雨が降る間に
どこを見てもふわふわ。
綿飴の世界にきちゃったの?
ううん、甘くない。雲?
え?
「……わたし、死んじゃったの?」
そうだ、車に轢かれたんだった。
外に出なきゃよかった。
あれからどれくらい時間が経ったのだろう。
全然わからない。
でも、今、わたし――みいは、四本の足を宙に浮かせて困惑していた。
早く大好きな加奈ちゃんのおうちに帰って、夕飯のカリカリを食べなきゃいけないのに。
「小さな猫よ、それはできないのだよ。君は命を全うしたのだよ」
周囲の光が煌めき、低い優しい声が響く。神様か何かだろうか。
やだやだ、死にたくない。
「花が咲き誇る美しい庭園が君を待っている。さあ――」
「くしゃみするだけの花なんてどうでもいい! わたしがほしいのは加奈ちゃんだけ!」
わたしは怒鳴り、しっぽを雲に叩きつけた。
だって、加奈ちゃんはわたしのもので、わたしは加奈ちゃんのものなのだ。
声の持ち主は、困ったように大きな溜息をついた。
「……頑固な猫だ」
だって猫だもん。
「じゃあ、取引をしよう。地上に、君と同じように心が重くのしかかり、
今にも命の灯火が消えそうな人間がいる。その者の苦しみを和らげてくるか?」
「え? どうやって?」
「向こうに行ってその者と会い、元気づけるミッションだ。
最近こういう依頼が増えるばかりでね。上手くやれたら、
君の大切な人にもう一度だけ会わせてあげよう」
「ホント? 行く! 今すぐ行く!」
「これをつけなさい」
眼の前に現れたのはピンクの薄いハーネスと紙が2枚。
気がつくと体に装着されている。想像以上に軽くて、まるでつけてないみたい。
小さく鳴る鈴とクレープみたいなバッグがついている。
見る見るうちに紙はクルクルッと巻かれてバッグに入った。
「そこに注意事項が記載されている。よく読んでから行きなさい」
「取説ってことね?」
「まあ、そういうことだ」
そして、わたしは一応紙の上半分にざっと目を通して、再び地上に舞い戻ることになった。
*
――ハッと目が覚めると、冷たい雨の匂いがした。
見知らぬマンションのベランダ。カーテンの隙間から見える室内には、
疲れ果てた顔で「請求書」の束を虚無の目で眺め、
茹ですぎたインスタントラーメンをすする青年の姿。
肉球でガラス窓をガタガタと叩くと青年が気づき、怪訝な顔で窓を開けた。
「……え? 猫? ダメだよ、ここは2階だから危ないよ。おうちに帰りな……」
「ちょっと! 雨降ってんのよ。ずぶ濡れになって死ねってこと? つべこべ言わずに
さっさと中に入れなさいよ!」
「……えッ!?」
青年が漫画のように目を見開く。
これが、天界から鮮やかに舞い戻ってきたわたしと、世界一不器用な彼との出会いだった。
室内は散らかっていた。
脱ぎ捨てたシャツや靴下。放り投げたバッグ。
転がる空き缶。
わたしは濡れた前足を一本ずつ振りながら、リビングの真ん中へと進み、
転がる空き缶を肉球でコツンと蹴飛ばした。
「なに、この部屋? 豚小屋のほうがマシじゃない? 青年、名前は?」
「……しょ、翔太……」
「学生? 職業は?」
「…サラリーマン」
青年は、伸びきったインスタントラーメンの箸を止めたまま、魂の抜けた顔で答えた。
「そう、翔太。リーマンの翔太、わたしはみい。ねえ、わたし、体中が濡れてて寒いんだけど。
普通タオルくらい持ってこない?」
「…あ」
翔太は弾かれたように立ち上がり、洗面所へと走っていった。
戻ってきた彼の手には、使い古されたようだが、一応きれいに洗濯したバスタオル。
それを広げて、床に座り込み、おずおずとわたしの体を包み込む。
「……こう、でいいのかな」
「そう、もっと優しく。そこ、耳の裏、痒いから念入りにね」
「……俺は夢を見ているのか?」
「なにもごもご言ってるの? 口じゃなく手を動かす!」
ごわごわしたタオルの感触が、冷え切った体にじわじわと温かさを戻していく。
翔太の手は、見た目に反してとても優しかった。
気が弱いやつのようだ。優しすぎて損をするタイプとみた。
天の声から渡された紙には、事故で亡くなった今宮翔太の両親からの依頼だと記されていた。
遺した一人息子が心配で、上から様子を見ていたが、入社2年目の会社では上司に怒られてばかり。
学生時代から付き合っていた彼女にも振られ、両親を亡くしてからは
すっかり抜け殻のようになってしまい、このままだと職を失い、
全てを失ってしまうと危惧していた。元気づけてほしい。生きる希望を与えてほしい。
親の切なる願いだった。
翔太の大きな手の温もりに身を任せながら、「神様の取説」を前足でこっそり盗み見ていくと、
こんな記載があった。
【注意事項:地上の人間の前で喋ってはならない。
ルールを破ればその場で即座に天界へ強制送還とする】
「……完全に見落としてたわ」
心の中で呟き、わたしは翔太の不器用なマッサージに喉を鳴らした。
*
雨が激しくなったせいか、私の話し声は天に届いていないようだ。
そうか。閃いた。
雨が降ってる間なら手っ取り早くこいつと話ができるはず。
そうすればちゃちゃっとミッションを終えて加奈ちゃんに会いに行けるんじゃん?
