067:心に届くもの(side:イザベラ)
「何が起きたって言うんだ――っ!」
背後から迫る脅威。
アレは間違いなくナナシのアンブルフだ。
歪な形になり、禍々しい黒いエネルギーを纏っているが、間違いなくアイツのだ。
生体反応はまだあるが、確実に敵味方の区別がついていない。
敵の一人を仕留めれば、もう一人が逃げ出して。
慌てて追って来てみれば、そこにはこいつがいた。
その下には死んだであろうあの男の機体があって。
馬鹿な敵がアイツを攻撃したせいで、此方にアレが向かってきてしまった。
最悪な事に、攻撃を仕掛けたバカは既に死んだ。
まるで、砲弾のように突っ込んできた奴の拳を受けてバラバラになっちまった。
金属でできたメリウスがガラスの様に砕けたんだ。その威力は自分で味わわなくても分かる。
私は奴から距離を離して全力で逃げた。
アレはまずい。アレには並の攻撃は通用しない。
いや、それらがあったとしてもあの中にはナナシがいる。
此方の呼びかけに応えずとも、生きている事は分かっていた。
だからこそ、どうにかして奴の目を覚まさせる必要がある。
でも、どうやって――ッ!!
奴のセンサーが光る。
その瞬間に、私は一気に横へとブーストした。
奴は稲妻のように空を翔けて私のすぐ横を通過していった。
あり得ない機動力。あり得ないほどの攻撃力で。
アレ事態が一つの武器として完成していた。
もしも武装を持っていれば、今頃私は逃げる間もなく殺されていたに違いない。
常に緊張が走り、心臓が煩いほどに鼓動する。
プレッシャーを感じながら、私はレバーを操作した。
奴から感じる冷たい殺気を読み取りながら、攻撃を回避。
光となって翔ける奴を紙一重で回避しながら、奴に向けて牽制目的の弾丸をバラまく。
ロックオンなんてしない。そんな余裕はなく――マジかよッ!
弾が命中する。
しかし、エネルギーの膜がそれらを防ぐ。
ノーダメージであり、蚊ほども痛みを感じていない。
いや、そりゃそうだ。つぎはぎだらけの機体なのに動いているんだから――真面な筈がない。
あれこれ考えるな。
殺すとか殺さないじゃない。
やらなければ私が死ぬだけだ。
ダメージが通らないのであれば、ないふり構わず攻撃する他ない。
私は覚悟を決めて、奴へと全力の攻撃を仕掛けた。
両手の強襲用ライフルを向けて発砲。
肩部のランチャーの照準を向けて発射。
高機動戦闘状態においての攻撃で、私に攻撃を仕掛けた後の硬直時を狙った。
リコイルにより機体全体が揺れて、振動がレバーを握った私の手を痺らせた。
そうして眩いばかりの閃光と共に奴へと全ての弾が命中し――マズいッ!!
危機を察知した。
その瞬間に、後方へと飛ぶ。
一気に距離を離そうと――咆哮が上がる。
《――!!!》
「――ぅ!!」
頭が割れるほどの絶叫で。
生き物が発する声なのかも分からない。
不協和音であり、頭が痛みを発していた。
見れば、その咆哮で煙を一気に晴らし。
奴の纏うエネルギーが増大していく。
私はたまらず地面へと降下し、頭を抑えながら奴を睨みつけた。
アレは何なんだ。アレは一体――?
センサーが何かを捉えた。
それは空を飛ぶ鳥の群れで。
奴よりも距離は離れているが群れで飛んでいて――は?
鳥の隊列が乱れる。
そうして、そのまま下へと落ちていった。
奴の雄叫びを聞いたからか――いや違う。
かなりの距離が離れていて。
奴らはそんな声など気にせずに飛んでいたんだ。
それなのに、いきなり死んだように落下していって……死んだ?
鳥の群れが突然死んだ。
私は地面へと視線を向ける。
すると、砂地に僅かに存在する草花や骨。
それらが一気に萎れて、灰のようになっていく。
さらさらと風と共に消えて行って……まさか、アレが?
