魔封少女みそら
アニメでいうと三~四話くらい。幹部登場回。
「なァ、魔封少女さんよ」
「…………なんですか」
「怖くねえのか?」
「………………怖い?」
「天使どもの勅命だかなんだか知らねえがよ、才能があるからっていきなり武器渡されて戦わされてんだろ? ニンゲンをブチ殺す俺らから、お前だけ逃げることも許されずに」
「……………………」
「女だろうが子供だろうが関係ねえ。皮ひっぺがして肉引き裂いて血ィ飲み干して魂噛み砕く。それが悪魔だ。お仲間がそんな風に死ぬのを散々見てきたくせに、なんでお前は平気で悪魔の前に立てる?」
「…………そう、ですね。確かに怖いです、死ぬのは………………」
「やっぱり、怖いのか」
「……だけどそれ以上に、わたしはあなたたちが許せないんです。もこちゃんを、鹿ノ子先生を、丙先輩を、蜂須さんを、わたしの知らない沢山の人を、本当なら今日も生きていたはずの人たちを……惨殺して虐殺して殺戮した悪魔を、わたしは許せない」
「たりめえだ。殺さなけりゃあ悪魔じゃねえ」
「死ぬのは怖いけど……わたしが戦わなかったせいで人が死ぬのはもっと怖い。そんな光景を見るくらいなら、わたしは戦って死にます」
「……殊勝なこったな。ガキらしくもねえ」
「あなたたちのせいですよ……わたしだってまだ、ただの子供でいたかった」
「お前の都合なんざ知るか」
「別に知ってくれなくて結構です。言いたかっただけですから」
「そうかよ……じゃあ、それがお前の遺言だ。その言葉通り、お前は俺と戦って死ね」
「死ぬのはあなたです。すべての悪魔を殺すまで、わたしは死なない」
「は、死ぬまでぬかしてろ」
「はい。死ぬまで言い続けます」
魔封少女は不敵に笑った。悪魔はにこりともしなかった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
『起きろ天美みそら。悪魔反応だ』
「………………」
魔封少女天美みそらは、普段はごく普通の中学二年生である。
悪魔が出現した際は彼らと血を血で洗う死闘を繰り広げているが――それはあくまで非常時ならぬ非情時の話。これまで数多の悪魔を封殺してきた魔封少女といえど、常在戦場というわけではない。
だから授業がなく、悪魔も出現しないような休日の早朝には、中学生らしく普通に寝ているのだが……
『起きろ天美みそら。悪魔反応だ』
「………………」
みそらは窓辺に佇む白い鳩の頭をぺしんと叩いた。
『痛いぞ天美みそら。私は目覚まし時計ではない』
「…………ん、あ……カリエムさん…………」
目をこすり、みそらはようやくこの鳩がファンシーな目覚まし時計ではなく、自らの知り合いであることに気づいた。
「…………あれ? まだ六時じゃないですか。こんな時間にどうしたんですか?」
『………………悪魔反応だ、天美みそら』
きょとんとしているみそらに呆れながら、カリエムはみそらの部屋に入り帽子掛けに止まった。
「あく、ま………………悪魔ッ!?」
カリエムの言葉を反芻したみそらは、驚いてベッドから飛び起きた。
「悪魔ですかッ!? こんな時間に!? 朝の六時ですよ!?」
『悪魔は睡眠を必要としていない。ニンゲンの生活リズムを当て嵌めるのはナンセンスだ』
「……と、とにかく! 悪魔が出現した地区は? 魔空間の規模は? 悪魔のレベルはわかりますか?」
カリエムに矢継ぎ早に質問しながら、みそらは素早く着替えを始める。鳩とはいえ誰かの前で服を脱ぐのは恥ずかしいが、非常時にそんなことは言っていられない。どうせ相手は鳩だし。
『……奇妙なことだが、今のところ魔空間は発生していない。しかし、微弱ではあるか悪魔の反応はある……』
「えっ? それってどういうことですか?」
みそらは思わず着替えを止め、問い返した。
「確か悪魔って地獄にしか存在しない『魔毒素』がないと生きていけなくて、この御境市にだけある『境界の揺らぎ』から魔毒素を流し込んで魔空間を作らないと、人間界に出ることが出来ないんじゃ……」
『そう、そのはずだ』
カリエムは重々しく頷いた。
『本来ならば悪魔は魔毒素の存在しない空間で行動できない。しかし……』
