4 淡い紫の雨が降る ③
長く話をしていたら、次の検査の時間が差し迫ってしまっていた。長谷川先生はそこで話を切り上げて、私を次の検査室へ送り出した。
私は長谷川先生が話していた内容に首を傾げながら、重たい足取りで次の検査へ向かう。
(私がセンセイの事を『変える』なんて……そんな難しい事、できるわけない)
きっと、一筋縄なんかじゃいかない。センセイの心の奥底に潜り込んで、彼が話していた罪について聞き出すこと。センセイを長年雁字搦めにしてきた、重たく頑丈な鎖をほどくこと。そんな事……ただの一生徒にすぎない私にできるなんて、到底思えなかった。
そんな方法があるなら、私だって知りたい。センセイが抱えている『罪』とは一体何なのか。
そして、目の病気が治る可能性があるのなら、治して欲しい。センセイにはこれから先もずっと絵を描いていて欲しい……また、楽しそうにキャンバスに向かう姿を私は見たい。
行くあてのない思いを抱えたまま、私は大きく息を吐いた。
定期検査の次の日からも、私は変わらずセンセイの事を探し続けていた。でも、美術室や美術準備室、職員室を覗き込んでも、その姿はどこにもいない。
先生用のトイレの前で待ち構えてみたりしたけれど、伊沼センセイらしき姿は見えなかった。センセイ、もしかしたら学校に来てないんじゃないかと不安になったこともあるけれど、授業にはちゃんと来る。でも、授業の後捕まえようとしてもセンセイはあっという間に教室からいなくなってしまうので、センセイと話す機会は全くなかった。
(……まったく、どこにいるのよ!)
この日も放課後になってから、センセイの事を探そうと意気込んでいた。外を見ると空には真っ黒な雲が立ち込めていて、今にも雨が降り出しそうだった。傘を持ってきていないから、雨が降るより先にセンセイの事を見つけ出さないと。そんなやる気に満ち溢れた私の袖を、誰かが引っ張る。振り返ると、舞と莉子ちゃんがいた。
「あれ? もう新作フラペチーノの時期? 私ちょっと用事があって行けないんだけど……」
「違う、違うよ。ちょっとサヤに話をしたいことがあるの」
「話?」
私は舞と莉子ちゃんに引っ張られるがまま、人目のつかない廊下の隅っこに連れていかれた。二人の表情は暗く、どこかピリピリした雰囲気が漂っている。
「何? 何かあった?」
「……その様子だと、サヤ、まだ知らないんだね」
舞も莉子ちゃんも、言いよどむ様に口元をもごもごと動かしている。
「もう! もったいぶってないで早く言ってよ」
私だって、一秒でも時間が惜しいのに。頬を膨らませてそう不満を漏らすと、二人は顔を見合わせて意を決するように深く頷いた。
「私が聞いた噂話なんだけど……ただの噂だよ? 信ぴょう性だって高くないんだから、落ち着いて聞いて欲しいんだけど……」
莉子ちゃんがそう口を開く、どこか気まずそうに。
「そう! ただの噂! だから、サヤはほんのちょっと気にするだけでいいんだから、ね?」
舞が莉子ちゃんの言葉にかぶせるように、矢継ぎ早にそう言った。私は痺れを切らして足を踏み鳴らす。
「だから、なに? もう!」
「……伊沼先生のことなんだけど」
心臓がドクンと強く脈打ち、私の耳はまるでアンテナが伸びるように研ぎ澄まされた。サッと頭の中が冷たくなって、顔色も悪くなったに違いない。それに二人とも気づいたのか、眉を顰めて顔を見合わせる。言葉はないけれど、きっと私に話をしようか迷っているに違いない。
「な、なに?」
平静を保つように努めたのに、声が震えてしまう。私は姿勢を正した、まるで虚勢を張る様に。
「伊沼先生、学校辞めるんだって」
「……え?」
莉子ちゃんの言葉に、舞が続けるように口を開いた。
「なんか、伊沼先生が病気らしいんだって。その病状が悪くなったから、仕事辞めて治療に集中するらしいってみんなが噂してる。サヤ、知ってる? 伊沼先生の病気が何なのか……」




