29 第27話 和食には箸
「わかった。人数分の刺身を作ってやろう」
その言葉で歓声を上げる姉弟と令嬢。執事とメイドも笑顔で肯いている。
メイドは渡された魚入りの収納バッグを持って部屋から出て行った。すぐに戻りますので。と、言っていたが、別に戻って来なくてもいいんだぞ。
それに、召使いは主と一緒に食事をしてはいけないのでは無かったか? 俺の貴族知識ではそう思ってたのだが。
まず、作業するテーブルを出し、その上にまな板を置いた。
次に過去に収納していた下処理済みの魚を出し、包丁も出した。
既に三枚におろしてる身だから、あとは刺身として綺麗に切って行くだけでいい。
切り終えると、隣にまた別のテーブルを出し、大皿を出して盛り付けていく。
台の周りに人数分の小皿を置いて醤油を入れ、大皿にワサビを盛って完成だ。刺身の彩としてツマや紫蘇なども盛り付けたかったが、今回は刺身だけを食べさせるために敢えて出さなかった。
調理したまな板の乗った台は、そのまま収納。
収納とは便利なもので、次に出す時は『台だけ』『まな板だけ』で出す事ができるので、出した時には綺麗な状態になってて洗う必要が無い。もちろん、入れた時の状態で出すこともできるが、あまりする事は無い。
「できたぞ。これがワサビで、それがショウユだ。ワサビは好みでショウユに溶かすなり刺身に乗せるなりして食うと美味いんだ」
「これがサシミー!? 本当に食べて大丈夫なの?」
「魚を切っただけだよね? 生で食べて後でお腹を壊さない?」
「嫌なら食わなければいい」
俺はワサビを醤油に溶かす派だから、ワサビを摘んで醤油に入れ、溶かして刺身を頂く。
おお、やはり刺身は美味い!
この魚はヒラメに似た味の魚で、俺の好きな魚の一つだ。後は鮪や鯛や鰤に似た味の奴も【亜空間収納】には温存している。
前の勇者時代の世界でもそうだったが、意外と海の幸が内陸地に出回る事は少ない。移送手段にも問題があるのだろうが、海で魚を獲るのが危険なためだ。
海にも魔物はいるからな。魔物が少ない海でしか魚が獲れないのだったら、漁獲量も減るから内陸の分まで獲れないのだろう。
「美味しそう……ジュル」
「うん……」
「……」
「……」
「やっぱり我慢できない!」
「僕も!」
姉弟が醤油の入った小皿と一緒に添えている箸を掴むと、俺に倣ってワサビを醤油に入れ、刺身を食った。
「「ぐはっ!」」
姉弟は刺身を食ったとたん、口を開き咽こんで涙を流している。
ワサビの付け過ぎだ。
それでも貴族様の屋敷で吐き出すのは無礼だと思ったのか、なんとか吐き出さずに飲み込んだ。
先に食べた事は姉弟には失礼に当たらないようだ。俺の常識には当てはまらないのだが。
「辛ーい!」
「でも美味しいよ!」
涙を流しながら姉弟が美味しいと言う。
「でも、こんな辛さは初めて。辛いのにサッパリしてる」
「うん、すぐに消える辛さだね」
ワサビだからな。ワサビとはそういう薬味だ。
辛さの元がワサビだと教えてやると、次はワサビを控えめにして食べた。
すると、みるみる姉弟だけで一皿完食してしまった。呆気に取られて執事はおろか、お嬢様も食べてない。
「おい」
「えっ?」
「あっ!」
そこでようやく姉弟が現状に気付いたようだが、既に遅い。もう、大皿の上には一切れの刺身も残ってない。
「「……ごめんなさい」」
一気に小さくなる姉弟。それを執事がフォローした。
「まぁ、よいではありませんか。私もお嬢様に生で差し上げるのは気が進みませんでした。しかし、言葉は悪いですがお二人が毒見役なさってくださったと思えばちょうど良かったと言えます。どうでしょう、アスラム様。もう一皿お願いしてもよろしいでしょうか」
「……もう一皿だけだぞ。お前達はもうダメだ。そこで正座してろ」