「どういうわけか悪魔の反応がある、と。……検知器の誤作動か故障じゃないんですか?」
『現在点検中だが、今のところ異常は見つかっていない。念のため貴殿も、反応があった地区に向かってくれ』
「わかりました。悪魔の階級は?」
『最下級の魔騎士だ。だが油断するな。もし検知器が故障していた場合、階級も間違っている可能性がある』
「了解です」
頷き、みそらはセーラー服のリボンを結ぶ。寝癖のついたセミロングの髪をとかしつけるのも忘れない。
『私は「揺らぎ」周辺を探索する。何か異常があれば、いつも通り「パブティパクト」で連絡するように』
「はい」
みそらはプリーツスカートのポケットに『パブティパクト』――折り畳み式携帯電話とコンパクトを足して二で割ったような形状の小型機器をしまう。
『では――幸運を祈るぞ、魔封少女みそら』
「かしこまりました!」
カリエムが窓から発つのを見届けると、みそらも身支度して部屋から出た。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
時を遡ること、数時間前。
「――――あァ? また魔騎士がやられたァ?」
「うん……今月に入って六匹目だね……。あの『魔封少女ちゃん』が現れてから……もう十三匹は殺されちゃったね……」
例えるなら、夕陽のない黄昏時のような光景だった。
空は燃え尽きた橙色、大地は乾ききった灰色、大気はぼんやりと薄紫を纏った、地上にも天上にもありえない空間。
そこには二人の人間――否、二体の悪魔がいた。
「おいおい、おいおいおいおいおい! 十三匹ィ? 十三匹もなんにも成果挙げられず、どこぞのガキにブッ殺されたってのかァ? 大将になんて説明する気だ、フェーゴルよォ!」
一方は古代ローマ兵のような鎧を着た、赤い肌の目付きの悪い長身の男。顔の左のこめかみから頬にかけて、『666』の刺青がある。
「言えるわけないよ……。言ったらきっと頭と胴が一体化しちゃうくらい頭ぺしんぺしんされちゃうもん……。だからおかしらサマの左腕である君に相談してるんだよ……? ナタスくん……」
もう一方はだぶだぶのローブを纏い、カールした髪をだらしなく伸ばした精々十歳前後の子供。その身体には大きすぎる車椅子に腰掛け、頭の両端から生えた羊のような角を弄くっている。
「はっ。確かにそれ以上チビになったら困らあな?」
「うん……。ちょっと身長わけてほしいくらいだよ……」
軽口を叩き合っているが、両者とも顔色は思わしくない。ナタスは今にも怒髪天を突きそうな、フェーゴルは憂鬱で死にそうな顔をしている。「たかがガキ一匹何を手こずってんだよ。天使ならまだしも、ニンゲンだろ? 悪魔の面目丸潰れじゃねえか」
「私たちに『面目』なんてあってないようなものだけどね……。まあ……それにしたってこの状況はちょっとまずいかな……?」
フェーゴルのとぼけた言い方に、ナタスはいらいらしたように地面を蹴る。
「で……どうする気だ、これから」
「うーん……とりあえすバルゼブのゼブブ騎士団から魔総裁を何体か借りて送り込もうと思ってるけど……魔封少女に殺されたらバルゼブに怒られるだろうなあって……憂鬱で……」
「……そういやあフェーゴルよォ。『毒素ボンベ』はもう完成したのか?」
と、ナタスはいきなり話題を変えた。
「…………? まだ未完成だよ……? カタチにこそなってきたけど実戦投入はできないね……。積み込める魔毒素が全然足りないんだ……」
「もし俺が使うとして、地上で何分持つ?」
「君が……? ええと……魔王クラスなら、精々三十分……かな……? ……って、まさか、君……」
「ああ、俺が行く。俺が直々に、魔封少女をブチ殺す」
フェーゴルは驚きのあまり立ち上がった。
「な……何言ってんだよ……!? 君は一応、悪魔のトップだぞ……!? 何も君が動くことはない……部下に任せればいいじゃないか……! まだ未完成のものを使って、君の身に何かあったら……!」
「やっかましいッ!!」
突然ナタスが怒鳴る。フェーゴルは驚き、再び車椅子に座った。
「十三匹だぞ……? 十三匹も、同胞がブチ殺されたッ! どこぞのガキに、なんの成果も挙げられずに!」
