5 この思いは鮮やかな花のように ①
センセイが学校からいなくなってしまって、いつの間にか数週間経っていた。あれだけ悲しんでいたファンの女の子たちは、もうセンセイではなく他の話題に夢中になっていて、センセイのことが話題に出てくることもなくなっていた。センセイの事をずるずると引きずっているのは私だけ。まるで世界から取り残されたみたいに四六時中センセイのことばかり考えている。
私の絵を見ていた廊下、絵を描いたり色々な話をしてくれた美術室、帰るために待ち合わせした玄関。
そこに行くたびに、頭の中に鮮明にセンセイの思い出が蘇って……私はそれを振り払えないままでいた。ここにはもういないのだと、どれだけ頭に言い聞かせてもセンセイの存在は私に染みついて離れそうにない。
彼の事を忘れることができないのなら、もういっそ病院に会いに行ってしまえばいいのに。私だってそう思う。でも、会いに行こうと思うたびに、気まずさがぶくぶくと沸きだしてくる。私の足はセンセイの元から遠のく一方だった。
(……抱きついた後って、どういう顔をしたらいいのよ)
私がセンセイに会いに行かない理由が、これ。
そう、ただセンセイに会うのが恥ずかしいだけ。センセイのことだから、あんな事気にはしていないだろうけれど……私は、あの時感じた彼の体温を思い出すたびに恥ずかしくって仕方がない。衝動に身を任せた自分自身の行いに後悔するばかりだ。
私が自分の席についたままため息をつくと、そっと誰かが近寄ってくる気配を感じた。顔をあげると、少し不安そうな顔をしている舞と目が合った。
「……サヤ、大丈夫?」
「な、何が?」
「だってここ最近、ずっと元気なさそうじゃない? ……伊沼先生がいなくなってから」
舞は、ちょうど誰も座っていなかった私の前の席に腰を下ろした。
「サヤ、やっぱり伊沼先生の事……」
「だから、違うってば」
舞の妄想を私が一蹴すると、舞は頬を膨らませて少し怒っている様子だ。
「違うなら、好きじゃないなら、どうしてそんな暗い顔してるの? サヤ、このところずっとそうだよ」
痛い所をつかれてしまった。私がぐっと言葉に詰まってしまう。
「……それは、どうなんだろう」
「どうなんだろうって……自分の事でしょ?」
「そう、自分の事なんだけど。……わからないの」
センセイの事を、私はどう思っていたのだろう?
私に絵を描くことを教えてくれた美術の先生?
絵を楽しそうに描いていた人?
同じ先生に診てもらっている患者の一人?
パッと思いついては、すぐに消えていく。そのどれにも当てはまらなかったからだ。
「私は月並みな事しか言えないよ? でも私は、サヤは伊沼先生の事が好きなんだと思ってた。それに……伊沼先生だって、サヤの事を他の子よりも気にかけたのも知ってる。そんなもんだから、てっきり、二人は両想いだと思ってたんだけどな」
「……ん? 待って、今、なんて言った?」
舞の言葉に引っかかって私は聞き返していた。センセイが、私の事を気にかけていたなんて……まさか、そんな事ないじゃないとぎこちなく笑うと、舞が私の手をぎゅっと痛いくらい強く握った。
「だって、私、伊沼先生に聞かれたもの。サヤの事」
「……私の事?」
「そう。サヤ、美術の授業で絶対絵を描かなかったじゃない? それで、二年の夏くらいかな? 職員室に寄ったら伊沼先生に話しかけられてね」
舞は記憶の蓋を慎重に開けていくように、ゆっくりと口を開いた。
「どうしてサヤが絵を描こうとしないのかって聞かれたの。私がサヤと仲いいのもちゃんと知ってたんだよ! あの時はびっくりしたな。私は『目の事が原因じゃないですか?』って答えるしかなかったんだけど。なんか、どうやったらサヤが絵を描くようになるのか……伊沼先生はそればっかり考えていたみたい」
センセイがずっと、私のためにそんな事を考えていたなんて。私は全く気付かなかった。言葉を失っていると、舞は私の事を慰めるように小さく笑った。
「早く病気が治って、学校に戻ってくるといいね、先生。私たちが卒業する前に、さ」
「……うん」