「「はい……」」
執事にはお礼を言われ、仕方なくもう一皿刺身を作った。
「それと、このサシミを食するのにフォークではいけませんか?」
執事が箸を見て尋ねてきた。
別に構わないのだろうが、それは俺の見ていない所でやってほしいものだ。刺身には箸。当たり前の話だ。
姉弟は、俺が箸を使って食べるのを真似て、この何日かで箸には慣れたようだが、この世界では箸は使われてないと聞いている。
だが、和食には箸。フォークで食うなとは言わんが、俺の見てないところで食え。
「いいと思います」
「ええ、フォークでも食べれますよ」
正座して反省中の姉弟が横から口を挟む。
何を勝手な……
「ありがとうございます。では、お嬢様」
俺のこだわりをよそに、令嬢がフォークで一切れ刺して食べた。
「まぁ! 美味でございます」
令嬢はワサビを付けずに醤油だけで食べた。さっきの姉弟の自爆を見たからだろう。
次にワサビを少しだけ刺身に乗せて食べると、さらに刺身を絶賛した。
ワサビは美味いし、抗菌・殺菌の作用もあるからな。付けて食った方が身体にもいいのだ。
「じい達もお食べなさい。大変美味しゅうございますよ」
「よろしいのですか?」
「ええ、今日は冒険者の方々との場です。そう畏まらずにもよいでしょう。さ、ファニーもお食べなさい」
さっき魚の入った収納バッグを持って行ったメイドはファニーと呼ばれる女だった。
馬車でも一緒だったが、印象に残っていなかったので名前は覚えていたが、顔は覚えてなかった。こんな顔の女だったか。
ファニーは、先に渡していた収納バッグを俺に返してくれた。中身の魚は全部取り出し、代わりにお金を入れてくれたようだ。
俺に収納バッグを手渡した後、すぐに執事の横で刺身を食い始めている。
「それでアスラム様。なぜ、こんなに小皿が多いのですか? 別のものをトッピングしたりするのでしょうか」
刺身を絶賛していた執事が、フォーク片手に尋ねてくる。
令嬢、執事、メイドの三人だから、小皿は三つでいいはずなのに、俺は七つ出している。
「それは隠れてるお仲間の分だが? 俺は人数分出してるはずだが間違ってるか?」
俺の言葉に三人の手が止まる。
だがすぐに、観念したかのように執事が謝罪をしてきた。
「バレていましたか、流石でございますね。大変申し訳ないとは思いましたが、お嬢様の護衛のために潜ませておりました」
それはそうだろう。初めて会う冒険者に護衛も無しだとは思えない。この執事もそこそこやるようだが、タック相手でも負けるだろう。
だが、問題はそこではない。潜んでいるものが赤マークなのが問題なのだ。
今は執事は赤から緑に変わってる。緑は中立を示す色だ。俺達に害が無いと判断したのだろうか、それとも餌付けされたか。だが、潜んでる奴らは赤のままなのだ。
「しかし、それにしては小皿の数が合いませんが。余りは四つございますが、うちの手の者は二人でございます。あっ、こちらのお二人の分でしたか」
なに。潜ませてるのは二人だと? ならば、後の二人は何者だ。
ふと気になりミャールを見ると、右手でVサインしている。何か気付いたのか。
「姉ちゃん、計算したんだね、左手に四が残ってるよ」
タックに指摘されてサッと左手を隠すミャール。
四-二で二と回答してくれたようだ。何か気付いてのVサインでは無かったのだな。
おや? 二つの赤点が移動しているな。別の二つの赤点に向かっているのか。
むっ、動いてなかった赤点が消滅した。という事は死んだか。
どっちが死んだのか……動いてなかった方だという事は、執事側の者の可能性が高いな。こちらを見張ってて動かなかったのだろうからな。
ということは……来るか。
俺の予想通り、二つの赤点がこちらに近付いてくる。
