第二章二節『ゴブリンの森』
「――少しは、気分は優れましたか」
地下神殿の外は、やはりというべきか森だった。
しかし、転移した、というだけはある。巨大な木々や神秘的な雰囲気とは打って変わり、良くも悪くも『普通の森』だ。
比較の問題でみすぼらしく思える木の陰にへたり込んでいると、レヴァがそう声を掛ける。
「……まぁ、多少は」
と、答えるが声に力などある筈がない。
流石に、アレを見た後だと気分は滅入る。
若い女性の遺体。
衣服は裂かれ、全身が傷だらけだった。余程、酷く弄ばれたのだろう。想像などしたくないが、予想は容易だった。
しかも、被害者は一人では無かった。良く部屋を見渡せば、他にも何人も居た。
大抵は女性だったが、男性も居た。彼は――矢の的にされていたらしい。
堪え切れずに、胃の中の物を全て吐き出した。もう出す物も無い筈なのに思い出すとまた込み上げてくる。
ゴブリンは魔物の中でも“最弱”と呼ばれる種族だが、同時に“災厄”とも呼ばれている。
無知ではあるが無能ではない。新たに何かを造る発想力は乏しいが学習能力は十分にある。
棒切れを棍棒として振り回す事しか出来ないが、剣を拾えばソレがどういう物かを手探りで覚え、“斬る事に適した動作”を考える。弓を拾えば扱いに気付き、矢を粗末ながら模倣して自作する。
中には人語を理解し魔術を行使する個体もいるだとか。
しかし、何より特出しているのは戦闘能力ではなく、数の膨大さだという。森には必ずいくつかの群れがあり、一日に一匹は増える――と言われているらしい。
その繫殖力は尋常ではなく、種族問わずに交配が可能で母体に関係なくゴブリンが生まれる。町娘や女冒険者が襲われる理由はそれだと、あの異臭と遺体の散らばる部屋でレヴァは平然と告げた。
こんな事が『よくある事』だというのだから、シビアでハードな世界だと実感する。
「では、そろそろ行きましょう。神殿を巣にしているゴブリンがあの程度の数とは思えません。新しい若い女性の遺体もありましたから恐らくは――」
言いかけてレヴァは何かに気付いた様に、視線をどこかに投げる。
その先に、
「――またゴブリンかよ」
剣を持っている一匹のゴブリンが木の陰から現れた。ソレは、俺達に気付くと剣を構えて呻る。
その背後の三匹の“子供”を守ろうとしている様だった。
ゴブリンの幼体はやっと立ち上がれるようになった人の赤子に似ていた。
成体よりも若干薄い緑色の肌にシワやイボは無く、どことなく愛嬌すら感じる。
――子を守る親。その絵図らは、人に近いものを感じるが……。
「――」
神殿の中の惨状を見ると、ソレの行動が、酷く醜いものの様に思える。
行われたであろうおぞましい行為。汚い笑い声とつんざく悲鳴が脳裏に過り、死に際に見た男に襲われる妹が重なった。
「ここは私が――」
レヴァが【大鎌】を具現化して構えたが、それより早く俺は【剣】を握り強化した脚力でゴブリンに肉薄。
そして光刃を振るいゴブリンの首を刎ね飛ばす。残された体から血が吹き出して崩れ落ちた。
数秒の間の後、“子供”達はその亡骸に縋る。
「キィキャァ! キァキァ!」
叫びながら“子供”は泣いていた。
その内の一匹がゴブリンの手から剣を取り、大剣を構える様に俺を睨む。
俺は親の仇になるのか。恨まれる理由としては十分だろう。
まぁ、そもそもこのゴブリンが親とも限らない訳だが。
「――悪いな。こういう世界だと『よくある事』なんだと」
俺は“子供”達を一瞥して、光刃を振るった。
これが魔物との初めての戦闘だったのなら、子供達位はと見逃していたと思う。
だが、その子供達は誰かが襲われたから生れたのだ。そして、その子供が大人になればまた誰かを襲う。
見逃す理由は無く、躊躇いも無かった。魔物の子供達が哀れと思うのなら、せめて苦しませずに一撃で殺してやる事だと思う。
そんな事は、狩る側の勝手なエゴだが、好き勝手に奪う方もエゴの塊。お互い様だ。
「……それもどうかと思うけどな」
ゲームの様にドロップアイテムとEXP(経験値)を残して消えてくれれば後味の悪さも無いだろうに。
