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【完結】死にぞこないの猟犬は世界を知る  作者: うどん
第二章:世界を動かす者

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056:失う者

 ……結局、碧い獣は現れなかった。


 神託の発表の日を迎えて。

 俺たちは今、大広場に集まっていた。

 周りに目を向ければ人だらけで、皆が今日という日を心待ちにしていたのが伺える。


 神からの言葉を貰う日であり、特にカメリアの人間にとっては最も重要な日だ。

 何を差し置いてでも、大神官から直接聞きたいと思っているのだろう。

 ガヤガヤと騒がしい大広場の中心から見れば、多くの報道官もいた。

 

 ノース・カメリアの大神官トーマス・アルレルド。

 彼の民衆からの信頼は厚く、異分子の中にも彼を慕う人間は多くいるらしい。

 それもその筈であり、彼はどんな人間であろうとも平等に接する。

 俺の事を異分子だと分かっても暖かな目を向けてきて、大切な筈のカードを渡してきたのがその証拠だ。


 これから始まる神託の発表は、一体俺たちに何を齎すのか。

 不安と期待が入り混じる中で、俺はふと背後に視線を向けた。


 大広場の中心から後ろを見れば、多くの人間が立っていた。

 多種多様な人間たちがいて――ローブを纏った人間が見えた。


 他の人間とは違う空気を纏う何か。

 それがジッと俺を見つめている。

 不思議と敵意のようなものは感じず……寧ろ、何か……っ!


 人が手を上にして喝さいを挙げた。

 その所為でローブの人間は姿が見えなくなり。

 俺はアレについての考察を中断せざるをえなくなる。

 

 視線を壇上に向ければ、白に金色の装飾が施された法衣を纏う大神官が上がって来る。

 彼は優しい笑みを浮かべながら、民衆に手を振っていた。

 そんな彼の登場に広場に集まった人間は歓喜に打ち震えている。

 今から神の言葉が聞ける。今から、新たな風が吹く。

 皆がそう思いながらその時を待っていた。


 マイクの前に立つ大神官。

 彼が姿勢を正したのを見て、民衆は一瞬にして静かになる。

 誰一人として口を開くことなく、彼の発する言葉を大人しく待っていた。

 彼はそんな従順な信徒をぐるりと見てから、ニコリと微笑む。

 そうして、両手を静かに広げながらゆっくりと言葉を発した。


「……今日この日。我らが創造主様は、重大な決断を下し……その意思を伝えるお役目を、再び私にお与えくださいました……栄誉ある使命、私が大神官となってから三度目の神託の発表になりますね」


 彼は昔を懐かしむように語る。

 この場に集まった信徒たちは、そんな彼の言葉に耳を傾けていた。

 誰もが彼の言葉を聞いている。誰もが話を遮ろうと思わない。

 神の言葉と同じように、大神官自身の心も皆が大切に想っていると分かる。

 本当に素晴らしい人間だったんだろう。

 これまでの彼の行いが、この場にいる人間一人一人の態度で分かるほどに。


「……一回目の神託の日、私はとても緊張していました。ミスは許されない。神の御言葉を穢す事はしたくはない。だからこそ私は何度も何度も神の御言葉を思い出し、何度も何度も神に祈りを捧げました……そんな私を見た我が父は、私をそっと抱きしめてこう言いました……失敗を恐れるのではなく、人の痛みを恐れなさいと……当時の私はその言葉の意味を理解できませんでした」



 大神官の父の言葉、意味のある言葉であるが俺にも分からない。

 しかし、大神官の口ぶりからして今の自分であれば分かるのだろう。

 彼はくすりと笑いながら天に視線を向けた。

 空は大切な日にも関わらず、少しだけどんよりとしていた。

 そんな中でも、彼の視線の先には光があるような気がした。


「……一回目の神託の日を終えて。時は流れていき、私はニ回目の神託の日を迎えました……父は既に天に召されて、私はふと父の言葉を思い出しました……最初の神託の日に見た光景。その中で存在した方々は歓喜に打ち震える方々ばかりでしたが。中には涙を流す方もいました……その光景を思い出した瞬間に、私は亡き父の言葉の意味に気づきました。そうして、二回目の神託の日は、その父の教えを守り。完璧では無く、寄り添う為の言葉を私は皆さんに送りました」


 完璧では無く、寄り添う為の言葉……そうか、そういう事か。


「……父の言葉の意味、それは……失敗が罪では無く、人の心を傷つけてしまう事こそが罪だという事だったのでしょう……間違ってもいい、完璧でなくても構わない。しかし、人々の心に傷を与えてはいけない……こんな事を言ってしまえば、私は敬虔な信徒ではなくなってしまうかもしれませんね」


 大神官は笑う。

 その笑みは少しだけ寂しげであり、何処か儚い。

 そんな彼の見せた弱さに、黙っていた信徒たちも声をあげた。

 

