063:お前は俺だ
マーサさんが救急隊によって運ばれて。
通報によって駆けつけた警察官たちが周囲を包囲する。
規制線が引かれて、やじ馬が集まっていた。
俺たちは警察たちから話を聞かれて、偶々見ていた修道女の証言によって疑いが晴れた。
二人で教会近くの木の前に立ちながら、俺たちはその光景をただ眺めていた。
奴に逃げられた。
殺す気で襲った。しかし、奴は逃げて行った。
まだ気づいていなかった。だが、奴は逃げる準備をしていた。
マーサさんが撃たれて、まだ生きていると分かって。
俺は彼女の元に駆け寄って、後少しで逆に殺されていただろう。
しかし、ヴァンによって助けられた。
俺はアイツに礼を言おうとした。
しかし、それを遮る様に奴は俺を殴りつけた。
頬がジンジンと痛みを発していて、最初は何が起きたのか理解できなかった。
アイツはそんな俺の胸倉を掴みながら、俺を睨みつける。
そうして、ハッキリと俺に言った。
『自分が何をしようとしていたか。分かっているのか』
俺はその言葉に応えた。
アイツを殺しに来たと。
殺人者の息の根を止めに来たと。
間違っていない。正しい筈だ。
人殺しは死ななければならない。
ましてや子供の命を奪ってのうのうと生きている奴は死ななければならない。
奴への憎悪と吐き気。
形容しがたい黒い感情が俺の中で渦を巻いていて。
俺は奴を殺す事だけを考えて此処まで来た。
ハッキリとそう伝えれば、ヴァンは俺の目を見つめながら辛そうにしていた。
『……お前は、そこまで……っ』
ヴァンはそれ以上は何も言わなかった。
俺は間違っていない。
罪を犯した人間は苦しむのが当たり前だ。
俺のように、アイツも苦しまなければいけない。
後ろ指をさされて、唾を吐き捨てられて。
最後は惨たらしく死んでいくんだ。
誰一人として仲間がいない中で、俺は一人で死んでいく。
死に場所なんて選べない。俺は戦場でアッサリと殺されるだろう。
その前に、俺はアイツのようなクソを多く殺して、そして――ヴァンは俺を抱きしめる。
強く優しく、壊れ物を扱うように抱いて。
肩が湿り気を帯びて、奴の絞り出すような声を静かに聞いていた。
『もういい、もういいんだ……それ以上、自分を責めるな……』
『……俺は何も思っていない。自分の行いを何とも』
『なら何で、お前は自分の事を話しているんだ……アイツは、お前じゃないんだぞ』
『――』
その時に、俺はようやく理解した。
自分が何故、これほどまでに殺意に溢れていたのか。
激しい嫌悪感の正体は、俺が奴を自分と重ね合わせていたから。
子供を手に掛けておきながら、のうのうと生きているアイツを自分だと思って。
激しく怒り、激しく恨み――認められなかった。
もしかしたら、自分もあぁなっていたのではないか。
アイツのようにこれからも平然と生きていたのではないか。
そう心の奥底で自覚した瞬間に、俺はそれを否定するように殺意の中に隠れた。
奴を否定する事で、奴をこの世から消す事で……自分の罪をなかった事にしようとした。
醜い。自分という存在が醜く思った。
汚く、不快で、悍ましい存在。
人間かじゃない、異分子ですらない……ただの出来損ないだ。
俺はヴァンに何も言えなかった。
奴はそんな俺の体を抱きしめながら、俺の分まで涙を流してくれた。
マーサさんが病院へと運ばれて行き。
警察たちが教会を調べている中で。
奴はずっと俺を抱きしめてくれた。
警察官へと話をして、今度は拘束される事は無かった。
その理由は修道女からの証言だけでは無かった。
俺からの依頼を受けて、カメリアのグリント警部が話をしてくれていたようで。
後から彼から電話を繋がれて話をすれば、驚く事が分かった。
アンドレー神父の正体は傭兵だ。
本名はアンドレー・バッカス。
かつてAランクの中でも上位にいた存在で。
最も残忍で猟奇的な殺人者だったという。
パイロットしての腕前は一流だが。
奴はこれまで多くの傭兵を生きたまま捕まえては、その場で解体し苦しめながら殺す変態で。
奴はそれをネットにバラまいては、多くの傭兵から恐れられていた。
警察組織は奴を捕まえることは出来ない。
相手は傭兵や軍人で、奴は正式な依頼を受けて戦っていたから。
解体された人間は民間人ではなく、傭兵や兵士で……警部が言うには、民間人に手を出した形跡もあるらしい。
戦闘においては法律は無意味で。
どんなに人から悪だと思われる行為も、依頼というだけで無罪放免となる。
戦場に行って戦うのなら、何をされも文句を言えない。ただそれだけだ。
奴の手によって多くの人間たちが涙を流した。
俺はそれを自室で聞きながら、胸騒ぎを覚えた。
恐怖や怒りではない。純粋に何かが引っかかった。
奴の経歴を聞いて、何かを思い出そうとしていた。
しかし、それに気づかない警部は俺に秘密である画像を送って来た。
それは傭兵自体の奴が使っていた刻印で――
『奴の異名は”道化の凶刃”だったか。刻印も不気味なピエロとは悪趣味な野郎だ』
『……』
道化のエンブレム。
見覚えがある刻印。いや、何時までも憶えていたものだ。
どれだけ待ち望んでいた。どれだけ会いたいと思っていたか。
これは最早、運命だろう。
エマを殺し、今度はマリアを殺して――会いたかったよ。
警部は何かを話していた。
しかし、そんな話は耳に入らない。
憎い仇が此処にいる。
逃げて行ったが、奴はまだ俺の手の届く範囲にいる。
確信していた。