「ゴブリンに問わず、魔物は元々『ヒト種』の敵としてデザインされた生命です。貴方のこの行動でいくつかの誰かの命は救われました。――そのような顔をする必要はありません」
「――おう」
俺は【剣】を霧散させて、先に歩き出したレヴァの後を追う。
◇
「……所でレヴァさん。俺達はどこに向かっているのかしら?」
廃神殿の外でゴブリンとその子供を撃破した後、俺達は森の中を歩いているのだが、流石に三〇分近く無言のままだと不安になってくる。
陽は幾分傾いているが肌がヒリヒリする程に日差しが強い。
風も時折、吹いてはいるが生ぬるく血や獣の臭いが混ざって気持ちが悪いのだ。
自然豊かで森としては立派だとは思うが、とても森林浴を楽しめる様な環境じゃない。
「今更それを聞きますか」
俺の数メートル先を行くレヴァは振り返り、呆れた様な顔をする。
だって何も言ってくれなかったじゃない……と、いうのは飲み込んだ。
彼女は面倒くさそうに溜息をつき、
「まずは人里を目指します。この森にも集落か村がある筈です」
「それは賛成だけどさ、その肝心な人里ってどこにあるのか分かってるのか? 何か迷いなく進んでるけど、この辺知らないんじゃなかったっけ?」
まぁ、知っていたとしても特に目印も無い森で現在地と目的地をどう把握するのだろう、と思っていると、
「この森の全体像は把握できませんが、人に宿った『神の力』を辿れば凡その位置は推測できます」
彼女は答える。
凡その位置を推測……だと……?
「――つまり、勘です?」
「『神の力』の感知です」
ムッとした様に即答された。
「貴方も集中すれば感じる事が出来る筈ですよ」
「集中ってもねぇー?」
目を瞑り、周囲に気を配る。
五感が『神の力』で強化され風に揺れる枝葉が擦れる音。植物と土の臭いに血や獣の異臭が混ざっているのがやけにはっきりと分かるが――そういう事ではないだろう。
もっと直感的な“第六感”を意識する。
「? ぁーっと?」
やがて暗闇に小さい蝋燭を灯した様にぼんやりと自分自身の『神の力』を実感する。そしてレヴァからも同等の密度と大きさの『力』の波動を感じとる。
「なるほど、こういう感じか……」
そこから更に外へと意識を広げると、辺りに小さい波動が細かく合った。
彼女の言う人里の推測は、この波動の数と密度からだろう。
しかし、俺とレヴァでは感知精度に差があるのか一定以上の範囲から靄が掛かった様に曖昧だ。
「そんで、村見つけたら旅の準備だよな。武器は……【神装】があるからいいのか。回復アイテムとか――って、そもそも金あんの?」
「えぇ。ですので冒険者ギルドでクエストを受注し路銀を稼ぎます。当面はクエストを熟していく中で魔物を討伐し『神の力』を回収しつつ協力者を集います」
やっぱ金無いのか。ゲームでもお小遣い程度の所持金はあるもんだが……やはり、都合よく出来てはいないらしい。
冒険者ギルド、冒険者、クエスト……ファンタジーらしい単語の意味は何となく分かるので、急いで追及はしなくとも良いだろう
「まずは稼ぎね、納得。所で、そのパーティーメンバーも神様からのご褒美は貰えるのか?」
「勿論です。成果には相応しい報酬が必要ですので」
逆を言うと、報酬が欲しいのなら相応しい成果を出せ、という事だが。
確かに、目の前に高級なニンジンをぶら下げられては多少道のりが厳しくとも走らざる得ない。
俺も同じだ。
「だったら、パーティーはバランス良く揃えたいもんだね。前衛・後衛・回復役は鉄板だ。……ちなみに頼れる兄貴分とか憧れるんだけど?」
好きなRPGタイトルで、主人公の勇者の面倒を見る傭兵が居たが、そいつが見た目もメンタルもイケメンでシリーズ屈指の人気キャラだった。そういう良い奴程、中盤で死んだり、実は敵だったりするが、あの傭兵の兄貴は前者だったなーと思い出す。まぁ、外伝では主人公しているのだが。
「役割としては概ね賛成ですが、協力者は女性のみとします」
「……何て? ハーレムでも作ろうっての?」
いや、興味はあるよ? 思春期ですからね。
異世界で旅をするのならヒロインの存在は大事だろう。
だが、実際に女性だけのパーティーに混ざる度胸は無い。
しかし、
「結果的にはそうなりますね」