翔太が私の指示に従いドライヤーを出してくれたおかげで、自慢の毛並みは
すっきり乾いてふわふわ。やっと生きた心地がした。
「おなか空いた」
テーブルに置かれた、ぶよぶよに伸びきったラーメンを横目に言った。
窓の外を見ると、雨はやみそうもない。
しかし、余裕こいているとタイムアップになる可能性もある。
「翔太。ツナ缶くらいあるよね?」
「え? ああ」
「じゃあ今すぐ開けて! 半分こしましょ。あ、その前にその濡れたシャツを
早く洗濯機に入れなさい」
「……え、あ、うん……」
あまりの勢いに圧倒されたのか、翔太はフラフラと立ち上がり、
台所の戸棚を開けて古いツナ缶を取り出した。
パカッと缶を開ける音が、静かだった部屋に小さく響く。
その背中を見つめながら、わたしは再び取説を前足でこっそり広げて確認する。
【補足:人前で喋ってはならないが、雨が降っている間限り、
ターゲットとの会話のみ可能。破れば即座に天界へ強制送還とする】
「……ギリ、セーフ。やっぱりよく読んでからくるべきだったかな。ま、いっか」
紙をクシャッと丸めてバッグに戻し、顔には可愛いみいちゃんスマイルを浮かべて
ちょこんと待った。ツナ缶を。じゃなかった、翔太とのヒーリングタイムを。
「お待たせ。これでいい?」
翔太は、お刺身の醤油皿くらいの小皿にツナの水煮をてんこ盛りにして持ってきた。
「翔太の分は?」
「いや、俺はいい」
「よくない! ちゃんと食べないとダメ。ツナは体にいいのよ! あ、もうないの?」
「いや、あるけど」
「じゃあ今すぐ出してきて。それとマヨネーズと醤油、あったらコショウも。
七味で味変してもいいみたいよ」
「……猫のくせにそんなのかけていいの?」
鈍いヤツだ。
「わたしじゃない! 翔太の分にかけるの! 断然美味しくなる…らしいわよ」
俺は何で猫にレシピを言われてその通りにしているんだとかぶつぶつ独り言を言いながら
キッチンに戻った。まったく世話がやけること。ご両親が心配するのも無理もない。
低いテーブルで食べ始めると、翔太が開口一番に言った。
「ツナマヨだ!」
「……だからつ・な・ま・よって言うんじゃない?」
「そっか。そうだね。ごめん」
「別に謝ることないでしょ? しゃっきっとしなさい、しゃきっと。背中を真っすぐ伸ばす。
でないとせっかくのツナが美味しく喉を通らないわよ」
「ごめん」
そう言いながら背中を伸ばした。
「だから! いちいち謝らないの! それ、もしかして口癖?」
「あ…そうかも」
「じゃあ、それ、やめましょ。そういう風に誤っても、謝られた方はこれっぽっちも
誠意が感じられなくてイライラするだけよ」
「そ、そう?」
「そう。で、ほんとに謝る時は心底気持ちを入れて言うの」
「でも、会社で毎日怒られてばかりで、謝るしかないんだ。
怒られて謝らないわけにはいかないでしょ?」
うううううう。
「あのねえ、翔太。まず、なぜ怒られているのか冷静に考えてみたら?
