6 世界は彩りに満ちている ⑭
センセイの震える手を私そっと掴む。センセイの手は大きくて、私の手では覆いきれなかった。両手を使ってぎゅっと包み込むと、その震えは小さくなったような気がした。
「私は……センセイの目が治っても治らなくても、変わりません」
「……三原?」
「あの時言ったことに、嘘偽りなんてない。私がセンセイの目になる、センセイの代わりに色んなものを見て、それをセンセイにどんなものだったか教えてあげます。センセイがいつか見たいって言っていたシャガールの『夢の花束』だって、いつか一緒に見に行きましょう。私がどんな絵なのか教えるから。そのためなら、絵の勉強だってなんだってする」
一気にそう言って、私は大きく息を吸った。
「でも私は、センセイと一緒にたくさんの素敵なものを見つける未来を、諦めたくなんてない。可能性があるなら、やっぱり治療を受けて欲しいんです」
センセイの手の震えが止まった。私がふっと力を緩めると、センセイはその手をゆっくりと私の顔のあたりに伸ばしていく。頬と指先が触れ合い、センセイは手を広げ……両手で私の顔を包み込んだ。センセイの体温が、私の皮膚に直に触れる。触れ合っていると、動悸がどんどん早くなっていく。胸が苦しいのに、ずっとこうしていたいと思う。この思いの正体が何なのか、私にはもう分かっていた。
「……お前は今、どんな顔してるんだろうな?」
「……え?」
「三原に出会わなかったら、俺は治療を受けようなんて思わなかったよ」
センセイの焦点の合わない目が、私の事を探している。センセイの代わりに、私がじっとセンセイの事を見つめていた。
「治療を受けるのは……もし治らなかったらと思うと怖い。でもそれ以上に、今俺は、お前の事を見ていきたい」
「センセイ……?」
センセイの顔が近づいてきた。彼のおでこと私のそれが、こつんとくっつく。センセイの息遣いが近い。心臓はどんどん高鳴って、私はその音がセンセイに聞こえているんじゃないかとヒヤヒヤしてしまう。……いや、聞こえていて欲しい。言葉なんかよりも、センセイへの思いを雄弁に語るその鼓動を。
「今、三原がどんな表情をしているんだろうな。……俺の事をどんな顔で見ているのか、三原の目には俺はどんな姿で映っているか。それを見たいんだ、俺は」
センセイの顔が少し離れたと思ったら、ちょっとだけ首を傾けて近づいてくる。私はセンセイを受け入れるために、目を閉じた。センセイの呼吸がどんどん近づいて、それで……。
「……っいた」
「……っつぅ」
ついに触れ合う――そう思ったのに、どこでなにを間違ってしまったのか……勢いよく鼻同士が先にぶつかってしまった。二人で痛む鼻を抑えていると、何だか笑いがこみ上げてきてしまう。それはセンセイも同じだったみたいで、二人でけらけらと笑ってしまった。一通り笑い終わった後、センセイがふと真面目な顔に戻った。
「悪い。早まった」
「何がですか?」
「だって、お前まだ高校生だろ? それに、俺だってまだ教員だよ。辞める気だって、もうない」
「……え?」
「お前、まだわかってないのか?」
「はい……」
私が頷きながらそう言うと、センセイは噴き出すように笑った。
「さすがに、在学中の生徒に手出すわけにはいかないだろ」
「センセイ、それって……」
「それ以上は、まだ駄目だ。先に卒業してから」
「で、でも……私、嫌じゃなかったです。むしろ、嬉しいと言うか……」
「口を慎め。……そんな事言われたら、俺だって歯止めできなくなるだろ。これでも結構我慢してるんだから」
そんな事を言われてしまうと、顔がポッと赤くなってしまう。センセイの耳も、恥ずかしいのか赤くなっていた。