「………………」
「魔封少女は既に悪魔にとって脅威となっている……その手が大将に伸びる前に、全力で潰す! それが俺の役目だ!」
「………………そう、か」
フェーゴルは静かに頷くと、車椅子の肘掛け部分を操作し、車椅子を動かした。
「クレームもクーリングオフも受け付けないからね……君の身に何が起こっても、あくまで自己責任だ……」
「……わかってらあ」
「…………死んだら許さないぞ? 私も、おかしらサマも、みんなも……」
「馬鹿、俺が死ぬかよ」
ナタスは顔をしかめ、フェーゴルはふ、と笑った。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「ここに……悪魔が……?」
悪魔反応があった地区――御境市北東部にある多目的公園に着いたみそらだったが、そこに悪魔の気配を感じとることは出来なかった。
「悪魔っていうか、人も全然いないし……やっぱり誤報だったんじゃ……?」
しかし万一のことを考え、まだ朝靄の中にある園内を探索する。
「……イン・プリンチピオ・エラト・ベルブム……」
みそらは歩きながらパブティパクトを開き、呪文を唱えながらボタンを操作する。
「……エト・ベルブム・エラト・アプド・デウム……やっぱり反応がない……」
パブティパクトの画面には『Not Found』の文字しか表示されない。みそらは溜め息をついてパブティパクトを閉じ、ポケットにしまう。
「どうしよう……異常なしって連絡して、帰ろうかなあ……」
みそらが悩んでいると、前方から咳き込んでいるような声が聞こえてきた。
「――げほッ、げほげほげほッ、げえッ……!」
「? 何かあったのかな……」
その声に何か尋常でないものを感じ、みそらは声の元に向かう。
「――――――大丈夫ですかッ!?」
「げほッげほッ……」
そこには、地面に這いつくばって口元を押さえ、苦しそうに咳き込み続ける男性の姿があった。
「しっかりしてください! 今、救急車を……」
「げほッ、ち、が……げほげほッ!」
男の様子を見て携帯電話を取り出したみそらを、男は手で制止する。
「……ボン……ベ……」
「えっ?」
「げほ……そこらへんに……マスクみたいな奴が、げほッ! ……転がってないか……ェほげほッ……」
「マスク……ですか?」
みそらは周囲を見渡す。すると、男から少し離れたところの茂みの下に、喘息用の吸入器に似た器具が落ちているのを見つけた。
「これですか?」
「……ああ、それだ……」
みそらから吸入器を受け取ると、男は口元にそれを当て、しばらくそれを吸っていた。
「……すまん、助かった」
「い、いえ、そんな……」
症状が落ち着くと、男は口から吸入器を離しみそらに頭を下げた。ちゃんと立っているところを見ると男はかなり背が高いらしく、小柄なみそらを見下ろすような形になる。
「……ご病気、なんですか? 大変ですね……」
みそらは男がまるでロックンローラーのようなワイルドな服装をしているのに気づき、それが気になって仕方がなかったが、さすがに初対面でそんなことを訊くのは失礼なので男の病状について訊くことにした。
「病気……か。まあ、そんなところだ」
男は言葉を濁す。その顔には自嘲めいた表情が浮かんでいた。
「……ガキが朝っぱらからこんなところで何してる?」
と、男はみそらをじろじろ眺めた。
「あ、えっと……学校の、部活動で……」
まさか悪魔退治がどうこうなどと言えるはずもなく、適当に誤魔化すことにした。男はそれで納得したらしく、「そうか」と相槌を打った。
「ブカツドウな……じゃあさっさとそれに行けよ」
「あ、はい。もちろんそのつもりですが……」
みそらは男の体調が気になっていた。もう大丈夫そうだが、しかしいつ発作がぶり返すか。そのとき、この男はちゃんと対処出来るだろうか。
「……俺か? 余計な世話だ。さっきはドジっちまっただけだ、心配されるようなもんじゃねえ」
みそらにはこの男が、もう一度そのような『ドジ』をするように思えてならなかった。
「え、えと…………それじゃあ」
