美術館のセーラー服と避けられぬ罠
「なあ、トキ」
「何ですか、絵美さん」
工房の片隅で何かの彫刻を制作している最中の絵美が、作業に集中しながら刻和に話しかける。
「セーラー服着てよ」
「……はい?」
机で事務作業中の刻和の手が止まる。
と同時に、
(またなんか妙なことを言い出したよこの女)
と刻和はいつもどおり反射的に諦めの境地に達する。
この芸術家兼山奥の小美術館館長である年上女性・絵美が創作活動中に適当な無茶ぶりをふっかけてくるという日常茶飯事から、美術館スタッフの刻和は幾度と無く逃げ切れず、結果としていつも災難に遭う。
「ああ、セーラー服なら奥の部屋のカエサル像が着ているぞ」
「いや、今場所が分かんなくて硬直している訳じゃないですからね」
というかなんで彫刻の作品にセーラー服なんて着せているのだろうか。
今更だが全くもって謎である。
「トキ、お前はまた一つ何か勘違いをしているんじゃないか」
「あー、はいはい」
「何? もったいぶらずに話せって? いやしんぼめ」
(アンタの方が勘違いも甚だしいっての)
「お前は『セーラー服万能説』を信じてないみたいだな」
刻和に背を向けたまま、そして両手にのみと鎚を持ったまま、絵美はやれやれと首をふる。
正直この上なくうざったい。
「分からんか? セーラー服を着た女子は何を持たせても、何をしても絵になるという真実を」
「あ、そう」
語り始めたら止まらないのは火を見るよりも明らかなので、適当に相づちを打っておく。どうせいつもの自己満足演説なのだろうし、工房でただ一人の聴衆たる刻和のことなんて気にもかけていないに決まっている。
「ヨーヨーや機関銃はもちろん、紅蓮の大太刀や鉈、雀牌、果てには最近は戦車や連装砲まで持っていることがあるのだぞ。なんという万能装備ではないか。それだけではないぞ。動きもダイナミックなものになる。スカーフや襟のはためき、躍動感あふれる乳とスカート、最高じゃあないか」
「フーン」
「ちなみに私はセーラー服にはニーソは似合わないと思っている。むき出しの膝小僧が最高だろJK。セーラー服なだけにJK」
(別にそれほどうまいこと言ってもいないし)
とは思っても口に出さないでおく。
ここまで語った絵美は、止めていた手を動かしながらもまだ言葉を続ける。
「それに『動』だけではないぞ。セーラー服は『静』も映える。特に座ったポーズはは格別だ。、正座、女の子座り、体育座り、座禅……どれも魅力的でたまらない」
(この女、性別間違って産まれたんじゃね?)
「という訳だ。セーラー服着てくれ、トキ」
「いや意味分かりませんから」
雇い主に対してツッコミを入れつつ刻和は足元の電気ストーブを切って事務机を離れた。
「ようやく着る気に――」
「一切なってないですからね。買い出しに行くだけですよ」
椅子の背に掛けてあったコートを着て工房の外に出る。
外気に触れた途端、その圧倒的低温に身がすくんでしまう。
いくら今がひだまりポカポカな昼下がりとはいえ、ここは車も人もめったに来ない自然豊かな山奥。しかも時期は木枯らし吹きすさぶ真冬だからそれはもう身にしみるような寒さだ。
山里の基本的移動手段である自動車が置いてある車庫へ向かおうと足を踏み出した瞬間、
何故か突然刻和を襲う浮遊感、
直後、へその辺りが強制的に地球の中心へ引き寄せられる感覚、
工房の中から聞こえてくる「トラップ発動! 『血みどろの落とし穴』ぁぁ!」という絵美の声、
「いつの間に仕掛けやがったぁ!?」という、もはや本能としか言いようのない咄嗟の刻和のツッコミ、
かくて朱に染まる刻和が完成した。
簡単に言うと、刻和は絵美の仕掛けた「赤ペンキの溜まった落とし穴」に爪先から頭のてっぺんまで浸かってしまったのだった。
「……やっと汚れが落ちた」
風呂から上がった刻和がため息をつきながら脱衣場でバスタオルで下半身を包む。
窓の外はもう夕暮れ。陽が山に隠れるため、都会にいた時よりも沈むのが早く感じられる。
「はあ、とんだ災難に遭った――」
「○ン長百九十五センチのトキが小さく見えるほどのビッグタオル!」
いきなりガラリと戸を開けて、絵美がセクハラまがいの言葉を発する。
「――主にアンタのせいでな!」
「男の着替え現場に乱入する女、絵美!」
「あー、はいはい」
正直セリフの意味が、そしてこの女館長の存在意義がさっぱり分からない。
「なにげに最後一番ひどいこと思われた気がするぞ」
「知らん」
「ほらほら、取り乱してバスタオルをハラリしなさい」
「そんなコメディみたいな展開になるか!」
「ほらほら、呼吸を乱してムラムラしなさい」
「……うぜー」
「ふむ、邪神理論というわけだな」
絵美が何か思案している脇を通り過ぎ、刻和は壁際のタンスの引き出しをカラリと開ける。
「絵美さん?」
やけに軽かった引き出しに手をかけたまま、刻和は静かに絵美に問いかける。
「お、ついにヤる気になったか?」
「タンス、なんでカラなんですか?」
「洗濯当番は、ただの概念に成り果てたのだよ」
「つまり?」
「ここ一週間、創作活動ばかりして失念していたのだ」
「サボったんですね……貴女の唯一の家事だというのに、他の家事はすべて僕がやっているのに、一つぐらい家事を任せないと人としてだめになるとこちらは思っているのに」
「そうともいう」
彼女は自分の耳が痛くなることを器用に一切スルーして、サボったことを認めた。
「まじめにどうするんですか? このままだと僕、着るものないじゃないですか」
「パンツすらないか?」
「あたりまえじゃないですか」
刻和は嘆息して腰にタオルを巻いたまま脱衣場を後にし、無駄に広いゴミ溜めのような工房バックヤードから代わりの服を探そうとする。
「着るものなら、おあつらえ向きのものがあるじゃないか」
絵美が刻和に声を掛ける。
「……これを……着ろと……?」
振り向けば、彼女は彫刻のカエサル像を指さしていた。
「他にないだろ?」
正確には、像に着せている、白を基調とした清涼感あふれる衣類――またの名をセーラー服――を指さしていた。
「トキは年齢のわりに若く見えるて背も低いし、ぶっちゃけショタっぽいから問題ないだろう。声も男にしてはちょっと高いし」
「……人が一番悩んでいることをずけずけを仰りやがりますねえ」
額に青筋を浮かべながら、
(またしてもこの館長の手の上で踊らされた……)
刻和は心の中で自分の情けなさを嘆いた。
「下着も新しいのないから、スカートの中はノーパン、か。非常にそそるな」
この女、手に負えなさすぎる。
思案投げ首な刻和は、覚悟を決めたのか、それとも諦めたのか。半ばやけになってカエサルの衣服を剥ぎ取るのだった。