「違いますッ! 大神官様は素晴らしいお方ですッ!!」

「大神官様の御言葉は間違っていませんッ!! 私の母も、貴方の御言葉を通して創造主様の意思を理解する事が出来ましたッ!!」


 彼らの想い、それが一つとなっていく。

 神の言葉を正確に伝えれなくても。

 彼の優しさのお陰で、傷つく者はいなかったのだと俺は思う。

 ヴァンたちを見れば腕を組んで黙って彼の話を聞いていた。

 誰もが気持ちを一つにする。彼を悪く言うような人間はこの場にはいない。


 そんな民衆の厚い信頼を受けて、大神官は静かに頷く。


「……ありがとうございます。私が大神官となって得られたものの中で、一番の宝は……皆さんの存在です……どうかこれからも、気持ちを一つに。互いの意思を尊重し、子供たちの未来の為に助け合い生きていきましょう……創造主様の御心は、常に我々と共にあります。それをどうか、忘れないでください」


 大神官は手を広げながら皆に言葉を送る。

 そんな彼の言葉を聞いて、皆は手を叩き始めた。

 大勢の人間の拍手が大広場に響き渡り、大神官はゆっくりと信徒を見ていった。

 そうして、俺にも目を向けて――彼は静かに頷く。


 今、確かに目が合った。

 彼は俺をハッキリと見て頷いていた。

 その意味は何か……いや、気のせいか。


 彼が一瞬だけ頷いたような気がしたが。

 そんな素振りは無かったようにゆっくりと手を下げていく。

 そうして、彼は笑みを消して中々次の言葉を発しなかった。


 時間が静かに流れていき。

 流石に、黙っていた信徒たちもざわめき始める。

 警備を担当している人間たちは、ざわめき始めた信徒たちを鎮まらせようとしていた。

 しかし、彼は静かに手を挙げてそれを抑える。


「……神より賜った神託……私はそれを皆さんにどう伝えるべきかを考えていました……寝る事もせず、ただそれだけを考えていました……伝えるべきではないとも思いました。ですが、それは神への反逆であり、最も愚かな罪であると私は知っています……今、我々人類は異分子の国との戦争を強いられています。神は彼らを悪とし、多くの兵士の方々に戦う事を命じました……今この瞬間にも、彼らとの戦いで多くの兵士が傷つき倒れていっているでしょう」

「……っ!」


 異分子の国の話を切り出した瞬間に、大広場の人間たちの空気が重くなる。

 ピリついたように感じるほどで、中には拳を固く握っている人間もいた。

 誰もが異分子の国を憎み、誰もがそれを悪だと認識している。

 人類の平和を脅かし、世界を混沌に染め上げようとする悪魔共。

 首輪をつけた異分子たちは、そんな民衆の空気を受けて視線を下に向けるしかなかった。


「……神は私に命じました。異分子の国が引き起こした災いを全て公表する様にと……五年前、未曽有の大災害により消滅した街があった事を憶えていますか? 美しい星空を眺める為の塔が立ち、未来ある若者が数多くいた街”ユーステリア”……巨大なサイクロンが複数発生し、街を飲み込み生存者はゼロだったと当時は報道されていましたが……あの事件には、異分子の国が関わっています」

「――ッ!!」


 民衆が息を飲むのが分かった。

 抑え込んでいた殺意が渦を巻いているようで。

 誰もが驚愕の事実に驚きながら、真っ赤になるほど手を握っていた。


「……彼らの目的は分かりません。ですが、映像記録もあり彼らの会話も録音されています。どう説明しようとも、彼らがこの件に関わっていた事は事実です」


 大神官はハッキリと言った。

 彼の言葉は事実であり、証拠があるのなら言い逃れも出来ない。

 そんな彼の言葉を受けて、民衆の怒りは頂点に達する。

 殺意が渦巻く大広場の中で、誰もが怒声を響きわたらせていた。

 

「やっぱり、アイツ等がッ!!」

「あそこには俺の友達もいたんだッ!! 亡骸も見れなかったんだぞ……クソ野共郎が!!」

「母さん父さん……悪魔だ。アイツ等は人間じゃない。本物の悪魔だッ!!」

「異分子なんて消えればいい。アイツ等さえいなければ、今頃は!!」

「そうだ!!! 異分子はいらない!! 異分子なんて!!」



 ――まずい。

 

 視線を向けた先には異分子たちがいる。

 彼らは大広場の異様な空気を察してその場を去ろうとしていた。

 しかし、その前に男たちが立ち塞がる。

 そうして、やせ細った異分子たちを突き飛ばして罵詈雑言を浴びせていた。

 このままでは危害を加える恐れがある。

 俺は咄嗟に彼らを助けようとして――大きなノイズが響き渡る。


 耳が痛くなるほどのハウリングであり、大広間の人間たちは視線を大神官へと向けていた。

 彼は態と嫌な音で民衆の視線を自分へと向けさせて。

 笑みを浮かべながら静かに首を左右に振っていた。


「……私の父の言葉の一部を、今度は皆さんに私が送ります……人の痛みを恐れてください……異分子の国が犯した罪を、この場に集まってくれた家族の過ちと思ってはいけない。彼らも傷つき、涙を流しています……その痛みを理解しなさい。そして、家族である彼らには刃では無く、正しき心を向けなさい……何者であろうとも、罪なき命を傷つける権利などありません」