不可解な現象。
生命が死に、骨すらも跡形もなく消えていった。
関係ない事なんて無いだろう。
アレが引き起こした事で……何か秘密があるのか。
確かめたい。が、そんな余裕はない。
解明できたとしても、打開策にはならないだろう。
私はそう思い、奴へと一定の距離を保ちながら飛行した。
奴は叫ぶのを止めて、だらりと両手を下げる。
そうして、顔を上げて――妖しく光る赤い瞳を私に向ける。
全身の毛が逆立ち、体が震える。
恐怖だ。心の奥底から恐怖が這い上がる。
人間としての本能が全力で逃げろと告げている。
でなければ、私は確実に奴に殺される――逃げ場なんて無い。
輸送機に乗り込んだとしても奴は追って来る。
そうして、メリウスよりも小回りの利かないあれでは。
仲間諸共殺されるのがオチだ。
だったら、私が此処で――ッ!
何かが飛んできた。
それはアンブルフに勢いよく命中する。
ミサイルかと思ったが、泡が発生した事から消火剤だと分かった。
あんな馬鹿な事をするのは一人しかいない。
「ヴァンッ!!」
《――分かってるッ!! でも、アレはナナシだッ!!》
ヴァンは小型のエアバイクに乗っている。
機動力はあっても、メリウスには到底及ばない。
碌な武装も積んでいない上に、体を守ってくれる装甲も無い。
それなのにあのバカは戦場に現れて――ッ!
奴の目がヴァンに向く。
私はすぐに動いて奴へと突っ込む。
全ての弾丸を吐き出す勢いで弾をバラまき。
弾が無くなれば片手のライフルを捨ててチェーンブレードを持った。
「こっちを、見ろッ!!!」
勢いのままにチェーンブレードを振る。
甲高い音が響いて、奴の黒いエネルギーがバチバチと音を立てた。
私は目を細めながら口角を上げる。
額から汗が流れて頬を伝って行く。
《――》
「化け物、が」
奴は手も動かさない。
エネルギーの障壁だけで私の全力の攻撃を防いだ。
ギャリギャリと奴のエネルギーを削ろうとするそれが。
ゆっくりと動きを止めて煙を上げる。
奴は静かに私を見て――
奴からエネルギー波が発生した。
円状に広がったそれは私やヴァンに当たり。
機体のシステムが誤作動を起こし始めた。
此方の指示を受け付けない。
スラスターが全て止まってゆっくりと落下していく。
ヴァンを見れば、アイツのバイクも落下している。
ヴァンはすぐにバイクを捨てて空を飛ぶ。
奴はバックパックを展開してパラシュートを開いた。
そうするしかない。分かっているが――奴がいる。
「ヴァンッ!! ダメだッ!!」
《――!?》
奴が動く。
瞬間移動と呼べるような速さで。
次の瞬間にはヴァンの前に立っていた。
そうして、降りていくヴァンを無遠慮に掴んだ。
私は勢いのままに地面に激突し。
口から空気を吐き出しながら、ノイズの走るモニターを見つめた。
まずい、ダメだ。
このままじゃ、ヴァンが、殺される……っ。
「動け、動くんだよ。早く、アイツを」
レバーを動かし続ける。
コンソールを引っ手繰りカタカタと打ち付ける。
しかし、システムは完全にイカれている。
死んではいない。だが、此方の操作を全く受け入れない。
これは何だ。この力もアイツが――っ!
