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第一章「まあ、いいか」1

 今日から六月。中学に入って三度目の夏だ。

 視界に入る色が、一気に明るいものになる。全校生徒が重苦しい色のブレザーを脱ぎ、白いシャツ姿になるからだ。


 周りの雰囲気につられてか、もしかしたらおれも明るくさわやかな方向に変われるんじゃないか、なんて思うんだけど、それは間違いなく勘違いだ。


 さわやかなのは外側の夏のシャツだけであって、それを着てる中身のおれは、洗濯されるのを待ちわびている冬服って感じがする。

 なんか湿気が多くて、カビ臭そうなやつ。さわやかさとはほど遠い、どんよりとした気持ちだ。


 辛気くさい物思いにふけっているうちに、午前中の授業が終わり、昼休憩の時間になった。

 おれはいつものように、家から持ってきていたパンとコーヒーを机の中から取り出す。そして何とはなしに周りの声に聞き耳を立てた。


 隣の席の女子は、友達と弁当を一緒に食べるために机を動かし、派手な音をたてていた。音がうるさすぎ、なんて友達に突っ込みを入れられている。

 反対側の男子は、連れと学食で何を食うか相談してる。

 どんぶり派と麺類派が競うように熱く語ってて、当分席を立つ様子がない。食いたいものが売り切れにならなきゃいいけど。


 おれはというと、今日も一人メシだった。

 ちなみに昨日も一人、おとといも一人で食ってた。その前の日は日曜だったけど、両親は仕事で家にいなかったから、やっぱり一人だ。


 一人一人って繰り返すのも、なんかヘコんでくるな。でも本当のことだ。

 三年生になってからもう二ヶ月。おれはまだ、一緒にメシを食う連れを見つけられないでいた。

 それどころか、クラスの奴とろくに会話を交わしたことさえない。言葉を発することがあっても最高、二文節ってところだ。

 二年のときは、唯一の友達が同じクラスだったから、そいつと行動してたけど、三年ではクラスが離れてしまった。


 つまり、あれだ。おれは孤独で寂しい奴なのだ。

 気がつくと一人になってる原因について、自分で自分にいろいろ言い訳をしてみたこともあった。

 言い訳その一。

 孤独じゃなくて、孤高の一匹狼なんだ。おれは誰かとなれ合うのが嫌いで、あえて一人でいることを選んでいるだけなんだ。

 言い訳その二。

 自分にはたぶん、特殊な能力があるんだ。おれが無意識に、周りの人間の生体エネルギーを吸い取ってしまうため、誰もおれに近寄れないでいるんだ。


 でも、そんな言い訳は両方とも、五分でゴミ箱に投げ捨てた。どっちも無理がありすぎる。

 言い訳その一は、やせ我慢がにじみ出ていると自分でも気づく。孤独を孤高と言い換えたところで、自分が寂しい奴なのには変わりがない。

 言い訳その二のほうは、特殊能力を持ってるって設定自体は悪くない。昼休みの暇な時間をつぶすには格好の妄想ネタだろう。


 しかしすぐに目が覚める。映画や小説で見かける能力者たちは、どいつもこいつもイケメンだとか人を引きつける性格だとか、能力以外の付加価値が必ずある。

 残念なことに、おれにはそういう要素は全くなかった。顔がいいと言われたことなんか一度もないし、人を引きつける性格をしてるどころか、逆に避けられることが多い。悲しすぎる。


 そうだ、自分をごまかしてる場合じゃない。おれに友達ができない本当の理由なんて、痛いくらいわかってる。それはおれの態度のせいなんだから……


 背中に何かがぶつかってきて、考えごとはいきなり中断された。その拍子にコーヒーをつかみ損ねてしまい、机の上に倒してしまう。けどコーヒーは紙パックにストローを差すタイプだったため、ほんの一、二滴こぼしただけで済んだ。


「うわ、ごめん、流森くん!」

 遅れて、背中から男子の謝罪の言葉が聞こえた。どうやら、その言葉の主に後ろから押されたらしい。たいして痛くもなく、被害も少なかったが、当人はえらくあわてた声だった。

「本当悪い! ごめんな」

 振り返ると、押した奴は両手を合わせて拝むようにして謝っていた。……どうしてそんなにかしこまるんだろう。同い年なんだから、そこまで丁重に謝らなくてもいいのにな。不思議でしようがなくて、ついじっと相手の顔を見てしまう。


「ええと……」

 相手は困ってるみたいな声を出した。あ、そうか。ここで何か言うべきなんだよな。無事だとか、けがはないとか。あれ、ちょっとぶつかったくらいで、無事って大げさじゃないか? なんて言えば相手は安心するんだ?

