081:生まれたての小鹿
「……ふぅ」
ゆっくりと機体の足を止める。
前を走っていたドローンは後ろにいる博士の元へと戻って行った。
此処が試験場であり、歩いて来た道のように細心の注意を払う必要も無くなった。
息を吐きながら、俺は周りに視線を向ける。
広々とした場所であり、芝が生い茂ったそこでなら大胆な動きも出来るだろう。
障害物となるものは一切存在せず。
あるとすれば、同じようにテストの為に来ている別のメリウスくらいだ。
俊敏な動きで大地を駆けているメリウスたち。
中には上空へと飛んでいって、アクロバット飛行のような事をしている者もいた。
俺は顔から垂れる汗を腕で拭った。
そうして、それらを視界の端に追いやりながら、俺は通信を繋ぐ。
「……それで、俺は此処で何を?」
《うむ。最初は適当にならしてみようか。君もまだそれには慣れていないだろ? 走るなりジャンプするなり、好きに動いて見なさい》
バーナー博士からそう言われて、俺は静かに頷く。
そうして、通信を切ってから走ってみようとした。
イメージするのはジョギングしている人間で……いいぞ。
腕を曲げながら、バランスを取る様に振るう。
そうして、足を動かしながら軽く走り始めた。
一歩ずつ進む度に大地を踏みしめるような音が鳴り。
コックピッド内が微妙に揺れるが、操作に支障はない。
落ち着いてイメージを保ちながら――っ!
またイメージが乱れた気がした。
その瞬間に、手の振り方と足の動かし方が崩れる。
機体が妙な動きを取って、咄嗟にカバーしようとしたが逆にそれがいけなかった。
足がもつれるようになってしまい、アンブルフはそのまま横を向いて倒れる。
派手な音を立てて芝を抉り土がめくれ、システムが警告を発した。
体が僅かに揺すられたが、それほど強い衝撃は無かった。
恐らくは、衝撃を軽減する機構が備わっているのだろう。
命拾いしたと思いながら、俺はモニターに視線を向ける。
横になっているから、地面が奇妙な見え方をしていて俺自身もベルトによって押さえつけられている。
傍から見れば、初歩的なミスであり……情けないな。
俺は自らの不甲斐なさを嘆きながらゆっくりと立ち上がる。
まるで、生まれたての小鹿であり足が震えているような気さえした。
立ち上がってから視線をモニターに向ければ、豆粒ほどの人間たちが見えた。
待機しているようであり、近くにはメカニックらしき人間たちもいる。
拡大して見れば、同じパイロットたちが俺を見ていて……はぁ。
腹を抱えて笑っている。
まぁ彼らからすれば、簡単な操作もままならないように見えたんだろう。
実際そうであり、俺は少しだけ恥ずかしさを感じながら彼らから視線を逸らす。
何時もであればこれくらい当たり前に出来る。
システムが変われば、これほどに難しい事になるのか。
俺は早くなれる為に再び機体を動かし始める。
走って、走って――転ぶ。
立ち上がり、軽く飛び上がり、よろけながらも着地して、足を前に動かし腕を振るって――体勢を崩す。
広い試験場で機体を動かしながら、何とか感覚を掴もうとする。
少しずつではあるが、何となく動かし方は理解し始めている気がする。
しかし、現状がこれでは戦闘時になればひどいものだろう。
動く事だけに集中していれば、良い的でありすぐにハチの巣にされてしまう。
いや、動けたのならまだいい。
棒立ちになるか。将又、今のように体勢を崩して敵の前で醜態を晒すか。
何方にせよ、確実に瞬殺されてしまう未来が濃厚だ。
そうならない為にも、何とか操作をマスターし戦闘時でも戦えるようにしなければならない。
「……理論上は操作可能領域の幅が広がっているんだ……物にさえすれば、以前よりも……」
以前よりも活躍の幅が広がる……最後まで言う事は出来なかった。
本当に戦えるのか自信がない。
これだけのものを与えられたのに、災厄に勝てるヴィジョンが見えない。
分かっている。俺に足りないのは力だけじゃない――自信だ。
自信が無いから、弱いと思ってしまうから。
俺は勝てるかもしれない相手にも勝てずにいる。
戦場で何度もしにかけたから分かっているんだ。
心が前を向いていないから、勝機を逃しているんだと……前を見るんだ。
拳を固く握りしめてから、俺は機体の手を地面から離す。
そうして、前だけを見つめながら再び走り出した――
§§§
陽が沈み始めて、空が少しだけ赤い。
ゆっくりと両手を下ろしながら、俺はシートに身を預ける。
モニター越しに見える空の果て。
遠くで鳥の群れが羽ばたいていて、それを見ながら俺は汗を拭う。
連動するように機体の腕も動いているが……これは改善してもらった方がいいのか?
