結婚するって本当ですの?
「お兄様っ!
お話は本当ですの!?」
脳内でははしたない、と冷静な自分がツッコミをするし、背後から「お嬢様〜〜!?」という追いかけてくるように微かな声と足音が聞こえてくるものの、それどころではない。
返事を待つどころかノックする事もなく、わたくしは走ってきた勢いそのままに、副執務室の扉を開け放った。
中には部屋の主である兄のガイラッドを始め、侍従等の数人の部下がいる。
「フィーフィ、穏やかじゃないね?」
侍従達は驚いたような表情で停止し、こちらを凝視しているが、お兄様は書類に目線を向けたまま、穏やかな声で話しかけてきた。
こちらを見向きもしない事に苛立ちを覚えながらも、ズンズンと書類が積み上がっている机に近付いて行く。
その頃になってようやく視線を上げたガイラッドは、緩く首を傾げながら微笑んで見せたが、それで騙されるものか。キッと意識をしながら顔を睨むと、少し考えるような表情をしてから、ガイラッドは侍従達に暫くの休憩と、人払いの指示を伝えた。
「とりあえず、そんな顔はやめようか。
可愛いフィーフィには似合わないよ」
*
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「それで何だい? 話って」
可愛いフィーフィ、と猫なで声で問い掛けてくるのは、わたくし――フィルシェフィーラのお兄様。
落ち着いた、しっとりした艶のあるハスキーボイスと、緩やかに頭を撫でて甘やかすように接してくるから、ついつい態度を緩和しそうになり、心の中で叱咤した。
誤魔化されるつもりはない、という意思表示として隣に座るガイラッドを睨むも、「そういう顔も可愛いね」とニコニコ笑顔で返される。
駄目だ。このままでは流される。
「お兄様、わたくし、聞いたのです。
お兄様が結婚をされる、という話を。
結婚、されるんですか?」
「あぁ……聞いたんだね。
本当だよ?」
嘘ではないか、と思っていたのに。ガイラッドからの肯定の言葉に、フィルシェフィーラはショックを受ける。
その横で「誰が漏らしたんだろう……」と物憂げな呟きが漏れていたのだが、衝撃が大きいわたくしは全く気付かなかった。
「そんな……」
「フィーフィ、どうしたんだい?」
「お兄様――……」
婚約の話が出ている、というのならともかく、それをすっ飛ばしての『結婚する』という言葉は、今まで仲良くしていたつもりだった関係が偽りのものだったのでは――と、思わされるほど、信じられない事だったからだ。
自分は何も知らなかった、という事にはショックだが、今は落ち込んでいられない。少しだけ俯向いてしまった顔をあげると、ガイラッドの目を見つめた。
「お兄様が結婚されるのならば、わたくし、家を出なければなりませんよね?
何処か良さげな修道院とかを探すべきですか?」
「ん? ……んん??
どうしてそう思うんだい?」
とても不思議そうに、首を傾げるお兄様。
サラサラと頬に零れ落ちる漆黒の髪が、その瑠璃色の瞳をもっと覆い隠してくれれば良いのに……と。つい、思ってしまう。
「だってわたくしの存在は、次期侯爵であるお兄様にとって、邪魔になりますもの。
皇太子妃候補筆頭だったわたくしが、候補から外されたのです。
今後はどうなるか判らない立場ゆえ、邪魔になると思いまして……」
そう。先日、わたくしは候補から外された。
外されるような問題が発生した一因でもある、と思う貴族が出てくる事は想像に難くない。
故に、我がラウンディーバ侯爵家の汚点となるようなわたくしは、今後縁談が来る事も無いだろう……という判断のもと、修道院行きを提案したのだった。
「うん、とりあえず悪い癖が出ているのは把握した。
勘違いもいいとこだけど――フィーフィ、候補から外れたのは、皇太子が全て悪いんだから、君には全く非は無いんだよ?」
「そうかもしれませんが、そうなった経緯の一因が……」
「アレはあの馬鹿がやらかした事だから、フィーフィに傷はついていない。
だから気にしないで」
「……はい」
そうは言っても、君は気にするんだろうね……と微苦笑を浮かべながら。ガイラッドは手を伸ばして、髪型を崩さないように気を付けつつも、落ち着かせるように、ゆるゆるとわたくしの頭を撫でてくる。
「あと、訂正があるんだけど」
「はい」
「次期侯爵は君だよ。可愛いフィーフィ」
「はい?」
「俺は、女侯爵のお婿さんかな?」
「はい??」
私を見つめるお兄様――ガイラッドは、とても綺麗な笑顔だった。
目は全く笑っていなかったけれど。
*
*
*
お兄様、と呼んではいるが。
ガイラッドは「親戚の子だが、将来的に家族になる」と、父であるフォードルースが十数年前に連れて来た、四つ年上の男の子だった。
その頃から見目麗しく、礼儀正しい彼だったけれど、お父様が子供の頃はこんな感じだろう――と思ってしまう位には、髪や瞳、顔立ちがそっくりな外見だった。
わたくしも黒檀の髪に薄群青の目、とお父様と同じような色味ではあったけれど、彼の方がよっぽど見た目は似ていて。
社交界では「侯爵の隠し子」「次期侯爵として引き取られた」等と噂されていたけれど、わたくしもそう思って過ごしてきた。
その理由の一つとして、彼が引き取られた直後に、わたくしが次期皇太子の妃候補となったから。
「色々と勘違いしているようだけれど、俺はフォード様の隠し子じゃないからね?」
そう説明されるわたくしは、何故かガイラッドの膝の上である。ちょっとしたお姫様抱っこのような状況だ。
「初めてここに来た時、親戚だって説明されてたけど。
俺はフィーフィの祖父の従弟」
「お……お祖父様の、ですか?