《ぅ、ぁあ!》
「ヴァンッ!!」
ヴァンの苦しむ声が聞こえた。
アンブルフがアイツを握り潰そうとしていた。
助けに行きたい。でも、間に合わない。
私はヘルメットの通信機能を作動させてハッチを強制的に開かせようとした。
カバーを取り、レバーを出して硬いそれを回せしてから強く押し込む。
すると、ガシュリと音が響いてハッチが飛ぶ。
ボックスからフレアガンと拳銃を取り出す。
そうして、シートベルトを引き剥がし外へと出て――フレアガンを撃つ。
夜の世界で、小さな太陽が発生したように明るくなる。
ヘルメットのシールドを展開しながら。
私は息を吸い込んでから、大きく声を出した。
「こっちだァァァ!!! そいつを殺すなら、私を先に殺せェェェ!!!!!」
《――るせぇな。俺にも聞こえてんぞ》
「黙ってろォォ!!!」
馬鹿の言葉は無視する。
そうして、私はフレアガンを捨てて拳銃を抜く。
弾倉が空になるまで発砲する。
乾いた音が静かな荒野に響いて、奴は私を――見ない。
「……っ!」
ジッとヴァンを見つめている。
何を考えていて何を企んでいるのか。
私は強い危機感を抱きながら、どうすべきかと頭を働かせて――声が聞こえた。
《……ナナシ。お前が今、何を想っているのか……何となく、分かるよ……許せなかったんだろ。アイツを……お前自身を》
《――》
《殺したいのなら殺せ……その代わり、約束してくれ。正気に戻った時に……絶対に後悔しないって……聞こえてなくても、思い出せ》
《――》
《ぐ、あぁ!》
「ヴァンッ!! やめろッ!!」
ヴァンの苦しむ声がまた聞こえた。
アイツは死ぬ気だ。
此処に来たのもそれが狙いで。
アイツは自分の死をトリガーに、ナナシを正気に戻す気だ。
それを理解して、私は空になった銃を奴へと目掛けて投げる。
届く筈は無い。それはひらひらと落下して、ぽすりと砂の上に載った。
私は叫び続ける。
しかし、奴には私の声は届かない。
私はただただ己の無力を後悔しながら、奴らを見る事しか出来ない。
《ナナシぃ……お前は、殺人鬼なんかじゃない。お前はアイツとは違う……お前は俺の仲間で、家族で、相棒で……替えの効かないたったひとりの存在だ……本当は、夢が叶たった時に言うつもりだったけどよ……今、言うぜ》
ヴァンは笑っている。
苦しいのに痛いのに、笑っていた。
見えている豆粒ほどのアイツが、ゆっくりと手を向ける。
アイツに手を差し出しながら、言葉を送った。
《叶うなら、一緒にさ。もっと世界を見に行きたかったぜ……笑ってくれよ。お前の笑顔、俺は好きだぜ》
《――!》
奴の言葉、それを受けたナナシ。
その瞬間に、奴の纏う空気が変化した。
荒々しいエネルギーの塊が、徐々に勢いを弱めていく。
赤く発光するセンサーが、徐々にその色を変えていった。
アイツの声が届いたのかは分からない。
しかし、血のように赤い瞳が青に変わり――
《ヴァ、ン……?》
《……はは、おかえ、り》
二人の声が聞こえた。
その瞬間に、アンブルフの体は自壊を始めた。
私はハッとなって、機体へと急いで戻る。
そうして、システムを確認すれば――戻っているね。
私はレバーとペダルを操作して、機体を持ち上げて空を飛ぶ。
ヴァンはナナシの拘束から解かれてそのまま下へと落下している。
パラシュートも機能しており、アイツは問題ない。
問題なのはナナシの方で、私は速度を上げた。
ボロボロになった奴の機体。
残骸が落下していき、ナナシが入ったコックピッドも落ちていく。
奴はそのコックピッドの隙間から漏れ出して。
そのまま空中を浮遊していた。
私はブレードを捨てて、そのまま空いた手でナナシをキャッチした。
丁寧に落ち着いて下へと降下して、ゆっくりと着地する。
手を開いて見れば、ナナシは穏やかな表情で眠っている――”無傷の状態”で、だ。
「……アンタは本当に、何者なんだい……答えてくれよ。ナナシ」
眠っている奴を見る。
人畜無害な青年とは今では思えない。
何かを隠しているのか。それとも本当に何も知らないのか。
得体の知れない不気味さ。
そして、底の見えない力を持っている男。
仲間であるが、このまま抱えていれば何が起こるか分からない。
私一人の命ならまだいい。
でも、ヴァンやミッシェルに何かあれば……私の手で殺してやる他ない。
眠っているナナシを抱えながら。
私はゆっくりと機体を移動させる。
ナナシは確保した。後はヴァンを連れてこの場を離れるだけだ。
あの狂人の死体を確認したいけど、ナナシ以外の人間が漏れなく負傷者だ。
クズに構って死んだんじゃいい笑いもので……来たね。
輸送機が見えて来た。
私はそれを確認しながら、ヴァンが着地した場所へと向かう。
謎ばかりで何も分からないけど……それでもアンタは、信じるんだろう。
お人好しの馬鹿を想像する。
殺されたとしても笑っているであろうアイツを私は心配する。
そうして、その日が来ないように私がこいつを見張って置かなければならないと理解した。
仲間を、家族を守る為なら……喜んで憎まれ役になろうじゃないか。
私は静かに決意を固めながら。
ワンデイの足を動かして、月明かりの下を進む。
アンブルフの残骸や敵の機体が散らばる荒野を静かに見ながら――




