3 重たく悲しみを帯びた青 ②
恋をしようなんて、他の誰かを好きになろうなんて思わなかったのは、この目のせいだ。たとえ人を好きになったとしても、その人は私の事を好きになってくれるとは限らない。もしその理由がこの目せいならば、きっと、いや絶対に立ち上がれないくらいショックを受けるに決まっている。それなら、初めからそんなことをしない方がましだ。
「私ね、もしかしたら、彩香ちゃんの心境に劇的な変化があれば目にもいい影響があるかもって考えていてね」
先生は微笑みながら、そう口を開いていた。
「……はあ」
私の気の抜けた返事を聞いて、長谷川先生は笑みを絶やさず話をつづけた。
「彩香ちゃんが色が見えていない原因が分からないじゃない? 目が原因かもしれない、事故でどこかに損傷を受けた頭が原因かもしれない。……もしかしたら、彩香ちゃんの心に原因があるのかもしれない」
長谷川先生は自分の胸に手を当てる。私も同じように、自分の胸元にそっと触れた。心臓が一定のリズムを刻んでいるけれど、その音はどこに原因があるのかなんて全く教えてはくれない。
「もし心に原因があるなら、その傷を一瞬で癒してくれるくらい衝撃的で……まるで世界を変えてしまうようなものに出会うことができるならば、もしかしたら、目にも良い影響があるかもしれない。それくらい衝撃の強い事って、誰かに恋をすることぐらいじゃない? 血のつながりも何もかもを越えて、その人と心の底から繋がりたいと思うこと。それこそ世界が変わってもおかしくはないでしょう?」
「それは、どうかなぁ……?」
私が難色を示すと、長谷川先生はちょっとだけ頬を膨らませる。
「えー、花の女子高生のくせに恋バナに食いついてこないなんて」
「……でも、こんな目の私の事を好きになってくれる人なんて、この世界にいるのかな?」
私が呟いたその言葉に、長谷川先生は悲しそうに目を細めていた。
「何事も、諦めたらそこでおしまいなのよ。『いるのかな』じゃなくて『いるに違いない』って思わないと」
「うーん、先生のいう事いまいちピンと来ないけれど……そういう機会があればって感じですね。まるで奇跡みたいな出来事だと思うけれど」
私の目がちゃんと見えるようになるのと同じくらいの、奇跡。そんな事が簡単に起きるなんて到底思えなかった。
話している内に次の検査の時間がやってきた。私は薄暗い検査室を出た。真っ白な廊下に出るとあたりがまぶしくて、思わず顔をしかめていた。明るい光がどんどん目に飛び込んできて痛み、目の中に白い靄が広がっていく。思わず目を閉じようとしたけれど、その靄の中にどこかで見たことのある後ろ姿が混じっていたのを見逃さなかった。それが、心のどこかで求めていた姿だったから、私は見つけることができたのかもしれない。
「……センセイ?」
ポツリとその言葉を口に出すころには、その姿はどこにもいなくなってしまっていた。
私は慌てて、その少しだけ見えた影のようなものを追いかける。動き出した足を止めることはなかった、心が急いていくのと同じスピードで、始めは歩いていたのにどんどん早くなっていって、いつの間にか私は病院の中を走っていた。
しかし、そのセンセイの背中と思しき姿を見逃してしまって……どこを探しても見つからなかった。探しているうちに疲れてしまった私の足は自然と止まってしまっていた。
「まさか、こんな所にいる訳ないよね」
そう、私が今いるのは大学病院。
ここにいる患者の多くは重い症状を抱えている人ばかりだ。そんなところにセンセイがいるなんて……センセイが病気になるなんて、そんな事はあってはいけないんだ。私は頭の奥にちらつくその影を振り払って、次の検査に向かった。
MRIの検査を終えて、私はファストフード店で軽くお昼ご飯を食べてから舞との待ち合わせ場所に向かった。
舞とは本屋で参考書や問題集を買いに行く予定だったのに、舞は雑誌で見たという雑貨屋だの服屋だのあちこちに寄り道をしてばっかりだった。肝心の本屋にたどり着く前に私たちはすっかりくたびれてしまい、近くにあったカフェに寄ることにした。
舞はフルーツティー、私はストロベリーティーをそれぞれ頼む。ふわっと花が咲くような紅茶の香りの中にイチゴの甘味と酸味が混じっている。それがとてもおいしくて、疲れなんて飛んで行ってしまった。