俺の肩書きに悪役を付けるな
”悪役”ーーその冠を被せられるほど、内面の白くない部分を露呈させてはいないのだが。
悲劇の主人公とその運命の相手。ことごとく邪魔をする婚約者。醜い嫉妬の末のすったもんだ。得てして大団円はざまあみろで飾られるーーそういったものは、男二人と女一人でやらかすものだったか。お笑い種にもならない。というか、俺は一刻も早く執務室に向かいたいのだが。仕事をさせろ。婚約なら何百回でも勝手に破棄してくれろ。ドブに捨て置け。回収はしない。微生物に分解してもらえ。
上で述べたものを数千倍濁らせたといった具合の内心をひた隠しにして笑っているのだから、悪役だなんて呼ばれる筋合いは皆無であろう。よろしいか。
◇
親の勝手な事情で結ばれた縁のどす黒いことこの上なし。それに尽きる。当方色恋沙汰に現を抜かす暇もないというのに、軽い頭に軽いフットワークの名目上の婚約者になど構いたくはないものだ。
「アルベルト様、見損ないましたよ」
優秀だと買っていた男が口を開く。説得力のある詭弁、もとい演説で地位をもぎ取っただけはあって理路整然が行動理念のような男に似合わない、ことに頭の悪そうな切り出しだ。シュルク、見損なっているぞ、現在進行形でがんがんと。
「散々ロゼッタ様を放ったらかしにしておきながら、傷付いた彼女を慰めようと近づく部下に嫉妬されてことごとく意地悪をなさるなど、上に立つ人間としての品格を疑います。しかし、残念でしたね。私は彼らのようにはいきませんよ」
仕事中は寡黙なはずだった割りにぺらりぺらりと責め立ててくるな、なんて感心しながら一瞥やれば、奴の背で身を小さくしている人物と目が合った。あれだけ潤んでいてはこちらを認識できているかも怪しいところだろう。丁度良い。いつもぶん投げてやっている王子風スマイルをわざわざ作る手間が省けるというもの。人様の昼の僅かな休憩をふんだくって奇天烈な論法で話を進めようという相手にくれてやるものなど何一つ持ち合わせていない。内容の浸透しない語りをよもやお前がするとは思わなかった。思わなかったぞ、シュルク。
長く細く息を吐いて、書類に絶えず走らせ続けた目を癒すために青々とした空を見上げる。
「お優しいロゼッタ様はいつも心を痛めていたのですよ。貴方の身勝手な嫉妬と執着のせいでご自身の周りの男性たちが苦しんでいる、と」
ここの空はいいものだ。領主として収めている愛着や贔屓目を抜きにしても。遮るものは少なく、澄んでいる。多少の不純物なら許容する寛容さが素晴らしい。
「あの、アルベルト様、私、今のままではこの婚約も考え直さなければと……」
見習うべきものだが、取り入れる気は今のところ、一切ない。
「シュルク、もう間もなく馬車が来るぞ」
片付けた側から積み上がっていく書類がある。残業なしで済むならそれに越したことはない。踵を返しながら言えば、男がぱっと立ち上がった。長らく地面に付いていた為に汚れた膝を軽く払う男の背で、「もう! シュルク様!」と避難の声が上がるが、知ったこっちゃないという風である。まあ、かく言う俺も知ったこっちゃない。早急に仕事に取り掛かりたいという項目が九割八厘ほど占める頭を、お付きの者はいつものごとく建物の陰にでも上手いこと潜んでいるのだろう、それでもって、さっさと回収に来る気はないのだろうと諦念が過る。「本日はここまでですね」と言ったシュルクに視線を戻せば、ぺちぺちと愉快な音が聞こえそうな重さで背中を叩かれているところだった。あれは、かなり、こそばゆいだろうな。
「シュルク。迫真の演技だったな」
「いえ。ロゼッタ様の渾身の演技指導の賜物にございます」
ざかざか歩いてきたシュルクは、無表情の下に微量の疲労を滲ませていた。嫌味と皮肉のみの言葉を掛けた身で言うが、同情しかけた。お前が無理をしてまでおままごとに付き合う理由が計れない。先の弾劾で叫ばれた、俺が意地悪したという部下たちはみな揃いも揃ってあからさまに彼女側に付いていたのだが、シュルクはどうにもそのようには見えない。何を考えているのやら。
「私、本で勉強していますもの」
たったったとこちらに来て誇らしげに胸を張る”婚約者”ーーロゼッタ様。銀の髪に青い瞳の愛らしい姫君、らしい。失礼どころでは済まないが、なかなかそのようには。
全く、本当に。無駄に軽やかな発想力と行動力には敬意を表するしかない。一体、何を読んでいるのだ。女王陛下の愛読書はまだお早いだろうに。
こちらが見下ろすわけにはいかない。しゃがみこんで目を合わせていただく。
「ロゼッタ様は、私とーー」
「だめよ、”私”なんて。他人行儀、でしょう?わたくしとアルベルトさまは”あちゅらちゅ”なのだから、堅苦しいのはだめなの」
ああ、危ない、唸りかけた。ませていらっしゃるし、知識が偏っていらっしゃる。あちゅらちゅ、とやらが何かは俺は知らないが、きっとろくでもないのだろう。それはあまりアテにしたくない勘が叫んでいる。迷う素振りだけしておこう。それで、ひとつ、咳払いでもしておけ。
「う、……げほっ」
手をぎゅっと握られた。想定外のことに想定外に噎せていたら、音もなく近づいてきていたらしいシュルクが軽く背中をさすってきた。大丈夫だ、と手で示す。また音もなく下がっていく。
「ロゼッタ様は、俺と婚約破棄したいのですか?」