 おれが言うべき言葉を必死で探している間に、相手の表情はどんどん気まずそうになっていく。そして、

「あー……と、とにかく、ごめん!」

 そう言い置いて、去って行ってしまった。


 やばい。今の、絶対失敗した。

 たぶん、「いや、いいよいいよ」なんて軽く言いつつ、笑顔の一つも見せるのが正解だったんだろう。だけどとっさにそんなリアクションができないおれ。情けなさすぎる。


 おれはいつもこうなんだ。なんというか、話しかけられたとき、即座に適切な答えを返すことができない。リアクションが下手ってやつなんだろう。

 そんなわけで、気がついたら新しいクラスでずっと一人だ。夏になろうが衣替えをしようが全然関係ない。おれの浮かない気分は、ずっと変わらない。


 本当にこのリアクション下手、何とかしないとなあ……

 一瞬そう思ったけど、何をどうすればいいのかわからない。さっきみたいに、ちょっとした受け答えの仕方もよくわからないんだから。リアクションを上手にする、っていうのは、おれにとっては、てっぺんが見えないくらい高い壁を乗り越えろ、と言われてるのと同じことだ。


 まあ、いいか。

 おれはそう結論づけ、十秒ほどであっさり悩みを投げ捨てた。

 我ながらあきらめるのが早すぎるけど、でもなあ。人付き合いが下手でも、今のところ、それほど困ったことはないわけだし。


 まあ、いいか。いいよな、うん。

 心の中で繰り返し、昼食を再開する。手に持ったパンの袋をじっと見ていると、賞味期限が切れてることに気づいた。しかも、四日も過ぎてるじゃないか。なんだこれ、今日もろくなことがないな。

 ……大丈夫、だよな。前にも古いやつ食べたことあるけど、別に何ともなかったし。


 うん、まあ、いいか。

 パンを口に詰め込みながら、おれは懸命に、自分をごまかすための呪文を唱え続けた。


「おお、銅像がメシ食ってる」

 パンとコーヒーとおれだけの静かな世界に浸りきっていたとき、突然、頭上から声がかかった。

「なんだ、銅像じゃなくて、慎か」

 笑いをこらえてる、って感じのその声は、どうやらおれへ向けられてたものらしい。「慎」ってのが、おれの名前だからだ。


 フルネームは流森慎。

 なかなか格好いい名前じゃないかって思ったりもするんだけど、あいにく呼ばれる機会はあんまりない。特におれを「慎」と呼ぶ奴は、家族以外では一人しかいない。

 そのたった一人が、今、おれをにやにやしつつ見下ろしている、友人の元原一樹だった。

 あれ、こいつ隣のクラスなのに、いつのまにここにきたんだ?


「ほらまた、銅像になってんぞ」

 指摘されて、パンとコーヒーを持つ手が中空で止まっていることに気づいた。

 おれはどうも、人と会話しながらメシを食う、ってことができないらしい。大騒ぎしながらグループで食ってる隣人たちを羨ましがりつつも、絶対真似できないだろうな、とも思う。

 おれはパンの最後のかけらを飲み込み、口を開いた。


「お前が急に出てきたから、驚いたんだよ」

 一樹はまだにやけ気味の顔で、空いていたおれの前の席に腰掛けた。もう昼メシは食い終わったのか、ペットボトルを手にぶら下げている。飲みながら廊下を歩いてきたのか。行儀悪いな。


「どこが驚いてるって? あのさあ、驚いてるならそれらしい顔しようよ。せめて顔の筋肉を一ミリくらい動かすとかさあ」

 面白がっている様子を隠そうともせず、一樹はおれをじろじろと眺めまわした。


「えっ、さすがに一ミリは動いてるだろ。おれ、今めちゃめちゃ頑張って驚いてるつもりだぞ」

「慎、残念なお知らせがある。さっきからお前、眼球以外はどこも動いてないぞ。どう見ても今のは驚いてるリアクションじゃない」


 何だって。そんな馬鹿な。クラスメイトに対してはともかく、長年付き合ってきた友達には、自然に感情を表現できていると思ってたのに。

「またフリーズしてんぞ。お前、いちいちぐるぐる考えすぎ。おもしれーな本当に」

 おれとは正反対に、一樹は表情たっぷりだ。いつもながら、誰からも好かれそうな笑顔を浮かべている。


 一樹には、表情にも物腰にも、角張ったところや荒々しいところが全くない。小学生からの付き合いだけど、本気で怒鳴ってるところなんか見たことがない。本当に胡散臭いくらい、人間のできた奴だ。

 そんな奴が、なんでおれの友達なんだろう。謎だ。本人に聞いてみたことがあるけど、「見てると面白いから」って言ってたっけ。

 なんだよ。おれのリアクションのなさで楽しむなよ。自分では、面白いことをしてるって自覚なんかないんだけどな。

 おれだって、一樹みたいになれるもんならなりたいよ。


「人を笑いにきたんなら、用事は終わっただろ。帰れよもう」

 おれはぷいと顔を背けてみせた。頑張って怒ってるところを表現してみたけど、一樹には通じちゃいないらしい。まだ笑ってる。

「何だよー。俺、お前の様子を見てきてくれって、頼まれてるんだからな」

 えっ、どういうことだ?


