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第三章「こんなモテ期はいやだ」3

 部屋に戻ると、ホットケーキが乗った皿を片方、一樹に手渡した。


「これ、食ってから帰れよ」

「え、おばさんの手作り?」

 勢いよく上げた一樹の顔には、嬉しそうな表情が浮かんでいた。やっぱり、そこに食いついてきたか。


「そう。毎週作ってくれるんだ。土曜日、今くらいの時間に来たら、いつでも焼けてる」

 朝っぱらから押し掛けられるのは迷惑だけど、うちにいるのが楽なのなら、多少協力してもいいかと思った。まあ、土曜日じゃなかろうと、来たいときにくればいいんだけどさ。


 そんな気持ちが伝わったかどうかはわからない。

ただ、一樹は「ふうん」と真面目な顔でうなずいたあと、ホットケーキをフォークで突き刺し、上品に食べ始めた。


「うまい」


 本当か? これはホットケーキの素を混ぜて焼いただけの、簡単なものだ。

 かーちゃんは料理が上手くないことを自覚していて、決して調理法で冒険はしない。

 うまいというなら、一樹の母親の手作り豪華弁当のほうがよっぽどうまそうだ。

 おれにはこのホットケーキが何よりごちそうだけど、舌の肥えたこいつには、ちょっと物足りないんじゃないかなあ。そうぼやくと、一樹はまたちょっと複雑な表情になった。


「ああ、弁当なあ。うちの親、見た目をきれいに飾りたてるのだけは上手いんだよな。でも味は普通だぞ」

 ホットケーキが口を軽くしたのか、一樹はぽつりぽつりと話を続けた。しばらく茶々を入れず、黙って聞くことにする。


「弁当だけじゃなくてさ、外側ばっかり気にしてるんだよな、うちの親。こういうこと言ったら人がどんな気持ちになるか、なんてちっとも考えない。心方面のことは全然考えてないの。気にしてるのは、家族が他人から見られても大丈夫な服を着せることとか、俺や父親が、学校や会社で変なことしてやしないか、とかそういうことばっかり」


 ああ、一樹の母親を見たことがあるけど、見た目を気にする性格ってのはわかるような気がする。隙がないってくらいビシっとした、きれいな格好してるもんな。


「母親の友達と会うのを嫌がってても、わかってくれないんだよ。人から見られることに興味のない人間がいるってこと、理解できないんじゃないかな」

 他人事みたいな軽い口調で話してるけど、一樹の言葉の端々からは、どこか苛立ちのようなものを感じた。


 話は終わったようだ。おれたちは無言で、ホットケーキを食べる作業を再開する。

 しんとした空気に、「ここで一樹に何か言ってやれよ」と、せっつかれてるような気がした。

 友達だったら、励ましの言葉でも一発ぶちかますべきなんだろうか。


 けど気のきいたアドバイスなんてできない。大体、無理矢理ひねりだした励ましを聞かされて、嬉しい奴なんているのか?

 駄目だ。やっぱりおれにはコミュ筋が足りない。


「いや、だから全力で聞くなよ、こんなしょーもない話」

 悩んでいたおれに、一樹は言葉と蹴りで突っ込みを入れた。

 顔を上げると、奴の顔は、普段のにやけた顔に戻っていた。


 一樹、急に雰囲気が変わったな。何でだろう。おれみたいに普段から悩みっぱなしな奴を見てたら、考え込むのがバカバカしくなったんだろうか。

 一樹はホットケーキを口に放り込むたび、

「うまいなあ」

 と言った。それは嘘じゃなかったみたいだ。奴一人で三枚も平らげちまったから。


 帰り際、一樹は玄関で靴を履きながら、おれに礼を言った。

「今日はどうもな」

 何の礼だろう。突然おれん家に乱入してきた詫びなのかと聞いたら、そうじゃないと言う。じゃあ、ホットケーキに対する礼か?


