同情と食事、次なる戦への会議
「おい、何故泣いている?」
キニゴスは愛翔に指摘する。愛翔は今だ泣いているが、泣き止む様子はない。
彼はキニゴスの、彼の幼い頃に遭った過去に同情している。母親の愛情を注がれたのに、そのせいで嫉妬による虐めに遭った。
彼が悪い訳ではないのに、彼は悲惨な毎日を過ごしていたのかもしれない。
恵まれながらも、恵まれない生活を強いられていた。愛情を受けながらも嫉妬されていた。キニゴスを虐めた彼等は天使の母親に捨てられた。
虐めは許されない——当たり前な事なのに、彼等は愛情を受けられなかった。母親や父親を知らない。
施設の人が親代わりになっていたのかもしれないのに、彼等の親ではない。彼等がどんな気持ちなのかは他人である自分には判らない。
彼は、愛翔はそう考えてしまい、泣いてしまったのだ。
「どうして泣いてるんだ? そんなに泣くことじゃないだろう?」
「……ううん、君の気持ちは解るから……」
「はっ?」
愛翔は目元を腕で拭うと、あることを口にした。キニゴスや、ユノ、少女達、厨房にいる旦那は振り返らずに肩をビクッとする。
彼の口から語られた内容。キニゴスとは違い、愛情は注がれながらも本当の両親ではない人達に育てられた。
自分だけじゃない、双子の兄と共に平等に育てられた事も教えた。キニゴスから見れば嫉妬するだろう。
彼はそう言うつもりで自分の過去を教えた訳ではない、彼は、愛翔はこう言いたかったのだ。
「俺は、父さんと母さんの愛情は知らない……キニゴスさんの過去も同情するし、少し嫉妬した」
「…………」
「叔母さんと叔父さんは俺達を育ててくれた——もしも、父さんと母さんもいたら、こんな家庭を……」
愛翔は首を左右に振る。
「ううん、もしもの話しだし——それに叔父さんと叔母さんがいなかったら、最悪、俺と兄さんは……」
「出来だぞ——っ」厨房から声がした。その声には周りは反応し、厨房を見やる。
厨房には男性がカウンター席にいる愛翔とキニゴスの分の皿を用意しており、片方は皿を持ち、もう片方はお玉を持っているが鍋からシチューを掬い、それを皿の中に注いでいた。
男性はシチューが注がれた皿を近くに置くと、もう片方の空いた方の皿を手に取り、それをお玉で掬ったシチューを注ぐ。
お玉を鍋に掛けるように置くと、もう片方のシチューが注がれた皿を手に取ると、カウンター席に近づき、愛翔とキニゴスの前に置くと、更には木で出来たスプーンを置く。
丸い皿にはシチューが注がれていた。ニンジンやジャガイモ、肉がある。いい匂いも漂い、鼻につく。食欲をそそる。
愛翔は目を丸くする中、その匂いと、美味しそうなシチューに生唾を呑む。食欲がなかったのが嘘のように、腹が鳴りそうになる。
愛翔はシチューを凝視する中、キニゴスはスプーンを手に取ると、それでシチューの中にあるジャガイモとスープを掬うと、それを口に入れた。
スプーンを取り出すと、ゆっくりと咀嚼する——音はしない、ジャガイモが柔らかい事を意味していた。または、音を立てたら行儀が悪い、と彼は考えているのかもしれない。
愛翔はキニゴスを見る。彼は微笑みながら、ニッコリと笑う。冷静なイメージしかないと思っていたが、子供のように嬉しそうであった。
愛翔はそれにも驚く中、キニゴスは視線を愛翔に向ける——彼は驚いている。それならまだしも、エリカとユノはくすっと微笑み、エリンは頬を紅くしながら目を逸らす。
キニゴスは慌てて赤面しながらそっぽを向く。
「と、取り敢えずそれを食ってみろ! 美味しいぞ!」
キニゴスは顔を赤くしながら眉を顰める。恥ずかしいのと、愛翔にシチューを食べてみろと促していた。
愛翔はキニゴスの言葉に驚きつつも、シチューを見る。温かいシチューが手も付けられずに置かれていた。
目の前にあるのは、自分の物である事を意味し、食べるのはお前だと教えている。愛翔はそれを眺めた後、不意にスプーンに手を伸ばす。
「っ!?」刹那、彼の脳裏にある出来事がフラッシュバックする。それは昨日……愛翔はそれを思い出すと、青ざめ、頭を抱える。
その様子にエリカが。
「東郷君!?」
エリカは愛翔の様子に気づき、心配そうに触れる。エリンも、エミリも、ユノも、厨房にいる男性も愛翔の様子に気づく。
