~ レスティラントにて 前編 ~
馬車に揺られ、たどり着いたのは国境の大都市レスティラント。
旅人としての自由を望んでいたはずが、領主家の庇護のもと“賓客”として迎えられることになる。
豪奢な城館、整然とした街並み、賑わう市場――その華やかさの裏に潜む影を、マサミはまだ知らない。
この章では、都市の光に目を奪われつつも、ふとした瞬間に見える“境界の影”が、彼の心に問いを刻み始める。
馬車の中では、この貴族と二人きり――もう、凄く気まずいよね。
ありえない。…いや、馬車を破壊して逃げるなんて訳にもいかないし。
「随分と退屈そうだね」
な、いきなり話しかけられた!どうしよう、どうしよう。貴族との会話なんて、ロクなことがないんだから。
「あ、いえ。一人旅には慣れてますから」――とりあえず誤魔化しておこう。
「この馬車なら、街まであと二日ほどで着くよ」
まあ、結構早いよね。街までの道のりをショートカットできるのはいいけど…貴族と一緒じゃなきゃね!
「あ、はい」――手短に相槌だけ打っておく。
「君は、よく見ると可愛い顔をしてるじゃないか。…なんで隠しているんだい?」
な、いきなりナンパなの?ねえ、そうなの?
「あ、これは、その…」――適当に相槌を打っておけば、こういう時は事情を察してくれるものだよね。
「すまない、隠さなきゃいけない事情でもあるんだろう。恩人に不躾だったね」
もう、恩人だって思うなら、一緒に連れてこないで!
「あ、いえ、気にしないでください」――もう、話しかけないで。返答に困るから!
「前にも名乗ったと思うが、私はレルナード=レスティラント。国境の街レスティラントの領主を任されている。君の名を聞かせてもらえるか?」
えー、名前とか聞かないでよ。貴族に知られたら、わたし何されちゃうのよ。
「あ、えっと、その……マ」――どうしよう、どうしよう。ここで名乗らないのも変だし、こればかりは“事情察して”なんて言えないし。
よ、よし。偽名でいこう、うん。
「マルティーナです」――満面の笑みで答えた。…思わず名乗っちゃったけど、マルティーナって誰よ。
ああ、やばいやばい。偽名だってバレたら、わたしどうなっちゃうの?その時は逃げればいいよね、うん。
「マルティーナさんか。素敵なお名前だ。この度はこの命を助けて頂いて感謝する」
だからマルティーナって誰よ。自分で名乗っちゃったんだけどさ。…ああ、居心地がどんどん悪くなっていく。
「マルティーナさん、先ほどから何か…どこか具合でも悪いのですか?」
あなたと二人っきりっていうのが原因なんだけど、そんなこと言えないし。
「あ、だ、大丈夫です」――あーもう、名前連呼するのやめて。ほんと恥ずかしいから。
「助けて頂いた時の凛々しさとは違って、今の奥ゆかしさも素敵ですね」
な、この男はなんでそんな事を軽々しく言うかな。もう、これってナンパだよね?そうだよね?