「おい、ミャールにタック。座ってないで戦闘体勢だ」
「えっ? どういう事?」
「なになに? 戦闘体勢?」
「そうだ。死にたくなかったら早くしろ」
チッ! もう赤点がそこまで来てるぞ。
こっちは誰も戦闘体勢になってない。
【四指四点結界】
四本の指から、火・水・風・土の属性弾を四方の床に着弾させた。
着弾した属性弾を繋ぎ、箱型の結界を張ると同時に二人の刺客が部屋に突入して来た。相手の力量からすると、堅固なピラミッド型にする程でも無いだろう。
突然の襲撃に誰もが対応できていなかったので全員を囲むように結界を張った。
ビターン! と間抜けな音を立てて結界に張り付く二人の刺客。そのまま後ろにひっくり返った。
【二指麻痺弾】
まだ意識はあるようなので、即座にそれぞれの刺客に向けて麻痺弾を放った。
麻痺弾は結界を抜け、刺客に着弾すると、刺客はその場でピクピクと痙攣した。
自ら結界にぶつかり倒れていた奴らだ、無害化にするのは簡単だ。
この結界も俺が試行錯誤を重ねた自信作だ。
外からの攻撃は魔王の側近程度の攻撃までなら防ぐ事ができ、中からの攻撃は通すように調整してある。
今は無色透明で張ったが、色を着ける調整もできるのだ。しかも、なんと自分で解除する事もできるのだ。フフフフ、この結界を完成させた時の感動といったらなかったな。つい勢い余って、俺って天才だー! と叫んでしまったからな。
人はこういうのを黒歴史と呼んだりするようだな。
「執事、こいつらはお前の手の者か」
「……」
突然の出来事に唖然とする執事。いや、執事以外の面々も何が起こったのか分かってない様子だった。
その中でも、アスラムに対して免疫のある姉弟が初めに我を取り戻した。
「……アスラム……こいつらって?」
倒れている侵入者を見ながらタックが質問した。
「まさかサシミを狙って!?」
見当違いな回答に辿り着くミャール。
「刺身を狙ってというのは絶対に違うが、こいつらが何者なのかは俺の方が知りたい。おい、執事。こいつらはお前の手の者なのか」
「……」
「おい!」
「……はっ! この者たちは何者ですか! はっ、お嬢様!」
やっと我を取り戻した執事だが、こいつらは執事の手の者では無かったようだ。
今は主人であるお嬢様の前に立ち、賊に向いてお嬢様を背に庇うように警戒している。指笛を鳴らして誰かに合図も送っていた。
遅すぎる。これではガードなど務まらない。まだ、姉弟の方がバカだが役に立ちそうだ。姉弟は見えない壁にぶつかって転がった賊に驚き呆気に取られたようだが、賊が侵入して来た時は反応できてたからな。
「おい、執事」
「な、なんですかな」
「ようやく返事をしたな。こいつらの事は知らないようだな、ならば殺すか」
「なっ!?」
「ちょ、ちょっと待ってよアスラム」
「そうよ! なんであんたはそう短絡的なのよ! すぐに殺す殺すって言わないの!」
「なぜだ。俺達を殺そうと向かって来た奴だ、殺してしまうのが当たり前だろ」
これは当然の処置だろう。顔を隠すように仮面をしているが、その姿は暗殺者のそれだ。
真っ黒で統一された装備は動きやすい軽装備で手には毒付加や麻痺付加のダガーを持っていた。俺の持ってる装備でも似たものはあるが、いずれも隠密性に優れたものを纏っている。
レベルも40オーバーで、速度に特化したステータスをしている。その分、攻撃力や防御力は低目だが、暗殺者なら堂々と戦う必要は無い。相手に気付かれずに喉を掻っ切ればいいのだから。
そんな奴をどうして生かしておかなければいけないのだ。知り合いでないと言うなら、とっとと殺してしまえばいいのだ。
「お待ちください」
姉弟と執事の後ろから、令嬢が待ったをかけた。