また、何かの発作か? 彼は持病があるのかとさえも疑う。愛翔は青ざめながらスプーンを取ろうとした自分の手を見る。
何にも無い普通の手をしている。しかし、そこには紅い血がべったりと着いているようにも思える。彼の幻覚でもあるが、彼は人殺しを、否、天使殺しをした事を意味させている。
昨日の事でありながら昨日の事のようにも思える。愛翔はそれに気づきつつも、冷や汗を流す——刹那、そんな彼の手に触れる者がいた。
その手は彼と同じ青年の手——隣から伸ばされた物。愛翔は視線を、その手の先へと移す。キニゴスが何とも言えない表情で見ていた。
目は伏せているが、何かを察している。彼の気持ちを、だ。
「キ、キニゴスさん……」
愛翔は不安そうに見る中、キニゴスは首を振る。皿の方を指しているようにも思える。一口しろ——そう訴えていた。
彼の首の動きに愛翔は目を丸くする中、彼は辛そうにスプーンを手に取ると、シチューのスープを掬うとそれを口に含んだ。
「……!?」
愛翔は目を見開く。そして、静かに嗚咽を上げる。
「えっ? どうしたの?」
エリカが突然の事で驚き声をかける。周りも彼の嗚咽に驚く。愛翔は嗚咽を上げ続けていたが、それは、とても悲しい物だった。
昨日ここへ来て、何が遭ったのかも解らず、更には天使を殺した。そこから何も食べておらず、空腹だった。
食事が摂れなかったのも、天使を殺した罪悪感と、自分を追い詰めていたからだ。
どうすればいいのかも、何をしているのかも、解りながらもそれを否定していた。
しかし、今は違う——矛盾であるが食事をして、それらを忘れたかった。自ら行動したとはいえ、彼は背こうとした。
シチューを食べたのも、殺そうとした事を忘れようと考えていた——殺した罪悪感を覚えつつも、食べたのだ。
吐き出そうとも考えたが……シチューは美味かった。その温かい味に彼は家庭の味だと思い、叔母と叔父、双子の兄と共にいた時に食べたシチューを思い出してしまい、泣いてしまったのだ。
吐き出そうとも考えた事が愚かに思い、自分はなんて事を考えたのかとさえも思い、後悔し、泣いたのだ。
周りは気にする中、愛翔は泣きながらシチューを食べるのだった。
「ルシファーとバルバトスのお陰で、ベルリンでの戦いは勝利した——天使軍を追い返す事に成功し、奴らに甚大な被害を出す事に成功した」
その頃、ここはソロモン城の謁見の間。そこには、守護者であるバエル、ブエル、バルバトスの三人がおり、彼等の中央にはテーブルがあり、その上には何処かの領土が描かれ、所々に英語で書かれた文字がある地図が置かれていた。
バエルは領土の中に、『Berlin』という文字を指差す。彼の表情は険しい。戦の後とは言え、まだ油断は出来ないと警戒している。
天使の軍はベルリンを攻め落とそうとした事、パイモンの留守を狙ってのことであり、また攻めてくると警戒している。
ブエルは不安そうに眉を顰めながら両手を腰に当て、バルバトスは眉を顰めながら顎に手を当てている。二人は其々の考えを、口には出さない。
また攻めて来る——もしくは、責めて来ないと思わせて攻めて来る危険もある。一月後か? もしくは半年後、一年後ということもある。
その間、防備を厚くしなければならない、警備を強化しなければならない。兵士達を鍛錬させなければならない、募らせなければならない。
それも、その間に攻め込まれる危険はある。迂闊に動けば陥落し、動かなければ陥落する。兵士を、民を喪う事になり、捕虜にされる危険もある。女性が慰安的な意味で何かをされる、と。
彼等を守る為、どうすればいいのかを考えていた。二人は其々の策を練る中、バエルはある事を口にする。
「我等の領土はドーツの東半分、オースト、コチェ等のヨーロの領地を拡大させるにはまだまだ足りない」
「そうですね……領土はあまりにも少なすぎる、天使の領土とは五分五分と言いたい所です」
ブエルが心配そうに納得すると、バルバトスはバエルの指差した場所を指差す。
「ここはドーツの西半分を落とすか? 今すぐにでも敵の隙を突く意味でだ」
バエルは首を左右に振る。
「それは危険だ、敵は我等が隙を突いて攻め落としてくると察しているだろう。我等が動けば、奴らは報復と言わんばかりに徹底的に潰しに掛かるだろう」
