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第7章:何故の反省会

 明け方であるのに夜の残り香が漂う。煙草やネオンライトの残光が、階段の上から降りてくる。その全てを、地下の空気はなだめていた。

 バーのカウンターには、いつもの無口なバーテンダーが立っていた。黒いベストの前をきちんと留め、無言のままグラスを磨いている。

「おかえり、って言われた気がしたな。」

 先に口を開いたのはハルだ。いつも通り肩の力が抜けた声。

 ハルは椅子に落ちるように腰掛け、足をぶらりと揺らした。

「帰る場所、か」

 私が小さく返すと、すぐに二つのグラスが置かれた。ハルの前にはいつもの琥珀色、私の前には透明な水面にミントが添えられていた。


 ハルは琥珀を揺らし、氷の当たる微かな音を聞きながら言った。

「で、昨夜の戒導者くんはさ、どうしてああなったかを整理しよう。」


 私はグラスを置いた。

「教育係としての役割があるから、私の力の一部を渡した。だが、教育が目的を変えていた。秩序や完全を重視するあまり、戒導者は役割を手放したのだろう。」

「要するに、教師が教科書のほうを見すぎて、生徒をおいてけぼりにしたってわけね。」

「良い例えだ。ユグを見るべき目が、戒導者からは消えていた。」


 ハルは片眉を上げる。

「いつから手放したのか、そこ重要。」

「いくつもの条件が重なったときだ。ユグの未完成さが露わになった局面、そして渡された力の有用性に彼ら自身が酔った時期。裁量が下りるのを待ち、長く準備していたのだろう。私は、気づけていなかった。」

「せっかくの見守りカメラなのに、あんなのリコールだ。製造元はどこだ!」


 バーテンダーが何も言わず、コースターの位置を数ミリだけ直す。必要な分だけ、最小の介入。

 私は話を続けた。


「私の選択はまだ正しかったはずだ。戒導者の任命基準に、不備があったのだろうか..,

 ユグに対して親密な距離を保てる者。秩序や完全に耐える体質を持ちながら、秩序や完全に酔わない者。私に似ていながら、私にはならないこと。それらを満たしたと判断した。力の移譲も一部に留め、直接の創造権限は渡していない。それでも、戒導者には十分だったらしい。」


 ハルは苦笑いをしていた。

「十分すぎたね。力の一部でも、反逆を起こすには足りたみたい。」

「彼らは最初、確かに適任の教育係だった。ユグにかかる負荷を軽減し、視点を調整し、私の不在を埋める役割として。だが未完成な神を完成へ導くという文言が、いつしか未完成を悪だとみなしてしまったのだろう。おおよそ察しがついてしまう。私自身もまた、戒導者に乗せられていたということか。」

「結局のところ、シンがあいつらに任せすぎだろ。」

 ハルはグラスを揺らしながら言った。

「神の代行補佐とか教育係とか言えば聞こえは良いけど、いくら信頼してても、そんな仕事は誰がやっても少しずつ狂い始めるものだよ。」


「天界の統制は、一度委ねれば、もう戻らない。それでも、任せるしかなかった。世界は飽和していた。私の役割は一度、終えたと思っていた。他の神々のやり方を試させ、それを見守る立場になりたかった。」


「なるほど、引退ってやつか。」

 ハルは顔を上げる。

「まあ、確かにあの頃は世界も宇宙も安定してた。俺の出番もあまりなかったから、廃業しそうだったし。平和な世界ってのは、だいたい何か起こる前兆。」

「まあ、ユグと天界のことを思っての、全知全能らしい配慮ってことも今ならわかってあげられるよ。」

「でも、今回ばかりはシンの方針ミスだったね。」


「私は、干渉を減らしたかった。だがそれを、戒導者は放棄とみなし、あるいは、チャンスと解釈したのだろう。」


「ある程度の力と自由を与えたら、支配権をもらったと思い込んだわけだ。……神相手にそれをやるとは、度胸あるな。」


 彼はカウンターに肘をつき、指先で氷を転がした。

「理想を胸に、神への反逆。一度はしてみたいな。」


 私は小さく息を吐いた。

「似て非なる事象は、昔にもあった。」

「昔?」

「バビロンの空中庭園だ。構造の相談を受けたことがある。」

「少し手伝い、人々なりのやり方で自由にやらせていた。私は、本当にただの相談役だった。」

「当時としては見事な高さのある庭で、人々はその姿に酔い始めた。最初の頃は見た目ばかりを追い、水を高く上げすぎて根が乾いた。飾る花は咲いたが、根も土も腐っていた。」


 ハルは食い気味に笑う。

「上ばっか見て、下が死んでたってわけか」

「そうだな。戒導者と同じだ。花(理想)ばかりに水を与え、根(現実)を枯らしてしまう。形ばかりの繁栄は長く続かない。誰も根にまだ可能性があることに気づけず、崩れていったよ。」


「見た目だけ完璧は、やっぱり厄介だな。バビロンも今の天界も、結局は同じことになるのか。」


 少しの沈黙。その静けさを見計らったように、先ほどまで動かなかったバーテンダーがふいに手を動かした。

 何気なくカウンター下からくしゃくしゃの紙袋を取り出す。

 どう見ても空の袋。

「うぉ、なんだそれ?」

 ハルが好奇心から問うが、バーテンダーはもちろん答えない。

 ただ、指で袋を軽く叩いた。すると、ガサ……と小さな音がした。

 中で、何かがゆっくり形を取り始める。次の瞬間、温かな香りがふわりと広がった。

「おいおい、まさか。神様、シン様、このようなことがあって良いのですか。」

 ハルが紙袋をのぞき込む。

 中には、丸い輪。粉砂糖がダウンライトを受けて微かにきらめいていた。

「ドーナッツが目の前に…こんな祝福を待ってたよ」ハルが頷く。

「不完全を抱えた完成形。中心が空であることで、全体が保たれてる。」

 そう言って、私の顔を見ながら笑い、一つ掴んでかじった。

「ほら、こういうのだよ。完璧じゃないのに、ちゃんと満たされる。」

 私も静かに指先で一つ取り上げた。掌に残る温もりと甘みが妙に重い。

「悪くないな。」

 そう思えたのは、地上での学びの影響なのだろうか。

 いつかまた、雑踏の中で確かめよう。


 急がなくてはならない状況ではあるが、急いでも学べないのでは意味がない。

 その後、私とハルは戯れの戦闘で受けた干渉の治りを待つとともに、少しずつではあるが人の世界の仕事や観察に出かける日々を続けた。


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