3 異世界に行こう
サエは目をつぶって鏡の中を沈んでいった。ウサギに引っ張られるままにゆっくりと下に沈んでゆく感覚があった。まるでナルニア国物語みたいだな、とサエは意外とのん気なことを考えていた。
しかしいきなりどすんと固い地盤に叩きつけられた。サエは痛みに顔をしかめた。衝撃で思わず目を開けると石畳の上に着地していた。上を見ると丸い天井画が描かれていて、天使みたいな人たちがたくさん並んで輪を作っていた。そしてその中央に小さな鏡があった。
キョロキョロと辺りを見回すと、西洋のお城か宮殿の建物の一室のようだった。大広間なのかとても長い木製の机と椅子が並んでいた。壁はレンガ造りで、かなり歴史のある建物のように見えた。
ところどころにお洒落な装飾が施されていて、まばゆいシャンデリアと燭台の上のロウソクの炎が部屋全体に優しい明かりを照らしていた。
映画でしか見たことがないような絢爛豪華な部屋にサエはしばらく見惚れていた。鏡をくぐった先に自分の知らない世界が広がっているなんて大層な驚きだった。
それにどう見ても日本の建築物ではない。ヨーロッパかどこかにワープしたのかとサエは思った。まさかそんなことあるはずがない、とサエは自分に言い聞かせた。
きっともう自分は死んだんだ。ここは死後の世界なんだ。しかしそれにしては自我がハッキリしているとサエは思った。当たり前だが死んだことがなかったから知らなかったけど、人間は死んでも大して変わらないのかもしれない。
そして部屋の装飾に見惚れていたサエは、上座の椅子に人が座っていることにしばらく気が付かなかった。若い女の子のようだ。ウサギがその人の元に走り寄った。
「神様。候補者をひとり連れてきました」
ウサギが恭しい声を出した。
「なんか地味な子ね。パッとしないわ」
神様と呼ばれた女子がサエを見つめた。
ウサギがサエを手招きした。こちらに来いという意味なのだろう。サエはのそのそと立ち上がり、ウサギの元に向かった。
「こちらが神様です」
ウサギが女子を紹介した。女子はまるで王様が座るようなふかふかのソファに座ってくつろいでいた。セーラー服を着ている。年齢も高校生くらいに見える。白い綺麗な腕に赤いミサンガをしていた。
しかしそれにしても驚くほど美しい見た目だった。少し気の強そうな凛々しい眉毛だけが気になるが、他は非の打ちどころのない完璧な容姿だった。透き通るような白い肌と綺麗な黒い瞳で、つややかな栗色の髪をポニーテールにしていた。
「挨拶くらいしろよ。失礼なやつだな」
ウサギがサエを叱った。
「こんにちは」
ウサギに促されて仕方なくサエは神様に挨拶をした。
「こんにちは。神様です。よろしくね」
神様はにっこりと微笑んだ。それは同性のサエからしても思わず見惚れてしまうくらい可愛い笑顔だった。
両手で包めそうなほど小さな顔、均整のとれた高い鼻にクリクリとした大きな瞳。こんな魅力的な容姿に生まれたらどんなに素敵な人生が送れるだろうかとサエは思った。
「早速だけど本題に入るわ」
神様はサエに向かい合った。
「異世界留学しない?」
「は?」
「どうせ死ぬつもりだったんでしょ?」
神様はスマホのような機械をポケットから取り出していじり始めた。
「木村サエでしょ。所有ポイントは200だけ。自殺したらマイナス10000ポイントも引かれるわよ。それだけ低いポイントだと来世はせいぜいカマキリに転生することになるわね」
神様がスマホを操作しながら言った。
サエは状況がさっぱり分からなくて黙っていた。
「だから異世界に留学しなさい。留学っていうか転生みたいなものだけど。身体を変えて異世界で社会貢献活動をしてポイントアップよ」
神様がにこやかに口角を上げた。
サエは神様が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。まだ死んでいないというのも信じられなかった。ポイントが何かも分からなかった。しかし身体を変えるという点には興味を惹かれていた。どういう仕組みが分からないが、そんなことができるならぜひお願いしたいと思った。
「言っておくけど魂は変わらないわよ。それはその人だけのもので誰にも変えられない。身体を別のものに引っ越すだけ。でも生まれ変わったような景色を見られるわよ」
神様が矢継ぎ早に説明した。
「どう? もう死んだような命でしょ。自殺しそうな感じだったじゃん。それなら開き直って異世界で社会の役に立ちなさいよ。自分のためにもなるわよ」
神様がサエをじっと見つめた。
「は、はい…」
サエは首肯した。よく分からないが逆らえる雰囲気でもなかった。それにもうすっかり投げやりな気持ちで、どうなってもいいとも思っていた。そもそも自分が置かれている状況の展開にまったく頭がついてこなかった。
「じゃあハローワークに行きましょう。私も付いていってあげるわ」
神様がスッと立ち上がり、ウサギもその後に続いた。
転生とハローワークとどういう関係があるのかサエには分からなかったが、何も言えずに黙っていた。
「ハローワークはどの鏡だっけ?」
大広間にはあちこちに鏡があった。形も大きさもいろいろだ。
「あの一番端の姿見です」
ウサギが端の鏡を指差した。ゴテゴテした装飾が施されていたが、見た目は少し曇った古びた鏡にしか見えなかった。
ウサギが杖を取り出し、また鏡を二回叩いた。その音はまるで扉をノックする時の音のように聞こえた。
「さあ行くわよ」
ウサギと神様に続いて、サエも鏡をくぐった。