ほんとにあんたに怒っているのかということも含めて。いつも誰かが何か言うたびに
『すみません!』とか言ってんじゃないの?」
「…グ…そうだね。ごめん」
「ほら、それ! 今『ごめん』っていう必要あった? 間を埋めりゃいいってもんじゃないのよ」
「……」
しばらく静かにツナ缶を食べた。
んんんん、美味しい! 多分、死んだり雲の上に行ったりと色々と忙しかったから随分長いこと
食べていなかったんだ。
それにしてもこの翔太って暗いなあ。
「あんた、なんでそんな死にそうな顔してるわけ? 死んだ人に失礼よ」
「ごめ…いや、そんなつもりはないんだけど」
「だけど何? 聞いてあげるから言ってみな。私は何の利害関係もない猫なんだから言えるでしょ?」
「……うん」
翔太はゆっくり話し始めた。
仕事の募集に応募しては落ち続けたこと、ようやく採用された会社では
常に無能扱いされて役立たずと思われていること、彼女に振られたこと。
自分が世の中から一人取り残され、必要とされていない気がするということ。
うううん……。余計なことはしっかり背負ってウダウダ思い込むタイプね。
普通っていえば普通なんだけど、本人からすれば人生真っ暗なのも分かる。
「両親も先月事故で死んじゃったし。俺、大学に入学したころから一人暮らしを初めて、
親のすねかじりだったんだけど、何の恩返しもできないまま死んじゃったんだ」
「そう。辛かったね。いや、辛いね」
翔太は必死に涙をこらえている。
「でもさ、死んだら本当にすべて終わりだなんて誰も証明してないのよ?
もしかしたら翔太のお父さんとお母さん、今も翔太を見守って
ハラハラしてるかもしれないんだよ?」
「そんな…そんなことあったらいいけど…」
ああ、全てぶちまけてはいけないこの制約の歯がゆいこと。
「ねえ、翔太、今の会社って試験を受けて入ったんでしょ?」
「うん」
「その段階でこいつは使えるって思われたわけよ。他はさ、相性がよくなかったのよ。
そういう会社に無理やり入ったところで明るい未来があるとは思えない。
仕事に就きたい方も必死だけど、雇う方だって自分の会社のビジネスが上手くいくように
力になる人を見つけたいと必死なんだからね。ミスマッチを最初から避けられて
よかったと思った方がいいよ」
「ミスマッチ…じゃあ今の会社もそうなの?」
「入り口ではマリアージュ成立ってなったわけだよね。入ってからやれるだけのことを
最大限以上にやってきた? 他の人と上手くやろうと頑張ってきた?」
「え?」
「上司とか先輩とか同僚とか、彼らを知ろうとした?」
「……それは、仕事に直接関係ないし」
「アホか。関係大ありに決まってんでしょ? 人が会社をつくって人が会社を、
ビジネスを動かすんじゃん。そんなこと猫でも分かるよ」
あ、いけない、落ち込んでる。
「いや、けなしてるんじゃないよ」
「嘘だ。俺、猫にまで馬鹿にされてる…うう…」
「猫にまでって何よ⁉ こっちはクレオパトラにも愛された有能な生き物なんだからね。
それはさておき」
翔太の親からの依頼メッセージをバッグから取り出したくて仕方ないが、
そういう訳にもいかないので記憶を辿りながらお説教にならないよう注意することにした。
「会社で無能扱いされるって、誰に?」
「上司に。みんなに」
「直接そう言われてるの?」
「いや、流石にパワハラとかある世の中でそんなことはっきり言う人は多分いないよ。
でも、分かるんだ」
「百歩譲ってそうだとしよう。人を無能扱いする――人と接すること自体、
結構な時間とエネルギーが要るんだよ。本当に無能な役立たずだと思ったら普通は相手にしない。
つまり、多かれ少なかれ――その度合いは私にはわからないけど――期待されているわけ。
期待しているから文句言ったりするの。こいつはどうしようもないと思ったら
完全に無視するんじゃない?」
「……僕に……期待しているっていうの?」
「文句が出る以上はそういうことだよ。今度文句を言われたら、
謝るんじゃなくてこういってみたら? 『どのようにすればいいか教えていただけますか?』
改善したいという意欲をちゃんと見せるの。そして、一言二言でも言ってもらえたら、
必ず、『ありがとうございます! そのようにやってみます』と。
それで相手に悪い印象を与えることなんてないから。仮にそれで1、2回上手くいかなくても
許容範囲だと思うよ」
翔太が目をぱちぱちさせている。少しは響いたかな?
ごく当たり前のことなんだけど、パニクってるときはちょっと引いてみないと、
こういうシンプルなことがわからなくなったりする。
「エラそうにする必要は全然ないけど、背中はまっすぐ。姿勢が悪いと印象も悪くなるし、
自分のやる気も失せるからね。あの人からもこの人からも教えてもらおう。
いや、忙しいのに教えてもらうって時間もエネルギーも必要になるから、盗もう!
