救急搬送
脳内フリーズ状態とも言える2週間のざっくり説明になります。
救急搬送から入院までの記憶は寝不足と混乱していた事もあり、曖昧なんですが
保険証と印鑑だけは持って行きました。
救急搬送中の「誰にも言うな」と言う夫の希望を聞く事に。
意識があり会話が出来るので、落ち着けば本人から連絡するだろうと判断しました。
看護助手(介護士ともいう役割ですが)の経験からの希望的観測ではありますが、本人の頑張り次第では回復の見込みがあると思ってました。
回復の見込みとはいえ、どの程度かと言われると社会復帰出来るのか、連絡が取れる程度なのか、先の事を考えると不安しかないので、自分の心を守る為になるべく良い方に考えていたとも言えますね。
後から夫と同世代の方が同じ頃のタイミングで、脳卒中で救急搬送され、そのまま意識が戻らず、帰らぬ人となった。と聞いた時に、心の準備も必要なのかもしれないとも感じました。
救急搬送され、そのままMRIに運ばれ、夜中の病院で結果を待つ間、何も考えられない状態だったのでどれくらい時間が経ったのかは分かりません。
とりあえず、当日の相方さん(2人一組で仕事をしていたので)と上司に夫が入院になりそうなので休みを頂きますという連絡(夜中なのでLINEメッセージで)と夫の生命保険の担当の子に、入院になりそうとLINEでメッセージを送っておきました。
結果が「脳出血です。投薬で血液を散らすので手術はしません。入院手続きをお願いします」的な感じで先生からMRIの画像を見せてもらいながら説明を受けたと思います。
要点のみの説明でしたが、私には逆に分かりやすくて良かったです。
ここで問題が一つ。
入院中の連絡先が2人必要。(連絡先=面会者)
色々悩んだ結果、義母の連絡先を記入しました。
夫の性格上、子供達には知られたくない。心配や迷惑をかけたくないと思ったからです。
当時はコロナが流行っていた為、事前に申告した2名のみ面会が可能になるのですが、私1人の場合、仕事中だと直ぐ身動きが取れない為と、義父よりも義母の方がスムーズに進みそうな気がした為。
他、せん妄が出た時の拘束同意証とか、なんか色々書類にサインと印鑑押した記憶があります。
高額医療費になるので、国民健康保険限度額適応認定証を市役所からもらってきて下さいと言われました。
夜中に救急搬送されてから、手続きを済ませて病院を出たのがお昼近くになってました。
とりあえず、救急車に同乗して来たので、タクシーや、バスを待つ気にもなれませんでした。
市役所まで歩きがてら、義母の連絡先を記入したので、夫の希望である「誰にも言うな」には反しますが、義母に「夫が脳出血で入院しました」と連絡をし、面会者の所に義母の名前を記入した事、まだ誰にも言うなと言われた旨を伝えました。
電話を切ると丁度、生命保険の担当者から連絡があったので、「脳出血って言われたんだけど保険おりるの?脳卒中って書いてあるよね?」って言う話をしつつ市役所に到着したのでそのまま、国民健康保険限度額適応認定証を交付してもらい、帰宅。
入院に必要な着替えやタオル、オムツ、歯ブラシや箸、プラスチック製のコップなど入院の栞に書かれたものを購入(タオルは自宅にあるもので、コップ類は100均で揃えました)して再度、夫の入院先へ。
私は車の免許を持ってないので、自転車移動、なかなかに疲れました。
本来面会時間ではないものの、看護師さんに荷物を預けると少しだけ様子を見ていいと言われたので声をかけました。
ヤバい。何言ってるか分かんない。
が、正直何感想です。
せん妄が既に出ていて「個室に入ったからイアホン要らない、先生が帰っていいって言ってた」など言ってました。
HCUだったかな?(当時の職場にはなかった設備なので間違っていたらすみません。)詰所と病室が同じ空間にあって、重篤そうな患者さん同士はカーテンの仕切りで見えないけれども、詰所の位置からは患者さんの様子が見えるような造りの部屋でした。
幸いな事に看護助手をしていたので、認知症患者さんの対応には慣れてたので「これがせん妄かぁ〜認知症と似てるってガチだわぁ」って感想くらいで、「個室入れたとか良かったね」と話を合わせて会話する程度のには心の余裕が当時はありました。
当時は、面会時間が午後2時から、面会は1日1回のみ。面会時間は20分と制限がありました。
入院から約2週間ほどは、ほぼ毎日5〜7日分ほどの着替えが、汚染して洗濯物が溜まっているので着替えを持って来てと連絡がありました。
夫よ…そんなにオムツが嫌だったのね。でも、バルーン(管を入れて出す物です)嫌がったのアタナよね?
