6 世界は彩りに満ちている ①
あれからしばらくの間、私とセンセイは中庭にいた。互いに何か話すわけでもなく、手を握り合いながら寄り添うように。ただ『一緒にいる』だけの時間を穏やかに過ごす。センセイの手を握ると、センセイは柔らかく握り返してくれる。センセイを見つめて笑うと、センセイも笑みを浮かべる。気持ちが通じ合うたびに、私は今まで感じたことのない喜びに震えていた。ただ、センセイと一緒に過ごす時間が幸せで仕方がなかった。
センセイが病室にいないことに気づいた長谷川先生が中庭にやってきた時にはすっかり外は暗くなっていて、長谷川先生は中庭の外灯に照らされる私たちを見て「あらあら」と面白がるように笑った。
「彩香ちゃん、伊沼先生のお見舞いに来てくれたのね。全然来ないから、何かあったかと心配してたけど……」
私が長谷川先生に気づいて挨拶しようとした時、それよりも先にセンセイが口を開いた。
「長谷川先生! こいつの目、診てやってください」
「え? どうして? 彩香ちゃんの定期検査ならこの前したばっかりよ」
「なんか、治ったみたいですよ。コイツの目」
センセイのその言葉を聞いた長谷川先生の動きがピタッと止まった。そして数秒、間を置いたのち、長谷川先生の歓喜の叫びが病院中に響き渡った。
長谷川先生はセンセイを看護師に託し、私を引きずる様に眼科の検査室に向かっていた。子どもが検査する時に使うというさまざまな色が描かれた絵本を見せられ「これは?」「この色は?」と一つ一つ確認していく。長谷川先生が指差す色を「赤」とか「黄色」とか「パステルグリーン」という風に答えていくたびに、先生の興奮度合いはどんどん増していく。
そんな事を続けているうちに、いつの間にか長谷川先生から連絡を受けた両親が、病院に駆けつけていた。突然診察室になだれ込んできたお母さんやお父さんの姿に驚く私より、その二人の驚きの方が大きかったみたいだ。私と目があったと思えば、そのままヘナヘナと崩れ落ちて、二人とも私の手を握りながら子どもみたいにわんわんと泣き始める。両親がこんな風に泣く姿なんて初めて見るから、私もどうしたらいいか分からなくて、ただ途方にくれてしまっていた。長谷川先生の検査とMRIの検査、その両方が終わる時にはもうすっかり遅い時間になってしまっていて、私は両親に連れられるまま帰路についていた。
センセイに挨拶する隙もなく。
次の日の朝、私はいつもより早く起きて学校へ行く準備をしていた。
みんながいつも可愛いと言っていた制服は確かに可愛らしくて、少し動くたびに揺れるスカートの華やかさに夢中になった。鏡の前で何度もクルクルと回り、前なら全く気にならなかったのに糸くずやほつれなど、変なところがないか何度も確認していた。
朝ご飯をささっと食べて、私は家を飛び出した。いつもは電車に乗って登校しているけれど、今日は歩いて学校まで向かうことに決めていた。今までモノクロだった世界が、本当はどんな色だったのかゆっくりと時間をかけて見てみたかったから。
一歩外に出るだけで、180度変わった世界に圧倒される。薄い墨汁を撒いたようだった空は遠くまで澄み切っていて、今までは目に入るたびに痛みがあった朝日はキラキラと、まるで宝石のように輝いているように見える。
道端の花壇に植えられている花だって、記憶に残っていた色よりも鮮やかで、朝露の瑞々しさがまぶしかった。カラフルな世界に包み込まれた私の足取りは今までよりもずっと軽くて、まるでボールみたいに弾みながら学校に向かっている内に、うっかりあれやこれやと寄り道してしまって……結局学校に着いたのはいつもより遅い時間になってしまった。
遅刻ギリギリになってしまって慌てて教室に入ろうとした同時に、パンッと大きな破裂音が聞こえてきた。
「え?! な、何?」
「サヤ、おめでとー!」
私の頭や肩に、ひらひらと細長い様々な色をしている紙が引っかかり、ツンと火薬のにおいがあたりに広がっていく。私が驚きのあまりぽかんと口を開けていると、手にクラッカーを持っている舞をはじめとする友人たちが私の周りをワッと囲んでいく。そうだった、友達に昨夜メッセージを送っていたんだった。色が見えるようになった、目が治ったみたいだって……学校に来るまでが楽しくて、すっかり忘れてしまっていた。