浅く呼吸を繰り返しながら、俺はぼそりと疑問を吐いた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……何で、息が切れるんだ」
《恐らく、肩に必要以上に力が入っているからかと。リラックスですよ》
「言われなくても……いや、まだ、無理だな……はぁ」
アレから暫く動かし続けた。
その結果かは知らないが。
あまり倒れなくはなった気がする……ほんとに微妙な変化だがな。
何度も何度も倒れていたが、アンブルフは傷一つ無いようだ。
いや、外から見た訳じゃないから詳細は分からないが。
少なくとも、システムから見た限りでは問題はない。
耐久性も格段に上がったのかと思って、俺はロイドに質問する。
すると、ロイドは俺の質問に対して的確に答えてくれた。
《機体の装甲強度自体は変わりはありません。新素材で強化する事も出来ましたが。メインとなるこの機体自体に過剰な強化を施すのは不要だとバーナー博士が判断したので装甲はそのままです。違いがあるとすれば、安全性能を向上させた事でしょうか……例えば、今までの事を思い出して頂ければ分かると思いますが、操作を誤り転倒する際にあまり衝撃が無かった事には気づいていましたか?》
「……あぁそれは気づいていた……まさか、それが?」
《えぇ補助の補助のようなものですが。私が衝突の際に発生する衝撃を軽減する為に、サブスラスターを使ったりマニュピレーターの位置を僅かに修正していました。それ以外にも、パイロットへと衝撃がダイレクトに伝わらないようにコックピッドが連動して動作するような機構も取り付けました。周囲に被害が出ないように最小限の動きで……あぁご安心ください。基本操作時や戦闘中には私は手出ししませんので。そこのところは部を弁えてますから、私》
「……ありがとう」
《いえいえ》
何故だろうか。
流暢に喋るロイドが、本物のオペレータのように思える。
何処かに本体が待機していて、指示を出していると言っても信じる自信がある。
それほどまでにこいつは人間的で、心があるように感じた。
《いえ、ただのシステム。AIですから》
「……心も読めるのか」
《リンクしていますからね。切る事も出来ますが、機体は動かなくなりますよ……切りますか?》
「……無理って事だろ……いいよ。別に……今更だ」
《そうですか。それでは今後も全てを曝け出してください。私も本音しか言いませんので》
「……」
本当に機械らしくない言い方だ。
良く言えば親しみがあるとも言える。
悪く言うのであれば……いや、言う必要は無いな。
動きは何となく分かって来た。
次のステップに進むのであれば、飛行テストくらいだろうか。
メリウスの戦闘は地上戦と空中戦が主であり。
アンブルフの機動力を活かした戦闘ともなれば、空中戦は切っても切り離せない。
……でも、今の状態では……。
どうしたものかと考えていれば、通信が繋がれる。
相手はバーナー博士であり、博士は満面の笑みで俺を見ていた。
《調子は良さそうだね。いやぁ良かった良かった》
「……そう見えますか?」
《ん? まさか、自らの度重なる失敗を悔いているのかね? いやいや、アレくらいは想定の範囲内だよ。寧ろ、全く別の操作システムに最初から慣れていて、ひょいひょい飛び回り百戦錬磨の傭兵のような飛行を披露する化け物だったら気持ちが悪いよ……大丈夫だぁナナシ君。私の計算では一月も動かしていれば、君は並の傭兵くらいには動けるようになっているだろう。そこからはあっという間だ! コツさえつかめれば、後は半月もせずに君は以前のように……いや、以前の君よりも二倍以上の戦果を挙げられるだろう! この私が保証する。だから大船に乗った気でいなさい。ははは!!》
