2 心を動かしたのは、何色? ⑥
私が振り返ると彼らはすごすごといなくなっていて、そこにいるのは鼻をふんっと鳴らす伊沼センセイだけになっていた。彼らの背を見送ったあと、センセイは私の絵に顔を近づけてまじまじと見ている。
そんなに近くなくてもいいじゃない、何だか恥ずかしさがむくむくと沸きだす。それに耐えきれなくなった私は、そっと忍び足でセンセイに近寄った。足音を立てずに真横に立つが、こんなに近くにいるのにセンセイは私の事に気づかなかった。一心不乱に絵を見つめる姿を見ると、私の中にいたずら心が芽生える。私は居残りして課題に取り組んでいた時のように、先生に向かって「わっ!」と大きな声を出した。
「だっ! ……三原、お前なぁ」
センセイが耳を押さえて額に筋を寄せるのを見て、私は軽く頭を下げた。でも口元が緩んでいるから、全く反省していないことがすぐにばれる。センセイはコツンと私の頭を小突いた。センセイの力は、思っていたよりも強かった。
「いたっ!」
私は頭を押さえて、ぐっと顔を伏せた。小突かれた部分にじわじわと痛みが広がる。
「急に大きな声を出して俺を驚かせようとしたお前が悪い」
「だって、センセイが全く気づかないんですもん」
「言い訳するな。それで、何の用だ?」
先ほどの出来事を思い出す。美術室で言ってくれてように、本当に私の絵の事を悪く言った子たちに言い返してくれて嬉しかった。センセイに、そうお礼を伝えるチャンスなのに。それが何だか恥ずかしくて私は首を横に振る。頬が少し熱くなっているのがバレないように、私はそのまま冗談めいたように口を開いた。
「センセイがボーっとしてたから、起こしてあげただけですけど」
私のその言葉に、センセイは大きく肩を落としながらため息をついた。そして、また視線を私の絵に向ける。
「どうしてそんなに私の絵ばっかり見てるんですか? もしかして、私の絵が好きなんですか?」
「好きというより、達成感だな」
「達成感?」
「そう。課題から逃げまくってた生徒にようやっと絵を描かせることができた教師としての達成感」
そう話すセンセイの横顔はどこか満足そうに見えた。むくれた私が唇を尖らせるのを見て、今度はセンセイがいたずらめいたように笑った。
「あの、センセイ」
私の胸に、またあの気持ちが湧きだしてきた。センセイの事が知りたい。今よりももっと。 私は意を決するように口を開く。喉のあたりは少し震えているような気がした。
「なんだ?」
「また、美術室行ってもいいですか?」
私がそう言うのがセンセイには少し不思議に思えたのか、首を傾げる。
「どうして? 課題ならもうないけど」
「そうじゃなくて、遊びに」
「はぁ?」
先生は素っ頓狂な声を廊下に響かせていた。
「遊びにって……美術室なんだと思ってんだ、テーマパークじゃないんだぞ。それに、俺は個展の準備で忙しいんだから」
「そ、それなら何しに行くんだったらいいんですか?」
私が食い下がると、センセイが顎のあたりを掻きながら少し唸って……一つの答えをひねり出す。
「そりゃ、美術室だって勉強するところだから……絵を描くか、それか画集があるからそれを見に来るとか。それならいいけど」
「ホント?」
思いがけず出た甲高い声は、センセイの鼓膜を貫いた。センセイは左耳をおさえ、とっても迷惑そうな顔で私を見下ろした。
「ただし、絶対に俺の邪魔はしないこと。今みたいに急に大きな声を出さないこと。いいな?」
「はいはーい!」
「お前、ちゃんとわかってんのかな。じゃあ俺次の授業あるから、お前もまじめに勉強しろよ」
センセイはくるり踵を返し、廊下を美術室に向かって進んでいった。途中、左肩が男子にぶつかり、彼に向かって何度も頭を下げていた。




