淑女的に、きっちりと復讐を致します。
番外編もございますので、是非ご一読ください。
「レナ。淑女というものは、ただ男性を立てられるだけでは駄目なのです。弱くては話になりません。かといって、ガサツであっては美しくありません。上品で、穏やかな微笑を忘れぬ女性でありなさい。しかし、困難が待ち受けている時は、エスコートを断り、己の足で立ち向かいなさい。いいですね。淑女とは、上品で、優美で、そして強い女性のことを言うのです」
◆◆
「…今、何と?」
「だから君のことはもう愛せない。本当は、昔から君のことが嫌いだったんだ」
私が十七歳になったばかりの、パーティーのことだった。私の婚約者であるウィリアム様が、「実は僕には愛する人がいる」と言い出したのだ。
あまりにも突然すぎる告白に、私は唖然として、そして胸に冷たい感情が広がっていく感覚を覚えた。
私たちの婚約は政略結婚だ。親同士が利害の一致で決めたもので、そこに私たちの意思は介在していない。年頃になれば結婚する。子供の時からそう決められていた。
相手に恥じぬように、隣を歩いても相手に恥をかかせないように。
そう言われて親から厳しく育てられ、完璧を求められた私とは違って、ウィリアム様は親に無条件に愛され、自由奔放な性格に育った。
私はそれが許せなかった。能力が低いならば分かるけれど、彼の場合はただの努力不足だ。少なくとも私にとってはそう見えている。
だから、努力をもっとするべきです、己を磨くことを怠るべきではありませんと言っては、その度にウィリアム様からは鬱陶しがられてきた。
「…その、愛する方とは?」
「リアナだよ。君と違って、彼女は素晴らしい人だ!」
ウィリアム様は、会場にいる人の目など気にせずにそう叫んだ。周りの人間の視線が私たちへと集まる。
「リアナ?」
その名前には、嫌と言うほどに聞き覚えがある。
「お久しぶりでございます。レナ様」
声をかけられて、私は背後を振り向く。金糸のような長く美しい金髪に、青い宝石の瞳。人形めいた整った顔立ちの少女が、私たちを見つめていた。
彼女―――リアナは母の妹の子供、即ち私の従姉妹に当たる。そして、彼女に対して、私にはいい思い出というものが何一つとしてなかった。
初めは、お気に入りの縫いぐるみから。当時の私が慕っていた、家庭教師からもらった贈り物で、いつも勉強を頑張っているからと贈ってくれたもの。
両親からはまともに褒められたことがなかったから、私にとって、自分を認めてくれたその先生とお祖母様は特別な存在で、その縫いぐるみは私の宝物だった。
…その、宝物だったものを、リアナに奪われた。私が大切にしていると知ると、彼女は酷く縫いぐるみを欲しがった。私が断ると、終いには、それは自分のものだと主張し出したのだ。
結局その縫いぐるみはお母様に取り上げられ、リアナのものとなった。縫いぐるみだけではない。他のアクセサリーや、本や、ドレスや、ペットでさえも。
奪う側と奪われる側、私たちの関係はもう十年以上も変わっていない。
「なるほどね。今度は、婚約者…と」
「嫌ですわ。誤解しないでくださいな。私たちは本当に愛し合っておりますの」
リアナは、自分の両手をウィリアム様の腕に絡め、猫のように目を細めて私をじっとりと見つめる。
「勿論、譲ってくださいますよね? レナ様?」
「一つ、聞いてもいいかしら」
「? どうぞ?」
「どうしてそれほどまでに、私のものにこだわるの? 物も婚約者も、貴方ならば好きなように選べるでしょう」
「まぁ…」
リアナはこちらへと近寄づいてきて、私にだけ聞こえるように耳元で呟いた。
