3 重たく悲しみを帯びた青 ③
「検査、どうだったの?」
舞がこんなことを聞いてくるなんて珍しい。私は「いつもどおり、何も変わらなかったよ」とだけ答えた。でも、一つだけ胸の中に残る不安を、私は舞に打ち明けたい気持ちになってしまっていた。ティーカップをテーブルに置いて、少し顔を少し伏せて舞にそっと打ち明けた。
「あのね、今日病院で……センセイを見たような気がするの」
「え? だ、誰?」
舞がそう聞き返すので、私はもう一度、言葉を丁寧に区切りながら口を開く。
「だから、伊沼センセイ。美術の」
「え、何で? どうして伊沼先生が病院にいるのよ」
「分からないよ。私だって、それっぽい背中を見かけただけだし……」
「ははーん、なるほどね」
舞が口の端をクイッとあげる。その表情を見ているとどこか悪い予感しかない。
「それって、サヤが伊沼先生の恋しさのあまり、先生の幻覚見たってことじゃない?」
「……はぁ!」
悪い予感、的中。私は深く肩を落とした。
やっぱり、碌でもない話だった。私は深く深くため息をついているのに、舞ときたらウキウキと楽しそうに顔を緩ませている。
「そんな訳ないじゃない……センセイと私は、本当になんもないんだから」
「何もないならどうしてバレンタインの後のサヤは、ちょっと元気がないように見えたの?」
「……」
私が言葉を詰まらせていると舞は「気づいてなかった?」と小首をかしげる、その瞳はいたずら心たっぷりだった先ほどと違って、優しさに溢れているように見えた。
「私も莉子ちゃんも心配してたんだよ。サヤ、毎日のように美術室に行っていたのに、あの日を境に行かなくなっちゃったし。表情もどこか暗いしさ」
「そう、だったかな?」
「うん。伊沼先生と何かあったのかなって、それか、目の調子が悪くなったのかなって……サヤに直接『伊沼先生に振られたの?』とか『目の病気悪くなった?』なんて聞けないし。……それでね、もし伊沼先生とサヤの間に何あったのなら、私はそれを聞いてもいいかな?」
私は首を横に振る。あまり友達に打ち明けることができるほど、私の心の中でまだ整理ができていない。舞もそれを分かってくれたのか、小さく頷くだけだった。
「私ならいつでも相談に乗るからさ。いつか、誰かに話してもいいなって思えるときがきたら、いつでも話してよ」
「……うん、ありがと」
「サヤの恋バナなんて聞いたことないしね! 楽しみにしてる」
だから、そういう話じゃないのに……そう言おうと思ったけれど、目の前でほほ笑む舞の優しさに触れていると言い返すのも悪いかなという気になってくる。充分に休憩した私たちは、今度こそ本屋に向かった。
それでも、私の頭の中には、病院で見かけたセンセイの影のようなものでいっぱいになっていてあまり舞との時間に集中することも出来なかった。
家に帰り、私は買ってきたばかりの参考書や問題集を本棚に仕舞ってから、通学に使っているカバンを引っ張り出していた。舞に「どうせカバンの中ぐちゃぐちゃなままなんでしょ? 学校が始まる前に中をきれいにするんだよ」と念には念を押されて、高二まで使っていた教科書がまだ入ったままのカバンを、重い腰をあげるように整理することにしたのだ。
カバンの中は教科書とノートでパンパンになっていて、時々、いつのだろう? と不思議に思うくらい古い日付が書いてあるプリントまで出てくる。それらを捨てたり本棚に仕舞ったりしながら、中をきれいにしていく。あらかた掃除を終えた私の手は、カバンの小さなポケットを開けていた。
「……あ」
そこには、あの時センセイから貰ったフライヤーが入っていた。小さなその紙が折れたりぐしゃぐしゃにならないように慎重にそのポケットに仕舞ったのを思い出す。わずかに残っていたセンセイとのつながりを慈しむように、私はそれをそっと撫でた。
指先が書かれている日付に触れた時、私はハッとあることを思い出していた。
「センセイの個展、やってるんだ……」
個展が開かれてるのは、春休み中。私はセンセイとそんな話をしていたのを思い出して、慌てて時計を見て時間を確認した。けれどすでにギャラリーは閉まっている時間で、、拍子抜けしたのか私の腰からは力がすっと抜けていく。ベッドにもたれかかるように座り、私はバクバクとうるさい心臓の音を聞きながらフライヤーをじっと見つめていた。