「……分かりました……まだ、歩行テストを続ければいいですか?」
《うむ。そうだね……今日は君に乗り心地を確かめてもらうだけのつもりだったが……よし! それじゃ思い切って飛行を》
《――ダメですよッ!!! 何を考えているんですかッ!!? 頭おかしいんじゃないですかッ!!?》
ウッドマンさんが博士の隣に急に出て来た。
彼はもの凄い剣幕で博士を叱っている。
俺はたらりと汗を流して乾いた笑みを零す。
ウッドマンさんが怒るのも当然だ。
今さっきまで歩く事が出来るようになった存在が。
今度は空を飛んでみろと言われたんだ。
傭兵や技術者としての常識がある人間であれば、間違ってもそんな愚行は侵させない。
ウッドマンさんは烈火のごとく怒る。
やれ、生まれたての赤子に車を運転させるもの。
やれ、重要なインフラ設備の制御装置を職場体験の子供に任せるようなものと……その通りだな。
俺はまだこの操縦システムに対して知識が無さすぎる。
だからこそ、不用意に挑戦し過ぎて建物や人の中に突っ込めばそれこそ災害のようなものだろう。
今はまだ、広い所での歩行テストだけだから大丈夫だが。
これが飛行テストや射撃テストに移行すれば、危険度は大きく跳ね上がる。
ウッドマンさん程ではないが、俺も安全を考慮した上でテストがした方が良いと思っていた。
しかし、バーナー博士は耳をほじりながら全く動じない。
話を右から左へと流している顔で。
彼は俺へと視線を向けながら、不真面目な顔で次の指示を出す。
《……じゃもう煩いし……飛行テストや射撃テストはシミュレーターで行おう。まだ時間はあるから、もう少しだけでもいいなら練習してもいいが……どうするかね?》
「……いえ、大丈夫です。次のテストがしたいです」
《……これでいいだろぉ? 分かった分かったから。さっさと準備に行きなさい……あぁ、ナナシ君はアンブルフを元の場所まで戻すように……一応言っておくが。ウッドマン君の車のように!! 他のものもぺしゃんこにしないように……ぷぷ》
《――》
「……はい」
バーナー博士はウッドマンさんにやり返していた。
態々、彼の車という部分を強調して言っていたから態とだろう。
最後にチラリと見えたウッドマンさんの顔は……怖くて見られなかった。
《ナナシ様、安心してください。車はぺしゃんこになっても、我々は無事ですから》
「……黙ってろ」
俺はゆっくりと深呼吸をする。
そうして、再びバクバクと鼓動を速めてきた心臓を宥める。
……大丈夫だ。それなりに慣れた。もう何も壊したりはしない。
俺はそう自分に言い聞かせながら、再び前に現れたドローンを追っていく。
一歩ずつ脚部を動かしながら、俺は瞬きもせずに前を見る。
ゆっくりゆっくりと老人のように動く俺の愛機。
恐らく、遠くから見ているパイロット達から見れば、かなり不格好に見えるだろう。
我慢だ。今は耐えるしかない。
もしも、以前の操縦のままであれば――そんないい訳はしたくない。
「……絶対にものにしてみせる。手足のように動かして……っ」
《……》
ロイドは何も言わない。
気を遣ったのか。それとも、別の事を考えていたのか。
気にしている余裕はない。
俺は前だけを見つめて、慎重に機体を動かして行く。
絶対に失敗しないように、絶対にこれ以上醜態を晒さないように――それだけを考え続けていた。