「それもあるけど……違うよ。まー何でもいいや、サンキューな」


 一樹はごまかすように手を振り、行ってしまった。

 結局何に対する礼だったんだろう。おれは何にもしてないしなあ。どっちかって言うと、おれの方が一樹に励まされてた気がするぞ。

 まあ、気分転換できたんなら、いいか。

 足取り軽い一樹の後ろ姿を見ながら、そう思った。



 翌日の日曜は、当初の予定通り、昼まで眠った。寝まくった。

 目覚めたとき、大きなことをやり遂げたような気がした。が、机を見ると、手つかずの課題ノートが広げられたままだ。大きいどころか、ほんの小さいこともやってない。壮大な勘違いをしていたようだ。


 そして月曜。

 おれは隣の席に座っている、人間関係カウンセラー・佐山逸香にちょっとした相談をしてみることにした。


 学校に着くと、教室にはまだ数人しか来ていなかった。

 そのせいか、空気がいつもよりきれいな気がする。二酸化炭素が少ないからかな。気分的にも新鮮だ。


 佐山は、早くから教室に来ている一人だった。

 今までこんな時間に登校することがなかったから知らなかったけど、佐山は毎朝、教室の花瓶の水を換えているらしい。しかも、飾る花も時々持ってくるんだそうだ。


 仲良くしている近所の犬の飼い主が、いつも遊んでくれるお礼にと、庭で育てている花をくれるんだと彼女は話していた。へえー。相変わらずコミュニケーション能力をフルに使って生活してるな。

 人の少ない今、佐山に相談をするには、絶好のチャンスだ。


「あのさあ、佐山」

「んん? なあに?」


 おれが声をかけただけで、佐山はすでに上半身をおれの方に向け、話しを聞く気満々って態勢になった。おお、態度が本当にカウンセラーっぽい。

 いつになく長く話す予定なので、おれは咳払いをし、唇を湿らせ、心の準備もしっかりとしてから、ようやく口を開いた。


「友達が落ち込んでてさ、で、そいつの話を聞いたんだ」

 落ち込んでる友達が一樹ってことは、言わないでおいた。話の要点はそこじゃないからな。


「けど、特に励ましたりとかはしなかった。ただ、ちょっと一緒に遊んだりしただけで、何もしてない。なのに、友達は帰るときには元気になってたような気がしたんだ。しかも理由がわかんないけど、礼まで言われるし。えーとつまり、聞きたいのは、落ち込んだ奴が浮上する理由って、どういうものなのかってことなんだけど」