そういうスタンスでいってみて。まわりの人、隣の人、掃除のおじちゃんやおばちゃんにも
もっと興味を持ってみたら? テキパキと仕事をこなす要領の良さだけでなく、
この人は何を考えてどういう生活をしているんだろうとか」
わたしはちらっと部屋の中を見渡した。
「掃除テクも盗めると、あんたの暮らしぶりもちょっとはよくなるかもだし。とにかく、
自分が世の中から一人取り残されているなんて、どうしてそう思うの?
自分は世の中の一員であって、世の中対自分じゃないんだよ?
必要とされていない気がするって、そもそも誰もそんなこと気にしていないし、第一、
自分で自分が必要とされない人間だと思って、他の人がそんな人を認めてくれると思う?
それ、甘えっていうの。戦争に駆り出されて飲まず食わずで作業しろ、
穴を掘れって言われたらそんなこと考えてる暇なんてある? 同じくらい必死に生きてごらん」
いかん、ちょっと説教臭くなってしまったかも。
みいちゃんスマイルで誤魔化しておこう。
空気が少し穏やかになった。
張り詰めていた翔太の何かがプシューッと楽になった感じだ。
こんなもんでいいのかな。
あ、そうだ。
「ねえ、あんたに見せたいものがあるの」
そう言ってバッグから2枚目の紙を取り出して渡した。
「えっ⁉」
『翔太、ひとりにさせてごめんね。大丈夫? お母さんとお父さんは何の痛みもなく穏やかに過ごしているわよ。いつも将太を見ているの。あなたが辛そうなのが心配でたまらない。あなたが好きだったオムライスの作り方、うんと簡単にしてここに書いておくから、お米と卵、塩コショウ、ケチャップを買ってきて作ってみてね。ゆっくりでいいから、無理しないで明るく楽しい人生を歩んでね。空から応援しています。
母と、隣でオロオロしている父よりありったけの愛を込めて』
翔太の涙が止まらない。
隣にいってぺろりと舐めてやった。
*
そろそろ雨が上がりそうだ。
お暇していいだろう。
「私、行くね」
「え? もう?」
「うん。そういう決まりなんで。寂しくなったら空を見上げてわたしのことを思い出してね」
「えっ⁉ まさか君、幽霊だとか言うんじゃないよね?」
「ちゃうちゃう。こんなに可愛いわたしがおばけに見えるとでも?」
「……いや、まさか」
「あ、俺、君の名前も聞いてなかった。自分のことで一杯で」
「いいのよ、気にしないで。今夜は私じゃなくてあんたのための時間だったんだから」
「……ありがとう。また一人になるのか。何だか寂しいな」
「最初は大変だけど、猫ちゃんと暮らすのもいいかもよ。あ、でも普通は私みたいに
言葉を話せないから、その点は理解してね。でも、気持ちはまったく一緒だからね。
ペットショップもいいけど、保護団体もたくさんあるわよ。ネットで見てみたら?
色んな団体があってびっくりすると思うわ」
「わかった。ねえ、何かお礼をさせて?」
「いいってことよ。ツナ缶、ごちそうさま。美味しかった。あれで十分よ」
ベランダに向かってピタッと止まった。
「あんた、車の運転ってする?」
「え? ああ、うん」
「だったらひとつだけお願い。運転するときはちゃんと周りをよく見てね。
小さい猫とか犬とか視界に入らないこともあるだろうから、絶対に轢いたりしないように気をつけて」
「わかった」
「じゃあ、元気でね」
「待って!」
振り返ると、最初にはなかった輝きが翔太の目に宿っていた。
「もし……もし親父とおふくろに……会えるのなら、伝えてくれる? ありがとうって」
「わかった。機会があるかどうかわからないけど、もし会えたら必ず伝えるわ」
「ありがとう」
気持ちのこもった「ありがとう」だった。
何だかわたしまで嬉しくなってきた。
ベランダに出ると、雨は上がっていた。
すっきりと気持ちのいい晴天だ。
最後にもう一度振り返り、ニャ! と小さく言ってから横の雨どいに飛び移って
久々の地面に着地した。
翔太はベランダに出てこちらをじっと見ている。何だか最初に会った時より
背が伸びたように見えた。
しゃんとしてれば結構カッコいい部類に入るんだからね。
そう言おうとしたけど、もう私の口から人間の言葉は出て来なかった。
神様もケチだなと思ったけど、仕方ない。前足を軽く上げて別れの挨拶とした。
天に吸い込まれるような感じ。
不思議なことに全然怖くない。すうーっとに空に入っていく感覚で、
ちょうどいい温度のお風呂にそっと入れられるのに似ている。
それまでは怖いけど、むしろ気持ちいい。
実は死ぬってこういうことなのだろうか。
あ。
しまった。
加奈ちゃんに会わなかった。
信じられない……。
わたしとしたことが、なんと、きれいに忘れていた。
世界で一番大切な加奈ちゃんに会いたい一心で引き受けたミッションだったのに、
翔太を元気づけるので頭がいっぱいになってしまっていた。
ああ、自己嫌悪。
ちょっと待って、止めて! 地上に戻して! まだ加奈ちゃんに会ってないの!