「あ、……」――もう、だめ。会話続けられない。顔も火照ってきちゃったし。
いや、違うよ。ナンパされて火照ったわけじゃない。マルティーナなんて名乗ったことが恥ずかしくて、だよ。
それにしても、護衛が全員、羽のある人たちってすごい迫力だよね。空を飛んでいるし、横を歩いているし、前にも後ろにもいて、まさに全方位を囲まれている感じ。さすが領主様ってところだね。
わたしが窓からきょろきょろと外を見ていると、
「何か気になったことでも?」
「えっと……羽のついた方って、種族はなんておっしゃるんですか?」
「ああ、あれは翔翼族といって、素早く飛ぶことができる。そして、見ての通り、荷物の運搬や護衛も、緊急時にはすぐに現地へ着任できるんだ。」
翔翼族……羽というより“翼”ね。確かに、荷物を運んでいる人は広くて大きな翼で、護衛の人はシャープな形の翼をしている。
このまま馬車で二人きりの旅が二日間も続くなんて、どうしたらいいの……と思っていたけれど、わたしの様子を見て、レルナードも気を使っているようで、あまり話しかけてこなかった。
街に近づくと、その大きさに少し驚いた。王国で三番目くらいに大きい街だと聞いていたけれど、まさかここまでとは。
国境の街レスティラント。まるで城塞都市みたい。立派な城壁に囲まれ、綺麗に放射状に形成された街並み。街中の道は広く、石畳で舗装されていて、中心にあるのはまるでお城のよう。
「マルティーナさんは、街に来るのは初めてですか?」
あ、その名前……わたしはマルティーナ。マルティーナ。自分に言い聞かせる。
「こんなに大きな街を見るのは初めてです。」
つい、浮かれてしまう。
「後ほど、使いの者に街をご案内させましょう。この街の滞在中は、我が家でお世話をさせていただきますので。」
まあ、泊まれるところがあるのはありがたいけれど……“我が家”って、あのお城のことだよね。
「あ、ありがとうございます。」
どうしても貴族相手はやりにくい。失言があっちゃいけないような、独特の緊張感がある。
この街は、獣人族も人間族も比較的関係が良好そう。同じ店に両方いるし、獣人族が店主の店もある。
そもそも、領主の護衛が獣人族だものね。
街の城壁を抜けてから、たぶん小一時間くらい走っているけれど、まだ着かない。どれだけ広いんだろう。この城壁の外には、大きな田園地帯が広がっていたし。
こんなに大きな街だと、やっぱりスラム街みたいな場所もあるんだろうな。
たぶん二時間くらいかかったと思うけれど、やっと到着。馬車は悪くないけれど、腰にくるよね。きっと、ちゃんとした馬車ならこんなことなかったんだろうけど、急造の馬車だもの。
馬車を降りてみて、改めてこのお城の大きさに驚いた。わたし、このお城の中で迷う自信がある。
すぐさま、執事らしき品の良さそうな黒服の年配者が現れ、
「旦那様、襲撃を受けたとのこと。お怪我などはございませんか」
と、丁寧な遣り取りをしている。
わたしは中へ案内されると、そこには社交パーティが夜な夜な開催されていそうな大広間が広がっていた。天井からはいくつものシャンデリアがぶら下がり、豪華そのもの。
この広間に、わたしの家がすっぽり入っちゃいそうだよね。などと、つい自分の家と比較してしまう。
大広間をよそに、階段を上がって2階へ向かうと、いわゆる客間に通された。広いのなんの。高そうなベッドにクローゼット、敷かれたカーペットもまた高級そうで、汚したら大変そう。気をつけよう。
「マルティーナ様、本日からこちらにご滞在ください。何か御用があれば、何なりと。では、失礼いたします」
と、案内してくれたメイドさんが丁寧に挨拶をして、すぐさま出て行った。
やっぱり、マルティーナっていう名前は伝わってるんだね。
「長旅でちょっと汚れてるし、服でも洗おうかな」
と思いながら、ちょうどいい広さのバルコニーもあるしね。
自分の服を一着洗うくらいのタライは持っているので、セーラー服を脱いでタライに入れ、洗濯魔法を使う。
ついでに雨合羽も洗っておこう。魔法はとても便利だ。洗濯魔法のあと、すぐに風魔法で乾かすことができる。
もちろん下着も洗った。一通り洗い終えて、着る前に体もついでに洗浄魔法でさっぱりしておく。
まさか旅の途中でお貴族様の前でこんなことはできないので、早くこうしたかった。
さっぱりして、ちょっと街でも見てみたいなと思っていたところへ、タイミングよくメイドさんが気を利かせて、お茶とお菓子を持ってきてくれた。
