066:死を告げる悪魔(side:アンドレー)
ブレードを引き抜く。
がらりと残骸が落ちて、オイルがそれから漏れる。
空き缶を潰すように叩き壊せば、人が乗り込むそこはぐしゃぐしゃとなり。
ゆっくりと横へと倒れて、派手な音を立てて沈黙した。
……こんなものか。
目の前に横たわる残骸。
両腕は切断されて、コックピッド部分は大きく抉れているそれ。
センサーから光は消えていて、生体反応も消えている。
死んだ。アッサリと死んでしまった。
残念に思う。もっともっと遊んでいれば、少しは楽しめていたかもしれないから。
こんなにも私の事を思ってくれた人間を、すぐに殺してしまった事への後悔……いや、それほどでもないな。
遊びたかったのは本心だ。
それなりの腕はあったからこそ、楽しみ方は色々とあった筈で。
まぁ、それも仕方のない事だ。
あの女、確かイザベラという名だったか。
何処かで見た事があると思えば”血濡れの魔女”だとはなぁ。
私と同じAランク上位の傭兵で、その活躍は飛ぶ鳥を落とす勢いだったとか。
どんな人間かと仲間に聞けば、赤髪の女だという事を教えられて。
纏う空気から、アレがそうであると理解した。
その戦い方は荒れ狂う炎の様に苛烈で、それでいて確実に敵を屠って行く。
ソマリとブランが相手をしに向かったが、此方にすぐに来ない所を見るに墜とされたのか。或いは……ま、どうでもいいか。
あんな奴らが死んでも関係ない。
アイツ等はアイツらなりに、戦いが出来ればそれで満足な単細胞で。
望むべき戦いで死んだのなら本望だろう。
私はそう思いながら、ゆっくりと移動を開始しようとした。
念の為に周りを索敵しながら、死体から離れていく。
もしも、あの女が既に待機していて気を伺っているのなら。
絶対に飛び立つ瞬間に攻撃を仕掛けてくるだろう。
飛び立つ瞬間はどんな機体であろうとも無防備な物で。
攻撃されれば、流石の私も敵わない。
あの死体の一部でも持って盾にするべきだったか……いや、意味は無い。
生体反応がロストしている事はレーダーで分かる。
それと、Aランク上位の傭兵が、それくらいで判断を誤るとも思えない。
ショート・ハックを仕掛けようにも射程外で。
そもそも、”拡散領域羽”の散布粒子に触れていないのであればこちらは何も出来ない。
初見殺しの特殊武装であるものの。
一度見られて看破されてしまえば、敵は此方に迂闊に近づこうとせず。
遠距離からの狙撃や質量や物量に頼った強引な攻撃を仕掛けてくるだろう。
物理的な実体弾ならば、多少は羽のエネルギー・フィールドで防ぐ事は出来る。
しかし、その許容量を超えるような物量や高濃度のエネルギーによる攻撃は防げない。
いや、防げたとしても羽が破壊されて此方は再起不能だろう。つまり、負けだな。
最悪の未来であるが、別に今日起こる訳じゃない。
復讐に燃えるナナシは死んで、魔女はまだ来ていない。
レーダーに反応が無いから、来ていないと判断してもいいだろう。
まぁステルス系の装備を持っていたのなら……あぁ、だるいな。
頭を働かせるのは面倒だ。
神父になってからも、仕事は嫌で嫌でたまらなかった。
毎日毎日、鬱陶しいガキどもの相手をして。
老い先短いジジイとババアの話を永遠と聞かされて……だからね、仕方なかったんだよ。
こんなにも頑張っていて、こんなにも不幸だったんだから。
私自身も幸せになってもいいじゃないか。
私自身でしたら後々面倒だからこそ、使えない人間を使ってまで神へと供物を捧げた。
その報酬として、私は死んでいった人間たちの姿を映した写真を眺めて。
そうして、精神の安定を保ちながら、今日まで生きて来たのに……本当に愚かな奴らだよ。
マリア、だったかな……あぁ合ってる合ってる。
アイツは本当に鬱陶しかった。
コソコソと陰に隠れて動いて。
私の思うように動く事が無かった不良品で。
アイツが我々の話を聞いていて、ナナシに相談するとは思っていなかった。
あのバカの所為で、ナナシはガラクタの始末に行き。
ガラクタだけが無駄に死んで、私は神父としての役割を果たさざるを得ず奴を解放させて……はぁぁ。
まぁ、いいか……マリアを殺して、木の下に埋めてやった。
火葬場を使って灰にするのは手間で、どうせ誰も来ないだろうとタカを括って。
そのまま死体は霊樹の下に埋めて置いた。
馬鹿な信者程、神聖な霊樹を荒そうとはしない。
灰が巻かれた土を掘り起こせば、それこそ罰が当たると――馬鹿だよなぁ。
あんな馬鹿ばっかりの世界なら、私はもっと楽に生きられたのに。
本当にナナシも……ま、ま……えっと誰だったか?
