃ、おれとは経験値が大違いってことだ。


 人前で何かすることから逃げてきたツケが今、回ってきちまったのかもしれない。

 あれ、やっぱり一人で居残って練習したほうが良かったんじゃ……


「流森くんは、どれにするか決めた?」

 声をかけられ顔を上げると、佐山の笑顔があった。

 最終選考は終わったようで、苺のコーンアイスを手にして満足げだ。


「いや……アイスじゃなくて、さっきのこと考えてた」

 つい、素直な気持ちが出た。

 佐山が楽しそうにしてるところに、水を差すようなことを言っちまっただろうか。

 でももう遅い。佐山の自然体につられて、おれまで自然体だ。ただし、佐山と違ってネガティブ増し増しだけど。


「さっきのこと?」

「さっき失敗したこと。案内係の練習、居残ってやればよかったかなって」

 佐山の質問に、途切れ途切れではあるけど、なんとか答えた。

 失敗してヘコんだこと、うまいものを食ってる場合じゃないのでは、と思ってることを、何とか伝えられた、はずだ。


 佐山はいつものように、真剣に聞いてくれていた。

 そして、どう返事をしようか考えているのか、神妙な表情でうつむいた……が、次の瞬間には、手にしたコーンアイスを握りしめすぎてダメにしそうなことに気づいて驚きおののいた。

 そしてアイスに慌ててかぶりついたものの、一口の分量が多すぎて口の中が冷たくなったのか、しばらく口を押さえてぶるぶると体を震わせていた。

 非常事態というか、ある意味いつも通りの平和な日常というべきなのか。


 しばらくして落ち着いた佐山は、心底すまなそうに「ごめんね」と謝ったけど、いや、謝ることはない。無料で師匠のリアクション講義を受けられたと思えばお得ってもんだ。それより、冷たいアイスを詰め込んだ口の中は無事なんだろうか。

 口の辺りで手を動かしているのを見ただけで、おれの言いたいことに気づいたのか、佐山は気恥ずかしそうに笑って首を振った。


「あっ、口は大丈夫だよ。おいしかったから何の問題もないよ! ご心配おかけしましたー」

「そうか。良かった」

 うまさとは、あらゆる困難をクリアしてしまうのか。さすがは師匠……なんて感心していると、佐山はふっと真面目な顔になり、口を開いた。


「ええと、それでね、話の続きなんだけど……流森くんは『うまいもの食べてる場合じゃない』って言ってたけど、こういうときだからこそ、しっかり食べていいんだと思うよ」


 全く予想外の言葉だった。

 えっ、そんなんでいいのか? 今みたいに、自分を甘やかしてていいんだろうか。


「失敗したことが、辛いって気持ちと結びついちゃったら、やる気が出なくなっちゃうでしょう? それより、練習した後にアイス食べたりして、練習を楽しいことと結びつけられたほうがいいと思うんだ。そうしたら、次の練習するときも緊張とか不安が減って、いい結果が出そうだもんね」


 そういうものなのか。

 楽しくって言っても、ただラクをするってわけじゃないんだな。

 気持ちを前向きにするために、努力するってことか。なるほどな。セルフコントロールって奴だな。


「危なかった。さっきの練習の経験が、案内役コワイって気持ちに結びつきそうになってた」

 安堵の息を吐きつつ言うと、佐山は少し慌てたように、おれを両手で押す仕草をした。

「良かった間に合った。じゃあ早く、流森くんのアイス選ぼうよ! 案内係の練習をしたらおいしいものが食べられるって、心に教えてあげなきゃ。早くいこう!」


 そうだな。楽しさを体と心に叩き込むには、やっぱり……

「一番好きなヤツ、食べようかな」

 佐山の満面の笑みが、おれの呟きに答えた。


 佐山には、本当にいつも助けられてるな。

 師匠、救世主、カウンセラー。もうあとは神様にまで到達しそうな勢いだ。

 これはもしかして、毎朝佐山がいる方角に向かって拝んでおいたほうがいいのか。お供え物はよくばりハムサンドで決まりだな。


 そんなことを思っちまうのは、佐山が「アイスで気晴らし」のアドバイスだけじゃなく、更なる問題解決の糸口を見つけてくれたからだ。

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