ねえ、神様、仏様! 誰だか知らないけど、低音ボイスのおじさん、
私の声が聞こえないの⁉ 加奈ちゃんに会わせるって言ったじゃん! まだ会ってないよ!
止めて! 止めろおおおおお!!!!!!
……聞こえないみたいね。
下の方を見ても、もはや地上は見えなくなった。
ちっ、本人の意向は無視してオートパイロットで連れていかれるのか。
これが本当のオートパイロット、なんてね。
ああ、わたしはこんな時にまでなんてバカなことを考えるんだろう。
ふん。ダメならダメでいいわよ。もう一回誰かのところに行かせてもらうから。
依頼がたくさんくるような感じのことを言ってたよね。そうだ。そうしよう。
本当は他の人のことなんて知ったことじゃないけど――まあ、翔太が元気になったのは
よかったけどさ。とにかく、上手くいったんだから、また行くっておじさんに言おう。
そして今度こそ加奈ちゃんに会うんだ。
そう決めたところで徐々にスピードが落ちて、ようやくふわりと雲の中で止まった。
「みいちゃん!」
ん? 誰? 知らないおじさんとおばさんがこっちに走ってくる。
2人とも泣いてる? うぐ。ぎゅっと抱きしめられた。ちょっとちょっと、
猫はデリケートなんだからそんなに力いっぱいスクイーズしないでよ。と言おうとしたら、
「翔太の母です」
「父です」
「みいちゃん、ありがとう! ほんとにほんとにありがとう!」
ああ、そうか。今回の依頼主さん――翔太のご両親ね。
「い、いえいえ。別に大したことはしてないわ」
「とんでもない! 私たち、こっちに来てから翔太のことが心配で心配で、
ずっとお願いしていたのよ、どんな形でもいいからもう一度息子に会わせてって。
まだ日が浅いこともあってそれは無理だと却下されて、
じゃあ他に方法はないのですかって聞いていたの」
「あのままだと翔太はどうなったか分からないからね」
「そこに君がやってきたので、一度行ってみてもらおうと思ったのだよ」
あの声だ。随分余裕なご登場ですこと。
「上手くいったでしょ? でも加奈ちゃんに会えなかった。今から会いに行かせて!」
またため息だ。ため息ついてる暇があったらとっとと送らんかい。
「残念ながら、こちらに戻ってきた今、それはできかねるのだよ」
「えーっ⁉ そんな!ずるい! そういう話じゃなかったじゃん!」
「君の中でコンプリートと納得しただろう? それを自動検知してこちらに戻るように
なっているので、翔太くんの件はこれで終了なのだ」
「まだ加奈ちゃんに会ってない! そこまでいかないと終了もクソもないわ!」
おばさんが両手を頬に当てた。
「みいちゃん…そんなに加奈ちゃんという人に会いたかったのね」
「そりゃそうよ、わたしの大事な飼い主だもの」
「何とかなりませんか?」
おばさんが声に訴えてくれた。おじさんもお祈りのように手を合わせている。
「何とかしてやりたいのはやまやまだが、そういう決まりなのだよ」
頑固じじい。
「…今何か言ったかね?」
え? 心の声まで聞こえるの?
「いいえ、何も。気のせいじゃない?」
「……そうか。そういうことにしておくとしよう。ご夫妻、
今回のみいの働きのフィードバックをお願いできるかね?
我々はスコアリングシステムを導入している。何、簡単なことだ。
AからFのうち、どれが値するかね?」
2人は間髪入れず、「もちろんAです!」と答えてくれた。
「おじさん、おばさん…」
「みいちゃんのおかげで翔太は元気を取り戻したの。さっきまで見てたんだけど、
鼻歌交じりでスーパーに出かけていたわ。本当に何て言っていいか…
いくら感謝しても感謝しきれないわ」
ああ、オムライスを作るんだな。上手く作れなくてまた落ち込んだりしなけりゃいいけど、
まあ、丁寧そうだったから大丈夫だろう。
「よかった」
本当によかったと思った。
おじさんもおばさんもこれで安心だね。
その時、声だけのおじさんがわたしを次のミッションに出そうと考えていたことを、
わたしはまだ知らなかった。
***