死んだ人間の名前はすぐ忘れてしまう。
一日も経てば、そんな事もあったかと疑ってしまうほどに。
いらない情報なんて憶えておかなくていいから、これはこれでいいが……もういいか、さっさと行こう。
こんな所に長居しても意味は無い。
時間の無駄であり、早く仲間の元に合流したい。
恐らく、あの街の事件のせいで暫くはお尋ね者だ。
傭兵や兵士だけを仕事中に殺していれば、こんな面倒にはならなかったのに。
そう悪態をつきそうになるのを我慢しながら、羽を広げようと――何だ?
レーダーが生体反応を捉えた。
警戒心を上げてから、レーダーの位置を探る。
弱弱しい反応であるが、確かにそこにいて――まさか。
ゆっくりと背後を見る。
すると、そこにはガラクタが転がっているだけで。
コックピッドは完全に破壊されて、オイルが漏れ出している。
生きている筈がない。
あの状態で生きていれば奇跡どころか……化け物じゃないか。
レーダーはあの残骸の位置を示している。
先ほどまで消えていた反応が復活して。
私に少しばかりの恐怖を覚えさせた。
今まで、殺した相手が蘇った事は無かった。
いや、普通は蘇る筈は無い。
死んでいなかったのか。死んだ風に見せかけて……どうでもいい。
「きひ、きひひひ……何度でも殺してあげますよ。ナナシさん」
ゆっくりと両手を下げる。
そうして、羽にエネルギーを溜めていった。
濃度を高めたエネルギーであり、生半可な刃とは訳が違う。
切れ味は本物であり、飛ぶ斬撃なんて彼は見た事も無いでしょう。
冥途の土産にすればいい。
私はそう思いながら、羽を一気に動かす。
そうして、エネルギーを刃として飛ばした。
激しい音を立てながら薄い膜上のエネルギー刃が飛んでいき――命中する。
砂煙が舞い。
彼の機体の一部がバラバラと舞う。
今度こそ仕留めた。首の皮一枚繋いだと思ったか。
折角、生き返れたのに――本当に、ついてないなぁぁぁ!
「くふ、くふふふふ…………あ?」
レーダーから反応が消えない。
いや、それどころではない。
反応が強まり――突風が吹く。
「――ッ!?」
羽で風をガードしながら、前方を見る。
あまりの強さに機体が少しだけ後ろへと動かされた。
一体何が起きたのかと少し動揺した。
煙が晴れた先には――悪魔が立っていた。
ボロボロになった機体。
手足が外れていたそれが、ゆらりと立ち上がる。
ポロリと落ちて使い物にならなくなった残骸が。
ゆっくりと悪魔の元へと集まり、無理やりに嵌め込まれて行った。
機体全体が黒いエネルギーに包まれていて。
バチバチと激しく閃光を迸らせていた。
装甲が裂けた箇所から、エネルギーが漏れ出す。
露出したコアが何故か動いていて。
ドクドクと心臓の鼓動のような音が聞こえているように錯覚した。
「何だ、それ……何なんですかぁぁぁ貴方はぁぁぁ!!!」
私は喜色に顔を染めながら。
大空に羽ばたいてエネルギー刃を彼に放つ。
無数の刃であり、彼はそれらを――紙一重で避ける。
「――な!?」
あり得ない。
私ですら、あそこまで滑らかな動きは出来ない。
彼はまるで人間のような柔軟な動きで攻撃を回避し――殺意を感じた。
瞬間、私は限界まで高度を上げる。
機体全体が揺れて、体を上から押しつぶされるような感覚を味わう。
それでも加速を止める事無く私は上昇し――は?