しかし、なんだかんだとぐずって不審な目で見られるのは避けたかったので、ここは男の言葉に従うことにした。ここでやるようなことはもう何もなかったし。
「お、お大事に…………」
男にぎこちなく手を振り、みそらはその場をあとにした。「どうか、あの人がまたどじるようなことがありませんように」などと内心で祈りながら。
そして、「どうか、あの人が悪魔に襲われることがありませんように」と願いながら。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
パブティパクトが着信したのは、みそらが家に戻ったちょうどそのときだった。
「はい、みそらです」
『私だ。例の地区に異常は?』
「ありませんでした」
パブティパクトから響くカリエムの声。みそらはこの鳩がいつもどうやってパブティパクトへ交信しているのか不思議だったが、天使の化身にはそういう不思議な力があるのだろう、と納得していた。
『そうか……やはり誤作動だったと考えるべきか。しかし天美みそら、また悪魔反応があった』
「今度こそ誤作動ではないんですね?」
『ああ。魔空間の反応も確認できた。だが……』
「……? なんですか?」
珍しく語尾を濁すカリエムにみそらは不審そうに訊く。
『…………解析の結果、出現した悪魔のクラスが非常に高いことがわかった。最低でも魔侯爵以上、最悪魔王クラスかもしれない、と』
「『魔王』…………ですか?」
みそらは聞き覚えのない名称に戸惑う。
『ああ。以前話した通り、悪魔の階級は全部で七つ。下から順に、知性の無い獣同然の悪魔、魔騎士。それらが巨大化し、わずかながら知性を有するものが魔総裁。魔伯爵からまともな知性を持つようになり、姿も人型の者が多くなってくる。魔公爵、魔侯爵、魔君主と、魔力や腕力が強大になっていく』
『そしてそれらを統べる、最強にして最悪の悪魔。それが魔王だ』
「…………つまり、敵の大ボスってことですか?」
『平たく言えばそうなるな』カリエムは続ける。『つまり、現在の貴殿には勝ち目のない相手だ』
断言したカリエムにみそらはでも、と答えた。
「なんでそんな大物が……? クラスが高ければ高いほど、魔毒素が濃い場所でないと生きられないんですよね? だから魔空間を作っても、地獄より魔毒素が薄いから魔騎士や魔総裁のような低クラスの悪魔しか送り込めないはずじゃ……?」
『悪魔側も対策を講じてきた、ということだろう。貴殿は既に、悪魔から脅威として見られているようだ』
「……………………」
あまり嬉しくない評価だな、とみそらは思った。今までなんとか生き残ってこれたのは、敵がそこまで強くなかったからもある。自分という宿敵の実力を知った悪魔は、これからはもっと強いクラスを送ってくるだろう。
しかしこれも、件の悪魔と戦って生き延びることができたらの話だが。
「…………で、悪魔の出現した地区はどこですか?」
『戦う気か? 天美みそら……』
カリエムが驚いたような声をあげる。
「もとより『逃げる』なんて選択肢はありませんよ」
と、みそらは言った。
「悪魔を一匹残らず封殺する――――そのためにわたしは魔封少女になったんですから」
『………………そうか。いや、しかし――――』
カリエムはしばし、言葉を探しているかのように沈黙し、口を開いた。
『――敵の実力がわからない以上、直接戦闘はなるべく避けろ。「今」は、他人より自分の身の安全を優先しろ。貴殿は「希望」だ。絶対に替えのきかない、空前絶後の「奇跡」なのだ』
「………………はい」
みそらは感情のこもらない声で頷いた。
『では、私も出来るだけ早く現場に向かう。くれぐれも軽率な行動は控えるように』
「了解です」
みそらに場所を伝えると、カリエムは交信を切った。みそらはパブティパクトを閉じると、玄関から母に「やっぱり朝ごはんはあとで食べるね」と一方的に言って家を飛び出した。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「ここ、か…………」
件の魔空間はあの多目的公園に程近い商店街に発生していた。
