第三章「こんなモテ期はいやだ」6
おれはまず「ごめん」と藤本に頭を下げた。
「おれは人前で喋るの苦手だから、そういうのやったらぐだぐだになる。皆の足を引っ張るだけで、クラスの利益にはならない。と思う」
できるだけ聞き取りやすいように、けど口を挟まれないよう、一息で言い切った。
おれの渾身の「断る」は、奴に効果があっただろうか。
確かめるために顔を上げると、藤本はさっきと変わらない、朗らかな笑顔でうなずいていた。
「ふーん、でもお客さんにはわかんないよ。それにさあ」
全然効いてねえ!
どうしてあっさり流すんだ。おれは藤本が求めてる冷静な人物じゃないんだぞ。
困った。自分の意志が全然伝わらない。と言うか、聞く耳がどこにも見あたらない。そんなおれのもどかしさになど気づく様子もなく、藤本はまだ話し続けていた。
「今日だけじゃないよ。流森くんの沈着ぶり、俺、見たもんね。二年の時、クラスでゲームやったじゃん。シュークリームでロシアンルーレット」
……やったな、そんなこと。二年生の冬休み前にクラスで、クリスマス会っぽいことをやったんだっけ。文化祭と違って、こっちはサボることはできなかった。授業時間を使ってたからな。
ゲームの内容は、数個あるシュークリームの中に一つだけワサビ入りのものがあって、誰がそれを食べたか当てるっていう遊びだった。
リアクション下手な人間にとって、これほど苦痛なゲームもない。ワサビ入りが回ってきませんように、と心の中で念仏のように唱えていた。
で、まあ、そんなときに限って大当たりをするわけだ。
ワサビの威力は想像以上にすごかった。焼け付く舌に七転八倒、鼻も突き刺すような痛みに襲われる。
しかしおれの苦しみは、外側からは全くわからなかったらしい。ワサビ入りをおれが食べたと言い当てた奴はいなかった。
思いっきり場がしらけてたんじゃないだろうか。そのときは舌が痛くて、周りを見てる余裕なんかなかったんだけどさ。
そんな思い出したくもない過去を、藤本は目を輝かせながら語っていた。
「あんな辛いもん食って表情が変わらないとか、すごすぎるよ。ホラーハウスでもさ、ああいう感じで、すぐ近くで客が悲鳴上げてるのに動じもしないで、淡々と説明してる執事がいたら、いい感じだと思わない? 流森くん、絶対向いてると思うよ」
驚いた。自分にとって、クリスマス会のことは恥ずかしく、情けないことだった。しかし反面「すごい」と感じ、文化祭に活用できる、なんて考える奴がいる。
これまでのやりとりで、おれが話下手だってわかりそうなもんなのに、それでも藤本は「向いてる」なんて言う。
どういうことなんだ。わけがわからなすぎて混乱してきたぞ。
しばらく黙っていると、藤本を呼ぶ声が聞こえてきた。教室の真ん中で打ち合わせしている奴らが、文化祭実行委員に用事があるらしい。
「じゃあ、しばらく考えてみて。頼むな」
おれの肩をぽんと叩き、藤本は爽やかな笑顔とともに去っていった。
いや、行ってしまったと思ったら急に足を止め、振り向いた。
「流森くん、やっぱそのまんまなんだなあ。いいな」
肩越しにのんびりと言い、藤本は今度こそ立ち去り、集団に溶け込んでいった。
何だったんだ、あれは。
無茶な勧誘をしてきたと思ったら、最後にわけのわからないことを言い残していった。一体何なんだ。
おれのことが「そのまんまでいいな」ってどういうことだよ。
もし自然体って意味なら、おれより藤本のほうがよっぽどそのまんまに見えるぞ。
それに、おれ達二人を比べたら、百人が百人藤本が「いい」って言うに違いないだろ。明らかに言ってることがおかしい。
まあ、何にしても……
「お疲れ」
緩みきった口調で一樹が言った。返事をする余力もないおれは、ただうなずいて机に突っ伏す。
何にしても、藤本の相手をしてると疲れるってことだけは、確かだ。
自分的に波瀾万丈だったホームルームが、やっと終わった。
藤本のしゃべくり攻撃に疲れ果て、チャイムが鳴っても呆けていたおれを机から引きはがしてくれたのは、我が師匠・佐山逸香だった。
いや、正確には師匠の腹の音、と言うべきか。
佐山の足音が近付いてきたとき、机に突っ伏していてもすぐに彼女だとわかった。
ダンスのステップでも踏んでるみたいな、いかにも朗らかさを体現してますって歩き方なんだよな。
話し方で朗らかさを演出するより、足音でそれをする方が難しいんじゃないかと思うのに、あっさり成し遂げてしまうとは、師匠の自己表現スキル半端ねえ。
おれなんて、朗らかさや明るさからは程遠いものしか表現できないぞ。
コミュニケーションの第一歩は笑顔だ、ってことで、鏡に向かって笑顔の練習をしてみたことがあるんだけど、そりゃもうひどいもんだった。目を細めて頬を盛り上げていても、とても笑顔には見えないんだ。
好感度じゃなくて、不快度や呪われ度がダダ上がりしそうな顔に見えた。簡単に言うと気持ち悪かった。泣ける。
もしホラーハウスの案内役になったとしたら、客に笑いかけたりしなくても、淡々と説明してるだけでいいんだろうか。
藤本はそんな風に言ってたけど、さすがにずっと仏頂面してたら客が引くんじゃないのかな。
……いや、ちょっと待て。「もし」も何も、おれは案内役を引き受けたりしてないのに、どうして不要な心配をしてるんだ?
