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5 初恋

 試着室と書かれたその部屋の中には、やたら美人の女性職員がこれ以上ないくらいヒマそうな表情で待っていた。


「いらっしゃいませ。パスカルと申しますね」


 アライグマみたいな名前だな、とサエは思った。


「それでは私はこれで」


 タンホイザーはパスカルと少し談笑した後、颯爽と去っていった。


「私たちも外で待っているから」


 神様とウサギも試着室の外の椅子に腰かけた。


「ポイントがたっぷりあると立派な身体がもらえるんだけどね。お客様はポイントが少ないからね。どうするかね」


 パスカルが悩まし気にパラパラと分厚いカタログをめくった。


「人間がいいかね? カマキリなら立派なカマキリになれるけどね」


 人間に生まれ変わるのか、来世ってやつか、サエの頭には疑問点がグルグルと渦巻いていた。


「なんでもいいです」


 サエは思わず本音を零した。もう死ぬつもりだったんだ。今までの人生から離れられるのならなんでもいい。たとえカマキリでも。


「なんでもいいっていってもね。社会貢献活動をするにはやっぱり人間がいいのよね」


 パスカルがあきれたように溜息をついた。


 だからその社会貢献活動のことがよく分からないのだとサエは心の中で思った。


「セールス品ならタダで使えるのもあるね」


 パスカルがカタログを放り出してチラシの束をサエに見せた。


「なんか心惹かれるのあるかね?」


 チラシには人の写真が載っていた。よく見ると太宰治や芥川龍之介の写真もあった。サエは思わず目を奪われた。


「三十代で自殺しているから身体はまだ使えるのよね。全然売れないけど。前世が自殺だと陰気だから人気ないのよね」


 パスカルが素っ気なく言った。


「太宰治の身体に入るということ?」


「そうだね。魂を引っ越しさせるイメージだね。身体は着ぐるみみたいなものだからね」


 サエは太宰か芥川の身体に決めようかと思った。なんだかすごいことになっている気がした。ようやく不安と恐怖よりもワクワクとドキドキが勝ってきた。


 太宰の身体に決めようかとした時、一枚のチラシが目に入った。そこにはよく知る男性の写真が載っていた。いつの写真なのか随分と痩せているが、間違いなくそれはサエの初恋の人だった。


「ここに写真がある人はもう死んでいるということ?」


 サエはパスカルに思わず詰め寄った。


「そうですね。だから身体が空っぽになって流通しているってわけだね。次の持ち主を探しているのね」


 パスカルは急にサエが大きな声を出したので少し驚いたように答えた。


「死んだら、どうなるの?」


「身体から魂がポンと弾き出されるだけだね。魂は天国でふわふわしているね。転生の順番を待っていると思うね。身体はまだ使える場合はリサイクルされるね」


「この人の魂は今どこにいるの?」


「それは分からないね。天国の仕組みは外にいる神様に聞いてよね」


 パスカルは少しムスっとして言った。


「それでどの身体にするね?」


「これにします」


 サエは初恋の男性の写真を見せた。


「若くして病死だから人気なくて売れ残ってね。在庫が片付いて良かったね」


 パスカルはいそいそと試着室を出て倉庫に向かった。


 しばらくしてパスカルが試着室に戻ってきた。まるでマネキンのような身体を台車に乗せて運んできた。


 サエはそれを見て静かに泣いた。こんなところにいたんだね。ようやく見つけたよ。イチ。


 イチはサエの初恋の人で、そしてまた最も大切な人だった。サエの人生において唯一の友達と呼べる人だ。まさかまた出会えるなんて。どういう形であれイチに出会えることはサエにとって嬉しいことだった。ただしイチがもう死んでいるという事実が同時に突き付けられ、サエの頭には興奮と絶望が交錯した。別れた後、イチに何があったんだろう。


 それでもやっぱり簡単には信じられなかった。でも目の前にあるのは間違いなくイチの身体だった。自分がイチを何か別のものと見間違うことなど絶対に有り得ない。それだけは自信があった。


 サエは胸が締め付けられ、苦しくなって思わず壁に手をついた。


「どうしたね?」


「い、いえ…」


 サエは慌てて涙を拭いた。


「元の身体にはもう戻れないからね。未練はないね?」


「はい。ありません」


 顔にアザがある身体に未練などあるはずがない。それでもなぜか少し寂しかった。なんだかんだで三十八年も一緒に生きてきたのだ。ゴミのように捨てるのは悲しかった。自殺するつもりだったのに、おかしな感傷だと分かっていても、なんだか自分がすごく申し訳ないことをしているような気がした。


「私の身体ってどうなるの?」


「まだ若いからリサイクルするね」


 パスカルがサエの初恋の人の身体を準備した。背が高く、背中が広い。そして面長で精悍な顔つき。でもサエの知っていた頃のイチより少しやつれているように見えた。


「それじゃあ身体を入れ替えるからね」


 パスカルが赤い糸のようなものを準備した。


「それはなに?」


「『アリアドネの糸』だね。魂の身体間の移動ができるね」


 パスカルはアリアドネの糸でイチの身体とサエの身体を繋いだ。


 するとサエは一瞬意識を失った。自分が自分でなくなるような不思議な感覚だった。意識を掃除機でスポッと吸い取られるようだった。

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