敵が奴であるのなら――絶対にまた姿を現す。
逃げていない。
隙を伺っているんだ。
此方を確実に殺す為に、影からジッと待っている。
端末を持っていた手に力が入り。
パキリと画面が割れた。
そうして、俺は警部との連絡を終えてから準備を進めた。
皆を呼び、俺はこの情報を伝えた。
奴こそが俺がずっと探していた仇で。
恐らくは、此処から離れれば奴は俺たちを追って来ると。
あの手のタイプは此方がした事を根に持ち。
絶対にやり返してくる。
だからこそ、俺たちが移動中の時を狙って襲ってくる可能性が高い。
『……で、アンタはどうする気だ? まさか、戦うって』
『殺す。俺の手で確実に。邪魔はしないでくれ』
『……アンタの問題に首を突っ込むことはしない……でもね。恨みつらみで、判断を誤るんじゃないよ』
『……ナナシ、俺はお前に……死んでほしくないからな』
イザベラは言った。
一人で突っ走りドジを踏むなと。
復讐をする事に関しては何も言わないでくれた。
だが、それでも助けを求める事はしたくない。
これは俺と奴の問題で、エマの魂の安らぎには奴の死が無ければならない。
ミッシェルも俺を心配してくれたが、この気持ちに変わりはない。
ヴァンは何も言わなかった。
奴はジッと俺を見つめていた。
俺はそんな奴に何も言うことなく、機体へと向かった。
今はコックピッドに乗り込んでシステムをチェックしている。
下ではミッシェルも作業をしているが。
互いに一言も言葉を発する事はしない。
ただ黙って、俺は復讐を成し遂げる事だけを考えていた。
……もうすぐだ……もうすぐお前が受けた苦しみを、奴に返せる……待っていてくれ、エマ。
マリアもそうだ。
彼女の無念も晴らして見せる。
失った二人の魂を安心させる為にも。
俺がこの手で奴を殺す。
例えその結果、俺が重い罪を受ける事になったとしても後悔は無い。
どれだけ待ち望んでいたか。
あの日の怒りも絶望を忘れてはいない。
薄れそうになれば、エマの本を見て思い出した。
何度も何度も、本の文字が薄れるまでページを捲り。
ずっとずっと読んできた。あの日の感情を忘れない為に。
エマとの思い出を失わないように……ようやくだ。
準備を怠る事はしない。
奴を確実に殺せるだけの準備を済ませていく。
絶対に逃がしはしない。
奴が襲って来た瞬間に、俺は全力で奴を追う。
例え逃げようとしても、何処までも追いかけてやる。
あの日の絶望をそっくりそのまま、奴へと返してやる。
システムのチェックを終わらせる。
そうしてコンソールを戻してから、電源を切る。
すると、コックピッド内は最小限の灯りだけとなって暗くなり……俺の顔が映っていた。
モニターには俺の顔が映っている。
暗い中で、俺の口は笑みを浮かべていた。
マリアが殺されたのに、マーサさんが撃たれたのに……同じだよ。
俺はアンドレーと変わらない。
人殺しであり、奴を殺せる事を嬉しく思っている。
自分の好奇心を満たす為に人を殺すアイツと。
奴を殺したいと心から願うアイツと……違いは無い。
『なら何で、お前は自分の事を話しているんだ……アイツは、お前じゃないんだぞ』
「……」
ヴァンの言葉を思い出す。
アイツとは違う、そう言ってくれたのに……俺はその言葉を受け入れられない。
奴自身を認める事は出来ない。
しかし、奴自身を否定する事も出来ない。
任務の為に、子供も女も殺した俺。
自分の快楽の為に人を殺してきたアンドレー。
理由があるか無いかであり、結果は何方も同じだ。
どんなに綺麗ごとを並べても、どんなに立派な理由があろうとも……俺は人殺しだ。
ゆっくりと片手を上げる。
そうして、自分の顔を覆うように被せる。
笑みが見えないように、醜い顔が見えないように隠す。
そうして、腹の中から何かが上がって来て口から声が漏れる。
「く、くく、くふ……う、うぅ……ぁぁ……」
笑っているのに、うめき声しか出ない。
奴を殺せる事への喜びと、醜い自分を認識した事による悲しみ。
感情がぐちゃぐちゃになって、体が凍えるように寒い。
片手で顔を抑えながら、もう片方の手で体を掻き抱く。
そうして、赤子のように体を丸めながら……手の隙間から雫を零していった。
誰も助けてはくれない。
助けてもらう資格は無い。
今まで忘れていた。いや、忘れようとしていた。
これが自分で、この先も変わる事は無い。
自分の犯した過ちに苦しみ。
亡者の声を聞き続けるのだ。
嫌だ。嫌だ。嫌だ――死にたい。
今すぐに消えてなくなりたい。
今すぐに楽になりたい。
でも、それは出来ない。
俺が自らの手で死ぬ事は許されない。
俺が楽になる為の道は存在しない。
俺はずっと苦しんで、ずっと傷ついて――生きなければならない。
生きる事は幸福な事じゃない。
生きる事は死ぬ事よりも辛いんだ。
誰も知らない。誰もそう思わない。
でも俺は違う……寒い。とても寒い。
「母さん……父さん……皆……」
か細い声で呟く。
この場には。いや、この世界には俺の両親は存在しないのに。
俺はただただ体を丸めながら、子供のように声を出す。
決してミッシェルたちに聞こえないように、小さな声しか出さない。
エマに会いたい。でも、今じゃない。
また会えた日に、君に謝る為にも――俺がアイツを殺すから。
「エマ…………必ず、俺が…………」
弱く脆い決意。
しかし、確かな熱であり。
寒さに震える俺は、それを胸に抱いて。
じっと暗闇の中から見えない筈の空を見つめていた。