慌てて考えを頭から追い出そうとしていたとき、「きゅー」と、可愛らしくもやけに響く音がした。
「あれっ、話しかける前に、お腹が先に喋っちゃった」
続いて、佐山の申し訳なさそうな声が聞こえた。
弟子としては、こういうときに師匠がどんなリアクションをしているのか、見逃すわけには行かない。
気力を振り絞って見てみると、佐山は頭から引っ張られたみたいに伸び上がっていた。顔は真っ赤で、つま先立ちの足はぷるぷる震えている。
どうしよう、リアクションの意味するところが全くわからない。不肖の弟子にはレベルが高すぎる。
思い切って何をしてるのか訊ねてみると、
「恥ずかしいから、お腹の音が鳴らないように頑張っている」のだそうだ。
どっちかって言うと腹の音より、今のポーズが恥ずかしい気がするんだけど。それに効き目なんてあるのかなあ。
直後、無情にも佐山の腹は再び「きゅー」と鳴いた。
果たして、効果は全くなかったようだ。
「うわあ、もうちょっと待ってて。教室に帰ったらパンあげるから」
なだめすかす彼女に反抗するように、またもや「きゅー」。
絶妙のタイミング。まるで、小動物が彼女の腹の中にいて、会話してるようだった。
そのことを指摘すると、佐山は「小動物って、ハムスターみたいなのかなあ。なんかお腹の音がかわいく思えてきた!」と、腹をさすりつつ夢を膨らませ始めた。
師匠が腹の虫とも会話できるとは知らなかった。佐山の隠された実力を目の当たりにしてしまったぞ。まあ、これはコミュニケーション能力とは、ちょっと違う気もするが。
佐山を見てたら、何か気が抜けた。ついでに、疲労感も抜けてったような気がする。
とりあえず、机にへばりつく作業は終わりだ。
席を立ち、一樹と佐山と並んで歩く。三人で「腹の虫が見えるとしたら、一体どういう姿形をしているか」という議論を交わしつつ、自分たちの教室へと向かう。
移動中、近くを歩いていた藤本がちらりとおれを見てきたが、話しかけては来なかった。
ただ、余裕な笑みを寄越してきただけだ。その「だけ」ってのがまた、新たな精神攻撃を仕掛けられてるみたいで嫌なんだけど。それに女子ならともかく、おれには効果はないぞ。笑いかけられても気色が悪い。
老若男女問わず気持ち悪がられるであろうおれの笑顔よりはましだけどな。
自分の教室に着いて数分、先生の話を右から左へと聞き流しているうちに放課後だ。けど、やっぱり席を立つ気になれない。
戸口に吸い込まれていくクラスの奴らを見送りつつ、机に置いた鞄に額を押し当てる。
藤本の勧誘が、まだ頭に引っかかってる。
別に悩む必要なんかないのにな。とっとと藤本のところに行って、「やる気がないから」って、もう一度断ればいい。それだけのはずなのに、何をもやもやしてるんだ。
やる気がないってのが、本心じゃないからか?
じゃあ、おれの本心ってやつはどうなってるんだ?
ぐるぐると悩みまくっているおれの隣では、佐山がうっとりとした様子で背もたれに身を預けていた。
よっぽどパンに満足したんだろう。腹の虫も静かになり、苦しみ悩みとは無縁の極楽に旅立ったようだ。
おれもそっち側に行けたらなあと羨ましく思っていたが、彼女は次の瞬間ぱっと顔を上げ、早くも現世に戻ってきた。
「流森くん、ホームルームが終わってから、元気ないみたい。大丈夫? 何かあった?」
そう言いつつ、佐山はおれの顔を覗き込む。
前にもこんなことあったなあ。あのときの佐山は、おれの腹痛に気付いてくれた。
安心と実績の佐山レーダーは、今日も高精度だな。
おれは佐山に、さっきの出来事をごにょごにょと話し始めた。
我ながら断片的な、どうにも要領を得ない話だったけど、途中で一樹が隣のクラスからやって来て詳細な説明を付け加えてくれたので、やっと佐山が理解できるレベルになったみたいだ。
「さっきの時間、藤本くんと話してるなあと思ってたけど、案内役にスカウトされてたんだ。へえー、執事さんかあ! かっこいいねえ」
まるでおれが案内役に決定してるかのような佐山の盛り上がりぶりに、おれは慌てて首を振る。
「いや、おれにはできないって、断ったんだ」
「そうそう、断っても、藤本は全然聞いてくれなかったけどな」
藤本の立て板に水攻撃を思い出したのか、一樹が多少うんざりした顔で言い足した。
それにしても「断った」っていうと妙な引っかかりを感じるな。本当のことなのに、何でだろう。
少し考えてから顔を上げると、佐山がおれの顔をじっと見ていた。
「もしかして流森くん、案内役を引き受けるかどうか悩んでるから、元気なかったの?」
えっ?
