057:偉大なる父の子たち
《ノース・カメリアの大神官トーマス・アルレルド氏、異分子の手により殺害。異分子の存在意義とは?》
「……」
端末を手にしながら、ネットニュースの見出しを見る。
大神官が異分子の少年に背後から刺されて。
彼は医者たちの健闘も空しく、息を引き取った。
あの場に居合わせた報道官たちは、彼の死を大々的の報道して。
世界中の人間たちが、異分子の存在について今一度考えさせられていた。
不幸の幸いだったのは、あの大神官の最期の行いは、異分子の粛清を自分たちの手で行うという考えを民衆たちの頭の中から消してくれた事だろう。
異分子への視線は厳しくなったが、それでも理不尽に殺されるものはいない。
「……っ」
頭の中に隙間があれば、あの時の光景がフラッシュバックする。
大神官が刺されて、彼が少年を抱きしめて……俺はその光景を黙って見ていた。
悲しむわけでも、怒りに打ち震えるでも無い。
己を呪うだけで、痛みで己に罰を与えるだけだ。
感情的にならずに、目の前で起きた惨劇を見つめていた。
ただジッとその光景を見つめて、俺は未来の事を考えていた。
その事実を認識した瞬間に、俺は俺という存在がどうしようもなく冷たい人間に思えた。
「……何も変わっていない……これからも、か……っ」
俺は端末の電源を消す。
そうして、ポケットの中に入れてから視線を前に向けた。
一日が経ち、多くの信徒たちが大神官との別れの挨拶に向かう。
大広場には彼への献花台が設けられていて。
雨の日だというのに、大広場は人で溢れているらしい。
そこに向かったミヤフジから電話で多くの人たちが集まっていると聞かされた。
彼女も辛い筈だ。しかし、それでも前を向いて生きようとしている……俺とは違う。
前を見ていても、他人にはまるで無関心で。
死んだとしても感情を表に出すことなく。
ただ歩き続けるだけの犬だ。
哀れであり、どうしようもなく歪だと思えた。
だが、そう思っても俺にはどうする事も出来ない。
これが俺であり、これからもだ。
天から恵みが降り注ぎ、パシャパシャと無数の音が聞こえて来る。
周りには誰もおらず。湿ったアスファルトの匂いを感じていた。
俺は傘を差しながら、例の爆破現場の前で立っていた。
黒く焼け焦げ、半壊した店には誰もいない。
事件当初のまま保存されていてるが、この件は事故として片付けるのだろう。
規制線の外側から見つめるが、何も変化はない。
死体があった場所に白い線が引かれていて、重要な証拠は持ち帰られていた。
数日もすれば規制線も無くなり、やがて人々は店主の死も忘れていく。
日常の中で起きた非日常も、時が経てば忘れ去られる。
どんなに必死になって真実を探したとしても。
それを望んでいる人間は、そう多くは無いのだろう。
興味があるのは一握りの有名人や身内の事だけで。
結局の所、人は無関係な人間の死に感情を揺さぶられる事は無いのか。
俺は人間だ。
異分子であっても人間だ。
その人間の部分は、そんな醜い部分だけなのかもしれない。
俺はそれが堪らなく嫌で……こうして、理由も無く立っていた。
こんな所に来ても意味は無い。此処に居たって何も起きない。
調査をしようとしても、俺はその道のプロではない。
犯人がいたとしても、俺が捕まえられるほどそいつは馬鹿ではない。
何も出来ないし、何も起きない。
それでも何故か、俺は黙って一人で此処に来ていた。
……分かっている。俺はただ逃げただけだ……あの人を守れなかった現実から逃げて来ただけだ。
己の無力さなんて嫌というほど分かっている。
どんなに抗おうとも、どんなに勇気を奮い立たせても。
俺は何一つ守れやしない……俺は弱いから。
拳を握りしめる。
痛みを発するほどに握りながら。
俺はしんしんと降る雨の中で立ち尽くす。
人の声もしない、雨音だけが聞こえる静かな場所で俺は――
「そんな事に意味は無い」
「――ッ!」
背後から声が聞こえた。
聞いたことが無い声であり、無機質な機械の声だった。
ゆっくりと振り返れば、黒いローブを纏った人間が立っている。
身長は俺よりも少し高く、180に届くか届かないかだろう。
雨の中で傘も差さずにそいつは立っていて、ジッと俺の事を見つめていた。
顔は分からない。
特殊な防毒マスクのようなものをつけていて。
性別すらも分からないそいつは、何故か、一方的に俺を知っている様だった。
見た気がする。
それは昨日の神託の発表日に感じた視線で。
こいつはその時もジッと俺の事を見つめていた。
アレは気のせいじゃなかった。こいつは確かに、その場にいた。
奴から感じるもの。
幾度となく感じたそれを俺は知っていた。
だからこそ、警戒心を持ちながら一つの質問をした。
「……お前は……異分子か?」
「……そうだ……お前と同じだ」
そいつはハッキリと答えた。
同じ異分子であり、こいつからはまるで敵意を感じない。
いや、違う。何も感じないのではなく……視線に温かさがあった。
まるで、家族を見るような目だ。
瞳が見えないのに、こいつからは確かな温もりを感じる。
だが、得体の知れない人間からそんな視線を向けられて。
素直に喜べるほど、俺は異常者ではない。
俺は奴を睨みながら、お前は誰だと聞いた。
すると、奴はゆっくりと手を伸ばす。
「……知っている筈だ。お前とは何度も会ったから」
「何を、言って……ぅ!」
奴の言葉を聞いて眉を顰めた。
そうして、どういう意味なのかと聞こうとした瞬間。
頭が痛みを発して、俺はたまらず片手で頭を抑えた。
刺すような痛みであり、それが連続して襲い掛って来る。
これは何だ――何かが聞こえて――!!