黒い稲妻が走る。
それを見たかと思えば、頭上に影がさして――口元が裂けた悪魔がいた。
全身の毛が逆立つ。
そうして、回避行動を取ろうとして――機体に強い衝撃が走る。
「ガァ!!?」
武装による攻撃じゃない。
ブレードによる斬撃でも無い。
奴がしたのはただ力任せの回し蹴りであり――機体がグングンと飛ばされていく。
体が飛ばされない用に、ベルトが私の体を締め上げる。
血が出そうなほどに肉体に食い込み。
私は必死に手を動かして、機体を制御しようとした。
瞬間、再び稲妻が走った。
奴が来る。
そう思うよりも早くに、私はショート・ハックを作動させた。
奴は既に粒子を受けている。
ならば、此方が奴のセンサー類を誤認させて――ッ!!?
《死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね――》
「なん、だッ!!?」
モニター類が狂い始めた。
意味不明な声が聞こえてきて、画面にノイズが走る。
そうして、激しいスパークを起こして計器の一部が弾けた。
制御できない。ハッキングを仕掛けようとして、此方の制御が奪われそうになった。
私は強制的にハッキングシステムをシャットダウンさせる。
そうして、謎の声が止み――赤い瞳がまじかにあった。
「――ぁ」
《――》
強い殺意。
今まで受けたことも無い強烈な圧で。
それを全身に受ける私は口を小さく開けて――ッ!!
奴が拳を握る。
そうして。黒いエネルギーを纏ったそれが私のコックピッドに打ち付けられそうになった。
私は本能で羽によるガードをした。
――が、意味なんて無かった。
羽はまるでガラスのように砕けて。
奴の拳の勢いを少し弱めてその軌道をほんの僅かに逸らすだけに終わる。
そうして、そのまま奴の拳が私の胸部に当たり。
バキバキと装甲が抉られる音が響いた。
天井が開き、肩から内部に掛けて大穴が開く。
そうして、そのまま私は地面へと急降下し――激突する。
大きな音が上がり、砂が天高く舞い上がる。
私は体から血反吐を吐いた。
ゆっくりと砂が降りてきて、私の体を染めていった。
強すぎる……桁違いだ……っ。
アレは傭兵だとか、兵器だとかではない……本物の悪魔だ。
月を背にして立つ悪魔。
奴の機体から溢れ出す黒いエネルギー。
それが星空を染め上げる様に広がって行く。
破壊の権化のようで、全てを闇に染め上げるが如き立ち姿。
思い出した。感じなくなって久しい恐怖という感情を。
心臓に氷柱を刺されたような感触で、全身の毛が逆立ち歯を慣らしそうになり……くは!
これだ、これこそが恐怖であり――私が欲しかったものだぁ。
「あぁ、いい、すごくいい……欲しい、欲しいよぉぉ……貴方が、貴方の全てを、私に……もっと、もっと、もっとぉぉぉ……」
体に力が入らない。
それでも力を振り絞って両手を向ける。
来てくれ、その姿のまま私の元に。
その力の全てを解き放って、私にぶつけて欲しい。
もっと私に恐怖を、凍えるような冷たさを――私に感じさせてくれッ!
頬が熱く、呼吸が苦しい。
重傷であり、放っておけば死ぬだろう。
だが、今はそんな事はどうでもいい。
この目に焼き付けるんだ。あの悪魔の姿を、この両の目で。
私は限界まで目を見開きそれを見つめる。
そうして、ゆっくりと視界がボヤける中で何かが悪魔に当たる。
黒いエネルギーに弾かれた何かが火花になって……あぁ、ダメだダメだ。
「やだぁ、だめ、だぁ……行かない、でぇぇ……」
ポロポロと涙を流す。
私の声も、もう彼には聞こえていない。
視線が私から逸れる。
悪魔が私を無視して飛び立つ。
私と彼の時間を邪魔した何か。
とても腹立たしく、とても憎らしい。
私は寂しさと切なさを感じながら――ぶつりと意識の糸が切れる音を聞いた。