シャッターが降りた店舗たちを薄紫色の霧が包み込み、いくつかの店先に店員だと思われる人が倒れている。魔毒素は人間にとっては文字通り毒で、微量でもうかつに吸い込むとこうして気絶したりあるいは体調不良を引き起こす。無論、一定量以上体内に取り込んでしまうと死に至る。
そんな中、みそらは至って元気に商店街を探索している。というのも、みそらは他の人間にはないある特殊な体質を有しているからだった。
魔毒素浄化体質。みそらは全人類でただ一人、体内に取り込んだ魔毒素を無害な物質に分解できる力を持った少女なのだった。
みそらが魔封少女をやることができているのもその体質あってのものであり、数多の悪魔と戦う魔封少女がみそら一人しかいないのもそのためである。
「――――そうだ! 変身しないと……」
頭に血が昇っていたせいで肝心なことを忘れていたことに気づくみそら。近くの店舗と店舗の間にある小さな路地を見つけると、みそらは見ている人間がいないことを確認して路地に入った。
「………………よし」
みそらは誰もいない路地でパブティパクトを取り出し空にかざす。
「――――ドミヌス・テクム・クム・ドミノ!」
みそらが変身呪文を唱えると、パブティパクトの画面から青色の光が溢れ出し、みそらの体は宙に浮き上がった。
光がみそらの体を包み込むと、みそらがそれまで着ていた制服は粒子状に分解される。代わりに光が実体を持ってリボンのようにみそらの体に絡みつき、胸元に黄色い宝石がつけられた大きな青いリボンのついた、青を基調としたロリータ風のワンピースに変化する。
腰回りには白いパニエが弾けるように出現し、腕と足にはそれぞれ水色の長手袋とオーバーニーソックスが現れ、茶色のローファーは紺のトゥーシューズに履き替えられる。
そしてみそらの髪がセミロングから腰に届く長さにまで伸びたかと思うと、髪は空がそのまま写し出されたかのような鮮やかなスカイブルーに変わり、翼に似た形のツインテールに結ばれた。
――――とん、と浮いていた体が地面に降り立つ。双眸に静かな青炎を映す彼女は、もはや天美みそらではなかった。
人に仇なす悪魔を殲滅すべく戦う存在。彼女は魔封少女だった。
「パブティロッド!」
魔封少女が開いていたパブティパクトの中央のボタンを押し込むと、パブティパクトは細長く変形した。十字架のような形状のそれは、魔封少女が武器として使用する杖『パブティロッド』である。
「はあっ!」
だん、と地面を蹴り飛び上がる魔封少女。変身したことによって少女の身体は祝福され、常人の何百倍ものパフォーマンスを発揮できる。魔封少女は軽々と近くの店舗の屋根に着地した。
「…………来たか、魔封少女」
後方から声をかけられる。振り向くと、百メートル程離れた空中に、黒い鎧を着た男がそこに地面があるかのように仁王立ちしていた。
「……………………!」
見ただけでわかる。この悪魔は、強い。この悪魔が呼吸して排出される不要になった魔毒素が、そのままプレッシャーに変化しているようだった。
「っ!」
魔封少女は悪魔に向き直り、パブティロッドを構える。
「全てを包む大いなる空! 魔封少女、推参!」
「わざわざ名乗りご苦労さん。俺はナタス、《憤怒王》ナタスだ」
魔封少女の口上を受け、悪魔も律儀に名を名乗る。そこに含まれていた『王』という言葉に、魔封少女はぴくりと反応した。
「……王…………」
「ああ。『魔帝の赤い竜』って名前の方が、個人的にゃ気に入ってるがな」
誇らしげに語る悪魔ナタスの顔を魔封少女はじっと睨む。王、魔王。カリエムの語っていた、最強最悪の悪魔。その力はどれほどのものかはわからないが、おそらく彼の前では魔騎士など取るに足らぬ存在だろう。そんな彼に、今まで魔騎士にすら苦戦を強いられてきた魔封少女が勝てるかどうか。いや、そもそも戦いになるのだろうか。
「――――――ふふ」
魔封少女は笑いながら自らの頬を叩いた。たとえ戦いにならなくとも、悪魔が眼前にいる時点で『逃げる』という選択肢は消滅したに等しい。こうして向かい合った以上、ナタスが魔封少女が逃げるのをみすみす見逃すわけがないし、何より彼女に逃げる気などさらさらなかった。