それだと、その、年齢が……」
「と〜っても離れてるけど、従弟だよ。
ちょっと複雑だけれど、老いらくの恋の結果が、俺。
だからフォード様に似ているのも、当たり前といえば当たり前」
君よりもラウンディーバ直系の血は濃いからね、とか、父よりも祖父に似ていると言った方が良いかな、とか、笑いながら説明してくれるガイラッド。
後で家系図を見直してみようと頭の隅で考えながらも、その関係性には複雑な感情が浮かんでしまう。
その心境を読み取ってか、お兄様は宥めるように頬を撫でてくるので、すりりと甘え返してみた。
「親戚だと言うのは判りましたが、家族になるって言うのはどういう意味だったんですか?」
お兄様、首を傾げてみせると、複雑な表情を浮かべられた。
「俺はね。フォード様から、こう聞いたんだ。
“僕の可愛いフィーフィの、お婿さんになるかい?”ってね」
「おむこさん」
「そう、お婿さん。
勉強とかを頑張ってくれるなら、という注釈付きだけど」
わたくしの頬を撫でていたお兄様の指は、いつの間にか移動していて、今度はわたくしの髪をくるくると指に巻きつけて弄んでいる。これは、考え事をしている時の、お兄様の癖だ。
幼い頃から一緒に過ごした――今みたいに、わたくしを間近で甘やかしてきた結果、お兄様が作ってしまった癖。
「……少しうろ覚えだけど、フォード様は俺に話を持ちかける前に、君に質問したって言ってたよ。
確か――――」
「「……フィーフィを愛してくれる男の子は欲しいかい?」とね。
でも忘れてたみたいだね、困ったものだ」
そう、ガイラッドに指摘されて思い出したお父様からの言葉。お兄様も聞いていたのか、わたくしの呟きと声がハモった。
そう、そうだ。
わたくしは「愛してくれる人が欲しい」と頷いて、お父様は笑顔で「ならばお婿さんを連れてくるよ」って笑顔で頷いてくれたのだった。
その時はメイドとおままごとをしていたから、てっきり遊び相手が来ると思ってしまっていたのだけれど、今更ながら本当の意味を理解する。
何という勘違い……!
「初めて会った時、俺はフィーフィに一目惚れしたから、君を手助けできるように一生懸命勉強する事を誓ったんだけどね。
君は一人っ子だったところを、俺が引き取られて、後継者ができたと思ったからか。
皇室が横槍を入れてきたんだ」
「横槍……それってお兄様」
「君も想像の通り、皇太子妃候補の事さ。
勿論、フォード様は抗議をしたりと突っぱねようとしてたけれど、どうしようもなくてね。
とりあえず、辞退するべく裏工作をずっとしてたんだよ。
そしたらあの馬鹿がいつの間にかアホな事をやらかしてくれたので、その話はご破算。こちらは手を汚さずに済んだけれど」
「……今更ながらではありますけれど。あの馬鹿、って……」
不敬では、と心の中で呟くものの、ガイラッドの笑顔に黙殺させられた。
「可愛いフィーフィ。
だから君の言った事は、気にする必要はないよ。
君が気にするべきは、結婚式に着るウェディングドレスのデザインさ」
「結婚式……本当ですの?
お兄様は、わたくしで良いの?」
「君で良い、訳じゃないよ」
「なら……」
「君が良いんだ、フィーフィ。
俺は君が欲しい」
チュ……と。前髪を掻き分けられ、ガイラッドの唇が額に触れる。
今まで何度も、それこそお互いに送ってきたキスは――親愛、だったけれど。今送られたのは、それではなくて。
「可愛いフィーフィ。
俺の名前を呼んで?」
「はい、…………ガイラッド。ガイ。
わたくしも、お婿さんはガイが良いです」
わたくしの答えに、ガイラッドは「勿論。当たり前だよ」と自信満々に頷くのだった。
「結婚するって、本当ですのね……」
相手は、他の誰でもない、わたくしだったのだけれど。
フィーフィって呼ばせてみたかった結果がこれだよ……のN番煎じの話\(^o^)/