譚の伍 嵐の前夜 その壱
男は今、傷ついていた。
傷ついて、いつのまにか降り出した雨の中に一人、立ち尽くしていた。。傷ついた己れ自身をあざ笑うかのよに水滴が熱をともなって彼を叩く。
叩き続けた雨は、いつしか熱に浮かされた時のような心地よさを彼にもたらし始めていた。彼の内部でくすぶり始めた炎に同調するかのように…
その炎はさっきまでの自分を呑み込み消し去ろうとしていたが、彼の内でどうしても嫌な臭いを残して燃え残る物がある。
『あいつが、まだ生きている…』
コツリと心のうちで呟いた言葉は静かに外へと流れ出た。
曇天の中、雨はさらに激しく降り続けていた。
*
訪れた女は、雀と名乗った。
絹糸のような細いさらさらとした茶色の髪、折れそうなくらいにほっそりとした肢体、なにかに怯えてようにような落ち着きのない視線、そしてそのわりには妙に間延びした口調。
そう、 一言で彼女の事を言い表すなら追われつづけてきた草食獣に何者かが気まぐれに力を与えてしまったとしたら彼女のような雰囲気を持つ人ができあがるのではと思われた。
その彼女は大事な話があると言ったきり、さっきからじっと押し黙ったままで、ときおり視線を僕達のほうに滑らせて何かを言おうとするのだが、再びうつむき、また押し黙ってしまう。
「ねぇ拓磨ぁ、大事な話だかなんだか知らないけどさぁ、そういうのはぜ んぶお友達にまかせてさぁ、ア・タ・シとイイコトしようよぉ、ねぇ拓磨ってばぁ」
最初のうちこそ神妙にしていたものの乙音は静かな雰囲気にたまりかねて僕に絡みついてきた。その隣では一、二見(ひ、ふみ)達がフェミニスト の一弘が雀を見つめるばかりで自分達にかまってくれないので、猫形態の鈴音とネコジャラシで遊んでいた。
『あっ、コラ、首に手をまわすんじゃないっ、耳に息を吹きかけるな、あっ、でも背中にあたる胸の感触が嬉しいかもしんない…』胸中で色々思ってはみるが、僕は彼女のなすままに任せていた、別に彼女のことを本気で好きになったとかいうわけじゃない、けど女の人から好意を寄せられるというのはどんな形であれ悪い気のするものじゃない、ましてその相手が美人であればなおさら、そして僕には残された時間はあと僅か、という公算が強い。その間に思いっきり女の人に恋するのも悪くないと思っていた。ただそれだけのことだ、それに乙音が僕と肌を重ねることはどちらかと言えば自分の利害のためだ、ほんの少しの好意くらいは持ってくれているかもしれないが、やはり自分の利益という方がウエイトを占めているだろう、なにせ僕はこの時代では希有な存在だ、人の身でありながら強大な妖力をこの身に内包している。彼女じゃなくてもこの力を欲するだろう。そういうことなら彼女は少なくとも僕と肌を重ねあわせた後でも僕の影を引きずることはあまりないだろうと僕は自分に都合のいい解釈を引き出していた。