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第三章「こんなモテ期はいやだ」4

 考えごとが終わったころ、隣で佐山が「今日のお弁当はハンバーグ」なんて歌っていた。


 それで思い出した。佐山にカウンセラー代を渡さないと。

 と言っても、もちろん現金で支払うわけじゃない。

 おれは机の横にかけてあった袋を取り、佐山に差し出した。


 佐山はその袋がパン屋のものだとすぐ気づいたらしい。羨望の眼差しで、「ワカミヤ寄ってきたの?」「流森くんのお昼ご飯?」と矢継ぎ早に質問をしてきた。


「いや、佐山にやる。話聞いてもらったお礼に」

 そのパンはチョコレートと、何かカラフルなブツブツでトッピングしてある、甘党向けのパンだ。

 前に佐山が好きだと言ってるのを聞いたんだ。幻の限定パンで、なかなか手に入らない、ってことも。


「え、私にくれるの? ほ、本当に?」

 声を出すと同時に、佐山は椅子から跳ねるように立ち上がった。運動部からスカウトが来そうなくらい、いい足腰のバネだ。


 最近では、佐山のオーバーリアクションを一日一回見なければ物足りないような気さえする。とりあえず、今日は朝から拝めたぞ。


「うわあ、これ、私の好きなやつだ! 放課後買いに行っても、いつも売り切れなんだよね。ありがとう、流森くん! 嬉しいよー」

 お金を払う、と財布を出してきた佐山を何とか押しとどめる。


「じゃあ、今度食べに行ったときにおごるね」という結論を出した佐山は、大げさに礼を言うと、パンを宝物のように机にしまった。

 佐山にとっては、ワカミヤのパンは本当に宝物なんだろうな。


「今日のロングホームルームが長引きそうだから、お腹空くだろうし、放課後に食べようかなあ」

 佐山の発言に、おれは首を傾げた。ロングホームルームって、今日は何するんだっけ?