悪魔は全て倒す。それが魔王だろうとなんだろうと。天美みそらは魔封少女になったときから、そう心に決めていた。
「悪魔ナタスよ――――」
魔封少女はパブティロッドの先端をナタスの心臓に向け、宣言する。
「魔封少女の名において、わたしはあなたを封殺する!」
「やってみろよ――その前に俺が、我らが『大将』のためにお前を殺す」
紫色の霧の中、青と赤の影がぶつかりあった。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「は、死ぬまでぬかしてろ」
「はい。死ぬまで言い続けます」
ナタスは顔をしかめ、魔封少女の首を掴む手に力を込めた。
人間としてどれだけ強かろうと、魔王にとってはただの少女だった。戦闘なんて成立するはずもなく、それはもはや一方的な凌辱だった。
(…………いけすかねえガキだ。気にくわねえ)
仲間を殺した敵である。もう少しいたぶってから殺そうと思っていたが、少女と話せば話すほどその気が失せていく。ナタスとこの少女は、どうやら絶望的に気が合わないらしい。ナタスは少女をさっさと殺したくてたまらなかった。
(こいつの首をこのままヘシ折れば、それで終わりだ)
(……あっけないほど、簡単に)
ナタスは何かに引っ掛かったが、気を取り直し魔封少女の首をゆっくりと絞めていった。
だが。
『魔封少女ッ!!』
どこからともなく飛んできた白い物体が手に当たり、思わずナタスは魔封少女を離してしまった。宙ぶらりんになっていた少女の身体が地面に崩れ落ちる。
「ぐッ!? なんだてめえは!?」
『対悪魔軍魔封少女補佐隊司令、カリエムだ』
魔封少女の前に降り立ったそれは、どう見てもただの白い鳩だった。しかし、鳩が名乗った名はナタスにとって聞き覚えのあるものだった。
「……カリエム? あんた天使長じゃなかったのか? なんでこんなとこに……天下りでもしたのか?」
『断じて天下りではないが、貴様に説明する義理はない』
天下りだろうがそうでなかろうがナタスには関係なく、「そうか」と頷いていきなりカリエムを鷲掴みにした。
『がッ…………!?』
「あんたがなんだろうがどうでもいい。障害は排除する」
めしめしと音を立て、鳩の身体は血を噴き出しながら変形する。ブルドーザーに巻き込まれた蟻のごとく、その死は避けられようもなかった。
「…………カリ、エム……さん…………?」
と、カリエムの呻き声で意識を失っていた魔封少女が目を覚まして起き上がる。そしてその目は、カリエムの惨状を見ることによって大きく開かれた。
「…………………………、う、あ」
『私のことはいい……早く逃げッ』
「やかましい」
呆然とする魔封少女にカリエムは最期の力を振り絞って逃げるよう促すが、言い終わる前にナタスによって止めを刺されてしまった。
「え、あ」
「無駄だとは思うが、念を入れておくか」
ナタスはそう言うと、鳩の死体を地面に落とし、左足でぐりぐりと踏み潰した。
ナタスが足を上げると、もうそれは鳩と呼べるような物体ではなくなっていた。そこにあったのは、血と泥で汚れきった物言わぬボロ雑巾だった。
「あ、あ、あ」
魔封少女は震えながらボロ雑巾に手を伸ばす。しかし、手が届く前にボロ雑巾はナタスによって遠くに蹴り飛ばされた。
「次はお前の番だ、魔封少女」
「……………………」
ナタスの言葉に魔封少女は答えず、俯いたままゆっくりと立ち上がる。その肩は未だ震え続け、息も荒くなっている。
泣いてるのか、とナタスは思った。無理もない。魔封少女補佐ということは、カリエムとこの少女はそれなりに面識があったはずだ。それを、姿は鳩とはいえ無惨に殺されたのなら悲しむだろうし、ひょっとしたら恐怖すら感じているかもしれない。自分もこうなってしまうのか? と。
だが少女の反応は、ナタスの予想したものとはまったく違っていた。
「…………………………………………ね」
「あ?」
ダン!! と魔封少女は地を蹴りナタスへと突進した。
「死ねッ!!」
「なッ!?」
ナタスの顔目掛けて魔封少女の右拳が振るわれる。とっさに頭を逸らして回避するが、顔に当たった拳の風圧にナタスは戦慄した。
(威力が……上がっている!?)