雨合羽も着ていてよかった。顔を見られたくないからね。街に来たのだから、雨合羽じゃなくてローブっぽいものを買ったほうがいいかな。
メイドさんは、わたしのことを見て怪訝そうな顔をしていたけど、やっぱり雨合羽を着たままの人っていないよね、などと思っていた。
メイドさんがお茶を注いでくれて戻ろうとした時に、声をかけておいた。
「街に出たいのだけど、いいかな」
「もちろんでございます。お付きの者を呼びますので、今しばらくお待ちください」
と言って出ていった。普通に一人で外出なんてさせてくれないよね。お貴族様の賓客扱いだものね。
案内の人に連れられて街へ散策に出ると、そこは市場のある区画だった。とても賑やかで、みんな笑顔だ。平和だね。
でも、こういう平和な街に限って、裏の顔やスラム街があって貧困にあえいでいたり、陰謀が渦巻いているものだよね。
実は、魔物より人間のほうが怖いこともあるし。そんなことを考えつつも、今はひと時の平和を謳歌しようっと。
「マルティーナ様、何かご入用のものはございませんか」
「あ、ローブを新調したいのだけど、良い店はあるかな。ちなみに、そんなに持ってないので、なるべくお安い店が良いのだけど」
こんなところで見栄を張っても仕方ない。わたしは庶民なのだ。
「旦那様から、マルティーナ様が必要なものはすべてお出しするよう申しつかっております。何卒ご遠慮なさらずに」
え?全部出してくれるの?随分太っ腹なお貴族様だな、などと思いながら案内の人についていくと、とても高級そうな仕立て屋に連れていかれた。
ええ、こんなお高そうなところで庶民のわたしに何を買えと。
そう思っていると、
「マルティーナ様に似合うローブを」
と店主に勝手に話をしてくれた。
「え、あ、わたしはそんなに拘らないから」
と言ったけど、案内の人がすでに領主家の人間だと分かっているみたいだった。
そそくさと奥に行った店主が
「当店自慢の生地でございます」
と、とても高そうな生地を出してきた。
これって、もしかしてオーダーメイドっていうやつじゃないの。わたしのセーラー服だって、サイズだけおおよそ合わせるセミオーダーだよ?
そんなことを考えているうちに、店主がわたしの体のあちこちを丁寧に採寸していった。めちゃめちゃ手際がいいね。
やっぱり高級店っていうのは、こういうところからして違うんだね。などと考えているうちに採寸は終わってしまった。
「ローブの形は如何いたしましょうか」
わたしは店に並んでいるローブっぽいものを適当に指さして
「あれで、お願いします」
「さすがはお目が高い。あれは当店でも自慢の最新作でございます。では、一週間ほどでお届けにお伺いいたします」
えーわたしそんなの選んじゃったけど、最新作なんていったらきっと高いだろうし、あとで領主に怒られるんじゃ…などと考えてしまった。
「お茶でもしたいのだけど、どこか甘いものを食べられるところはあるかな」
「はい、ご案内いたします」
案内でついてきてくれているだけあって、どんな店でも知っていそうだ。
その途中、やっぱりいた。路地の暗がりに、みすぼらしい恰好をして座り込んでいる子供。
どんなに綺麗な街だって格差があって、その底辺にはあんな子供がいる。
しかし、今のわたしには何もしてあげられない。この街のことも、この世界のこともほとんど何も知らないのだから。
道すがら聞いてみた。
「ねえ、この街にもスラム街、貧困層が住むところってあるのかな」
「マルティーナ様、なぜそのようなことを?」
「いえ、先ほど気になるものを見たものだから」
「マルティーナ様がお気になさるようなことはございません。それより、あちらに見えるのがカフェでございます。有名店なのですが、マルティーナ様のお口に合うとよろしいのですが」
強めの口調で、ぴしゃりと「そんなもの忘れてしまえ」と言われた気分だった。
きっとここにも、わたしがしなきゃいけない、なすべきことがある。そう心に留めた。
城塞都市レスティラントは、豊かさと秩序の象徴であると同時に、格差と沈黙の影を抱えていた。
貴族の庇護を受ける安堵と、庶民としての違和感。その狭間で、マサミは「偽名」という仮面をまとい、都市社会に足を踏み入れた。
華やかな街並みの裏に潜む子供の姿は、やがて彼が向き合うべき現実を暗示している。
旅人から都市の一員へ――その変化は、もう後戻りできない流れを生み出しつつある。