 実際には、こんなにすらすら言えたわけじゃなかった。長く話すと、最初に言ってたことを忘れちまうんだよな。

 結果、「えーと」を嫌ってほど繰り返すことになる。けど、何とか言いたいことは言い終えた。


 珍しく動かずに話を聞いていた佐山は、まぶたを動かすことさえ忘れていたらしい。

 おれが喋り終わると、「しまった、目が乾いちゃった」と言いながら、一度に数回分の瞬きをした。ドライアイには気をつけろよ、佐山。


 それから佐山は首を傾げ、自分のくせ毛を指に巻き付けた。どうやらこれは、考えごとをしているときの癖らしい。


「なるほどー、元気になる理由かあ。そうだねえ、遊んでたら気分が良くなることって、割とあるかもしれない」


 気が紛れるってことか。なるほどな。

 聞けば当たり前のように感じるけど、考えが及ばなかった。誰かが元気になる瞬間なんて、目撃したことがなかったもんなあ。


「それから、友達が話を聞いてくれた、ってところが大事だよね」

 指に巻き付けた髪をほどきつつ、佐山は他の可能性を指摘した。


「え、でも、特にアドバイスなんかしてないぞ」

「話を聞いてくれるだけで大丈夫になるってこと、あるよ」


 そんなもんなのか。首をちょっと傾げ、「よくわからない」というポーズを取ってみる。

 幸いなことに、佐山に首の筋が違ったのかと心配されることはなかった。修行の成果が出てきたかな。


「うん、聞いてもらえてるんだーって思うだけで、不安がどっかいっちゃうこと、あるもん」


「どっか」と言ったとき、佐山は何か目に見えないものを横に飛ばした振りをした。

 不安さん、さよならって意味か。さらに飛ばした後、ぱんぱんと両手をはたいて見せた。芸が細かい。

 佐山のリアクション集として、メモを取りたくなったけど、今注目するのはそこじゃない。おれは頭の中で、さっきの話の復習をしてみた。


 話を聞くだけで、楽になることもあるんだ。


 あのときの一樹も、そうだったんだろうか。でくの坊みたいなおれでも、いないよりはましってことか? だったらいいんだけどな。


 ふと思った。一樹はこの間、「全力で相手するな」って言ってた。

 けど、今の話を考えると、人の悩みを聞くときは、むしろ全力モードになってもいいような気がする。


 どうリアクションするかを考えるより、相手の気持ちを受け止めようとすることが、もっと大事ってことかな。今の佐山が、精一杯おれの話を聞いてくれてるのと同じように。


「よくわかった。サンキュー」

 頭の中の学習ノートに書き込み終えたおれは、礼を言った。佐山は「どういたしましてー」と言いつつ、同時にぴょこんと頭を下げた。


 それにしても、さっきの佐山の言葉、えらく実感がこもっているような気がしたな。佐山も、実際に話を聞いてもらって気分が良くなったことがあるのかな。


「あるよー」

 聞いてみると、佐山はあっけらかんと答えた。

「私って落ち込んでても、うるさく喋ってる方なんだけどね。友達は文句も言わずに、何時間も黙って、私の話を聞いててくれたの。うんうんって。とっても嬉しかったんだあ」

 その友達ってやっぱり、佐山の話によく出てくる、寡黙な女子のことかな。


「いつも、私の方が聞いてもらってばかりなんだ。その子も今、色々辛いはずなのに、あんまり口に出してくれなくて。私も力になりたいんだけどなあ」

 ふう、とため息をついた佐山は、体の空気が抜けたみたいに小さくなった。いや、実際縮んだりはしないだろうけど、そう見えたんだ。


 寡黙な佐山の友達と言えば、先月、図書館に行ったとき、佐山は彼女のことで悩んでるように見えた。もしかして、そのことが今でも解決してないんだろうか。


「おれは……」

 佐山から抜けた空気を何とか戻したくて、必死で言葉を探してみる。一樹のときは諦めたけど、今度はちゃんと伝えたい。


「おれは、話を聞いた友達が元気になって、良かったと思った。安心した。だから佐山の友達だって、同じだ……と思う。たぶん」


 後半、尻すぼみになってしまった。断言したほうが良かったのかもしれないけど、ちょっと自信がなかったんだ。

 佐山の伏せた目が、ゆっくりと見開かれる。おれを見たときには、もう笑顔がこぼれ始めていた。


「ありがとう、流森くん。うん、そうだといいなあ」

 ビデオを早送りしたみたいな動きで頭をかいて、佐山は恥ずかしそうな様子を見せた。

 笑って盛り上がった頬はちょっと赤くて、その部分に明るい空気が補充されたのかも、などと思ってしまう。本当にそうだったらいいんだけど。


「あれ? 私のほうが、悩み事聞いてもらっちゃってたかも」

 そう言って、佐山は弾けるように笑った。周りの空気まで変えてしまうような、いつもの笑顔だ。

 元気になったのはいいけど、今のは悩み事ってほどじゃなかったな。どっちかって言うと、おれが佐山に聞いてもらってることが多い気がする。


 いつか佐山の、本当の悩み事を聞くことがあるかもしれない。

 そのときはあたふたしないで、どっしり構えて、しっかり受け止められるような奴になっていたい。

 素直に、そう思った。


 心で密かに誓っていたとき、佐山の嬉しそうな声が聞こえてきた。

「流森くんのお友達、聞いてもらっただけですぐ元気になっちゃうくらい、流森くんのこと大好きなんだねえ」

 大好きって。江見と棚橋のときにも、そんなこと言ってなかったか?


 佐山の言う通りだとすれば、おれは周りの男子達からモテモテってことになっちまうじゃないか。汗ばむ季節のはずなのに何だろう、この寒気は。

 ここで発想を転換してみた。じゃあ、男子じゃなくて、女子に好かれるならどうだろうか。

 普通に楽しい青春を送れそうな気がするけど、どうなんだ? 前置きとして、流森がモテるわけないだろうというツッコミは、遥か彼方に飛ばしておく。


 いや、やっぱり女子にモテるのも駄目だな。二年の時、同じクラスにいたモテ男子のことを思い出し、おれはそう結論を出した。理由は二つだ。


 一つ目。女子から人気があったら、しょっちゅう女子から呼び出されたり、プレゼントだの手紙だのをもらったり、息つく暇もなさそうだから。

 ただでさえコミュ筋が疲労気味なのに、さらに無理を重ねれば疲労骨折でもしかねない。


 二つ目は、周りの男子から理不尽なやっかみを受けることになるから。

 例のモテ男は何にもしてないのに「ムカつく」なんて言われていた。そんなの悲しすぎるだろ。

 ただでさえ浮いてるのに、ますますクラスに馴染めなくなっちまう。


 なんて恐ろしい毎日だ。そんな目に遭ったら、避難用の布団が何組も必要になりそうじゃないか。

 日々の安寧と引き換えにするくらいなら、しばらくは女子にモテたりしなくていい。

 あ、もちろん、男子にもモテなくていい。こっちは未来永劫。

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