ナタスは少女の顔を見た。その表情は悲しみでも恐れでもない、ナタスのよく知っているものだった。
怒り。魔封少女は、ただひたすらに怒っていた。
「キレたってのか――仲間を殺されて」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
右が外れたら次は左、魔封少女は返す刀でナタスに殴りかかる。狙いは顎、アッパーカットだった。
「ガキが……なめんなああああッ!」
ナタスは向かってきた魔封少女の左腕を掴んで引き寄せ、その腹に膝蹴りした。
「がふッ……!」
「大体よォ……あいつがああなったのはほとんどお前のせいだろうが! 恨むなら鳩ごときに庇われるてめえを恨め!」
自分が実行犯であることを棚に上げ、ナタスは魔封少女を振りほどきながら逆ギレする。
「そんなことはわかってるッ……だがお前が死ねッ!!」
魔封少女も逆ギレしながら落ちていたパブティロッドを拾い、トンファーのように持ちかえる。
「こいつ…………ッ!?」
イカれてやがる、と言いかけて、ナタスは突然胸を押さえた。
「ぐッ…………」
「…………? まあ、いい」
魔封少女は一瞬ナタスの行動をいぶかしむが、これを好機と捉えパブティロッドで殴りかかる。
(チッ……あのとき人間界の空気をモロに吸い込んだからか……!?)
パブティロッドをなんとか避け、ナタスは突然の不調について考える。魔毒素が人間にとって毒なのと同様に、清浄な空気は悪魔には毒なのだった。先程うっかり吸い込んでしまった空気が今になって身体を蝕んできたらしい。
(ここは一旦退くしかねえか……!)