『探せ。答えを――探せ。真実を――明かせ。秘密を――我が” ”よ』
「な、に……ま、さか――ッ!?」
声がハッキリと聞こえる。
その度にズキズキと頭が痛みを発していた。
俺はあまりの激痛に耐えられず、傘を落としてその場に膝をついた。
全身に雨が降り注ぎ、バシャりと音がして足が濡れた。
俺は両手で頭を抱えて――奴が俺の前に立つ。
「同じだ。私とお前は同じだ……”偉大なる父の子”だ」
「な、にを、言って――お前なんて、しら、ないッ!」
奴が手を伸ばしてきた。
俺はそれを振り払う。
その瞬間に痛みが更に強くなる。
「あ、ああぁ、ああああぁぁ!!?」
痛みに耐えられない。
あまりの激痛に俺は体を地面に倒して転がった。
激痛が自然と声を出させて、目が限界まで開いていく。
痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛痛痛痛痛痛――――
「……もう、いい」
「――ぁ、ぁぁ……痛みが、消えて……?」
奴が何かを言った。
その瞬間に、今まで感じていた激痛が嘘だったかのように引いていく。
俺は呼吸を大きく乱しながらも、消えていった痛みに戸惑いを覚えていた。
これは何だ、一体こいつは……いや、今なら分かる。
あの時の声が聞こえ始めた。
そして、こいつの言葉を聞くほどにその声は強くなった。
関係が無い筈なんて無い。
そうだ、こいつこそが――碧い獣だ。
ジョン・カワセの情報は正しかった。
碧い獣はノース・カメリアに姿を現して。
幸運な事に俺の前に立っていた。
こいつと相対して再びあの声が聞こえた。これで、俺の考えは正しかった事が証明された。
碧い獣がいたから、あの声が聞こえた。
そして、こいつはこの声が何かを知っている。
俺は呼吸を整えながら、地面に手をついた。
バシャリとしぶきが上がり、俺は足に力を込める。
そうして、よろよろと立ち上がろうとした。
「お前が、碧い獣、なんだろ……ずっと、探していた、お前に会える日を、待っていた……答えろ。この声は……答えとは、何だ!」
「……私も会いたかった……でも、答えを教える事はまだ出来ない……まだお前は未熟だから」
「未熟、だと……お前は、いや、お前たちは……俺に何をさせようといている!」
ゆっくりと立ち上がりながら、俺は奴を睨む。
奴は俺をジッと見つめながら、ゆっくりと指を向けて来た。
ゆっくりゆっくりと動かして――奴は俺の胸を突く。
「鍵を集めろ。全ての鍵を集めて――父の元へ」
「……ふざけるなよ。鍵は何だ、父とは誰だ……俺はお前なんて知らない! お前の目的も、その父の考えも、何も!!」
「――違う。お前はもう既に知っている。鍵の事も、父の存在も」
「何を言って……っ!」
奴を睨みながら、俺は過去の記憶を思い出した。
『……碧い獣は何かを探している。奴らの通信を聞いた人間の話では災厄の痕跡と言っていたらしい……三人に心当たりは無いか?』
碧い獣は災厄の痕跡を探していた。
それは災厄が持つ何かを求めていたから。
『奴らは災厄について知っている。そして、俺の読みが正しければ、この巨大な何かが――災厄だ』
災厄はこの世界でまだ生きている。
あの写真が証拠であり、SAWと異分子の国の人間はそれを追っていた。
『……アレはね。僕たちにとっては大いに関係がある。何故ならば、アレが根源となって――僕たちは異分子になったんだ』
ジョンは言った災厄こそが俺たちの根源だと。
俺もこいつも災厄の因子を持っていて――だが、違う。
父とは、こいつと俺の関係の中で、共通する存在とは――――…………
『ノイマン……それが私の名だ――。何時の日か、思い出してくれる事を願っている』
「――ノイ、マン?」
…………――――何かの記憶だ。
顔も形も思い出せないのに。
そいつが発した言葉を覚えている
ただの自己紹介だった。しかし、決意の籠った声だった。
まるで、今生の別れの様で……何かを託すようだった。
「……その名を忘れるな……そして、鍵を共に探そう。弟よ」
「……災厄を探せば……鍵を集めれば……答えを教えてくれるんだな?」
「……約束する。どんな結果になろうとも……私はお前を裏切らない」
奴はそう言いながら踵を返す。
俺は奴に手を伸ばした。
しかし、足から力が抜けてその場に倒れる。
全身から力が抜けていくような感覚。
全ての力を使い果たした後のような感覚で。
意識を保っていられないほどの睡魔に襲われた。
待て、行くな。
俺はまだお前の名を聞いていない。
勝手に弟なんて言った癖に、お前は本当の名も明かさないのか。
俺は声を出す事も出来ず。
ただただ去って行く奴の背中を見つめながら。
必死になって手を伸ばし続けた。
しかし、奴は俺には見向きもせず。
そのまま何処かへと姿を消していってしまった。
俺はゆっくりと瞼を閉じていく。
その時に、聞きなれた声が聞こえてきた。
パシャパシャと水を弾きながら走って来る存在。
俺は仲間が来たくれた事に安堵して、そのまま意識を闇へと沈めていった。
 