始業の鐘が鳴るまでに戻れるよう、確実に事を収めようではないか。ぽかんと思考停止なされたロゼッタ様を少し見上げる。穏やかに、微かに悲しげに見えるアングルーーだということは経験上知っている。
「俺はもう間も無く領地に戻ります。ロゼッタ様、貴女もそろそろお帰りにならなくては。陛下がご心配のあまり卒倒なさりますよ? もしくは、そうですね……ロゼッタ様を帰したがらない俺をロリコン野郎と決めつけになられるのではないでしょうか。ああ、そうなると俺たちの婚約破棄は免れぬでしょうね」
ざーんねんですが、という表情は上手く作れたはずだ。眉尻をやや下げて、軽く笑めばよい。先程までのうるうるを嘘のように消したーーいや、実際問題あれは嘘なのだけれどーーロゼッタ様が目を丸くしながら見つめてくる。あれは忙しなく頭が回っているときの顔だろう。くるくるきゅるきゅる、と。
数秒後、拗ねた顔になって叫ぶ。
「わ、私がアルベルトさまと結婚するの」
むすっとむくれてしまった彼女には申し訳ないのだが、当分結婚は無理である。倫理的に。
ロゼッタ様は華やかな生誕記念パーティー迎えられたばかりの十二歳。二十八歳である俺との年の差は十六。
無理であろう。流石に無理だ。
両親が現国王夫妻と何故だか仲良しこよしなのがいけなかったのだと思う。年の差なんて愛さえあれば関係ないわよねなんて身勝手な理論で会わされて、不思議なことにロゼッタ様に気に入られてしまったことは幸か不幸か本当に判断に困る。自分で言うのも何だが胡散臭い人間だ。勘の鋭い子供に気に入られるわけが分からない。
まあ、なんだかんだあってーーそう、本当にいろいろあって、晴れて婚約が結ばれてしまったのだ。
そうして、何処に行っても薄く貼られ続けるロリコンのレッテルを引っぺがすためにと、一貫してロゼッタ様との間に溝を掘り続ける俺と、それをがんがん埋めて駆け寄ってくるロゼッタ様の図が完成されたのだが。残念なことに、俺が悪役という風に映るらしい。ああいや、”悪役”はいただけない。
「それなら何故、このような?」
「婚約破棄をほのめかせば、アルベルト様が焦ってくれるかもって……シュルク様が」
野郎、優秀方向に振り切れてる針を馬鹿の方に振り切りやがった。背後で控える男を密かに憎む。
「そうですね……それよりも、慎重さと思慮深さを身につけていただかないと。あと、俺相手なら青天白日なだけでは駄目ですよ」
言ってから気がついたが、これは要らないことを言った。なんというか、口が滑った。
「せいてん?」
こてんと首を傾げられても困る。可愛らしい顔は俺に向けなくてもよいのに。
「それがわからないうちは結婚はできませんね」
「アルベルトさまはいじわるですのね」
僅かに沈んだ声に慌てておく。
「嫌われてしまいましたか……?」
「もう! アルベルト様ったら。そんなところも素敵ですわ、と言おうと思っていたのに」
「……」
しまった。上手く慌てていたか。自信がない。ロリコンへの道を踏み出すわけには。違うな、違う。妹がいたら、というところだ。一人っ子だから仕方が無い。
「アルベルト様?」
「いえ。何も」
しかし、悪役呼ばわりはいただけないな。清廉潔白領主として売っている俺に、悪役領主の名は不要だ。この地に不純物は要らない。
だからと繋げて良いかはわからないが、俺は顔だのなんだのを最大限利用して媚を売りまくろう。純粋無垢で強かになりきれないお姫様に。その分、時間が空けば我儘はいくらでもお聞きしよう。時間が空けば。
数年後にこの妙な婚約がどうなっているかはわからない。彼女が、あんなのもういらない、といえばそこまでで終わる関係なわけであるし。だから、今使えるものは使わせていただこうじゃないか。
明言出来る。悪役になるつもりはない。
◇
十二歳の第二王女・ロゼッタ様と二十八歳の領主・アルベルト様が婚約を結ぶという不可解なことになったのは、御両親同士が非常に親しいからであり、ロゼッタ様があまりにもアルベルト様にぞっこんだからである。そして、ロゼッタ様の御父上である現陛下が親バカだからである。ついでに言えば、アルベルト様がえっらい策士だからだ。実力でのし上がられたアルベルト様は、領民のために安定を確保するまでは御自身は己のものではなく、領地のものだとまで考えているのだと、部下のひとりに過ぎない私にもわかる。全くもって、クレイジー。
「で、シュルク。お前がノるなんて珍しいじゃないか」
ロゼッタ様と向かい合っていたアルベルト様が振り返る。呆れたような薄い表情。なんと答えるか数秒迷ったが、この人に嘘は付けない。
「アルベルト様がロゼッタ様を意識なされるのを早めようかと」
「お前もか。本当にどいつもこいつも無理を言うな。意識した途端に俺は変態だろうが」
自分を最も使い勝手の良い道具だと思っているであろうこの人が、ほんの少しでも人間として生きてくれるなら、悪役だろうとロリコンだろうとなんでもよいのだが。
ロゼッタ様、期待していますよ。演技力を磨いて参りますので、”悪役”ならお任せあれ。
シュルク氏はアルドア様に忠誠を誓っていて純粋に幸せを掴んでくれと思っているので、ロゼッタ様の恋を応援するロゼッタ様の従者とは仲良くなるのだろうと思います。結託してアルドア様をロリコンに(おふたりをくっつけようと)するのでしょう。ファイト。