「…私、レナ様のことが羨ましくてたまらないのです。先日、楽器の腕前を国王陛下からお褒めの言葉をいただいたそうですね。他にも、以前書いた論文が他国で評価されたとか。楽器も、勉強も、才能に関しては…私は絶対に貴方には敵わない。それは、とても…酷いではありませんか。あんまりです」
「酷い?」
「どれほど努力しても、貴方には敵わなかった。私はどうしても貴方に負けてしまう。…それほど神に愛されているというのなら…少しくらい私に分けてくださってもよいではありませんか? ちょっとくらい。縫いぐるみとか、婚約者とか」
「貴方が私に劣っているというのなら、それは貴方の努力不足よ。責任転嫁をしないで欲しいわ」
「…それは、持っている側の人間しか言えないことです。どうせ、貴方には私の気持ちなど理解できないのでしょうけれど」
リアナはそう呟いて、私から離れた。ニコリと笑顔を張りつける。そしてウィリアム様の元へと戻り、猫撫で声で言った。「さぁ、ウィリアム様」と、何かを催促するように。
「レナ! 今日この場で、君との婚約は破棄させてもらう!」
ウィリアム様は、そう高らかに宣言した。
◆◆
非常識にも程がある。
婚約を破棄する意思があるのなら、普通は相手と両親たちを加えて、きちんと話し合って決めるはずだ。破棄を発表する際も、あらかじめこちらに、その予定があるという情報を伝えてなければならないはず。それらをすっ飛ばして、突然婚約を破棄するだなんて。
前代未聞の婚約破棄をされて、会場を出た私は思わず怒りに震えた。貴方には敵わないから、婚約者をください? ふざけないで! ウィリアム様も、あれほど救いがない人だったなんて…!
「よぉ。荒れてんな。レナ義姉さん、いや、婚約は破棄されたんだから、普通にレナと呼ぶべきか?」
「…ルーカス…様」
気さくに話しかけられて私は足を止める。廊下の壁に背中を預けるようにして、立っている人物がいた。彼の名前はルーカス。ウィリアム様の弟だ。
実を言うと私は…彼のことが少し苦手だ。黒髪、黒目の容姿に、いつも飄々とした態度を崩さない。今も愉快そうに口角は上げられていた。
「昔みたいに、ルーカスでいいんだぜ? 様付けなんて慣れねぇしな。兄さんが婚約者じゃねぇなら、堅苦しく敬語も使う必要ねぇよ。気楽にオトモダチってことで」
「…貴方のこと、昔からよく分からないわ」
昔はウィリアム様と、私、そしてルーカスの三人でよく遊んだものだ。昔から彼は変わった子供だった。基本的に天才肌で何でもそつなくこなすが、学問やら権力やらには一切の興味がなく、ここ最近は狩りに夢中でパーティーには滅多に顔を出さないと噂で聞いていた。
「貴方が今日みたいな場に出るなんて、珍しいこともあるものね。パートナーはどちらかしら?」
「一応、アレ」
アレ、と彼はドアの先の、リアナを指差す。
「まさか、リアナなの?」
「そのまさか。リアナ嬢、イズ、マイハニー。反吐が出そう。あの令嬢はやべぇわ。生理的に無理。アレを可愛いって思う兄さんってさ、気が狂ってるんじゃね?」
うげー、と吐く真似をするルーカスを見ていたら、少しだけ気持ちが晴れる。私は今度は落ち着いて、「何の用かしら?」と尋ねた。
「さっすが。話が早くて助かる。レナは、まさかこのまま泣き寝入りなんてしねぇよな?」
「…意味がよく分からないわ」
「まぁ、深窓の令嬢なら? 普通は『婚約者に裏切られたわ…ワタクシの何がいけなかったと言うの…? おお、神よ…』なんて泣いて悲劇のヒロインごっこを始めるんだろうけど。俺の知っているレナって奴は、そんなにヤワじゃねぇんだよな」
「貴方の物真似、ゾッとするわ…鳥肌が立ったのだけれど」