「奴らがそう考えてなくても、攻め落とすべきだ」
「ダメだ、兵士達は連戦で疲れている——彼等を無理矢理戦に出すのは危険だ。士気が低いと、敗北する」
「そうですね……彼等は私達の為に戦ってくれています——私達が動けば、彼等は疲れてでも私達の為に戦うでしょう」
ブエルは兵士達の心配をし、悲しそうに目を伏せる。彼の発言にバルバトスは「っ!」と言葉を詰まらし、
バエルは腕を組みながら少し俯く。
兵士達の事を考えている——彼等は昨日、二回も戦場に出ている。疲労が溜まっている筈、天使はそこを突いて攻めて来ることもある。
強化するのと、防備する事、どちらも備えなければならない。三人は考えている中、バエルは視線を地図に向ける。
領土を守る為、また来るであろう天使軍の不意を突く為にはどうすればいいのかと考える。兵士達の疲弊を考え、安全な方法は無いか、と。
バエルは地図を眺める中、目を見開き、口を開く。
「待てよ……此処を攻めるのはどうだ?」
バエルの言葉にブエルとバルバトスは彼を見やり、バエルはある場所を指差す。ブエルとバルバトスはその場所を見やると、ブエルは目を見開き、バルバトスは目を細める。
その場所はドーツではない、その場所はドーツの南西に位置する国、フスラン。その国は天使の領土であり、神の一人が管理する領土の一つ。
その場所をバエルは指差しているが、ブエルとバルバトスは彼が何故、その場所を指差しているかを疑問に思っている。
バルバトスはその事を指摘する。
「この場所は神の一人・アレースが管理している。何故、この場所を攻める? ドーツを攻めてからではいいのではないか? 隣国に敵の領地があると相手は焦る筈だ」
バルバトスの意見にブエルは頷く。
「バルバトス公爵の意見に賛成です——敵軍も焦るでしょうし、我が軍も士気は上がるかと」
二人はドーツの西半分を攻めるべきだと主張。ドーツの西半分は天使の領土であり、フスランは天使の領土——目と鼻の先とも言える隣国に攻める前にドーツの西半分を落とせばいい筈。
先にフスランを落とすのは、ドーツの西半分に攻められる危険もあるからだ。それだけでなく、もう一つ、理由がある。
ブエルは、地図のある場所を指差す。そこは、フスランの北に位置している島国。
「ここ、ギリスはアレースがいる国です。島国とは言え、北と北東から攻められる危険があります——それだけじゃない」
ブエルは指差した場所を二つのある場所を交互に差す。
「スペン、イリタの両国から攻められる危険もあります。どちらも天使の領土で、フスランを陥落させても、四方から攻められたら、いくら防備を厚くしても内部から潰される危険もありますし、……最悪」
「……四方から攻められたら、フスランを管理する兵士達は一人残らず、殺される」
ブエルが何かを言いかけるのを遮るかのように、バルバトスがその先を言う。
二人は他の領地から敵がせめて来るのを察していた。フスランを落としても、他の国から天使達が来る——兵士達を喪うのは必然。
被害を少しでも減らす為には、陥落させる場所を——バルバトスはそこを指差す。
「やはりドーツの西半分を……」
刹那、謁見の間を出入り出来る扉の叩く音が聴こえた。その音にバエル、ブエル、バルバトスは反応し、扉を見やる。
扉からは反応がない、訳ではない。
「バエル将軍、緊急の報告がございます」
扉の方から、外から声がする。男性の声であり、兵士——もしくは、政治関連の役人が緊急で此処へと来たのか?
三人は互いを見合わせると、ブエルは頷き、「私が対応しましょう」と彼等に言って、扉に近づき、開ける。
そこにいたのは、この城を守る精鋭であり、歳は中年くらいの男性だった。ブエルと男性は何かを話すと、「そうですか」とブエルは青ざめながら何度も頷くと、バエルとバルバトスを見て、口を開く。
その言葉にバエルとバルバトスは目を細める。彼の、兵士が持ってきた報告は情報であり、その情報は三人の悪魔の守護者達に、この状況を打開する切っ掛けを作る事になる。
天使軍に甚大な被害を出す事になる戦の指揮を執る存在であり、自分達と同じ守護者の一人が来たのだ。理由は、天使の女性を凌辱する為に。
「アスモデウスが、また、この帝国に来るそうです——護衛を付けずに」