仕事で行けない日以外は、毎日面会に行ってました。しかし、タイミングによってはリハビリで居ないか、せん妄が出てる状態の夫しか会えてないまま、時間が合う日は、義母も一緒に面会に行ってくれてました。
私が遅番の時には代わりに洗濯物を取りに行ってくれたり、その日の状態を教えてくれてました。
実の息子がそんな状態にも関わらず、気丈に振舞って私の心配までしてくださり本当に感謝しかありません。
血液がついてるのもあったので、点滴の針抜いたな。
とか…ここの病室では看護助手さんではなく看護師さん達が患者さんの対応をしているようなので
本当に、ご迷惑おかけして申し訳ないと思ってました。
血液にしろ、なんにしろ汚染物落とすの大変なんですよ…私が当時働いていた病院では、汚染した患者の持ち物の水洗いは看護助手の仕事でした。
私が働いていた職場ではタイムスケジュールに追われながら出てきた余計な仕事が汚染の対応という感覚でした。汚れを落とし、水洗いまでは対応出来ても汚染の度合いによっては残業確定コースになってしまうので、正直に言えば汚染は無ければ無い方が有り難いです。
自分の夫の世話は他人に任せて、自分は他人の世話をしているという違和感が少しづつ生まれて来たのもこの辺りからだと思います。
少し遡りますが、夫が入院して1週間が過ぎた頃、義父から涙声で電話があり「今日も明日も分からない状態なら、今の状態を話して夫の子供達にも面会させてやってくれないかな?本人は黙ってて欲しいって言ってても心では言ってくれって思ってるって俺なら分かる」的な内容でした。
とは言え、危篤状態でもない限り特例は認められない病院なので許可はおりないし、私が連れて行っても門前払いされるのは目に見えてます。途中で面会者の変更も出来ないので、分かりましたとも、私に言われても意味がないとも言えず、本当に対応に困りました。
後日談になりますが夫からは「入院したと言ってくれって、それはない(笑)」です。
しかし、夫が入院して既に1週間。
思っていたよりもせん妄時が長い為、黙っておくのも限界ではあるのも事実です。
義父との会話からも私が黙っていても恐らく義父から夫の子供達に連絡が行くのは時間の問題だと思いました。電話を切って直ぐに
「●月●日に脳出血で入院しました。本人の希望により連絡が遅れてごめんなさい。今はまだ、意思の疎通は難しいですが、意識がはっきりしたら本人から連絡が来ると思います」
的な内容を夫の子供達が電話に出られる状態にあるか分からなかったのでLINEメッセージを送りました。
1時間後に上の子から電話がありました。
「下の子が泣きながら、親父が、親父が、って電話が来たけど、どういう状態なんですか?」
的な内容でした。
「今は、アルコール呑む人はせん妄って言って認知症に似た状態が出やすいらしくて、普通に会話が出来る状態とせん妄が繰り返してる状態だと思うけど、私が面会に行った時は大体せん妄状態だから何とも言えないけれども
夫の左半身は麻痺状態で、ここからの回復は正直、どれだけ脳にダメージが出てるかと、本人の努力次第では社会復帰出来る状態まで回復出来る事もあるよ
でも、既にリハビリも始まってるし、意識は回復しているから、よほど転倒とかしない限りは命の危険はもう無いから安心してね
絶対、言うなって言われてて連絡が遅れてごめんね」
正直、ちゃんと勉強して資格を習得している看護師さんや医者さんと違って医学的知識なんて無いんで、今まで対応してきた回復期の患者さんの状態からそう言う説明しか出来ないのが申し訳ないです。
ちょっと聞きかじった程度の知識しか持ってません。
「親父の性格ならそう言うと思うんで、気にしなくて大丈夫ですよ、自分にも出来る事があったら言って下さい」
って上の子の言葉に罪悪感は軽くなりました。
さて次の問題は夫の取引先へどう連絡するべきなのか…
自営業なので、救急搬送中に、指定された人には体調不良によりしばらく休むとはLINEメッセージを送ってますが、そろそろ締め日。請求書とか出さないといけないのでは?
そこは義父に相談して、分かる範囲内の方に連絡する事で解決出来ました。当時、ご協力頂いた皆様にも感謝しております。
ざっくりした内容になりましたが、次回は私が休職する前の職場環境について説明させて頂ければと思います。
後から調べたところ、脳卒中とは脳出血と脳梗塞の総称だったようです。いくら内科勤務とは言え、知らなかったで済ませていいのやら、勉強不足を実感した出来事でしたね。