「放っとけ。まーつまり、何か企んでるんなら、俺にも一枚噛ませてくれってこと。一応? 俺も兄さんに婚約者を奪われた形になるんだし。嫌がらせってことで」
私は腕を組み、暫く思案した。ルーカスの言う通り、このまま泣き寝入りするつもりはない。
婚約の破棄は、ウィリアム様が思っているほど軽いものではないのだ。あれだけの大勢の前で、婚約を破棄されたならば、私にも何か問題があったのではという噂がささやかれるに違いない。家の名に泥を塗られたと同じことだ。
リアナに関しても、今まではお母様に窘められてきたということもあって我慢してきたけれど、もう限界。
売られた喧嘩は買う。ツケは払ってもらう。今まではおしとやかな令嬢を演じてきたが、元々、昔は勝ち気な性格だったのだから。
「ルーカス。約束は守れる?」
「こう見えて口は堅いぜ」
「リアナが言い寄ってきても、私の手を取ってくれるかしら?」
「喜んで。リアナ嬢の方は丁重にお断りしておこう」
「そう。なら、手伝って欲しいことがあるのだけれど、構わないかしら?」
「イエス、ユア、マジェスティ。面白そうだ。女王様のお望みのままに」
茶化した返事に加え、終いにはパチンとウインクまでされる。私は思わず笑ってしまった。
◆◆
青の服が多かった。それは、ウィリアム様の瞳の色が、その色だからだ。隣に立った時に、映えるようにとそういう服ばかりを身に着けていた。
化粧も、アクセサリーも。彼の好みに合うようにと選んできた。
自分の屋敷へと戻った私は、元の婚約者のために揃えられた服を冷ややかに見て、やがて興味を失って視線を逸らした。クローゼットを開けて、鮮やかな赤色のドレスを手に取る。
そう言えば、ウィリアム様は赤が嫌いだったわね。血の色で不吉だとか言って。
「『淑女とは、上品で、優美で、そして強い女性のことを言うのです』でしたわよね、お祖母様。好きなものを好きに着ることも、強さの一つだと私は思いますわ。ドレスは乙女の鎧ですもの」
赤い服を身に着けて、深紅の口紅を引き、私は鏡に向かって不敵に笑った。
「泣きわめいたり、すがったりするのって、美しくないわ。かといって暴力を持ち出すのもガサツ。お祖母様が教えてくださったように、淑女的に、きっちりと復讐を致します」
ね? お祖母様。亡き祖母のことを思い出し、私は空に向かって微笑んだ。
◆◆
私はルーカスと婚約をした。
リアナはウィリアム様の相手と周囲に認識されてしまったため、彼の婚約も白紙になったし、家柄もウィリアム様と同じ家なのだから問題はなし、再び婚約を結び直すことにそれほど時間はかからなかった。これで文句を言ってくる両親を黙らせる。
次に、私は積極的に社交界に出るようになった。まるで婚約を破棄されたことなど、痛くも痒くもないかのように。しかし、装いや雰囲気は変えることにした。
ドレスやメイク、アクセサリーは赤が中心。目立つ色合いだ。今まではあくまでも控えめ、といった態度を取ってきたが、積極的に社交にいそしみ、話の中心に入るようにする。
「レナ様は、雰囲気がお変わりになられましたね」
そして、こう質問されたら、微笑んで言うのだ。
「やはり、パートナーが変わったからでしょうか。ルーカス様はありのままの私を受け入れてくださったのです。今までは…その…本当の自分を恥ずかしく思っていたのですけれど…。私、ルーカス様と婚約をできて本当によかったと思いますわ」
貴族のほとんどは政略結婚だ。だからこそ、令嬢たちは恋話に飢えていて、本当の恋愛とはどんなものなのかと特別な興味を抱く。
やはり失恋というのは、女性を美しくなさるのですね。
いいえ、それよりもレナ様とルーカス様がピッタリだったということよ!
