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ある日、目が覚めると檻の中に居た。
しかしそれでも、あぁ売られたか、としか思わなかった。
俺は、バケモノだから。
特に抗うこともせず、ただぼーっと、檻の外――ごちゃごちゃと機材の置かれた白い部屋の窓から空を見上げていた。白い雲が流れる青空が、段々と暗くなっていく。
どれほどの時間そうしていただろうか。唐突に、ガチャリと部屋の扉が開いた。
「目が覚めたか」
特別な感情も込められていない、ただ事実を述べたという感じで、やや低めの女の声が掛けられる。その女は無造作に茶色の髪を一つに括り、小柄な体に白衣を纏っていた。
研究者だ。
俺をどうするつもりか分からないが、きっとロクなことはないだろう。だから何も返さず、フイと視線を外す。
「……」
「まぁそう警戒するな、と言っても無理だな。私はお前を買ったんだから」
あっけらかんとそう言った女は、檻の前に椅子を持ってくるとドッカリと座り込む。
「お前は化け物なんだって?」
「……!」
「はは、そう威嚇するな。私はな、お前を解き明かしたい」
からり、と笑った女の言葉に思わずその顔を見上げた。
子供が初めて見た生き物を見つめるような無邪気な顔で、緑色の瞳が爛々と輝いている。
「解き、明かす……?」
「そうだ。お前を知りたい。解明したい。私は化学者だ。呪いや神罰? そう言った類のものは信じていなくてな。事象の全てに仕組みがあり、理論の上に成り立っていると考えている」
そう言って椅子にもたれた女は眉間に皺を寄せて小さく息を吐く。
「この世界には魔法があるが、アレについては私としては少々納得しがたいが、一応理論の上に成り立っている。おかげで魔法化学、という学問も成り立っているからな」
肩をすくめ苦笑した女は、ふと思い出したように俺へと視線を戻す。
「そういえば、まだ自己紹介していなかったな。私はユディ。化学者だ。一応、魔法化学の第一人者だと言われてるな。お前は?」
「……俺を買ったのなら、知ってるんじゃないのか?」
「いや? 私はお前が化け物だ、としか聞いてないな」
随分大雑把なことだ、と思いながら肩から力が抜ける。
「俺はジーン。ご覧の通り、バケモノだ」
その言葉とともに、ユディに右腕を見せつける。
簡素な半袖シャツから出ている右腕は、人間としては異様な程筋肉が発達しているうえ、髪と同じ色の、硬い黒い毛で覆われている。さらに指先には、黒く鋭い爪が伸びている。
この爪を振るえば、人間なんて簡単に切り裂ける。魔獣の腕だ。
物心ついた時から、右手はこうだった。だから両親には忌み嫌われていた。
しかし神の教えに従順な両親は、子殺しという罪を犯すことが出来ず、俺を生かし続けた。魔獣の呪いだ、神の罰だと俺を罵り、家の奥に閉じ込めながらも、一応ここまで育てた。
しかし、じわりじわりと広がり続けるこの魔獣の腕に、ついに恐れを抑えることが出来なくなったのだろう。バケモノを求める酔狂な化学者の元へ、喜々として売り払ったに違いない。
そしていくらバケモノを買ったといっても、きっとユディもこの右腕を見れば俺を恐れ、嫌悪するだろう。
そう思い、冷めた目でユディを見上げれば、彼女は興味津々といった様子で右腕を眺め、しきりに首を傾げていた。
「化け物というが、コレだけか?」
「は……?」
「お前を売ったご夫婦が、しきりに化け物だ、魔獣の呪いだ、というからどれ程かと思ったのだが。変身したりとかは?」
「いや……」
「じゃあ、人肉を好むとか?」
「そんなわけない!」
「ふむ……。もうちょっと、その腕を良く見せてくれないか?」
「はぁ!? アンタ、俺が怖くないのか? 俺が、気持ち悪くないのかよ!?」
意味が分からず、ガンッと檻を思い切り殴りつける。
しかしユディは恐れる素振りも見せず、近くに右手が来たことを幸いと、無遠慮に俺の手を取って眺め始める。
「あぁ、皮膚も硬化して黒くなってるのか。爪は硬化した皮膚の延長物か……?」
「おい……」
「毛も大分硬いな。魔獣のものに近そうだ」
「なぁ、おい……」
檻から右手を引っ張り出し、好きなように眺めまわしたり触ったりしているユディに、どうして良いか分からなくなる。
とりあえず、下手に手を動かしては彼女の柔らかい皮膚を傷つけてしまう。そう思って手を動かせずにいると、不意にユディが顔を上げた。
好奇心に輝く瞳の緑色に、視線が吸い込まれる。
「ジーン、お前はとても理性的だな」
「はぁ?」
「こうやって勝手に手を取られ、好き勝手にされているというのに、お前は私を傷つけないように気を遣っている。違うか?」
「いや、それは……」
「理性とは人間しか持ち得ないものだ。本能や情動で動く、他の動物とは違う」
「何を言って」
「だから、私にとってお前は、金色の瞳が美しい、ただの人間だ。化け物なんかじゃない」
「っ!!」
カァっと一瞬で顔に血が集まった気がした。
どうしたら良いか分からず、ただただユディを見つめていると、からりと笑った彼女があっさりと手を放す。
「明日は血でも取らせてくれ」
「っ……。勝手にしろ!」
勢いよく手を引き戻し、檻の中にあるベッドに潜り込む。冷たいシーツに当たる頬が熱い。
頭まで被った毛布越しに、ユディの明るい笑い声が聞こえる。
「おやすみ、ジーン。良い夢を」
「……」
良い夢を、なんて言葉を掛けられたことは一度もない。なんともいえない、くすぐったい気持ちが胸に渦巻まく。
知らず、口元が緩んでいた。