「頼まれたって、誰に?」

「お前んちのおばさん。昨日も『慎、学校で上手くやってるのかな。不安だわー』って、すごい心配してたんだぞ」

「かーちゃんが?」


 初耳だ。かーちゃん、こいつにはそんなこと言ってたのか。おれには心配してる素振りなんて、ほんの少しも見せないのに。

 っていうかおれの家では、「会話」をほとんどしないんだ。一家全員が無口だもんな。しゃべるよりも文字で伝えるのが得意なものだから、お互いが家にいても直接話さず、携帯でメッセージを送りあってるくらいだ。


 あらためて考えてみると、おれの性格は親からの遺伝と環境、というしっかりとした基礎があって成り立ってるらしい。

 なんて言うか、無口無表情家系のサラブレッドってやつ? これは改善が難しいかもしれないな。

 おれが腕組みをして溜息をついているのに気づいて、さすがに一樹にも悩んでいることが伝わったらしい。


「なんか、今日はえらく悩んでるんだな。俺は見てて面白いからどうでもいいけど、どうしても明るくなりたいってんなら、誰かをお手本をにしてみたら? たとえば、ほら」

 一樹が指さす先には、大口を開けて笑っている一人の女子がいた。


 彼女の名前は知っている。佐山逸香。おれと違ってよく名前を呼ばれてるから、自然に耳に入るんだ。いつも明るく笑顔で、そしてこう言っちゃ悪いけど、騒がしいってイメージだ。

「あの佐山さ、俺は一年のとき同じクラスだったけど、いつもすげーハイテンションじゃないか? 感心しちゃうよなあ」


 確かになあ。おれが三十人いたって、場を明るくするなんて絶対無理だと思う。

 って言うか、無口無表情な自分が三十人もいたら、逆に怖いだろ。休み時間でもお通夜みたいになっちゃうだろ。

 佐山をしばらく観察してみる。

 なるほど。確かに、おれにだってよくわかる。佐山はいつも楽しそうなことの中心にいるやつだ。自分も笑顔で、周りの人間も笑顔にさせてしまう。


 その佐山と友人達は、菓子づくりの話をしているみたいだった。

 可愛らしい話題のはずなのに、佐山の語り口調は予想されるものとは違っていた。

 真剣な顔で身振り手振りで、いかにクッキーを作ることが大変であったか、切々と訴えている。

 どうやら料理初心者には、材料を揃えることからして大冒険であるらしい。話はどんどん盛り上がり、気がつくと、クッキー作りが手に汗握る一大スペクタクルになってしまっていた。


 おれなら「今日はクッキーを作りました」と一文で終わってしまうような話を、どうしてこうも膨らませられるんだろう。端で聞いていても、方法が全くわからない。話の膨らし粉があるんなら、佐山にわけてもらいたいくらいだ。

「も、もうやめてー、逸香ってば、おかしすぎるよ」

「あんた、クッキー作るだけでどんだけ頑張ってんの! いろんなものと戦いすぎ!」

 周りの受けは上々だ。みんな大笑い。佐山は嬉しそうに、みんなからツッコミをもらっている。


 ちょっと待て。あの佐山をお手本にだって? おれみたいな初心者には、あまりにレベルが高すぎる。こんなの、考えるまでもなく不可能だってわかるぞ。

 それに正直なところ、あそこまで元気な奴はちょっと苦手だ。そばにいたら、普段使わない部分の精神力と体力を消耗しそうだもんな。

 よし、明るくなるのはまた今度の機会にしよう。おれはいつものごとく、悩みを虚空の彼方に投げつつ言った。


「おれには無理だな」

「あきらめんの早! 本当にもう、お前は向上心ってものがないなあ」

「そもそも、あんな風に、しゃべったり笑ったり動いたり、同時になんてできるわけないだろ。人間技じゃねえ。おれはしばらくこのままでいいよ」

「いや、どっちかというと、それができないお前が人間離れしてるんだけどな……」

 呆れ気味の一樹の言葉はあくまで聞き流した。何せおれ、銅像だから。


 佐山みたいな人種とは接点もないし、これからも話をすることはないだろう。そう思っていた。

 けど、佐山と話す機会は、意外に早く訪れたんだ。

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