「……大神官様」

「……でも、創造主様は……」


 大神官の言葉を受けて、彼らは複雑な表情を浮かべていた。

 倒れていた異分子たちはそんな彼らを怯えた目で見つめて。

 誰もが殺意を抑え込みながら、振りかざした拳の居場所を探していた。


 だが、彼の言葉で間違いは起きずに済んだ。


 異分子の国への敵意は高まったかもしれない。

 しかし、神の管理下にある異分子たちへは敵意は向かないだろう。

 不用意に血が流れる事態は免れて。

 隣で見ていたヴァンも「冷や冷やしたぜ」と言って汗を拭っていた。


 やはり、大神官は凄い人だった。

 彼の言葉だけで、救われた命は確かにいるのだから。

 俺は壇上に立つ彼に尊敬の眼差しを向けて――?


 

 

 彼の背後に誰かが立っていた。


 小柄な人間であり、その衣服は汚れていて。


 首輪をつけたそいつは間違いなく異分子だろう。


 下にいる筈の警備員たちは民衆に注意を向けていて。


 背後に立ったそいつは静かに笑っていた。



 

「――ぇ」


 


 大神官の体が揺れた。

 そうして、ゆっくりと背後に視線を向けた。

 そこには薄汚れた少年が立っていて、ぽたぽたと何かが垂れていた。


 大神官の体が動いて、崩れ落ちるように倒れた。

 そうして、その少年の手に血に濡れたナイフが握られていると気づいて――悲鳴が響き渡った。


 絹を裂くような悲鳴であり、その瞬間にこの場にいる全員が何が起きたか理解した。

 大神官は異分子の少年に背後から刺されて倒れた。

 暗殺者でも無く、兵士でも無い。ただの子供に刺された。


 

 何故、何故、どうして――民衆の怒りが限界を超えた。


 

 声にならない悲鳴。そして、悍ましいほどの怒声。

 全ての人間が負の感情を口から吐き出していた。

 誰がやった。間違いなく、異分子の子供が引き起こした事だ。

 子供であっても、仕出かしたのは異分子だ。

 彼らにとっては子供でも老人でも関係ない。

 憎むべき異分子が敬愛する人を手に掛けた、その事実だけが心に浸透し。

 普段は優しい筈の人間でさえも、修羅へと変えていた。


 この場にいる異分子たちはガチガチと歯を鳴らして震えて。

 恐怖からその場に蹲り、頭を押さえて壊れた機械のように謝罪をし続けていた。

 民衆はそんな異分子たちへと怒りの矛先を向けて、力の限り蹴っていた。

 彼らはそんな暴力にも抵抗せず、ただただ謝り続けて――



 

「やめなさいッ!!!!」

「――ッ!!!」

 


 

 声が響き渡った。

 理性ある人間の声であり、その声を聞いた瞬間に誰もが動きを止める。

 ゆっくりと視線を向けた先には、血を吐き出しながらマイクを握る大神官がいた。

 彼はマイクを捨てながら、取り押さえられている少年に近づく。

 そうして、ゆっくりと手を振って彼から離れるように指示をした。


 警備員たちが離れていき、大神官は体から血を流しながら彼の前に立つ。

 そうして、徐に両手を広げて――彼を優しく抱きしめた。


「――っ!」

「……大丈夫……大丈夫……貴方は、悪くない……この場に敵はいない……安心して」

「……ぁ、ぁぁ、ぁ、ぁ……っ」


 彼の声が聞こえる。

 囁くような声だったが、彼の胸のマイクを通して言葉が伝わった。

 彼の優しさが、彼の想いが。この場の全員から、殺意を消していく。

 

 彼は少年を抱きしめながら頭をそっと撫でて。

 そうして、その声が小さくなっていき――ゆっくりと倒れた。


 自らの血だまりの中に倒れ伏した彼。

 少年はそんな彼に手を伸ばして大きく目を見開いてた。

 そうして、ぽろぽろと涙を流して言葉にならない声をあげていた。



 

「大神官様ァァァァ!!!」



 

 静かに見ていたミヤフジが叫ぶ。

 そうして、警官たちが動き出した。

 大神官の周りには医者が集まり、叫び声が聞こえて来た。

 警官たちは俺たちに指示をしながら、移動する様に言って来た。


 俺はただ茫然と目の前の光景を見つめる事しか出来なかった。

 守った筈の命は、蝋燭を吹き消すように奪われた。

 俺には分かってしまう。大神官は助からない。


 何故、どうして……何も、分からない。


 神の未来の通りでは無かった。

 しかし、大神官が死ぬ未来を回避する事は出来なかった。


「……またなのか……また、俺は……」


 拳を握りしめる。

 血が出るほどに握りしめながら俺は歯を食いしばった。

 守れた筈だ。守れた筈なのに、俺はまた人を死なせた。


 俺はただただ後悔する。

 何も出来なかった自分を恨み続けて。

 泣き叫ぶミヤフジに掛ける言葉も無く。

 

 己の失敗を、己の過ちを、己の力の無さ――呪う事しか出来なかった。

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