4 淡い紫の雨が降る ④
舞の言葉を最後まで聞くことなく、私は走り出していた。二人が私の名前を呼ぶ声が聞こえてくるのも無視して。私はセンセイと話がしたい一心で、学校中を探し始めていた。
でも、どれだけ学校中を走り回っても、私はセンセイを見つけることができなかった。
他の学年の教室、職員室、美術室、体育館……学校中のありとあらゆるところを探したのに、センセイはどこにもいなかった。職員玄関の下駄箱を見たら、センセイの外靴が入っていたからまだ学校の中にいると思うのに。すれ違ってしまったのか、私が見つけられないような所にセンセイが隠れてしまったのか……。探し回ってくたびれた私は肩を落とす。
次第に外は暗くなってきて、グラウンドで活動しているサッカー部の声がどんどん小さくなっていく。校内に残っている生徒も、先ほどに比べるとずいぶん減っていた。私はおでこに伝う汗を拭って、もうセンセイを見つけるのはあきらめようとしていた。教室に戻り、残してきたままのカバンを肩にかけて玄関に向かう。
そこで、私はようやっと見つけた。
「……!」
思わず自分の目を疑ってしまう。ずっと望んでいたセンセイの姿がそこにあったから、夢でも見ているんじゃないかって。瞼を擦っても何度も瞬きをしても、そこにある姿が揺らぐことはなかった。
センセイは私の事にも少しも気づかず、ただ一心に……玄関に飾られていた絵を見ていた。センセイが昔描いた、写真のような絵を。私はそんなセンセイに気づかれないようにそっと忍び足で近寄った。そして、堪らなくなって、センセイの耳元に向かって大きな声を出していた。
「……っ!」
センセイは驚いたように目を真ん丸にして、私を見る。また怒られると思って首をすくめたけれど、センセイはふっと顔を伏せて小さく笑っていた。私はあっけに取られる。
「……三原、帰ってなかったのか。こんな時間まで何をしてたんだ」
センセイの声は、いつもに比べるととても優しいものだった。
「私、センセイに話したいことがあって、ずっと探してて、それで……」
「暗くなる前に帰れ。お前の場合は特に危ないんだから」
センセイは私の話を聞いてくれない。私の脇をすり抜けようとするセンセイを捕まえようと手を伸ばしても、私の指先は強張り、彼が来ている白衣を掴むことすらできない。空を切る手は、センセイと私の間にある距離の遠さを表しているみたいだった。もう、私が何を言っても無駄なのだ。そう思った瞬間、何か硬いもの同士をぶつけたような音が玄関に響きわたった。
「……っつ!」
玄関のドアに向かって歩いていったと思ったセンセイが、ドアの横の壁に頭をぶつけている。とても痛かったようで、センセイはおでこを手で押さえてうずくまる。私はセンセイとの距離を詰めるように、ゆっくりと近づいていった。
「センセイ、大丈夫ですか?」
「あ、あぁ……」
思わぬ失態をしでかしたセンセイはどこか恥ずかしそうで、私の事なんて見向きもしない。それは私にとっても好都合だ。面を向かって話すと、言葉に詰まって言いたいことも言えなくなってしまう。
「センセイは、どうして治療しないんですか?」
「……どうせ、長谷川先生に聞いたんだろ? あの人、話好きだよな。口が軽いというか」
「臨床試験さえ受ければ、治る可能性があるって。でも、センセイは受けようとしないって」
「それは、お前にも言っただろう? 俺には……」
センセイゆっくり立ち上がったけれど、、私に背中を向けたままだった。こらえきれなくなって、私は声を張り上げる。
「罪とか罰とか、もうそんなのどうでもいいです! センセイはどうして病気を治そうとはしないの!?」
「……そんなの、お前には関係ないだろ!」
「センセイはずるい! 私と違って、センセイは治すことができるのに!」
センセイが大きな声を出した。それに負けじと、私は声を張り上げていく。二人の声が玄関中に響いていく。
「私はどうしてこうなったのか、原因もなにも分からないんです。だから治すことも出来ないって……でも、センセイは治すことができるかもしれないのに! どうして、どうして治そうとしてくれないの! ずるい! センセイは、ずるい!」
センセイはぐっと口を閉ざしてしまった。私も、言い過ぎたと思って顔を伏せる。でも、漏れるようにポツリと呟いていた。
「……見たい絵があるって言ってたじゃないですか。センセイは、自分の夢を諦めちゃうんですか?」