失恋の末に、本当の恋をする。なんて素敵なのでしょう。私もこんな婚約をしてみたいものですわ。
私とルーカスはあっという間に、令嬢たちの憧れの的となった。そしてその噂はリアナの耳にも届く。
「どういうことですの!」
リアナが屋敷にやって来たと思ったら、挨拶さえせずにそう叫ばれた。私は驚いた顔をして、「何のことかしら?」と首を横に傾げる。彼女は顔を憤怒に真っ赤にさせて、「婚約者のことですわ!」と言った。
「ルーカス様と婚約するなんてっ! 彼は、私のっ…!」
「まぁ…。私の記憶違いでしょうか。リアナにはウィリアム様という男性がいるではありませんか。ですから、二人の婚約はてっきり破棄されたものだと…。まさか婚約者がいる身で他の男性と恋愛を楽しむなんて、はしたないにも程があるでしょう?」
リアナは絶句する。私はニコリと笑った。
「人のものを見てあれが欲しい、これが欲しいと言わず、自分のものを大切にする方が有意義ですのに。リアナは素敵な男性を捨ててしまったのですね?」
◆◆
一年が経って。私はルーカスと共にパーティーに参加していた。
「今日のドレスも似合ってんな。やっぱりレナは赤の方が似合うと思うぜ。昔は赤ばっかり着てて、赤の毛玉みたいだっ…いてっ! 扇子は武器だろ! 暴力はんたーい!」
「赤の毛玉で結構です」
「そう拗ねるなって。あれもあれで可愛かったし、毛玉は今や赤薔薇の女王だ」
「まぁ、素敵な口説き文句ね。さっきまでの軽口がなかったら、思わずときめいていたところですわ」
私たちがそんな話をしていた時、ふと視線を感じた。その方向を見るとウィリアム様が私たちのことを随分と熱心に見つめている。
やがて見つめるのに飽きたのか、彼はこちらに話しかけてきた。
「レ、レナ! 久しぶりだね!」
「あ…? 急に何だよ、兄さん。いつもは俺を見かけても話したりしねぇくせに」
ルーカスは眉を顰めて、不審者でも見るような目でウィリアム様を睨む。私はクスクスと笑った。
「お久しぶりでございます。ウィリアム様。昨年の…パーティー以来でしょうか」
「そ、そうだね。レナ、君は、えっと、随分と綺麗に…」
「本当ですか。他でもないウィリアム様にそう言っていただけると、嬉しく存じます」
「ほ、本当か。なら…」
そんな会話をしている内に、今度は逆から声をかけられる。
「ルーカス様!」
「あ? お、リアナ嬢か。久方ぶりだな」
「え、ええ。実は私、話がありまして…」
そして、リアナはルーカスに、ウィリアム様は私に言った。
「もし、君がいいならよりを戻さないか?! 離れてみて思ったんだ! やっぱり僕には君しかいない!」
「もしよろしければ、私とまた婚約していただけないでしょうか?! 私、ルーカス様のことが忘れられなくて…!」
偶然にもリアナとウィリアム様の声が重なる。一組の婚約者の男女が、もう一組の男女を口説いているという何とも珍しい絵に、自然と周りの人間は注目した。
私とルーカスは顔を合わせて、一瞬だけ悪戯が成功したような笑顔を浮かべて…それから綺麗な作り笑いを浮かべ直して言った。
「お断り致します。貴方のような男など、願い下げですわ」
「すまねぇな。リアナ嬢はタイプじゃねぇ。ナシよりのナシだ」
◆◆
「作戦! 成功です!!」
会場を後にして、声が人だかりに届かなくなると、私は星空に向かって声を上げた。
「ルーカスも! 協力、ありがとう!!」
「おー。ま、俺は特に何もしてねぇけどな。ほとんどやったのはレナだし」
「名前を貸してくれた上に、こんな演技にも付き合ってくれたんだから。十分すぎるくらいよ!」
「テンション高けぇな…」
帰りの馬車があるところまで歩きながら、私は元気よく言うと、ルーカスは呆れたように笑った。
婚約を破棄された時に感じたモヤモヤもスッキリとした。結果は大成功だ。
「あ、そうだ。レナ。言い忘れてたわ」
「? 何かしら?」
「ちょっとそこ立って。直立して」
「? はい」
「目、閉じて」
「? こう?」
「ん、オーケー」
チュッ。頬に、柔らかい感触がした。
驚いて目を開けると、ルーカスが悪戯が成功した時みたいに、ニヤリと笑っていた。
「俺、ずっと前からレナのこと好きだから。作戦が成功しても、婚約は破棄しねぇから、そのつもりで」
ズット前カラレナノコト好キダカラ…?
ルーカスの言葉を頭の中で繰り返す。え? ドウイウコト?
「ちなみに、これ初恋。俺、初恋成就させるの。そう決めてんの。レナに拒否権はなーし。じゃ、馬車のところ行こうぜ」
「へっ?! えっ、どういうこと?!」
「二度は言わねー」
「ちょっと! 待ちなさい!!」
◆◆
五歳の頃からの初恋、ずっと引きずってんだよ。こっちは。ばーか。