譚之弐 忌譚 その八
「貴様っ! 言っていいことと悪いことがあるのをその体に教え込んでやろうかぁ?」
困惑が去った後、一弘の感情を支配したのは怒りだった。一弘は男の胸ぐらを掴み、一瞬だけ本当に|このまま首を締めてやろうか(えいきゅうにねむらせてやろうか)と、頭の片隅で思った、男はなにかしらそんな感情を人に起こさせる性格をしていた。
「まぁ、落ち着けよ、そんで この手を離せ」
胸ぐらを掴まれながらも青瀬は落ち着いた口調で言葉を繋いだ。その様子がさらに一弘の激情をあおる。
しばし二人のあいだに視線のやり取りがあって、彼はその手を壁に押しつけるようにして離した。
「…、前置きを聞かないからお互いにこういうことになるんだ。それとな、手荒なことをする男は女にもてんぞ、せっかく親からもらったその容姿を活かさないのは 損だと思うのだがな」乱された衣服を几帳面に直しながら彼はそう言った。
「ありがとよ、一つ忠告しておいてやる。そーいう重要な前置きは誰が何と言おうと喋っておけ」
青年のその態度にこめかみのあたりをひくつかせながら彼は言った。
「ほほぉう、その相手がお前でもか? どっちにしても殴られそうだったから僕は”まぁいい”と そう言ったんだ」
「ほぉう、なら試しにその前置きとかを言うてみぃ。問答無用で殴ってやるからよ」
「やれやれ というやつだな、ああっ!」
「こんどは なんだ」こみ上げてくる熱流の奔流を辛うじて押し止めて極めて静かな声で彼は尋ねた。
「お茶がこぼれちゃったじゃないかよおぉ、蘇奈あぁ、お前のせいだぞぉ」
泣き出す一歩手前の子供の表情を浮かべて、あまり少なくなったとも見えない茶飲みの内側を一弘に見せた。
「どうせ そう来るんじゃないかと思ってな、ほらよっ!! 缶で悪いがな、俺の友人を傷つけた分は差し引きだ。それでっ!さっきの続きだ」
目の前に置かれた缶のお茶とひきつった笑みを浮かべる蘇奈とを見比べ。悪戯が成功した子供の表情で彼は続けた。
「続きなんぞないさ、死ぬか、鬼となるか、それとも…、」
「それとも、」
「それとも…、これは もっとも確率が低いんだが、役小角という男のように鬼を支配してしまうか、その三つの内の一つだ。いずれにしろ、彼は人外の者となる」
一弘の表情に押される形で、彼は言いにくそうに、そう吐きだした。