朝一番の再会
『人殺し……人殺しがぁぁ……!』
「……っ!?」
突然の、夢の中で男の声が聴こえ、青緑色の寝間着を着ていた青年が目覚め、そのまま上半身だけを起こす。
彼は寝台で横になっていた——今の時間帯は深夜であり、さっきまで寝ていたのだ。
しかし、全身汗だらけで、青ざめている——ある事を思い出していたからだ。
昼間、彼はある罪を犯した。その罪は一番重く、現代社会では誘拐、セクハラと同じように、否、それ以上に許されない罪。
いかなる理由があろうと、情状酌量の余地があろうとも、その罪は一生消えない。
怨みを抱いていた訳でもない、ただ、自分の身を守ろうとした訳でもない。
守ろうとした——自分を気遣い、この世界に来て初めて自分と接触した時間が長い存在を。
友人でもなく、親友でもない——他人でありながら、守ろうとして、彼を殺そうとした者を……。
「うっぷ!」
青年は、愛翔は吐き気がし、寝台から離れ、駆け足で部屋を出て行く。
その部屋は二段ベッドが二つあり、向かい合うように置かれていた。
その部屋には愛翔と、もう一人の青年が寝ていた。
「!?」向かい側の寝台で横になっていた人物が気づき、起き上がる。
青緑色の寝間着を着ていたが寝台から降り、愛翔の後を追いかける。
愛翔が行く場所は決まっている——あそこしかないのだ。彼は、キニゴスはその場所へと向かう。
その場所は、トイレだった。そこは男性用だけでなく、女性用もある。
理由は簡単、この場所は兵舎でありながら。差別する訳ではない。
病人が出た場合も考え、看護婦が入れるようにも考えている為、女性の身内が来れるようにも考えている為、設けられたのだ。
そして、此処は兵舎であり、ダークライト帝国の兵士達が休む場所でもあるのだった。
「東郷……」
キニゴスは男性用トイレの中に入ると、愛翔はいた。奥の、大きい方の個室用トイレの方にいた。
「おぇぇぇぇっ——っ!」
愛翔は便座に寄りかかり、その中に嘔吐していた。
口内から黄色い胃液が吐き出され、トイレの水と混ざり合う。
周りが見たら口元を抑えるだろう——仕方ない事は言え、彼がそうなったのも理由がある。
天使の人を殺した——彼が許されない事をしたのは、それだった。
昼間、ベルリン城付近でルシファー、バルバトス率いる悪魔軍と共に、天使の軍と戦った際、キニゴスを殺そうとした天使の兵士を殺めてしまった。
その光景は今でも脳裏に焼き付き、心に大きな傷を負わせている。
事故ではない、兵士を守る為に行動したまでだった。殺す気はなかった——否、殺してしまった。
愛翔はその事を今でも忘れる事も出来ない——夢の中でも男の存在が自分を呼んでいたからだ。
もう嫌と言いたい——恐怖から忘れたい。我が儘でもあるが殺した事実は消える事はない。
愛翔はその事を思い出しつつも目を見開き、更に吐き出す。
「おぇぇぇ……っ!」
愛翔は口内から胃液を吐き出す。
胃液だけなのも、食事を摂っていない——そんな気分では無いからだった。
人を殺した事で、罪悪感に……刹那、誰かが愛翔の背中を摩る。
愛翔は辛そうな顔で、背中を見る。
そこにいたのは、目を伏せているキニゴスがいた。
彼は愛翔の背中を摩っていた。促しているようにも思える。
もっと吐いた方がいいと、気遣っているようにも思える。
キニゴスは辛そうに口を開く。
「……辛いのならば、吐け」
「キ、キニゴスさん……」
「これ以上は無理か?」
「……いえ、少しは楽になりました」
愛翔は口元を拭うと、涙目になる。
辛い、あの時の事がフラッシュバックのように蘇る。
もう、したくないと思いながらも、消える事はない。
愛翔は人をことした事実を曲げる事も無く、なかった事に出来ないとさえ、考えていた。
否、人殺しをした時点で自分は既に犯罪者になっている。
正当防衛という形でキニゴスを守ろうとしたのだ。
「あ、ああっ……!」
愛翔は手を見る。何にも無い、汗しかない手だった。
しかし、愛翔から見れば、紅い血がべっとりと付いているようにも思えた。
人を殺した事を教え、その事実を教えていた。
愛翔は更に青ざめる中、俯く。
「……俺は、許されない事をした」
「それ以上は言うな……それ以上は、お前自身を追い込む」
「…………」
「それで良い——無理に喋ったら、お前は……」
キニゴスはそこから先は何も言わなくなる。
気遣っているからだろう。
キニゴスを俯く愛翔を見る中、溜め息を吐く。