「ほら、夏休みが明けたら文化祭があるでしょ? 今日はその打ち合わせがあるんだよ」

 例のごとくおれの疑問を読みとった佐山は、明快な答えをくれた。


 ああ、なるほど。文化祭、夏休みが明けてすぐだもんな。まだ先だと思ってたのに、もう準備を始める季節か。

 過去二年間、ろくに参加してなかったおれには、あんまり関係なさそうだけど。


「おはよう、逸香」

 いきなり、後ろから声がしたのでびっくりした。

 このちょっときつめな声は、以前おれのことを「感じ悪い」と言っていた、大沢サキだ。


 しかもあれ以来、大沢はおれのことを、不審人物を見つけた番犬のような目をして睨んでくるんだよな。

 おれが佐山をいじめたりしないか見張ってるんだろうか。何か下手なことをすれば、きっと吠えられるだけじゃ済まないんだろう。ああ、恐ろしい。


「サキちゃん、おはよう」

 返事をした佐山に続いて、おれも挨拶をすることにした。苦手な相手とも、きちんと挨拶をする。これがコミュニケーションの第一歩だ。


「おはよう」

 おれの挨拶に、大沢は微妙に首を動かして答えた。返事はない。これって、半分無視されてるんだろうか。どうしよう、第一歩目からつまずいてる。


「あのね、流森くんがパンくれたのー」

 番犬と容疑者の微妙な空気は意に介さず、佐山はパンの袋を大沢に見せびらかした。

「えっ」

 大沢が意外そうな声を出した。そして怪訝な目でおれを見る。何か、彼女の中で葛藤が起こってるようだ。


「それ、逸香好きだよね」

 大沢は不意に柔らかい口調で言うと、パンを指さした。

 うん、と大きくうなずく佐山に、大沢は笑って見せた。

「良かったね」


 その直後から、大沢のおれを見る目が、少しだけ穏やかになったような気がする。

 理由はわからないけど、佐山の好物を買ってあげたおれは、悪い奴ではないかもしれない、と認識されたのかもしれない。

 パン一つで考えを変えるとは、大沢から見たおれは、どれだけ悪そうな人間だったんだよ。


 まあ、よしとしよう。

 斜め後ろからの、噛みつかれるような視線に脅えなくても済むなんて、素晴らしすぎる。これで心安らかに過ごせるぞ。


 教室での精神的平和を手に入れて、おれはご満悦だった。

 けど、その平和はあまりに脆く、儚かった。

 昼からのロングホームルームの時間を境目に、おれは大沢に睨まれるよりもっと、落ち着かない日々を過ごす羽目になる。



 去年の文化祭。おれのクラスの出し物は、有志による合唱だった。

 人前に出るのが苦手なおれは、当然のように不参加。


 文化祭当日は、一樹と二人で模擬店辺りをぶらついてたと思う。

 そこそこ楽しくはあったけど、これじゃ神社の縁日とそう変わりない。年に一度のイベントだという実感は全くなかった。


 一年の時はバザーだったが、これも参加したとは言えない。家にある不要品をちょっと持ってきただけだからな。

 当日は愛想のいい奴を並べて店番をさせていたから、これまた出番は全くなかった。

 愛想がいいくせに、上手く店番からすり抜けてきた一樹と連れだって、やっぱりその辺をぶらぶらしていた。


 過去二年間の経験から、文化祭とは、何となく始まって何となく終わっていくものなんだ、という結論に至った。しかも今年は三年生。受験を控えた年だ。

 今年の文化祭も、おれの中で盛り上がることはないまま過ぎ去ってしまうんだろう。そう思っていた。


 五時間目のロングホームルームが始まる直前、教室に担任がやってきて、特別教室に移動するように、とクラス全員に告げた。

 詳しい話は聞かせてくれなかったので、みんな一様に首をひねりながら廊下に出る。


 隣のクラスの奴も同じように廊下に出て、同じ方向に歩いていたから、どうやらおれ達と同じ指示を受けたらしい。

 二クラス一緒に、先生の話でも聞くんだろうか。文化祭の打ち合わせをするんじゃなかったっけ?


 隣のクラスには一樹がいたので、廊下で合流し、話しながら目的地へ向かう。

 歩きながら話すってのは、実はかなりの高等テクニックだと思う。

 佐山、一樹と食べ歩きしてるせいで、最近では慣れてきたけど、何かにぶつかったりしないか、蹴躓いたりしないかが怖くて、気を配らないといけないから大変なんだ。

 時々、どっちの足を動かせばいいかわからなくなってフリーズしちまうしさ。

 世の話し歩く人々は、よく毎日怪我もなく、無事に過ごしているものだと感心する。


「二クラス集めて、何するんだろうな」

 喋ってる間に人にぶつからないよう、前方に注意を払いながら、一樹に話しかけた。


 できるだけ自然にしていたつもりだけど、一樹には「あんまり前の奴の後頭部をじっと見つめて歩くなよ。また怖がられるから」と笑いをこらえた声で言われた。

 どういうことだよ。どっちかっていうと、怖がってるのはおれの方だぞ。

 人を笑い者にして気が済んだらしい一樹が、遅れ馳せな返事をよこした。


「さあ、わかんないけど、うちのクラス、知らない間に藤本が文化祭実行委員に立候補してたらしくてさ。先生の代わりに張り切って指示出してた。何か計画してるんじゃないかな」