「そう、なのか?」
ドキリとして、思わず聞き返してしまう。
「そうなのかって、自分のことだろ。て言うか俺だって聞きたいよ。慎、いつの間にやる気になったんだ?」
一樹が呆れ顔で聞いてきたけど、おれにだってわからない。
ただ、今年の文化祭は何かやってみたいって気持ちなら、最初からあった。藤本の強引な勧誘には尻込みしちまったものの、本当はずっと気になってたんだ。
断りきれない気持ちがあるから、いちいちぐだぐだ悩んでたのか。佐山レーダーの探知力、さすがだな。
「佐山の言う通りかもしれない」
おれは小さくうなずいた。
「大勢の人の前で説明したりしたことないし、クラスでお化け屋敷するのだって未経験だし、おれには無理だと思った。けど……」
一度に言えなくて、何度か口ごもる。それでも佐山と一樹は黙って聞いていた。
「けど、もし引き受けたら、今までとは違う自分になれるんじゃないかって、変われるのかなって……思って」
ここまで言って、何だか自分が恥ずかしいことを口にしてるような気がしてきた。
反応が気になって二人を伺う。佐山も一樹も、笑ったりなんかしてなかった。
それどころか、ああ、と納得したように聞いている。それは嬉しいけど、やっぱり妙に気恥ずかしい。
だからおれは、窓の外に目をやった。
焦げるような夏の日差しを包み込むような、青空が広がっていた。
別段変わったところもない、いつもの空だ。だけど見てるとなぜか、どこかへ行かなきゃって気持ちをかき立てられる。でも、どこへ?
「そうか。慎、今まで文化祭にちゃんと出たことなかったもんな。何でもいいから、とりあえず参加したいってとこか」
一樹の声に、おれは窓から視線を戻した。
「そうそう、とりあえず参加しちゃいなよ! きっと、楽しいよー。夏休みにも皆でわいわい騒ぎながら準備してさ、いつもと違う学校の雰囲気が味わえていいよ」
佐山も同調してきた。言葉を区切るごとに体を左右に揺らし、リズムに乗っている。準備が始まる前からすでに楽しそう。
二人の超ノリノリな反応にちょっとあせったおれは、最後の抵抗を試みた。我ながら往生際が悪い。
「いやでも、案内役って重要そうな役目だろ。もし失敗したら皆がしらけちまうだろ。そしたらどうしようって、考えないか?」
「うわあ、慎、ネガティブ全開」
一樹のツッコミにむっとしたけど、言い返すことなんてできない。悲しいくらいにその通りだもんな。つまりは失敗して、周りに白い目で見られるのが怖いだけなんだ。やっぱりおれって小心者。
「それならさ、こういう失敗をしたときはこうフォローする! って、皆で打ち合わせをしておけばいいんだよ。たとえば、説明の台詞を忘れちゃいそうなら、カンニングペーパーを誰かに見せてもらうとか。そうやって一つ一つ不安材料を無くしていけば、気が楽になると思うんだよ」
「……皆で?」
佐山はおれの中に陣取っていた不安の駒を、いとも簡単にひっくり返した。黒から白へ、とまではいかないけど、ちょっとだけ明るいグレーになった気がする。
「そう、みんなでフォローしあえば大丈夫だよ!」
フォローする、か。
そんな風に考えたことなかった。一人でやる仕事なら、一人で頑張らなきゃならない、失敗したら一人で責任を負わなきゃいけないって思ってたけど……
よく考えたら、文化祭の出し物って集団でやることなんだから、協力しあうのが当たり前なんだよな。
なるほど。新しい世界が見えた気がする。
もし、ここで勇気を出して引き受けると決めたら、中学生活最後の夏が変わるんだろうか。それに、おれ自身も変われるんだろうか。
ふと、小石が跳ねる音が聞こえた気がした。
テストが終わって、佐山、一樹と三人で石けりをしたときの、軽やかな音だ。
あのとき、夏が始まる予感にわくわくしてた。
文化祭に参加したら、予感じゃなくて、本当に夏が始まりそうな気がする。
ああ、そうか。
おれは、浮き足立った奴らと浮かれたことをしたかったんだ。
皆で同じことをして、同じものを見て笑いあったりしたかったんだ。たとえくだらないことでもいい。石けりだって十分楽しかった。
本当はそういうことができる場所に行きたくて、ずっとむずむずしてたんだ。
よし、決めた。
おれは立ち上がり、佐山と一樹に宣言した。
「おれ、藤本に言ってくる。案内役引き受けるって」