「今日は、天使の野郎共が来る気配はない限り、暫くは休みだ」
「っ……」
愛翔は辛そうに下唇を噛む。
「戦があるときは大抵、多くの兵士達が向かう——当然だが、天使の野郎共が来ない限り、休みだ」
「…………」
「俺達兵士から見れば、歓喜その物だ。家族と休みを過ごし、出かける者もいる」
「……俺は、そんなのはない」
愛翔は涙を流す。
「俺にはそんなのはない……! この世界に来て、何にも判らない!!」
「……お前」
キニゴスは少し驚く。
「俺は普通の生活を過ごしていた! 普通の人生を過ごしていた! それな」
刹那、キニゴスは彼の口を塞ぐ。愛翔は突然の事で驚き、彼を見る。
キニゴスは人差し指を口元に当てていた。
「静かにしろ、此処には多くの兵士達が寝ている」
「……っ」
愛翔はその事を指摘され、目を丸くすると、直に悲しそうに目を伏せる。
「お前の事を知りたいが今はどうだっていい——お前の口から何れ話すのを待ってる」
「……」
「俺は強要はしない——人の過去を無理矢理訊こうなんて考えない」
「だけどな」キニゴスは悲しそうに目を伏せる。
「お前が辛いのは見てられない——お前は俺のせいで辛い思いをしている」
「…………」
愛翔はキニゴスの手をどかす。
「キ、キニゴスさん……お、俺は……」
「それ以上は言うな」
愛翔は俯く、そこから先は言わなかった。
「……東郷、明日用事があるか?」
「……ないです」
「そうか——では、明日、ある場所へと行かないか?」
愛翔は彼を見る。彼は目を逸らしており、視線を合わせない。
「ある場所、ですか?」
「ああ——その場所は」
「眠いか?」
あれから数時間後、愛翔とキニゴスは朝早くから、帝国の中を歩いていた。
二人は今、軽装であった。
愛翔は白いシャツに紺色のルネッサンスパンツ、革製のロングブーツを履いている。
キニゴスは黄緑色のシャツに、上半身を隠す程の大きさをしている緑色の布を掛けるように付けている。
深緑色のルネッサンスパンツに革製の黒いロングブーツを履いている。
キニゴスは兎も角、愛翔はキニゴスの物を借りていた。
幸いな事に、背丈もサイズも同じであった為に、問題なく着れた。
二人はある場所を目指し、歩いていた。
その場所はキニゴスにとって何時も通う場所で、愛翔にとって初めて訪れる場所。
キニゴスは何も言わず、愛翔は不安そうに見ていた。
「キニゴスさん? 何処に向かうの?」
「……まあ、俺に従いてくれば判る」
キニゴスはそう言って、後は何も言わない。
愛翔は彼の言葉を聞いて、未だ不安になる。
今の時間帯は朝方であり、まだ眠っている者や、色んな家から、この帝国の市民の人達が出てくる。
何かをする為に思える中、何をするかまでは判断出来ない。
判るとしたら、食事の準備か、朝の掃除の為にするのか? と。
愛翔はそう思っている中、キニゴスが声をかける。
「あれだ」
キニゴスの言葉に彼を見ると、ある場所を見据えていた。
愛翔はキニゴスの視線を追うように、彼が見ている場所を見る。
ある建物が在った。二階建ての白い建物だ。
とても広いかのように大きく、中央は両側に開く扉があり、その上には、吊り看板があった。
看板は黄色く、水差しのような形をしている。
その看板には、白い文字で『Klein Fty』と書かれていた。
外見は民家であるが、ただの民家ではない、そこは食堂だった。
愛翔はその建物が食堂とは判らない中、扉が開き、一人の少女が出て来た。
十代後半の少女。白銀色のショートに、サファイアブルーの瞳。
白いブラウスに小麦粉色のスカートを穿き、革の膝ブーツを履いている。
手には箒があり、家の前を掃こうと——否、二人に気づき、驚く——直ぐに微笑みながら口を開く。
「おはよう、キニゴス君に、東郷君」
少女は二人に挨拶する。その少女はエリカ——エリカ・ミクロスだった。
彼女が出て来た家は彼女の家であり、食堂だった。
そう、キニゴスが彼を連れて来たのは、この食堂へと来る為だった。
「え、エリカさん?」
愛翔は驚く中、キニゴスはあることを言った。
「親父さんやお袋さんはいるか?」
「ええ。今は朝食の準備をしているわよ」
「そうか……なあ、勝手なお願いで悪いんだが……」
キニゴスが続けたその言葉に愛翔は驚き、エリカは首を傾げる。
突然的な事とは言え、愛翔は驚きしかないのだ。
そして、キニゴスはこう言った。
「こいつに飯をご馳走してやってくんねえか?」