 おれの知ってる名前が出てきた。

 藤本とは、去年おれ達と同じクラスだった奴だ。ちなみに、さっきの「もし女子にモテたらどうなるか」で参考にさせてもらった、あのモテ男である。


 藤本の奴、そんな面倒くさいことをあえて引き受けるなんてすごいな。今よりさらにモテちまうんじゃないか? おまけに男子からのやっかみまで倍増しそうだ。


「ふうん。まあ、おれにはあんまり関係ないだろうけど」

「ほらまた、厄介ごとから逃げようとしてる」

 そうツッコんできた一樹のほうが、厄介ごとからの逃走速度が上だと思う。

 おれの場合、周りの人間が近寄ってこないから、そもそも厄介ごとを頼まれる機会が少ないんだよな。喜ぶべき事なのか悲しむべき事なのか、判断が難しいところだ。


 特別教室に着くと、すでに席に着いてる奴らが騒いでいた。

 皆、いつもよりテンションが高い気がする。二クラスまとまって教室にいることが珍しいからかな。


 おれと一樹の後ろに座っている江見と棚橋は、どこにいようが変わらず、二人の世界で戦ってるけど。

 今は消しゴムを指で弾いて、紙の上のゴールに入れる対決をしてるらしい。時々おれの背中にとばっちりが飛んでくる。


 斜め前に座った佐山は、隣のクラスの友人との再会を果たしたようだ。嬉しげに挨拶を交わしたあとは、頭を寄せ合い、紙に落書きを始めた。

 あんまり楽しそうに描いてるものだから、気になってちょっと覗いてみる。


 よく見ると、字ではなくて絵だった。何やら楕円形の物体を描いている。

 何だろう。「おいしそう」なんて言ってるから、食べ物か?


「見たなあー」

 首を伸ばして見ていたとき、突然、佐山がくるりと振り向いた。

 幽霊のふりでもしているのか、おどろおどろしい口調と仕草だけど、狙った効果は全く出せていない。

 そんなふりをしてみたところで、佐山のあふれ出す陽気は隠せるはずもない。


 おれが「これ、何?」と訊ねると、佐山はおれの方を向き、嬉しそうに解説を始めた。訊いて欲しかったんだろうか。


「肉まんだよ。最近食べたんだけどさ、中にすっごいたくさん具が入ってて、おいしかったんだー。その感動を絵に描き残しているのです」


 佐山はその絵に拝むような仕草をし、うっとりとした表情になった。

 肉まんからも天啓を授かれるなんてすごすぎる。さすがは師匠だ。

 顔を近づけてじっくり見てみると、確かにそれは肉まんだった。ふわふわした質感なんか、よく描けてるな。うまそうだ。


 ただ一つ、その絵に妙なところがあるんだけど……

「何で、顔があるんだ?」

 肉まんの絵には、なぜか目と口が描き込まれていた。目は点、口は一本線の素朴な顔だ。


「肉まんがあんまり可愛かったから、描かなきゃいけない気がしたんだよ」

「可愛いと、顔を描くのか」


 疑問を口にすると、佐山は「そうですよー」と言って胸を張った。

 なぜそこで得意げになるんだ。そして、どうして肉まんを可愛いと思うんだ。全くわからない。けど、それ以上突っ込むのはやめておいた。まあ、楽しいんならそれでいいや。


 絵を眺めていると、もう一つ疑問がわいた。

 この顔付き肉まん、どこかで見たような気がするんだよな。何かのキャラクターだっけか。


 疑問の霧は数秒で晴れた。そうだ、以前図書館でおれたちの腹筋を痛めつけた、あの謎の生物、「ぷるぷる」だ。

 思い出さないほうが幸せだったかも。

 佐山に、これ似てるよな、と同意を求めようとしたけど、口に出すことはなかった。

 言えば吹き出しそうだったし、「ぷるぷる」のことは学校で言わないと約束したからな。


 込み上げるおかしさと格闘しているおれを、佐山はきょとんとした顔で見ていた。

 けど、何度かおれと絵を見比べているうちにピンときたらしい。「あっ」と声を出すと、俺と同じように手で口を押さえた。


「どうしよう、流森くん。私、この手で恐ろしいものを生み出しちゃったみたい」

 吹き出すのをこらえつつ、しょんぼりしている佐山の様子に、面白さが倍増だ。


 やりとりを聞いていた一樹も、図書館でのことを思い出してしまったらしい。

「何だこれ、あの生物がこんなところにまで襲撃してきたの?」

 と、裏返った声で言った。


 この段階で、くしゃくしゃになりそうな顔を必死で引き伸ばしていたおれと佐山の努力は、無に帰してしまった。

 おれ達三人は一斉に吹き出し、呼吸困難になるまで笑った。


 事情を知らない佐山の友人にも、おかしさが伝染してしまったらしい。「もう皆、何がおかしいのー」と、佐山の肩をぺしぺしと叩きつつ、自らも笑いだしてしまった。

 何も知らない人間まで巻き込むとは、恐るべし「ぷるぷる」。

 時を経てなお発揮される破壊力は、さすがと言うほかはない。

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