6 世界は彩りに満ちている ⑧
「私ね、彩香ちゃんのこと、とても偉いなと思ってるの」
「え? そんな、私のどこがですか?」
「……直人の事も病気の事も、すべてを受け入れようとしたこと」
とても静かな声だったのに、小雪さんの言葉はアトリエにしみこんでいくように響いていく。
「直人から聞いたよ、アイツの目になりたいって言ったこと。私だったら、そんな事言えなかった」
私は何だか恥ずかしくて、照れ隠しのため紅茶を飲んでいく。広がる花のような香りが、今の私には甘酸っぱく感じられた。
「相手のために自分を犠牲にしてまで何かしたいって、もう好きってレベルの話じゃないよ。もはや、愛だよ、愛」
「そ、それは言い過ぎだと思います……!」
「そうかな? ……直人もね、きっと彩香ちゃんに対して、あなたと同じ気持ちを抱いていると思うの」
「……まさか、そんなことあるわけないじゃないですか」
私の声が少しだけ震える、心も同じように揺れていた。小雪さんの声音はとても柔らかく、幼い子供に物語を読むように、静かに話し始めた。
「ねえ、彩香ちゃん。前に一度、直人のとこにお見舞いに来ようとしなかった? 小さな花束を持って」
私がぎこちなく頷くと「やっぱり」と小雪さんは嬉しそうに笑った。
「その時私も祐樹も、直人の病室にいたの。……直人の目が見えなくなったって、祐樹から連絡貰って慌ててね。祐樹が一方的に直人に向かって怒鳴っていたと思えば、ドアの向こうに誰かいるのに気づいて。あれ、もしかして……」
「私、です。センセイの目が何も見えなくなったって、その時初めて知ったんです。センセイの顔見るのが怖くなって、逃げだしました」
「……仕方ないわよ。私だって、会いたくなかったもん。それで、祐樹がドアを開けた時に花束が落ちてるのを見つけて、それを直人に教えたら……アイツ、すぐに『三原だ』って言ったのよね」
「センセイ、私が来てたって気づいてたんですか?」
「そう。そんなことするのは、三原だけだって。それで、私たちは彩香ちゃんの話を聞いたって訳。彩香ちゃんが直人に抱き着いて『先生の目になりたい』って言ったこともね」
「きゃー!」
他の人に知られてしまったことが恥ずかしくて、思わず叫んでしまった。小雪さんはそんな私をおかしそうに見つめて笑う。
「その時に――これは本当に申し訳ないと思うけれど――彩香ちゃんの目の病気のこと、直人に聞いたの。直人がこう言ってた。『アイツの目も引き取ってやりたい』って」
「……センセイが、そんな事を」
私は耳を疑う。しかし、それは紛れもない事実だったらしい。
「そう。『これから何もかも見えなくなる自分なら、どんな目でも構わないだろ』なんて少しかっこつけて。……彩香ちゃんの目を、これから先いっぱい素敵なものを見ることができるようにしてあげたいって。彩香ちゃんだって今までつらい思いをしてきたんでしょ?」
私は嫌な記憶を思い出す。表情が少し曇ったのを、小雪さんは見逃さなかった。
「そういうのもすべて代わりたいって。もう彩香ちゃんが、つらい思いをしなくてもいいようにって。まさか、アイツがそんな事言うとは思わなかったな」
私は言葉を失う。センセイの優しさが、体中に満ちていくのを感じていた。
「直人って、ちょっと俺様っていうか、態度がデカいところあるじゃない?」
私が動揺しているのを察してか、場を和ませるように小雪さんはセンセイの事を茶化すそれを聞いて私が小さく笑ったのを見て、小雪さんも安心したように顔をほころばせた。
「ごめーん、直人の絵、全然見つからなくってさ……あれ? 何かあった?」
川畑さんは脇にいくつもの大小さまざまなキャンバスを抱えてアトリエに戻ってきた。