「何をぼんやり考えてるッ!」
「……うるせえ!」
振り下ろされたパブティロッドを受け止め、ナタスは魔封少女に足払いをかけた。
「うッ!?」
「命拾いしたな魔封少女ォ! トドメを刺すのはまた今度だッ!」
ナタスはアスファルトを蹴って飛び上がり、さらに鎧を突き破るように背中から蝙蝠のそれによく似た赤い翼を生やした。翼を大きくはためかせ、ナタスは空にポツンと浮かぶ黒い染みのような何かに向かって飛んでいく。
「待てぇッ!」 ナタスを追おうと魔封少女も飛び上がるが、それまで受けたダメージのせいで動きが鈍り追いつくことが出来なかった。
「待てッ……待てよおおおおおおおおおッ!」
ナタスが消えた空を仰ぎ、魔封少女は絶叫することしか出来なかった。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「まさかねえ。まさか君が僕の部屋を訪れる日が来るとはね」
「……やかましい」
地獄に戻ったナタスは、とある男の居城を訪れていた。
「君という男はアポイントメントという言葉を知らないのか? 普通、他人の家を訪問する際は家主が迷惑にならない時間帯を訊いておくのが客人の常識というものだろう?」
「客がやってきても食事を止めないお前もお前だと思うがな」
嫌味ったらしい男の言葉に、ナタスは同じく嫌味を返す。
「それで――わざわざ僕に直接会いに来る用事っていうのはなんなのかな? 《憤怒王》ナタス」
「他でもねえ、あの『魔封少女』のことだよ――《暴食王》バルゼブ」
バルゼブ、と呼ばれた男はとても奇妙な風体だった。中世ヨーロッパ風の軍服を着こなし、緑色の髪を赤いレンズが嵌まったゴーグルをカチューシャのようにしてまとめ、涼やかな気品のある美しい容貌を持っていたが――何しろ人間に見間違えるには、腕が二本程余計だった。
バルゼブは右腕と左腕をそれぞれ二本ずつ生やしていて、ステーキをナイフとフォークで切り分けながらワインをたしなみ、余った腕で空いた皿を片付けるという人間にはおおよそ不可能な食事を楽しんでいた。
「魔封少女? ……ああ、あの人間の分際で悪魔と戦おうとする身の程知らずのことか」
「お前が言うほど身の程知らずってわけでもねえみたいだぜ……」
ナタスはバルゼブの腹とうず高く積み上げられた皿を見比べながら呟く。さっきからまったく膨らんでいる様子が見えないが、この男の胃袋はどこに繋がっているのだろう。
「ふん……放っておけばいいじゃないか。少女なんだろう? 歴戦の勇者ならいざ知らず、ただの少女がいつまでも生き残ってはいられまいさ」
「本当にそうなら良いんだがな。俺にはいつかあいつが、大将を脅かす強敵になるような気がするんだよ」
「随分買い被るんだな……」
バルゼブは切り分けた肉にフォークを突き立て、口の中に放り込んだ。
「じゃあ、その前に殺せばいい」
「そうだな……」
尚更、あのときに魔封少女を殺せなかったのが悔やまれる。魔封少女を殺しに言って結局殺せなかったなどとバルゼブに言うのは死んでも御免だったが。
「……用はそれで終わりか?」
「終わりじゃ不満ってなら、殺し合いでもしてみるか?」
ナタスは真顔で言う。バルゼブは鼻で笑い、フォークをテーブルに突き立てた。
「随分安い挑発だな……だか買ってやる。僕は食事の邪魔をされるのが嫌いなんだ」
「知ってるぜ。だから今来たんだろうが」
ナタスも口角を吊り上げ、笑いに似た表情を作る。魔封少女云々は実は口実で、魔封少女を殺せなかった腹いせにバルゼブに八つ当たりしようという魂胆だった。
「……食事の邪魔をされるより、僕は貴様が大嫌いだナタスッ!!」
「奇遇だな、俺もお前が嫌いなんだ。つーわけでとっととくたばれ蛆虫野郎ッ!!」
「黙れこの蝙蝠トカゲがッ!!」
バルゼブがナタスに向かってナイフを投げ、ナタスはそれを鎧で受け止めそのままバルゼブに飛び掛かる。
「今は喧嘩なんてしてる場合じゃないだろうに……」
物陰から様子を窺っていたフェーゴルが、二人の乱闘を見て溜め息をついた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「カリエムさん……」
変身を解いたみそらは、鳩の亡骸をそっと抱き上げた。
死骸はすっかり冷えて硬くなっていて、かつてそれが生命活動をしていたとは思えない代物になっていた。
「……ごめんなさい」
ふと、思い出した。目の前で悪魔に引き裂かれた親友のことを。力を持っていなかったばかりに、守ることの出来なかった友達を。
「ごめんなさい……」
死んでしまった。殺されてしまった。いや、みそらが殺したも同然だ。みそらを庇ったためにナタスに殺されたのだから。
「ごめんなさい…………!」
泣いてもどうにもならないのはわかっている。しかし、みそらには泣くことしか出来なかった。魔封少女には死体を蘇らせる力などないのだから。
紫色の霧が晴れていく商店街の片隅で、みそらはいつまでも座り込んでいた。
続……かない?