シレっとレヴァは答えた。
「一応、聞くわ。何故ゆえに?」
それに彼女は当然という様に、
「貴方に子を成して貰う為です」
即答する。
――即答しやがった。
「……は?」
ハーレムパーティー作って子供も作れって、色々と話が突飛過ぎる。
どこの薄い本だと、眉を顰める俺にレヴァは一人肯いた。
「『神の再誕』の為に必要な『神の力』は如何に器としての適正があったとしても生身一つでの許容に限度があります。故に、『力』を分配し保持する為の別の器を拵える必要があります」
「別の器を、拵え――?」
その言葉に思考が鈍くなる。
女の子に囲まれて、惚れた腫れたのラブコメの末にハーレムENDを迎える安っぽい少年誌みたいな物語を期待していた訳では無いが……。
子供を金庫の様に使うために『神の力』に適正のある女を集めるというのか。
「いや、流石に人道とかにさ」
「反しているでしょう。ですが、これは人の道ではありません。世界の為に神が導く道。神の意思です」
謂わば、神道――とレヴァはどこか誇らしげに言う。
上手い事言ったつもりか。妙に頭にきた。
「んなん、言われて素直に従う女なんか居る訳ねぇーだろうが!? いくら神様が何でも願いを叶えてくれるにしても、横暴過ぎるっての!」
声が大きく荒くなるが、
「少なくとも私は従います」
それでもレヴァは何という事もなく肯いた。
「それに世界は広い。貴方に身を捧げる程に好意を抱く女性も居るでしょう。例え居ないとしても私の【鎖】は『神の力』を抑制する能力があります。今は微力でもその時が来る頃には性能も向上している筈です」
――つまりは、
「気に入った娘なら、貴方もやぶさかでないでしょう?」
男なら、どうあれ女が手に入るのなら文句はないだろう? と。
抵抗などされるものか、と。
「ふざけるなよ。そんなんじゃ、ゴブリン共と変わらんだろうが」
また廃神殿の惨状と襲われる妹が脳裏に過る。
「行為は同じでも理由と結果が違います。事実、男性である貴方に損のある話ではないでしょう」
その言葉に生涯で一番と思える位に苛立った。
「人を……なんだと思ってる!」
【剣】を召喚しその柄を砕ける程に握る。纏わせた光刃が荒々しく揺らめいた。
「世界の為である事は、個人の為のものではありません」
彼女も【大鎌】を召喚し、漆黒の炎を纏う刀身を背に隠す様に下段に構える。
「このっ――!」
俺は【剣】を振りかざし、レヴァは姿勢を下げて振りかぶる。
「――しつこいんだよ、ゴブリンばっかり!!」
木々の隙間から飛び出した狼に乗ったゴブリンが、巨人の振るう大剣の様な特大の光刃と無数の三日月状の黒刃に吹き飛んだ。
波動としては五、六程だったが、肉塊に成り果ててはもう定かではない。
「……ゴブリンライダーとかいう?」
俺がうんざり気に溜息をつくと、レヴァは小さく肯いた。
「呼称はまちまちですが、ゴブリンが狼系や猪系の魔物に騎乗する事は稀にあります。しかし、その殆どが此処で行動し、群れに居ても精々が二、三匹。大抵のゴブリンは飼い馴らすよりも食料にしてしまいますからね」
と、彼女は少し考えて。
「ゴブリンライダー六匹が群れているという事は、その性質上ありえません。恐らく上位種による統率のとれた大きな群れの部隊という所ですか」
「ゴブリン軍団とかって?」
「ゴブリンの上位種であるホブゴブリンが変異したとしても軍勢と呼べる規模を率いる事は稀有な事ではありますが、『神の力』ならば容易にさせる事でしょう」
と、一人納得した様にレヴァは【大鎌】を消し、俺を置いて歩き出した。
「ぁ、ちょ……!」
まだ、話は終わっていない。と、言う前に、
「どうしました? 先を急ぎますよ」
その一言で済まされてしまった。
確かにゴブリンは数が多いというし、レヴァの言う通りゴブリンが軍勢を成しているというのなら、いつ襲撃を受けるか分からない。
それに『女を集めて子供を作れ』なんて俺がいくら拒否しようがレヴァは聞く耳を持たないだろう。寧ろこの話題が終わっただけマシか。
「……――」
胸糞の悪い話だが俺の願いの為ならするしかない、というのなら……。
「――するしかない、のかねぇー?」